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気づくのが遅過ぎた、と医者は言った。癌は転移しており、余命は幾許もない。私は死ぬのだ。
思い残すことはそれほどなかった。強いて言えば、長生きして未来の技術を見ることが叶わないのは残念と言えるか。あとは、親より先に死ぬことも心残りか。あの宣告の日から両親は毎日のように他愛もない話をしてくれる。笑顔を作っているが、苦しそうだ。自分が苦しめていることに罪悪感を覚えるが、どうしようもない。夜中に啜り泣く声で目を覚ます日もあった。
何かを二人に残してやりたかった。しかし私には子も、子を残す相手もいない。悩み、私が死んだ後悲嘆に暮れる両親の姿を思い浮かべて、何か目的を作ってやれないかと考えた。目的があれば、人は前に進める。私はそう信じている。だから、二人に使命を残した。私の脳を、保存してもらうことにした。
脳はその人自身と言っても良いと考えている。私は、私自身を遠い未来まで連れて行ってほしいと言い、面食らった両親を見つめた。母は少し笑って、色々調べなきゃね、と言った。父も微笑みながら、金がかかること言うなよ、と肩を叩いてきた。少しは元気になってくれただろうか。
果たしてその日は来た。私は病院のベッドの上で、苦痛に悶えることもできずにいる。両親と最期の言葉を交わした。思い残すことは、ない。できることはやった。私の最愛の家族は、きっと私の死を乗り越えて、幸せに暮らすだろう。両手が強く握られている。私の名前を呼ぶ声がする。しかしその感覚は、だんだん、遠くなっていった。