プロローグ
目の前には眩しいLEDライトが俺の目を照らしている。本当はこうならないはずだった。しっかり準備してきたはずだった。でも現実は違った。
全中体操(全国中学校体育大会 体操競技) 当日。田中が跳馬を飛んで着地をすれば次は俺の番。
「田中ガンバー!」
田中を応援する声が体育館に響き、体育館中のみんなが田中の演技に注目した。田中は今大会個人総合で優勝候補なのだからみんなが注目するのも無理もない。
審判が旗を揚げる。それを確認した田中は指先を天井に向けて吠えた。
「はい!お願いします!」
田中の声が鳴り終わると、体育館がドッと盛り上がる。
「ガンバー!!」「いけるー!」「いつも通りいけー!」
俺ももちろん同じチームなので応援した。
「ガンバー!」
田中はポーズをすると、一歩足を踏み込む。そして走った。
ダダダダダダと助走路を駆ける音が響いたと思ったらすぐガシャンとロイター板が踏み込まれる音がした。
田中の跳躍はきれいだった。つま先は伸びきっていて、身体は真っすぐ。そして何より、高い。羽でも生えているのかと思うほど。
そして見事に着地して見せた。
「ありがとうございました!」
終わりの挨拶を終えると、会場が拍手と歓声で沸く。俺も自分のことのように喜んだ。
田中が嬉しそうに戻ってくる。
「よかったぞ!」
「ありがとうございます!」
コーチに褒められている田中の笑顔が眩しいのはいつものことだ。
田中はコーチと少ししゃべると、助走路付近でうろうろしている俺のもとにやってきた。
「がんばれよ!」
「まかせろ」
俺はこの日のたった数秒で終わる一本跳躍のために何日も何十時間も何千秒もささげてきた。だから自信はある。着ピタ(着地ピッタリ)できるとさえ思う。
............ゼッケン14番!
旗が上がった。
いける、いけるぞ、桃井奏!
「はい!お願いします!」
会場が俺の応援モードに染まっていくのが分かる。
一歩足を出して、走った。
あ、あれ?おかしい。足が合わない。
俺はいつもの足でロイター板を踏みこめなかった。
まったく力が入らない。体がめちゃくちゃだと分かる。
そして背中から落ちた。
体育館が静まりかえる。
俺は失敗したのだ。最も醜く、ダサい方法で。(ズルは除く)
LEDライトがいちいち眩しい。俺の失敗を馬鹿にしてんのか?
あ、あれ?ライトの数が増えていくぞ?そして俺の目からはライトが一つになった。
涙だ。
俺が失敗して、どれだけ打ちのめされようが終わりの挨拶をするまでは終わらない。挨拶をするまではすべての動きが減点対象になりうる。震える足で立ち上がると審判の顔を見て挨拶をした。
「ありがとうございました……」
哀れみを込めたような、残念だと伝えるような拍手が俺を包んだ。
その後はこのミスを引きずってすべての種目がグダグダだった。
もちろん表彰式で俺の名前が挙がることはない。田中は表彰状を抱えきれないほどもらっていたけど。
帰りの車では狂ったように泣いた。きっとうるさくて、耳が痛くて、うっとおしかっただろうに、お母さんとお父さんは何も言わなかった。
こうして俺の中学最後の大会は終わった。
なんでこうなったのかわからない。何度も成功してきた技だったのに、失敗する方が珍しいと思えるほど練習してきたのに!
この悔しさと、怒りは一体何にぶつければいいのか、教えてくれよ神様。いるならだけど。
この日は日曜日だったので、普通に明日学校がある。こんな時の学校ほど憂鬱なものはないだろうな。
お父さんは俺を励ますためか、それとも、うまくいくと思って前からお祝いのために予約していたのかピザを夕飯に出してくれた。
「ほれ、食え」とお父さんは言うけれど、こんな目で、こんな鼻で、食えるわけないだろ、と反論したくなった。さすがに申し訳なくて言わなかったけど。
結局俺はピザを食べずに寝た。ピザは俺の大好物だった。
憂鬱な朝はうっとおしい目覚まし音とともにやってくる。
本当は今日の学校を休みたい。お母さんにおなか痛いと一言伝えればその休みは手に入る。
ズルだと気づかれないように、おなかを押さえて階段を下りた。
「お、おかあさん?」
「なに?」
「今日――」
「おい、できたか?」
「無理、無理」
「だよな!特に問6とか鬼畜だろ!」
「それな!」
結局俺は学校に来た。休むともう二度と来られない気がしたし、何より、成績がかかわっている数学のテストがあったから。うちの学校はテストを休んでも追試を受けられるが、成績が8割にされてしまう。つまり100点とっても80点取ったことにされるということ。
「よお!元気出せよ!」
そう後ろから肩を叩いたのは田中だった。田中はいつも通りの笑顔で俺に話しかけてくる。まるで昨日のことなんかないかのように。
「よお、田中」
「テストできたか?」
「まあ、ぼちぼちかな」
「すげえ!俺多分0だわ!」
そう、田中は生粋のアホである。数学の評定はまさかの最低の1!どうしたらとれるのか逆に知りたい数字だが、田中にとってはあまり関係ないのだ。
「でも、お前評定あってないようなもんだろ」
「でもさすがに0は笑えないだろ。母さんに殺されるかも。もし死んだら俺のお墓はうんこ色にしてくれよな」
そして、田中は小学生低学年くらいのお笑い感覚だ。うんこで一生笑ってられるというのは逆に特技だろう。うんこでおもろい要素どこだよ。
「なあ、次の移動教室行こうぜ」
ああ、そうか次美術だったな。
「いいよ」
美術室に着くと俺は自分の席、田中は俺の机のそばに立つ。いつものポジションだ。そして、予冷が鳴るまでだべる。
「てか、昨日の日曜すら夜更かしみた?」
「見た」
「あの鼻血出してるおばさんと仲良くなるのおもろすぎて笑い転げたわ!」
「あれ、おもろかったよな」
嘘。ほんとは見てない。だって昨日は泣いて、そのまま寝たんだから。
「おーい!席につけ!」
「やべ、先生来た。じゃあな奏」
「おう」
美術の授業内容は自分の顔のデッサンだった。
先生が鏡を生徒一人一人に配っていく。
「はい」
「あ、ありがとう」
前の席の山田さんはいつもはい、って言って渡してくれるから好きだな。たまに振り返らず、手だけこっちによこしてくるやついるけどあれはだめだな。まじでくそ。気遣いの欠片もないくそ。
鏡を開けて、自分の顔を見る。
…………。
ひでえ顔。いつもひどいのに今日は特にひどい。コンプレックス部分が肥大化してるように見える。
美術が終わると、また、田中がやってきた。
「なあ購買行く?」
「ああ、今日俺弁当だ。わりい」
「え?弁当だろうと、なんだろうと当たり前だけどついてくるよな?」
「は?」
「俺だけ行かすとかなしだぜ。まえトイレついていってやっただろ」
「……まあ、しゃーなしな」
「らっきー!」
「マジラッキーじゃん。一口くれ」
「無理」
「は?ついて行ってあげただろ」
「じゃあ、はい……。大きい一口なしな」
「うん」
「は?でかすぎだろ!しね!」
「田中の真似しただけだわ」
田中は購買ですぐに売り切れてしまう、こんがりメロンパンを手に入れいれていたので、一口もらった。
田中は本気で嫌そうだったけど。前、雪見饅頭一口って言って一個食っていったことあるし、おあいこだろ。雪見饅頭は二個しかないので、一口で一個食べていくというのは重罪だ。
授業が終わった。
いつも顔を出すはずの体育館にもいかずに校門を出た。
「なんか変な感じじゃない?」
「何が」
「体育館に行かず帰るなんて」
「そうだな」
「なあ、学生らしいことしようぜ」
「え?」
「今まで部活忙しくてできんかったじゃん」
「いや、お前は体育館行けよ」
「いいじゃん今日くらい」
「いや、お前推薦だろ?入試に体操の実技あるだろ?」
「いいのいいの!」
俺はなかば強引に電車に乗せられた。
いつもチャリ通なので電車には久しぶりに乗った。夕日があったかい。
「ここで降りる」
「ここかよ……」
田中の案内に歩いていくとそこはカラオケだった。
「授業終わりカラオケとか、学生の特権だろ!」
「カラオケって……オフの日いつも行ってるじゃん」
「授業終わりに行くのが意味あるんだろ?」
まあわからんでもない。
受けつけをすませて、5番の部屋に入った。
「くうぅぅぅ!」
「うるせえな」
田中はマイクオンにして叫んでいる。
「授業終わりにカラオケ最高!」
うるせえ……。
「やべえ……こ、声がでねえ」
「あんなに叫ぶからだろ」
「つ、つい興奮しちまって……あ、俺ここで降りるわ」
「最寄りここじゃないだろ」
「いや、あのこれと待ち合わせてる」
クソが!
そうだった。田中最近彼女できたんだった。マジでムカつくぜ。
写真を見せてもらったとき、俺のブスであれという願いに反して、ばかかわいい子だった。
マジでかわいいんだよなあの子。本当にムカつくぜ。でも普通あんな声でデート行かねえだろ。
俺が家に着いて、飯を食い、風呂に入り、自分の部屋のベッドに寝転んだ時、このタイミングを狙ったかのようにレインが来た。
「あ?田中か……。まあ無視でいいか」
俺が田中の連絡に無視を決め込んでいると、ティロン、ティロン、ティロン――とスタ連が送られてくる。
「あーうるせえ!実物がいなくてもうるせえってもはや才能だろ」
スマホを開くと、18件の着信。そしてそれは今も19、20と増え続けている。俺がなんかでモテまくって、女の子から連絡が来るとか、バズって着信が止まらないとかならうれしいけど、着信の送り主はあいにく田中。
「クソが」
レインを開く。
何?
これみて
あ?
田中は俺に写真を送ってきた。
その写真は彼女と一緒にラーメンを食ってる写真だった。
どう?
どう?って何が
学生っぽいでしょ
なんだそれだけかよ
それだけってなんだよ
学校終わり彼女と飯行く
って学生っぽいだろ?
馬鹿が。どうせ俺に彼女自慢したかっただけなんだろうよ。
俺は田中に返信せず、通知を切った。
朝起きると、通知はカンストしていた。
「おい!奏!返信しろよ!」
「いや、ちょっとムカつきすぎて」
「まあ、俺って優しいし、かわいいとこあるし、あやに嫉妬するのもわからんでもないけど」
「そっちじゃねえよ」
「あれ?違った?」
「お前が死んでも俺の涙は一滴もでねえよ」
「それは言い過ぎ。さすがに号泣だろそれは」
あやというのは田中の彼女だ。
まだ出来立てほやほやの新米カップル。
学校でいちゃついているところを見たことがないのがしっかりやってるなと思う。
「じゃあ、次桃井!」
俺は先生に廊下に呼び出された。
そう。進路相談だ。
「桃井は成績がいいから、ここでも十分狙えるぞ」
「はい」
俺は県内トップ偏差値の高校を目指している。
俺の将来の夢は医者だ。きっとそのくらいの高校に行かないとなれない。
「でもいいのか?」
「何がですか?」
「体操だよ」
「あー……」
「桃井は、勉強も頑張っていたけど、体操も頑張っていただろ?」
「はい」
先生のいう通り。俺は血を吐くほど体操の練習を頑張っていた。まあ最後はその努力が実らずって感じだったんですけど。
「でも俺、夢あるんで」
「医者だな」
「そうです」
「まあ桃井がいいなら、いいんだけど」
「はい」
「ok わかった、じゃあ戻って自習してろ」
「はい。ありがとうございました」
「うい。 じゃあ次、屋部!」
体操はうまくいかないことが多い。どれだけ練習していても、身体がうまく動かなかったり、滑ったり、いきなり足が合わなくなったり。
人生も体操に似ている。どれだけ調子が良くてもいきなり奈落に落ちることがある。お父さんは前、大事なお金を盗まれてやばかったって言っていたな。会社俺のせいで終わるかもって、でも結局うまくいったんだよな。
じゃあ、じゃあさ、俺に起こった悲劇も、な、何とかなると思うか?教えてくれよ神様。いるんだろ?
田中が交通事故にあった。
意識不明の重体だってさ。
俺と田中の出会いは幼稚園だった。幼稚園で一番最初に仲良くなったのが聡志だった。
本名:田中聡志
俺が田中って呼び始めたのは中学に入ってから。聡志に田中って呼べ、って言われたんだよな。理由は中学生っぽいから。今でさえ、定着しているからいいけど、最初の頃は小学校から一緒のやつにさんざんからかわれたもんだ。田中が、だけど。
体操を始めたのも、聡志のせいだった。
聡志が一緒に体操クラブに行こうなんて、俺を誘わなければ、今の体操をやっている俺はいない。
感謝しているような、してないような。
というのも、俺体操がめっちゃ好きかと言われると、どうだろうかって悩むんだよな。部活に入部するのが必須のこの学校で別にほかのスポーツができないからただ体操部に入っただけだし。
普通に怖いし、痛いし。
聡志は楽しい、楽しいってやってるけど、正直ほんとか?って思ってる。
じゃあなんで勉強くらい頑張ってやってたのかって?
それは、ただ――
事故から1か月ほどした日の月曜の朝。
その日、俺のスマホにはあの日と同じくらい着信が来ていた。
一個はすでに仕事に行ったお母さんから。残りの数百件はあやちゃんから。
俺にもついにモテ期来た!って思ったけどもう、田中のこと捨てたのかよってなんか萎えた。
とりあえずインスタを開いた。
どうしたのって返すと、すぐに返信が来た。
聡志君起きた
俺はこの文を見た時、少し眠たかった目はバチコリ開いたし、だるい体は軽くなった。
そしてリンクが送られてくる。今日の放課後ここの病院きて。
俺は了解と返して、学校に行った。
放課後リンクが示していた病院に行った。
病室を開けたら、きっとうるさいんだろうな。あいつ、ほかの患者さんに迷惑かけなきゃいいけど。
しかしおれの予想と裏腹に病室を開けた時、そこは葬式くらい静かだった。
でも葬式じゃない。田中は生きている。
「よお、田中」
「よお」
「元気してるか?」
「おい、これ見て元気だと思うのか?」
「いや、田中なら元気かなって」
「まあいつもよりは元気じゃないかも」
「そうか」
「でも、よかった。生きてて」
「死んでも泣かないんじゃなかったっけ?」
「まあ泣かない」
「おい、そこは嘘でも泣くって言え、おれの母さんの前だぞ」
「わりい」
田中のお母さんは俺らのやり取りを見て笑っていた。
「いつ、復帰するんだ?推薦入試まだ終わってないだろ?」
俺がそう聞いたとき、田中の母さんは泣いた。
「ご、ごめんなさいね……。が、我慢できなくて」
そして病室に俺たち二人を置いて行って、どこかに行った。
「どうしたんだ田中のお母さん」
「なあ、聞いてくれよ」
「あ?ってなんでお前も泣いているんだよ。そんなに俺にあえてうれしい?」
「わりい、泣くつもりなかった」
「まあいいけどさ、っで聞くって何を?」
「俺、医者にもう体操できないって言われた」
「え?」
「俺の選手生命はここで終わりなんだよ」
「いや、ちょっと待ってどういうこと?」
やばい。心臓がバクバクする。だって田中だよ?あの田中が?体操しない?
「俺、足がやばいんだよ。一生車いすかもしれない」
「嘘だろ?」
「こんな嘘つかねえよ!」
「……」
「なあ、俺の一生のお願い聞いてくれないか?」
「……」
「俺を、オリンピックに連れってくれ!」
「……」
「俺の夢だったんだよ。オリンピック」
「そうだったな」
田中は口癖のようにオリンピックに行くと言っていた。
前はオリンピックの選手村にはコンドームが配布されるらしいとか意味わからんことを言っていて、そこで脱童貞するとも言っていた。マジでアホだ。
「観客席でいいからさ」
「うん」
「オリンピック連れてってくれよ!」
「……」
俺はここで簡単には、うん、とはうなずけない。
俺にだって田中がオリンピックに行くというように、医者になるって夢がある。
田中は初めて、俺の前で声を出して泣いた。金玉けり上げた時すら泣かなかったのに。
……ちょっと待てよ。俺がここで、うん、って言えば医者じゃなくても田中を救えるのか。
「なあ、俺がオリンピックいけると思うか?俺、田中と違ってそこまで体操好きじゃないし、何なら前の試合で、大失敗したんだぞ」
「いけると思う」
「なんで」
「たしかにお前は、体操を好きそうにやってない。ただ――悔しがりなだけ。今までずっと体操やってきたのは、常に悔しがっていたから。毎日の練習で何かしら悔しがって、次の練習でも何か悔しがって。それの繰り返し。それで今までつないできてた」
「そんなのオリンピックいける理由として弱すぎるだろ」
「かもね。でもお前全中の時、めっちゃ悔しそうだった。あの悔しさをばねにしたらオリンピックに行けると思えるくらい」
「……」
「だからお前ならいけるよ」
「もし……」
「ん?」
「もし、俺がオリンピック連れて行ったら、お前が俺に焼肉おごりな」
「いいぜ」
俺は田中とこの日約束した。
田中をオリンピックに連れて行ってやると。そして焼肉をおごってもらうと。