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第11話 めんどくさ

「ねえねえ、そこのお兄さん」


 中々に色っぽい声。俺のキャラの目の前で駐車している車の運転手に話しかけられたみたいだ。

 ……にしても、お兄さん、か。呼ばれて悪い気はしない。

 というか、良い気しかしない。


「……どうかされましたか?」


 いつもより丁寧な口調で接する。『ちょろw』というコメントは無視しておく。


「都市の方まで送ってあげるわよ」

「ふむ……」


 助手席と後部座席に誰もいないのを確認する。

 都市の方まで二人きり。しかも、お兄さんって呼んでくれる女の子と、だ。


「どう?」

「お願いします」


 思わず即答してしまった。落ち着け、俺。ジェントルマンを装うんだ。


「ふふっ、良い答えね。お兄さん」

「……」


 無理。落ち着けるわけない。


 心の底から顔出し配信をしていなくてよかったと思った。もしここにカメラがあったら、俺の気持ち悪いニヤけ顔が全世界に公開されていたことだろう。


 にしても、またお兄さんって呼んでくれた。

 お兄さんって、呼んでくれた。


 大事なことだから何度でも言おう。お兄さんって呼んでくれたのだ。


 人に生まれて26年。最近はおじさんと呼ばれてばかりだったわけだけれど、ようやくお兄さんと呼んでくれる、素晴らしい女性に巡り合うことができた。

 これまで女っ気のない人生だったけど、ようやく最高の瞬間が来た――


「じゃ、お金ちょうだい」

「……」


 ――と思ったのだけれど。


 なんだ。

 金が欲しいだけか。

 心が冷めちゃったよ。

 はあ。


 実はなんか怪しいと思ってたんだよな。自分の妖艶な声を利用して金を搾り取ろうとしたってことでしょ? 正直に言えば最初から気付いていたっていうか?

 アレだよね、ハニートラップってやつだよね。生まれて初めて食らったわけだけれど、それに引っかかるのはバカだけでさ。

 26年も生きてる俺に通用するわけないんだよね。うんうん。


「予定を思い出したので失礼します。それでは」

「え、いや、ちょっと、ねえ」


 何か言いたげな感じだったが、面倒だし無視しよう。

 いやー、無駄な時間だった。さ、早く七瀬に電話しないと――


「もおおおおおお! お金ちょうだいよおおおおおおおお!」

「え、なに、どした?」


 急に叫び出されてしまった。声はそのままだが、口調がさっきまでとは全く違う。


「お金ないの! このままじゃ何もできないの!」

「い、いや、そんなこと言われても」


 こんな変な人からは早く逃げ出すべき……なんだけど、車ですぐに追いつかれるだろうから不可能だ。


「……はあ」


 少しイライラしてきたが……まあいいか。一度話を詳しく聞いてみて、落ち着かせてから逃げるのが良さそうだ。


「とりあえず何があったのか言ってもらってもいい?」

「うう……ごめんなさい、初対面なのに急に大声出しちゃって」

「いや、元気が良くていいと思う。クソガキみたいで」

「バカにしてんの?」

「すいませんでした」

「……はあ」


 一度ゆっくりとため息をついてから、この女性は喋り始めた。


「とりあえず名前から……あたしはアイラ。色々あって一文無しなのよ」

「へえ……あ、俺はハジメ・ナイ。好きに呼んでもらって大丈夫」

「分かったわ、ナイさん」


 にしても、アイラ、か。七瀬といいアセラさんといい、配信者名が短い人ばかりだ。

 俺も元々はハジメだけでいいと思ってたんだけど、他の人と被ったら面倒だなー、って思って少し付け足したんだっけ。懐かしいな。

 ……年を取ると、すぐに昔のことを考えてしまう。今はアイラとの会話に集中しないと。


「で……どうして一文無しに?」

「あたしね……妹が欲しいのよ。だから誰かに妹になってもらおうとしたんだけど」

「うん……は?」


 到底理解できない発言だった気がする。そう思ったのは俺だけではなく、視聴者たちも『?』とコメントしまくっていた。


「それでね? アセラさんに妹になるって言われて、お金を渡したのよ。そしたら連絡がつかなくなって」

「あー、うん。大体分かった」


 ここでもまたアセラさんの名前が出たことはさておき。

 お金を渡して妹になってもらう……レンタル彼女の妹版ってこと? あまりにもめちゃくちゃすぎる。配信者にお願いすることじゃないでしょ。


 どう考えても、このアイラという女はやっべえやつだ。


「で、お金が欲しいって?」

「そうなのよ! もうこの盗んだ車しか持ってるものがないの! しかもそろそろガソリン切れちゃうし!」

「うん、分かった。だから落ち着いて」


 すぐに大声を出して喚く。やっぱり小学生くらいのクソガキの相手をしている気分だ。声は色っぽい大人な感じなのに。


 ……なんでこんな変な人と会話しないといけないんだろう。一刻も早く七瀬に電話してマノちゃんという人を探したいところなのに。


「……めんどくさ」

「え? 今なんて言った?」

「やべ」


 しまった。癖の独り言が。


「あたしのこと、めんどくさいって?」

「いや、言ってな」

「言った! 絶対言ったわよ! 許さないんだから! あたしはね、めんどくさいって言われるのが一番嫌いなんだから!」

「いや、その、ごめん」

「謝ってもムリ!」


 どうやら完全に地雷を踏みぬいてしまったみたいだ。 

 しかも、一番デカいやつ。


「ナナさんに言いつけてやる!」


 どうなだめようかと考えていると、アイラが小学生みたいなことを言ってきた。……大人になって「先生に言いつけてやる」的なことを言うのはどうかと思うけど。


「ええ……ちなみに、ナナさん、って誰?」

「七瀬さんのことよ! あの人、めちゃくちゃ強いんだから!」


 アイラは七瀬と知り合いだったみたいだ。で、七瀬が強い……というのはよく分からないけど、俺の「めんどくさ」という呟きのせいで呼び出すのもなあ。くだらなすぎるよなあ。

 サポート役の七瀬には世話になっていることもあるし、あまり困らせたくない。


「あー……アレだ。多分忙しいでしょ、あいつ。きっと来ないよ」


 それっぽいことを言ってみるが、あまり意味は無かったようだ。


「来るわよ! ナナさんとはかなり仲がいいんだから! マノちゃんってあだ名で呼んでもらってるくらいなんだから!」

「……ん? マ、マノちゃん?」


 なんだろう。

 すごい嫌な予感がする。


天野あまのアイラ。だからマノちゃん! 分かる!?」

「あ、いや、うん。分かった」


 苗字、か。自分でも気付かない間に、配信者の名前は短いことが多いと勘違いしてたけど。

 そりゃ苗字がある配信者もいるよね。うん。

 ……うん。かなりまずい。


「あ、あの、アイラってアレだよね。ギャングに入りたいんだよね」

「だったら何よ!」

「……こほん」

 

 一か八か、できる限りのイケボをひねり出して尋ねてみる。


「うちのギャングに、入らない?」

「入るわけないでしょ! ほんっとうにキモイ声で、何ふざけたこと言ってんの!?」

「だよねー……ていうか言い過ぎ」

「何から何まで全部キモイ!」

「だから言い過ぎだって……ちょっと語呂が良いのは褒めどころか」

「え、ありがと……じゃなくて! キモイ!」

「うーん……」


 どうやら本気で嫌われてしまったみたいだ。探していたマノちゃんという人物と、まさかこんなことになってしまうとは。……マジでどうしよう。


「もう電話しちゃうから! ……えっと、連絡先の下の方にあったわよね」

「あ、いや、ちょっと」


 アイラのキャラクターがスマホを操作し始める。このままだと、七瀬がここに来てしまうかもしれない。それだけは避けたいところ。

 とにかく、電話をやめさせないと。……欲を言えば、さらにギャングに入ってもらいたいな。せっかく七瀬が教えてくれた人なんだし。


「うーん……」


 コメ欄に助け船が無いかを確認する。『キモイw』『キモイは草』『キモイwwwwwwwww』……いつも通り、クソみたいなやつばっかりだ。

 こうなったらもう、自力で状況を打開するヒントを探すしかない。


「……そうだ。うちのギャングに入ってくれたらお金あげるよ」

「うっ……そ、それだけじゃムリ!」


 かなりお金に困っていそうだったし、これで交渉できると思ったのだけれど。怒らせてしまったこともあってか、まだ材料が足りないみたいだ。他に追加できるものと言えば……。


 ……妹、か? 妹が欲しいとか、そんなことを言ってた気がする。

 でも男の俺では妹になれないし。俺の数少ない知り合いで妹が向いてそうな人がいればいいんだけど。


 ……あいつ、いけるのか? いや、もうあいつに賭けるしかない。


「じゃあ、さらに妹になれそうな人を紹介しよう」

「……へえ?」


 急に態度が変わった。アイラのキャラはスマホをしまう。


「少し話を聞こうかしら」

「俺がボスのギャングを作ろうとしてるんだけど、そこに入るのが確定してるやつでウラっていうのがいて」

「とりあえず会って話したいわね。呼び出すことはできるのかしら」

「問題ない。……たぶん」


 どうなるかは分からないけど、まあ何とかなるだろう。

 妹になることでウラが嫌な思いをする可能性が無きにしもあらずだが……それは俺の知ったことじゃないね。うん。


 俺は悪くない。

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