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終章:あの、小さな部屋へ。

挿絵(By みてみん)


「いやぁ、愉快だったなぁ?この見世物は。」

 魔巧照明完結型の農業は、極寒の魔族領でやっていたときより種類が増え、その質も、十分美食に足るようなものになっていた。

 旧魔族庁舎に、妾の遺品のトゥリオビーテを回収に向かわせたときだった。隠密・索敵に優れた魔族を向かわせたのが功を奏した。そこに、ある贈り物が届いていた。

「おめでとう、”勇者殺し”。」

 そう発音することに、妙な心地よさを覚えた。そうか、これが彼のスティグマとなったのか。

 残念なことだが、いくらかの人間は、彼のことをそう認識するだろう。いくらかの歴史は、彼にその名を背負わせるだろう。

 しかし、妾や、あの決戦を見ていた者たちは違う。彼らは、自らの目でそれを観測し、自らで思考し、自らで決断する、そういった力を手に入れた。いや、取り戻した、という方が近いのだろうな。

 それこそが、人間という種族が持つ、第六感だったのかもしれない。

「妾が継いでやる。勇者殺し。君は、正義を笠に着て、悪の限りを尽くした勇者を殺した英雄だ。それが、”勇者殺し”という異名の所以だとな。」

 君は妙なところでプライドが高いし、妙なところで無頓着だから、自分の名前についてを嘆き、あるいは気にしないかもしれないけれど。

 もし悲しんでいるようなら、それを慰めてやるのも悪くない。妾以外と一緒になったのだから、それくらいはさせてもらわないと困る。

 遠慮がちなノックの音がした。

「魔王様。」

「入っていいですよ。」

 妾の秘書が、そこに立っていた。残念ながら、側近という立場は永久欠番なのだ。危ういほどに美しい少女のことを思い出した。

「詳細不明の通信が……一切魔力を使っていません。」

「魔力を使わない通信……ですか。」

「それと、分析官が十九桁の数字を。」

 彼女が差し出したメモ。

「ははっ、成程な!」

 奴らしい粋な勝利宣言に、妾は嗤わずにはいられなかった。

 そうか、終わらせたのだな。

「電話番号、というのですよ。覚えておかなくても、別にいいですが。」



 先生は、私によくわからない端末と、よくわからない番号を伝えて、発信しろ、と言いました。そうして倒れ込んでしまったので、私は死んでしまうほどに心配したのですが、先生はいつもの意地悪な笑みで「三日寝る」と言いました。

 それから先生は、本当に三日ずっと寝ていて、私がたまにベッドに潜り込むと、「三日寝かせてくれと言っただろう……意地悪な妻だな。」と抱きしめてくれました。すみません、と満面の笑みで言った私に、先生は少しだけ目を開けて、愛おしそうな顔をしました。


「おはよう。」

 三日といったのに結局三日半寝た先生は、寝ぐせでぼさぼさになった頭でリビングに出てきました。そのままお風呂に入ろうとしたので、「お背中流しましょうか?」と言ったら「頼む」とだけ言われたので、私はまんまと黙らされてしまいました。

 意を決して浴室の扉を開けようとすると、いつも通りに身支度を整えた先生が出てきたので思わず頬を膨らませます。

「我慢できなくなるから勘弁してくれ。」

「っ!」

 乱暴に私の頭を撫でた先生に、なんでそんな平然とした顔で甘い言葉を囁けるの?とか、なんか躱し方が手慣れてないですか?とか、先生ってやっぱり……意外と……筋肉、ありますよね……とか、いろいろなことを思いましたが、仕方がなかったのでいろいろと飲み込んで、それだけは伝えました。

「……別に、……もう、我慢しなくてもいいじゃないですか、私たちって。」

 少しだけ面食らった顔をした先生は、少しだけ笑って「そうだな」とだけ言いました。幸せそうに目を細めたその顔を、多分私は、一生忘れない。

「君も何か飲むか?三日も動いていなかったから、人間の生活を思い出さなきゃならん。」

「……それじゃあ、コーヒー……飲みます。一緒に淹れましょう?」

 先生と並んでキッチンに立って、先生はガリガリと豆を挽いて、私はケトルを火にかけます。

 豆を挽き終えた先生は、煮立ったお湯を新聞を読む片手間にフィルターに注いで、あっという間に二人分のカップを満たしました。

 一口含んだ先生は小さく嚥下して、満足げに頷きました。私も少しだけ口を付けました。先生とおんなじ方のカップを。

「なんでそっち。」

「わ、……」

 私はそのとき、先生が淹れたコーヒーを初めて飲んだことに気付きました。そういえば、ミルもケトルも、私が買ってくるまでもなく、この家にあったのを思い出しました。

「むぅ……あの……」

「なんで不満げなんだ……」

 私は昔からカフェインが苦手でした。先生に注いだものが変な味がしないか、と思って味見するくらいだったけれど、多分好きではなかったと思います。でも、先生が注いだものは。

「私より、上手いじゃないですか……」

「え、そうか?」

「言ってくださいよ……!不味いなら不味いって!」

「いや、そんなことを思ったことはないが……」

 魔法も料理もコーヒーも、先生はいろいろと適当なのに、出てくるものは一流なのが憎いところでした。

 私は今日から、バリスタに転職することを決意しました。

「で、打ち上げはどうなったんだ?私抜きで盛り上がったか?」

 まだ勇者事件に盛り上がる新聞記事を退屈そうに見て、先生はそんな間の抜けたことを言いました。

「今日の夜やるんですよ。先生が、三日寝るって言ったので。」


 技研の一階を貸し切って行われたパーティーには、結構な人数が集まったと思います。

 ギルドの支配人や、王室庁関係者、魔法学院学院長などの参加の申し出は丁重にお心だけ頂戴して、その日のパーティーは完全に技研の仲間内だけで行われました。もちろん、先生の同僚である騎士団の方々やオル氏、アマタ様は招待してありました。

 アマタ様は料理が得意で、パーティーの前にキッチンで準備していた私たちが遠慮したのを一蹴して、自分で何品も作ってくれました。技研の女性職員のほとんどが熱いまなざしで見たので、アマタ様は少しだけ困惑していて、それがとても新鮮でした。

 アマタ様の料理を、本人に取り分けて貰って、隅の椅子に二人で座りました。

「……素敵な場所にいるのですね。フォーティア。」

「はい……みんな、私を受け入れてくれましたから。」

 絶対に飲み過ぎている先生は、騎士団の方々と涙を浮かべるほどに笑っていて、多分その内容は下品な話でした。

 子供っぽい先生は可愛いですけど、ああいうところに私が割り込んで行ったら邪魔でしょうし、多分先生は模範的な夫を演じ始めるでしょうから、私があの一面を見るときは、いつも三人称です。

「口に合わなかったかしら?」

「え?……すっごく、おいしいです。」

 突然アマタ様がそんなことを言ったので、私は多分子供みたいに目を輝かせて美味しさを伝えたと思います。もう二十代も半分を過ぎるというのにそんな仕草は恥ずかしくて、頬が熱くなりました。

「……、」

 神妙な顔をするアマタ様にほっぺたをうりうりとつままれました。

「ぁ、あまたひゃま……?」

「あの男にはもったいないですわね。うちの子になったらいいのに。」

 アマタ様がすごく真剣に言うので、私は少しだけ想像してしまいました。もし、私が、貴方の妹だったら。

 少しだけお酒を飲んで、いろいろと料理をつまんで、アマタ様と話をしていると、電子楽器が趣味だった職員が演奏を始めました。心得のある人たちが、銘々に相手を誘って踊り始めます。

「私たちも、踊りましょうか?」

「え、ぁ、あの、私、……ダンスは、やったことなくて……」

 やめておきますか?と微笑んだアマタ様に、そういうことではないんです、と弁明しようとして、もっと簡単に言うことにしました。

「教えていただけますか?」

「えぇ、もちろん。」

 アマタ様は、エスコートしてくれました。ダンスのことはあまり詳しくはわからなかったのですが、周りを見ていると、アマタ様は男性の方の役割をしてくれていたようでした。私がそんなことを考えたのを気付いたようで、「こっちしかできませんの。」とアマタ様は恥ずかしそうに笑いました。

 一曲踊って、私たちはどちらともなく笑ってしまいました。最初は踊り方なんてわからなかったのに、結局踊り切ってしまいましたから。

 そんな私の肩を、乱暴に抱き寄せる誰か。

「おい、私の妻を返してもらおうか」

「せ、せんせいっ!?」

 明らかに酩酊した先生が、私を匿うように抱きしめていました。その力は苛烈で、思わず胸が高鳴ります。

「あら、プロネーティア先生。フォーティアはまだ私と踊りますの。放していただいても?」

 酔っているわけではないでしょうに、アマタ様はそう反駁します。先生のそれに付き合っているのかとも思いましたが、その表情はあまり冗談を言っているようには見えませんでした。

 私がアマタ様から離れたのを見て、みんなはアマタ様がフリーになったとみなしたらしく、主に女性陣の熱烈なアプローチに、アマタ様は連れていかれてしまいました。私ばっかり独り占めしてちゃ駄目ですね。

 視線だけで苦笑して、アマタ様はエスコートに歩いていきました。

「ふんっ、泥棒猫め」

 なんて言った先生が、そのまま踊り出そうとしたので、私は真正面から先生を見つめて言いました。

「先生、踊るときは、お誘いから始めるんですよ。」

 少しだけ冷たい目で見たら、先生は少しだけ酔いを醒ましたようで、すまない、とか少し酔い過ぎた、とか頭を冷やしてくる、とか言って逃げようとしたので、どうしてそんなに鈍感なんですか、と頬が膨れます。

「ちゃんと!誘ってください、って……言ってるんです……」

 先生は真っ赤な顔で私を見て、頭を掻いて跪きました。

「ティア、私と、踊ってくれるか?」



 ワイズマン・プロネーティアから借り受けた神秘測定器が、教会の中を隅々まで測定し、そこに一切の魔石が残っていないことを確認した。アスタ・アマテ像は、数週間前に地下街の運び屋に引き渡していた。現状、この国には、魔石を合法的に処理できる機関はない。

 闇社会の人間であれば、あれをダーティーアリスまで運んでくれる。神秘に汚染された島へ。

 教会の扉のかんぬきを抜いておいた。信者には、今日で教会の補修工事が終わると言っていた。


 魔法学院から来た数人の子供たちと引率の指導員に、神教について少しばかり話し、目の前でワルカナの句を唱えた。

 考古魔法史学を専攻する生徒だったらしい。丁重なお礼を言って帰った子供たちと、菓子折りを置いていった指導員。菓子折りの中に金目のものが入っていないか、確認は既に済ませていた。無用な金の流れが生む摩擦は、いつか熱を持って神教を焼く。本部も、その見解は同じだった。

 息を吐いて紅茶を飲んでいたところで、教徒が扉を開けて入ってきた。

「お久しぶりです。」

「久しぶりです、アマタ様。お元気そうで、なによりです。」

 他愛ない話をして、悩みごとの相談を聞く。こういった場合、私が返すのは知識を必要とする具体的なアドバイスか、教典を引用した抽象的な教えのどちらかだ。今日は後者で、その教徒は静かに礼を言って、ワルカナの句を唱えた。

 帰り際、扉に手をかけて。

「アマタ様、勇者殺しは……その、……王室の不祥事を暴こうとした勇者を、見せしめとして殺した、とそんな噂を聞きました。

 そんな悪辣が許されて、いいのでしょうか。」

 まさか、私がその”勇者殺し”の主催したパーティーに参加していたとは露も知らない教徒に、なんと言うべきか、私は迷うべきだっただろう。しかし、私は自分でも驚くほど平坦に言えた。

「貴方が考えた結果がそれなら、よいのです。けれど、それが誰かに吹きこまれたというのなら、見過ごせませんわ。」

 教徒の首を見た。

「トゥリオビーテを、知っていますか?」

「え、えぇ……ですが、わたしは魔法を熱心にやっているわけではないですから。」

「いいえ。持っていた方がいい。使わなくても、お守りくらいにはなりますから、ね?」

 自分も首からぶら提げている、とある魔装についてを説いた。すると、不安そうな顔は私に、ある男についてを問うた。

「アマタ様は、どう思われますか?”勇者殺し”について。」

 言うまでもない。

「陰謀や、実情については知りませんわ。」

 けれど。

「友人としてなら、……あの男は、そんなにも器用ではないですよ。」



 アートリエ・プロネーティア公社についての問い合わせは、日千件を超えていて、その賛否の割合はおおよそ五分。くだらない連中だ。先生が命を賭けて授けてくれたこのチャンスを、そんな方法でしか棄損することができない。

 俺はアートリエ・プロネーティアを宮廷から外すつもりはなかったし、必要であれば、勇者討伐本部の存在を公表するのも辞さないつもりだった。集中できなくなって、執務室を出た。


 煙草を吸うのなら、デスクの後ろにある扉を出て、展望台で吸えばいいのでは?と側近にはよく気を遣われた。彼は王の秘密裏の代替わりについて、その詳細を知らない。先生とよく会っていた王室庁の裏にある喫煙所で、紫煙をのぼらせた。

 俺と先生が、勝手に作った場所だった。

 先生が持ってきてくれた花束は、王城の廊下からくすねてきた花瓶にさしてそこに置いていた。それが、自分にとってどんな意味があることなのかは、あまり考えないようにしていた。

 自分の時間が動き出してしまうのが、怖かったんだと思う。

「国王がこんなところにいて、いいのか?」

 俺の視界に落ちた影。久しぶりですね、なんて言葉も出てこなかった。

「俺に会っていいのかよ、先生。」

 ワイズマン・プロネーティアが、そこに立っていた。

「私は宮廷付きの人間だ。国王である君と会うことに、どんな支障があるというんだ?」

「手厳しいね。」

 どっかりと座り込んで、トゥリオビーテを覗き始めた先生を、やけに懐かしく思った。

「有名人だね、先生。みんな、貴方のことに興味津々みたいだ。」

「私が汚名のコートを羽織らされる日も近いか。」

「……でも、先生のそのコートを、いつか誰かが引っぺがす。俺は、そのために頑張るよ。」

 先生は、トゥリオビーテを覗いたままだった。

 フィルターに口をつけたところで、先生が静かに言う。

「君が頑張るところは、そうじゃないだろう。」

 先生は、いつも俺に気付きと教えを与えてくれる。けど、最初から答えを教えてくれたことは、一度もなかった。むしろ、最後まで答えを教えてくれないことだってあったはずだ。

 そしてこれは、その最も新しい実例だ。

「見るんだ。観測しろ。自分の思考の全てのプロセスを辿れ。一度でも心の内で現れた疑問を、なかったことにするな。必ず、絶対だ。」

 俺は、なにについて考えなければならないのか。

 自分を変えるのは、疲れる。それに、怖いものだ。

「考えることを、やめてはいけない。」

 その秒針を、ゆっくりと動かしていくこと。決めつけていた生きがいを、諦めていた人生を、考え直すこと。

 この停滞を、動かし始めること。

「君が、君だけが決めるんだ。考えさえすれば、終着地には辿り着く。正しい終着地ということじゃない。君が納得した終着地には、たどり着けるということだ。どんなに、路線図を間違えたとしてもな。」

 トゥリオビーテを首にかけて、先生は立ち上がった。

「それじゃあな。次は新しい花を持ってくる。」

「うん。ありがとう、先生。」

 どうしてあんたって、そうなんだろうな。

 俺は、先生にもらった宿題についてから、考え始めることにした。次にここで先生と会う時までに、解答欄くらいは埋めておこうと思った。



 天気は曇り空。今年の王都は、異常気象に氷点下だった。

 年が明けてまだ三日だというのに、気象庁は大忙しだろう。旅行鞄に手土産を詰め込んで、ジャケットの懐に入れておいた切符を見た。席番号を憶えていないわけではなかったが、懐かしさに何度も見返してしまう。

「お待たせしてすみません……!」

「いや、急かしたみたいで悪かった。」

 公社は冬休み。あと一週間ほど、一切の業務は停止している。

 あちらに滞在するのは精々三日だというのに、フォーティアの荷物は万全だった。

「一つ持つ。」

「はい……ありがとうございます。」

 気兼ねなく私に荷物を差し出して、フォーティアが扉を開けた。

「行きましょうか、先生。」

「あぁ、そうだな。」

 鉄道の所要時間は、三時間ほどに短縮されたらしい。喜ばしいことだ。

 向かうとしようか。

「魔王に、会いに行こう。」

 雲の切れ間から差し込んだ日差し。思わず瞑った瞼の裏側で、或る光景が見えている。

 私が居て、フォーティアがいて、アスタがいて、オルテンシアがいる。皆で紅茶を飲みながら、くだらないことに余暇を費やす。

 また、集うことにしよう。

 小さな、小さな部屋。憎しみから切り離された聖域。あの、小さな部屋。


END...

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