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勇者を殺す、時代的解釈は加味しない。

挿絵(By みてみん)


 ネクタイを締め、ローブを羽織る。フォーティアはまだ寝ていた。私の用にわざわざ起床時間を合わせてもらうのも酷だと思ったから、特になにも言っていなかった。

 きっと彼女は言って欲しいのだと思うけれど、それを言えなかったのは私の弱さだった。

 地下軌道鉄道はまだ走っていなかったから、歩いて王城まで向かった。技研の立地はいい。坂を三つほど昇降して、二十分ほど歩いた。

 大きな川を渡る。欄干からは、夜を抜ける直前の、街頭を反射する水面が見える。風に吹かれながらそれを眺めて、模範的な感動を得る。

 私のこれまでの発見は、人類に、或る成長をもたらしただろうか。

 トゥリオビーテとは、私たちが甘んじている不文律を解体し、その本質と向き合うための架け橋となるための魔装だった。その心根に相応しい生き方を、私は少なくともしてきたのではないかと思っている。

 けれど、この世界全てにそれを知らしめてやるというのには、きっと私はまだ足りない。

 私たちが、自らを、そして自らの生きる世界に疑いの目を向けるためには、その根本を断ち切る必要があった。人類に最も深く根を張る不文律。

 勇者という、存在。

 私は、その存在を忌避しているわけでは決してなかった。ただ、それに目を向ける必要がある、そう思っている。

 思考の狭間、辿り着いた王城が目に入る。億劫なのはここから。王城は、廊下が長い。

 まだ眠気眼の受付に騎士剣の鞘を見せてやる。こんな脆弱なセキュリティが王城を守っているとは、もし私が王城を滅ぼす必要に狩られたときには、決行は早朝にしよう。

 応接フロアの本日分部屋割りを見て、示された部屋に入った。

 まだ早朝だというのに、もう半日は仕事をしています、というような気合いの入りようをした男が一人座っていて、簡単に挨拶を交わした。

 男は、担当官、と名乗った。顔は認識できなかった。

「初めてもいいか?」

「ええ、もちろん。ですが、すみません。もう一人、担当がいます。途中で入室するかもしれないご無礼をお許しください。」

 私がわざわざ王城に来てやったというのに、まさか約束の時間に遅れてくるやつがいるのか。さほど気にはならなかったので聞き流しておいた。

 私は、国軍省から請け負っていた種々の小さなプログラム管理の完了について報告して、男はそれを問題なく了解した。

 それでは本題に、というタイミングで扉が開き、軽薄そうな男が入ってくる。

「あれ、もう始まってました?」

 誰もなにも言わなかったから、男は不貞腐れたような顔で担当官の隣に座った。

「本題だが、協力してほしいことが三つほどある。」

「多いですね。」

「安心してくれ。私が君の前身に吹っかけられた仕事の方がよほど多い。」

 担当官は少しだけ頬を固めたが、あとから入ってきた男は明確に私を睨みつけた。

「一つ目は、前々から打診していたダンジョン事業の縮小だ。魔獣の魔石によるダンジョン事業の経済効果は理解している。しかし、そこにまつわる種々の問題をある程度無視できるようになると考えれば、悪い話ではないはずだ。」

「残念ながら私からはお答えできません。まず、」

「安心しろ、君のような下っ端にここで決断しろというほど酷ではない。これはジャブのようなものなんだ。」

「ある程度は根拠と展望くらい持ってくることです。これでは気が触れたとしか思えない。騎士団の一員であるというご自覚は、忘れられないようお願いします。」

 このままつまらない皮肉の応酬をやってもよかったが、私ははやく帰ってフォーティアの朝食が食べたかった。

「二つ目だが、捜査当局の手を借りたい。」

「どれほどの人数を、どれほどの期間でしょうか。」

「私はそういったことに門外漢だからわからん。しかし、対象は魔法学院の生徒だ。

 ヴァルネラヴィリー症候群の疑いがあり、ある種の自殺願望がある。その上、ここ最近で学院に出席しなくなったもの、その特定と、居場所の捜索。

 これを、完全な秘匿捜査として完遂してもらいたい。」

「無理ですね。あまりにも手間がかかりすぎる。それに、その捜査が必要かどうか、という点が、あまりにも不明瞭です。」

「これも駄目だと?我が国の捜査当局は、学院設立当初から行われてきた生徒が被害者となる殺人事件の詳細を承知しているのか?」

「もちろんです。しかし、あれが殺人であるとは、それこそ犯人である者しか知りようがありません。」

 あまり気乗りはしなかったが、少しプライドをおちょくってやる。

「魔法アカデミー領域と干渉する職務についているのなら、魔法についての知識くらいは蓄えて然るべきだと思うな。

 いいか、彼らの死因に共通する、春刹第三水域というのは、脳の中で唯一、魔法行使にしか使用されない器官だ。それが、内側から灼き切れている。彼らが自分で脳を灼いたか?馬鹿にするのも大概にしろ。」

 担当官は表情を崩さなかったが、その横の男は明らかに気分を損ねたようだった。

「なぁ、おっさん。俺らがあんたらのご機嫌取りだけやってると思ってるか?仕事ってもんをわかってないみたいだな、おい。」

「私のご機嫌取りが業務のうちだとわかっているのならせめてそれくらい満足にできるようにしておけ。できないのならこの仕事は向いていない。」

 顔も見ずに言い捨てる。私の目は、常に、この担当官の表情を追っている。

「……君は、本気で私の提案を退けるつもりのようだ。」

「ええ、そのつもりです。ワイズマン先生、あなたこそ、あまり領分を履き違えないほうがいい。トゥリオビーテや数々の魔法開発については、大変見事です。賞賛いたします。

 しかし、国家権力をそう簡単に私的利用できると考えてもらっては困る。わかりますか?」

 そうして、担当官は私の最も嫌う論理を述べた。

「研究者は、研究だけすればいい。その使い道については、政治が決める。それが不文律です。」

 あぁ、そうか。不文律か。確かに、この国の法律には、危機を未然に察知した人間の助言の一切を、聞き入れてはならない、という法律はなかったように思える。

 あぁ、そうだな。それが不文律だ。明文化されていない、誰もが信じる世の理である。

「その不文律で、何人死んだと思ってる。どれほどの人間が、下らない不条理を被ったと思っている。」

「知りません。知りようもない。」

「貴様らのその怠慢が、私は発疹を出すほど耐え難い。今、目の前にある現実だ。私たちを支える、未来ある若者だ。私たちが、感謝するべき若人だ。それが、殺されている。

 学院が始まって以来、彼らを狙った殺人は、もはやそういった宿命であるかのように繰り返されている。これも不文律か?そういうものだから、仕方がないというつもりか?」

「そう見えるのなら、そう捉えていただいて構いません。」

「貴様らのその思い上がりに、本当に虫唾が走る。

 人類も、魔族も、全く愚かな生物だ。しかし、しかしな。

 私たちの世代ほど愚かなものはない。まさか、後世これより酷い人類が現れないことを、心の底から願っているよ。」

 腹立たしい笑みを浮かべる男と、感情らしいものを全く表に出さない担当官。半ば自棄に言い捨てる。

「では、勇者討伐本部の新設を頼めるか?」

「……根拠は。」

「世界の経験則だ。」

「根拠がないのならないなりに、政治的駆け引きというものを携えて来てください。話し合いにもならない。」

 息を吐いて、頭を冷やす。

 何を私は、こんなにも熱くなっていたのか。交渉の趨勢を読むくらい、普段ならわけないはずだ。それなのに、要求をあんなにも無造作に叩きつけるとは。

 あれで通るはずがない。

 自分の精神的余裕のなさを、まさしく痛感する。今日これ以上何をしても、私にまともな交渉ができるとは思わなかった。

「時間をとらせて悪かったな。今日は、失礼する。」

「いいえ。ご期待に添えず、残念です。」

 私と担当官は、どちらともなく握手をして、彼の目に、言いようのない警戒の色を見た。

「悪いな、無理を言った。」

 彼にしか聞こえないだろう声で言って退出した。

 そうか、私には、あそこで彼らを殺して、あるいは殺傷して、国家を脅迫するやり方があった。

 なるほど、私たちのご機嫌取り、か。言い得て妙な表現だ。あれでは、猛獣の檻に入れられた玩具のようだ。

 私たちが機嫌の取られ方を間違えれば、彼らはその爪で切り刻まれる。

 しかし、その心労を汲んでやるのも、当分は難しい。できれば、すぐに楽にしてやろう。猛獣よりは、よほど理性的な方法で。



「まずいな。」

「え、なんでっすか。いい感じに追い返せたじゃないですか。おっさん、ちょっと勘違いしてんすよ。ちょっと頭がよかったからってさ」

「口を慎め。騎士団のお方だぞ。それも、あのワイズマン先生だ。あの人は、少し違うんだ。」

「よくわかんねぇっすけど、別にまずったようには」

「いや、まずい。もしかすると、本気にさせたかもしれん。」

「研究者風情が、交渉できますかね。」

「そこなんだよ。あの人は、なんでもやる。なんでも、やってしまうんだ。一体、なんのためにそうするのかは、私にもわからないがな。」



 教会には、久しぶりに来ました。メンテナンスに訪れなくなってから、私がここに来る頻度は当然減って、けれど、私がたまにこの扉を開けたときには、アマタ様は優しく迎えてくださいます。だから、今日もそうだと思っていました。

 アマタ様は、私が扉を開けるまでもなく、扉の前に立っていました。

「久しぶりですわね。フォーティア。」

 先生が云うアマタ様の印象とは、全く持って違う笑み。慈愛に満ちたその瞳が、私を見つめています。


 アマタ様の出してくれた紅茶を一口飲みました。やっぱり、私の腕はアマタ様には及ばない、と毎回思ってしまいます。茶葉がいいんですよ、と謙遜するけれど、私だってそれを鵜呑みにするほど無知ではありませんでした。

「お口に合ったみたいで、よかったですわ。」

「ぁ、ぇと……そんなに、嬉しい顔してましたか……?」

「ふふ、可愛いですわ、フォーティア。」

 アマタ様は、対面ではなく私の隣に腰を下ろしました。そうした仕草に忌避感を抱かせないのが、アマタ様のすごいところだと思いました。

「時間はありますか?フォーティア。」

「はい。今日は、お休みなんです。」

 よかった、と言って、アマタ様は立ち上がり、戸棚から茶葉の缶を取り出しました。

「神教徒なら、興味があるかと思ったのですが。どうですか?」

 アマタ様は、陶磁器のポットを持って私に微笑みました。

 そうやって、私に慈愛と教訓を与えてくれる。実在の人物であると知ってしまったアスタ・アマテ様は、もう一万年以上前に亡くなっています。だから、そうしてこの時間に、この私の生の狭間に、そこに存在し、私に笑いかけてくれるアマタ様に、とても温かい感情を抱きます。

 もし、私に姉がいたら、こんな気持ちだったのでしょうか。もうこの世界にはいなくなってしまった、優しい王女のことを思い出します。

「魔法の出力の調整は、どれくらいできますか?」

「ぁ、あの……先生が、その。教えてくれたので。」

 ちょっとだけ嫌そうな顔をしたアマタ様は、ふるふると首を振って私の頭を撫でました。

「火にかけてもらえますか?」

「はい。」

 見るからに新鮮な水を汲んで、スイッチを押して火を点けます。アマタ様が差し出した温度計を受け取って、なだらかな水面を眺めました。

「対象の定義は、ポットとカップです。出力は、蝋燭に火を灯すくらいで、持続時間を長めに持ってください。」

 私がこくりと頷くと、お手本を見せるように、アマタ様は魔法を詠唱しました。七節、五十七文字の詠唱。息継ぎと発声、音節の繋ぎが、アマタ様のよく通る、しかし透き通った声に連なって、美しい詠唱の句を述べます。

 こんなにも完璧な詠唱を、私は初めて聞いたと思います。先生の詠唱は、適当なのに正確な魔法を撃ってしまいますから。

 アマタ様の詠唱によって仄かに熱を持った陶磁器。

「プロネーティア先生に言われて、来たのですよね。」

 言い当てられて動揺しなかったかと言えば、嘘になります。でも、心のどこかで、冷静にそれを俯瞰している私がいました。

 きっと、二人は苦い顔をしながら、よほど通じ合っていると、私の夫と、姉のような貴方は、きっとそんな関係だと。

「貴方が不純な動機で私と付き合っているとは思ってませんわ。安心してください。」

「……ごめんなさい。私、嬉しくて、」

「…………あまり、その顔。私の前以外ではしない方がいいですね。わかりましたか?」

「え?は、はい……」

 いつにも増して感情の読めない笑顔でそう言われて、思わず言い淀みました。そんなにも見るに堪えない顔をしていたでしょうか。

「ただ、今日あの人に言われてきたのなら、何か目的があったんじゃないかと思いまして。適正温度になるまで、もう少しかかりますわ。よければ、聞かせてくれませんか?」

 火にかけた水は、まだ小さな気泡すら見せていませんでした。

「すみません、私には、先生が言ったことがどういう意味だったのか、あまりわかってはいません。でも、何のためにそれが必要なのかは、わかっているつもりです。だから、アマタ様。私に、魔石を預けてくれませんか。」

 長く、長く吐息して、アマタ様は問います。

「プローネーティア先生が言った、よくわからない数字と保管方法についても、憶えていますか?」

「上限値は0.5g以下、結晶構造はβ型のもので、魔獣性の魔石によって作られた箱に入れて持ち帰るように、と言われています。」

「……やっぱり、記憶力がいいのですわね。」

 先生が、どうしてあんなことを言ったのか。魔獣を生成地としない自然魔石というある種で禁忌指定されているものを、どうしてアマタ様が持っていると思ったのか。そして、どうしてそれを言い当てることができたのか。私はまた、私が知らない先生の見た景色を、思い知らされてしまいました。

「温度を見てくれますか?」

 小さく返事をして、少しだけ波立った水面に温度計の切っ先を刺します。少し待つと、温度は九十五℃を示しました。

「火を止めましょうか。」

 アマタ様の言った通りに火を止めます。それから、アマタ様は二人分の茶葉をポットに入れて、少し高い位置からお湯を注ぎました。規定量を注ぎ、ポットに蓋をします。

 無言の所作の中でも、アマタ様は見ておいてね、とでも言わんばかりの視線をくれました。

「貴方は、本当に、いろいろな人に愛されるような性を持っている。それはもう、性格とか容姿とか、そういう一面的な要素では測れない、存在に起因する素質ですわ。貴方のその誠実な魂が、眩しいのです。だからみんな、そこに近づきたくなってしまう。」

 なんでもないような顔で突然褒められて、頬が赤くなるのを自覚します。

「暗闇は、存在を霞ませる。でも、光の前には無力なのです。そこに隠れていた何かが、暗闇を切り裂いた光によって存在を露呈させる。曖昧だった存在を、その光によって、確固として刻ませる。貴方は、そんな光に似ている。

 貴方が、誠実に、そしてその人への理解に手を抜かないから、私も、そして貴方に惹かれた誰かも、自分の存在を見失わないで済む。薄情な人間関係は、合理的ですわ。でも、非合理的な貴方の在り方が、合理では導き出せない光を生む。」

 アマタ様は、ポットに軽く触れて、魔法効果が途絶したことを確認しました。そして、ポットの蓋を開けて、ティースプーンを半周、柔らかに撹拌します。立ち上った水蒸気が、銀の表面を少しだけ曇らせました。

 ポットからカップへと紅茶を注ぎます。漉された茶葉を捨てて、アマタ様は少しだけ暗く笑いました。

「あまり、私を眩ませては駄目よ、フォーティア。」

 私はきっとその言葉を、断固として、認めはしなかったはずです。



 先日、アマタを連れて家に帰ってきたフォーティアのお陰で、私は全くいつもの調子を狂わせていた。

 キッチンでアマタがフォーティアと共に淹れた紅茶は小癪にも美味く、それも原因の一つだったと思う。アマタは、夕食を終えた帰り際に、そのお礼を述べて、私に魔石の粒が入った箱を渡して帰っていった。

 フォーティアに碌に挨拶もしないで帰ったから、わざわざ私の妻はその後を追いかけて、結局アマタを送っていったらしい。それに気付いたのは私がコーヒーを半分ほど飲み終えたあたりで、私は碌な身支度もせずに家を出て、教会まで半分というところで帰り際のフォーティアと行き会った。

 外では珍しく腕を組んできたフォーティアとともに帰宅して、彼女は、アマタと交わした話について語った。

 日を跨ぐような時間になってやっと床に就き、六時間ほど寝てから目を覚ました。私が家を出ようとしたところで、まだ寝ぼけた様子のフォーティアが、少しだけ恨めし気に見送りに来る。

「前も何も言わないで出かけたこと、知ってますからね……。」

「……あー、……すまなかった。」

「……あんまり、ほっとかないでください。私、寂しがり屋なので。」

「あぁ。今日は、すぐに帰ってくるよ。」


 王城までの道程。少し前に花を照らす魔力灯の配線を直してやった花屋に、開店の時間前なのに花を見繕ってもらい、会計を渋る店主に無理矢理金を握らせて店を出た。巨大な橋を渡って、その中腹の広場に出ていた露店でコーヒーを買った。ブラックはとびきり熱いのを飲むのに限る、と豪語した店主に、確かにそうだと思った。

 火傷するような熱さの苦みを嚥下して、煉瓦造りの橋を渡り終えた。

 家庭ごみ回収の業者と挨拶を交わして、早くから登校する魔法学院の生徒たちとすれ違った。

 王城に用意されていた部屋は、前の部屋と同じだった。そこに座っている面子も、また同様だった。今度は、二人共が既に座っている。

 この前もやったのだから挨拶は省いて、持ってきた花束をテーブルに放り投げた。植物と包装紙だけで、こうも重苦しい音がするのか。

「捜査当局の人員を、三日間。階級は問わない。二百人。ただし、王都記述部の情報提供も同じく。そして、勇者討伐捜査本部を秘密裏に設立、人員と体制については国王にノウハウがあるはずだ。こちらは今日付けで招集しろ。」

「おい、おっさん」

「黙れ。貴様に交渉しているのではない。そして、君にも、交渉しているのではない。これは脅迫だ。もちろん理性的な、脅迫だ。」

 担当官は、どう捉えようか、というような目で見ている。私をではなかった。テーブルの上に放り投げられた、花束を。

「なぁ、この前こっぴどく追い返されてプライドを傷つけられたのか?頭使えねぇならどうしようもねぇよあんた。」

 立ち上がった男は、テーブルを踏みつけて私に飛びかかった。担当官がやめろ、と制止の言葉をかける最中、男の腹で炸裂した衝撃波がその身体を吹き飛ばし、部屋の壁に強く打ち付けた。唾液とも吐瀉物ともとれないどっちつかずの液体を口から漏らして、男は意識まではいかずとも発声を逸した。

「国王への、いや、フオトンマン・エミレット・アードガルドへの弔辞だ。もっと大々的にやった方がよかったか?」

「っ……」

 担当官は、苦悶の声こそ漏らさなかったが、その瞼をぴくぴくと震わせた。

 やはり、居たのだな。君は、王を殺した立役者、あの捜査本部の中にいた。そして、偽りの王に、今も形ばかりの忠誠を誓っている。

 沈黙は、長くは続かなかった。担当官は、少なくとも表では冷静を装いなおし、私もそれに倣って席に着いた。

「わかりました、ワイズマン先生。当局の要請は、取り付けます。捜査本部についても、立ちあげましょう。しかし、」

「了解している。私の言った期限は少々無理があるな。だから、ここに、根拠と、概要を用意している。」

 私がテーブルに置いた資料には、私が知っていて問題がない範囲の、勇者という存在と、それが生み出す危険性についての証拠が記されている。同時に、捜査体制と捜索範囲。私が目星をつけた区画と、おおよその管制オペレーションについても記していた。

「とある少女の村が、虐殺の被害にあった。犯人については、捜査どころか、捜査資料すら閲覧できないらしい。当時生き残った者から聞いた証言では、その村には、人魔大戦に大変な影響力を持つ人物が住んでいたことがわかっている。そして、資料を閲覧できないようにしたのは前国王。親交が深かったのは、勇者だ。そういえば、襲撃者たちは魔装で完全武装していたらしいな。ところでその時期のこの国は、そんなにも魔装開発で優れていたわけではなかった。それこそ、勇者の十八番だったはずだ。」

 皆までは言わなかった。どうせ、その資料に書いてある内容だった。

「悪いな。根拠がこれだけでは足りないと思った。だから脅迫した。あぁ、そこの彼については全く悪いとは思っていないから、むしろ君が反省してくれ。理論魔法力学者とは、自分の手で人知を超えた魔法を生み出すような連中だ。戦闘能力で勝てると思っているような無知な人間が、関わっていい領域ではない。ちゃんと教育しろ。」

「……えぇ、そうします。」

 担当官は、微かに息を吐いて、私に言った。

「なぜ、ダンジョン事業についてを要求しなかったのですか。」

「してほしかったか?あぁ、わかってる。冗談でもしないから安心しろ。

 せめてもの礼だ。突然暴れ出して、何をしでかすかもわからない連中だ、私たちは。そんな人間と干渉する君たちに、酷を言ったかと思ってな。それに君の方こそ、まるで私に助言するようだったじゃないか。」

 一度目の交渉を思い出す。

「政治的駆け引き、ね。私はそういうのは専門外だったんだよ。考えもしなかったさ。だが、それを担当していたやつに後を頼まれたんでな。君のお陰で、それを思い出したよ。」


 その日のうちに、勇者討伐捜査本部は設立され、捜査当局による捜索も始まったらしい。魔法学院は情報の提供に難色を示したが、私の要請であることを聞いて渋々ではあるが了承したらしい。私は国王の執務室に、扉の前までは行った。気配で、私が来たことはわかっていたはずだ。その扉の先に、カインがいた。

 けれど、私はその扉を叩かなかった。ただ、誰にも弔われることのなかった国王にだけ、花を置いて帰った。



 三日後、状況はほとんど完成していた。

 私の周りを飛ぶ緻密な球体の魔装を軽く突いて、フォーティアが聞いた。

「これ、なんですか?」

「ノックスに作ってもらった。映像を中継する魔装だ。パスを知っている者のステータスウィンドウに投影できるようになっている。」

「では……勇者を殺す様を、中継するのですか……?」

 フォーティアが懸念するのもわかった。勇者とは、この国の最高戦力にして、防衛手段だ。少なくとも、あれを勇者と呼んでいる今の時代的解釈では、彼は絶対の正義である。しかし私は、それを殺す。

 私は、ともすれば魔王の如き所業を果たすことになる。

「彼らに、疑念を与えなければならない。それに、これがなければ、私でも殺しきれない可能性がある。だから、君たちの眼を借りたい。」

 私はそこで、一万年越しに、あの部屋を想起した。いや、あの部屋から臨んだ、研究室を思い出した。

 私はそこで行われ、そして結論を導き出した研究について、少しずつ、紐解いていくことにした。

「ヴィヴィ・インソープロは、転生という特性を持たない。

 私たちがそれを確度のある情報だと認定した根拠は、三つ。かつて、一万年前だ。ヴィヴィ・インソープロは、魔法を使えた。しかし、それは聖剣魔法や魔剣魔法といわれるような魔法ではなかった。そこで、転生者とイコールで結ばれるべき魔法の欠落が発覚する。イコールの破れだ。

 二つ目、当時、そして今、奴の転生にはインターバルが存在しない。魔王でも数年。私に関しては一万年近く、次の生を受けるまでにインターバルがあった。しかし、ヴィヴィ・インソープロにはそれがない。勇者が死んだ、といわれたら、その数日後には、聖剣受諾の記事が出る。ここ四年で、君にも覚えがあるはずだ。

 三つ目、奴の転生した身体は、いつもある程度成熟している。最初から奴の自意識を持ってではなく、ある程度生育した個体に奴は転生している。転生というより、乗っ取りに近いかもしれないな。これは、正しい転生のプロセスから全く外れている。

 これらの結果から、私たちは奴の能力を推定した。」

 その答えについては、あの部屋でオルテンシアと話したときに伝えていた。

「”すり替え”それが、ヴィヴィ・インソープロの固有の能力だ。」

 私がプログラムを書き、極ミクロの領域で、同じ効果を持つ魔法を構築した。そこで、とある条件下のもとで、魔法は正常に作動した。

 80Mhを持つ魔素粒子と、非魔力物質の電子を魔法の対象に指定し、両者に対するいかなる観測を途絶させる。そして、私のプログラムに則って魔法を発動した。

 魔素粒子は、明らかに体積が大きくなり、一切の魔力輻射を喪失した。電子は、80Mhの魔力輻射を放つようになり、電荷を喪失した。つまり、互いに入れ替わった。人工の魔法では、極小の空間でしか成功せず、また成功のためには両者に対する観測の量を最小限にしたうえで、その存在を揺らがせる必要がある。

 しかし、魔法は発動する。

「あれが魔法であるかどうかは、わざわざ導かなかったが、能力として実現可能であるという点は導いた。」

 そこで私は、私の肩で浮遊していた魔装を戯れに突いて続けた。

「一つ、勇者の転生に関する記事で、妙な記述を見たことがあった。

 二度前の聖剣譲渡式典の時だ。ヴィヴィ・インソープロは、自分の名前を最後まで言えなかったらしい。ただの記憶違いだと思うか?私にはそうは思えない。奴は、あの名前で、少なくとも一万年以上生きてきているのに。」

 私はそこで、先に述べた実験を引用した。

「ミクロの領域で行った、すり替えの実験だが、試行回数のうち、何度か失敗があった。

 観測を途絶えさせ、魔法を発動しようとしたとき、対象定義の段階で明らかに物質量が損なわれていた。理解できるか?

 存在を揺らがせれば揺らがせるほど、その存在は、発散しやすくなる。発散して、存在確率の波として可能性の世界に漕ぎ出し、やがて、実在に辿り着けない1未満の無として消えるんだ。」

 存在を薄れさせ、曖昧にする。その状態であれば、存在をすり替えるという超越的行為の障壁は下がる。がしかし、存在を薄れさせるということは、実在が、不在に近づくことでもある。もし、それが不在に近づきすぎれば、その存在は、不在として世界に償却され、存在を失う。

「ヴィヴィ・インソープロにも、それが起こっていた。自身の魂とでも呼ぶべきか、それを薄れさせ過ぎたことで、魂の一部が、この世界に存在しないものとして解釈された。そして、失われた。だから彼は、自分のアイデンティティであるはずの名前を欠損した。

 存在を揺らがせるという行為は、少なくとも、そういったリスクを、代償を伴う。」

 フォーティアは、私がこの空間の知識指数の平均を取らないような無茶な講義をしたことに何をも非難せず、むしろ神妙に思考を巡らせた。

「ということは……勇者が行っている転生というのは、その”すり替え”の結果ということでしょうか。

 自分の存在と、すり替えの対象となる存在を薄れさせ、魂をすり替える。勇者は新しい体を得て、入れ替わった誰かは……」

「悲惨な状態の勇者の身体に入る。そして、そのまま死に絶えることになる。」

 私が懸念していたのはそこだった。

 果たして、ヴィヴィ・インソープロはどのようにして対象を選んでいるのか。そして、どうやって観測を途絶させているのか。私が行った実験は、私たちが観測する世界と比べてあまりにも小さすぎる。小さすぎるが故に、存在が薄まる効果も少々で事足りる。

 しかし、大の人間一人の存在を薄れさせるというのは、グラムで表せないような重さ、それすら持たない粒子一つをどうこうするのとでは理屈が違い過ぎる。

「さらに言えば、ヴィヴィ・インソープロは少なくとも一度、聖剣魔法を拠石から自分の身体に受け継ぐ必要がある。素質として、高い魔法適性を持っている個体と入れ替われなければ、勇者としての本領を発揮することができない。」

「……先生が捜査当局にした依頼、というのは。」

「あぁ。昔から、魔法学院の生徒、特に初等教育課程の生徒が立て続けに殺される事件は、珍しくなかったんだ。しかも、その原因は、春刹の第三水域が灼かれたことによる脳の破裂。人間の固有魔法に特に強く作用する領域だ。

 もし、ヴィヴィ・インソープロが転生する必要ができたときのために、命のストックを作っているのだとしたら、殺された子供たちは、それに適合しなかった個体である可能性がある。」

 事件の件数からして、適合する個体はかなり絞られる。一度の命で、一つの避難先を作るのがやっとだろう。そして、その厳選のために奴は春刹の第三水域にテストを行う。

「聖剣魔法を扱えるようなポテンシャルがあるかどうか、そのテスト。それが、春刹を破裂させる。」

「一体、どうやってそんなことを判定するんでしょう。」

「簡単だ。聖剣魔法に必要とされる魔力の処理スペックは、最低でも300,000M。ただ、注ぎ込んだんだろう。聖剣魔法から流れ込んでくる膨大な魔力を処理して、適切な魔力として聖剣へと流す。その処理ができるか試すためだけにな。」

 春刹は、自分の持っていない魔法を処理するような機能を有さない。テストのためだけに、脳を変質させることくらいはしているはずだ。聖剣魔法に用いられるのに似た魔力回路を、無理矢理刻印でもして。

「そして、適合する個体が出れば、すぐさま監禁して、周囲からの観測を絶つ。入れ替えるのが魂だけ、というのなら、存在を薄めるのは魂だけで構わない。他人から忘れられやすく、自我すらも自身の実在を揺るがせやすい、そして、消えてしまいたいと思っているような人間。」

 思春期特有のメンタルの揺らぎは、全くその条件を果たしやすいだろう。

 フォーティアは思い当たらなかったようなので、私が導出した。

「自分が消えてしまえばいいと思っている自殺願望のあるような者、自分の存在に対して懐疑的、それはつまり、自分の魂に対して存在の認識が上手くできていないともいえる。そして、ヴァルネラヴィリー症候群を、軽度に患っている者。進行は既に止まっているが、どこかしらの部位において麻痺があったり、その予兆があるような者。それはつまり、自分の身体というものに懐疑的で、認識に支障をきたしているということだ。

 この条件が揃っていれば、対象が昏睡状態になったときの魂の存在は、限りなく薄まると思う。」

 事実、これまで殺されてきた子供たちには、その傾向が少なくない。自殺願望を漏らしていたような生徒、弱身症の進行が止まり、センターから出たばかりの子供、普段から教室に顔を出さないような子供。そういう子供なら、自殺をしてもおかしくはない。そんな決めつけもまた、捜査を停滞させてきた不文律だ。

「そして恐らくだが。」

 私は、最後の結論を述べる。

 フォーティアを周回していた観測機の魔装が、彼女の手にゆっくりと着陸した。

「ヴィヴィ・インソープロは、自分の存在の濃度を、自由に操れる。」



 技研の地下室。返却されたトゥリオビーテ・スコープに常に観測され続ける、魔石の粒が入った箱。

 フォーティアにさえも入室を禁じているその部屋で、もし怪異が発生した場合は、神秘測定器が技研全体にアラートを発するようになっている。

 私は、自分の緊張を絶やさないために、そこで思考した。

 状況は、終端速度に近づきつつある。もう、これ以上好転のしようがないし、悪化のしようもない。あとは、勇者の終端速度が、ワイズマン・プロネーティアの終端速度が、地面に激突し、弾むことでしか終わらない。


 地下室を出て、技研に入る。所長室に入るまでの私には、どこか張り詰めた視線が向けられている。技研の職員には、私がこれからやることについて全て話していた。私が知っている全てを話し、私がやろうとしていることの意味についてを詳らかに説明した。

 賛同できない、今後の公社への風当たりに不安がある、自分の命に危機感を覚える、そういった理由で退職を申し出た数人には、新たな宮廷お抱えの公社への推薦を出し、それでも残るといった者達には、今後の未来を保障した。

 私としては、喜ばしいことだった。少なくとも、私の技研の中には、私という絶対の存在の言ったことを不文律で消化する人間がおらず、むしろ懐疑に決断することができる人間がいるということが。同じように、その上で、私に着いてきてくれるという人間がいて、公社の待遇に満足しているという者がいる。それが、私にとっては喜ばしかった。

 私はそこで、ある予感を得た。もう、長くはない。

 フォーティアがコーヒーを淹れていた。熱いブラックコーヒーだった。私が視線で示すだけで、フォーティアもわかったようだった。

 全部で十二台。技研に一台、魔法学院に一台、王城と、関係省庁に九台。最後の一台は、魔族領に。観測機の受信魔装を供与していた。王城か関係省庁のどこかしらが、市民にも映像を流すだろう。眼があればあるほど、私の勝率があがる。私の名前への棄損が増える。

 フォーティアが電源を入れた観測機が、アクティブになる。私に付き従う、都合五台の観測魔装。

「先生、今夜は、とびきりのご馳走を用意しておきます。」

「あぁ、頼む。手間じゃないか?」

「えぇ。技研の皆さんが、手伝ってくれるみたいですから。みんなで、夕飯にしましょう。」

 視線を向けると、扉越し、フォーティアの言葉に応じて銘々に決意を体現する技研の職員が見えた。お前は確か料理なんかできなかったよな、というような人間もいたから、思わず苦笑が漏れた。

「久しぶりに酒を飲みたいな。」

 コーヒーを嚥下する。カフェインよりもよほど悪影響なアルコールが、今は恋しくなった。

 一万年前、あのとき始まった因縁に、今日、決着をつける。

「あの、先生。」

「どうした?」

「……よければ、なんですが。」

 フォーティアは、背中に隠していた細長い影を私に差し出した。

「これは……」

「私だけ、先生に何もあげられていなかったから。」

 そういえば、少し前にそんなことを言われた気がする。でもいまさら、私に何をくれるというのだろう。

 フォーティアは私に切っ先を向けた。彼女が持っていたのは、騎士剣だった。

「先生、騎士らしいところ、見せてください。」

「あぁ。」

 昔、王城で一度だけやったことのある、騎士叙勲の儀式。そのまねごとを、ここでやれと言っているんだろう。

 フォーティアの前に跪き、首を垂れる。彼女の持つ剣が、私の肩を叩き、私に再び騎士の称号を与えるようだった。

「なんで、鞘がないんだ?」

「もう、ちゃんとしたもの持ってるじゃないですか。中身は、どこかに無くしちゃったみたいですけど。」

「あぁ、そうだったな。」

 空っぽの鞘に、フォーティアが剣を差す。

 それは、業物のようだった。微かに、トゥリオビーテがあしらわれたデザイン。まさか、オーダーメイドしたのだろうか。それも、嬉しかった。

「フォーティア、一つ、頼んでもいいか?」

「はい。」

 彼女に或るお願いを言えないのは、私の弱さだった。

 だから、今日ばかりは、その弱さを決別する。

「もし、私が不覚を取ったら。助けに来い。頼めるか……?」

 今まで見たことがないほど、嬉しそうに応じたフォーティアは、私に口づけして云った。

「私の全ては、先生のものです。」

 技研の職員に見られているのに気付いて、彼女は「あぅ」と扉を閉じた。どうにも締まらない。

 そして、私のステータスウィンドウが開く。

 いい加減、この億劫な宿願におさらばするときだ。


”勇者を殺せ。ここに、時代的解釈は加味しない。”


 書き変わった宿願が、決戦のゴングを鳴らす。

 飲み干したカップを置いて、トゥリオビーテに触れた。

 私はこれから、勇者を殺す。



「わぁ~こーんなたくさんで僕のこと殺そうとしてたんですねぇ……!感動です!」

 王室庁庁舎三号館B2F。そのときフロアにいたのは、約二十三名だった。その中には、ワイズマンと交渉を行った二名も含まれている。

 担当官の男は、即座に決戦の開始を知らせるボタンを押した。その任務に着任してからの数十時間、肌身離さずに持っていた、ワイズマンズスイッチと揶揄されていた、ワイズマンへの直通の信号発信装置だった。

 秘匿されている入り口から容易く侵入し、並べられた長机の上を悠々と闊歩した勇者は、整然と聖剣を顕現させた。

 そして、手近なところにいた人間の首を刎ねた。

「え、もっときゃーきゃー言ってくださいよ。貴方達の味方だった勇者が、守るべき人間を殺したんですよ?ぇ、えぇ……まさか、最初っから僕のこと、信用してなかったんですかぁ……?」

 誰もが、汗の一滴も掻かず、それぞれのプロトコルに従った。鮮血を浴びて煌めく勇者から、視線を外さなかった。まず常駐型観測魔装が起動され、各受信機に映像が送られた。その後、全員が携行してた魔装を起動させた。ワイズマンのみが知るこのフロアへの直通通路以外の全てが施錠、および封鎖され、各々の魔装の識別信号に対応したコードが国王のもとへ届く。

 そして、それにより、彼らがしたためていた遺書の閲覧禁止措置が解除される。

 勇者はぐるりと視線を巡らせて、微かに息を呑んだ男を標的に定めた。ワイズマンに吹き飛ばされた男だった。

「ひ、っ」

 疾駆の衝撃波と同じ形に波打った書類が、中空を綺麗なショックウェイブの形に舞った。剣先が喉元を掻き切る寸前、横薙ぎの衝撃が勇者を吹き飛ばす。

「ぉ、?」

 着弾の衝撃に地響きが走り、噴き出した粉塵がわずかに煙幕を張る。

「邪魔だ。私がやる。」

 男の前に、ワイズマン・プロネーティアがいた。



 おおかた避難は済んだか。

 私は見渡したフロアに人がいなくなったのを確認した。私が現着した時点で、封鎖は解除してある。

「わぁ……!ワイズマン先生!まさか、貴方、貴方だったんですね、……!僕に剣を向ける人間は、……貴方だったのか!」

 やはり無傷。滔々と感嘆に酔いしれるヴィヴィ・インソープロに、私はなんの感情も抱くことができなかった。

 残念ながらこれは、憎しみによる復讐ではなくなってしまったから。

 これは、未来のための戦いだ。私が、少なくともコリルやシャルロットに認められるために行う、偉業には満たない決戦の話だ。

「憶えていないか?ヴィヴィ・インソープロ。一万年前に、会っている筈だが。」

「は?」

 勇者は、まさか私が転生してきたなどとは思っていなかったようで、そして、一万年前の私の顔など、もちろん覚えてはいなかったようだった。

「な、……なんで、ば、適当、……言ってんじゃねぇ、ですよ……!てめぇが」

「もう、記憶すら曖昧なんだろう。何度も無理くりの転生を繰り返した結果だな。一度目の世界の記憶は、ほとんど欠損しているんじゃないのか?」

 もし覚えていれば、もう少し、警戒することも出来ただろうに。

 剣を抜いた。いつぶりだろうか、私が剣を握るのは。

 体が、魂が、憶えている。重心を落とし、薄く研ぎ澄まされた刀身が、その姿を空間から逸する。

「ッ」

 勇者が、警戒に身を固めるのが見えた。

 全身に、仮想重心制御魔法から伸びる疑似魔力回路が伸びる。同時に、小さく詠唱を始める。行使対象となる私の身体を、走査魔力が抜けていき、行使情報量の閾値に到達する。私に蓄えられた静止エネルギーが魔力によって改竄される。書き換えられたエネルギーは増加し、私にとある加速系の運動エネルギーを付与する。

 因果律を傷つけた魔法力から、世界干渉波が放たれる。その波動より速く、私の一太刀が、空間を迸った。

「ひッ……!」

 人間の認識できるフレームにおいて、彼我の距離はもはや意味がなかった。認識と認識、その狭間で、私は既に、敵の懐に潜り込んでいる。

 咄嗟に掲げられた聖剣は、しかし確かに私の剣筋を阻止する場所にあり、忌々しくも、そこに打ち合わせるのは躊躇われた。

 代わりに、魔法演算に春刹が熱を持った。体の魔力回路を走った重心が足先に移動して、振り切った力の遠心力が私の身体を不自然に翻す。勇者の直上を抜けた一瞬に、剣撃の間隙を直感する。構えなおし、超近接戦闘のレンジにおける照準器の切っ先が、突き貫くべき敵を捉える。

「ワイズマンッ!!!」

 輝きが視界を席巻する。聖剣の魔力輻射だった。それは、人間の可視光領域で結実し、凄まじい閃光となって世界を焼く。

 視覚では、敵の動きが見えなかった。視覚では。視覚では?

 だから私は、新たな感覚を得た。

 この魔装に、トゥリオビーテの名を、与えた。

 莫大なエネルギーを持った聖剣の一撃。人一人くらい難なく呑み込むであろう致死領域の中には、輝きによって無理解が強制されている。その無理解を、解体する。

 体は空中、体勢は崩れている。しかし、私が作り出し、私が行使する仮想軸は、その重心制御に細を穿つ狂的な緻密さを強制する。故にその工程は、私を完璧な攻撃体勢へと導く。

 観測、25,000Mh───。

 弾け飛ぶ。聖剣魔力の荒れ狂う致死領域が、私の剣の軌跡の遥か後で圧壊する。攻撃性の魔力から解体された魔素粒子の残滓が、巨大な地下空間に煌めきを撒き散らした。



「フォーティアさん、あれ、なにしたんでしょう。」

 ワイズマン先生の姿を見た技研の全員が、その疑問を共有していました。もちろん、私以外の全員が。

「少なくとも、目は見えていなかった。だから先生は、トゥリオビーテで魔力を観測した。魔力の色は、もちろん視覚がなければ見えません。でも、先生昔言っていたんです。魔素波動力を知覚する器官は、人間の本能の、最も近い場所にあるって。」

 あの瞬間、先生は魔力を見たんじゃなかった。あのとき先生は、人間の五感とは全く違う第六感とも呼ぶべき知覚で、魔素波動力の振動数を測定した。そして同時、照準した。

 聖剣魔力は、普通の魔力性物質と違い、純粋な一種類の魔力しか含みません。あんなにも、照準が簡単な物質はない。そしてそれを、先生が一瞬という悠久ともいえる時間与えられて、易々照準しそびれる訳はありませんでした。

「照準さえしてしまえば、先生の攻撃範囲は、あの魔力全てと同義です。全く同じ振動数を持つ魔素波動力を放つ魔法を剣に纏わせて、斬った。波動の相殺です。先生なら、造作もありません。」

 映像を見ていた人の中には、苦悶の表情を浮かべる人もいました。もちろん、これは殺し合いです。普通の人間にとって、健全な体験でないのは確かでした。

「まさか、ワイズマン先生が、こんなに……」

 そう呟く人もいて、私は小さくほくそ笑みます。

 私の夫は、勇者にも負けません。あの人は、最強なんですから。



 剣が折れていないか心配だったが、直接聖剣魔力に触れさせたわけではなかった。傷一つない刀身に、ひとまず安堵を得る。

 聖剣の魔力に穿たれた壁が、岩盤を剥き出しにしていた。この威力なら、痛みもなく死ねるだろうな。

「ワイズマン先生、すごいよ!貴方はすごい、認めます。でも、僕は魔王にも負けなかった!貴方に果たして」

「何度でも死ねるからか?」

 聖剣を振り回して声を上げるヴィヴィ・インソープロは、私の言葉が何か違和感だったようで、その哄笑をぴたりとやめた。

 転生。難儀な特性だ。しかし、奴がやっているのはその紛い物。誰にも気づかれないと思っていただろう。しかし、私と、そしてオルテンシアという転生者が、時代を超えて確信した。あれは、偽物だ。

「お前、なんだよ、何を知ってんだよ。」

「アトネー・プライエティリ。魔法学院初等教育課程五年生。弱身症で片腕の感覚が無く、魔法の成長速度で劣等感を抱き、不登校気味だった。」

 捜査当局が発見した、入れ替わり先に適合してしまった少女だった。

「やめろ!!」

 あぁ、そうだろうな。私がこんなにも認識してしまっては、せっかく薄れさせた存在が確固たるものとして確定してしまう。すり替わり先を失ってしまう。

「な、なんだよ……殺しちゃったのか?せんせー、悪い人ですねぇ?あの子、僕が代わってあげれば、まだ生きていられたかもしれないのに!」

「抜かせ。貴様に人生渡すくらいなら、自分から死んでやる。それに、死んでない。」

「はぁ……?」

 その少女の脳には、無理矢理歪曲させられた春刹の痕跡と、刻まれたお粗末な魔力回路があった。魔力の痕跡から、少なくとも二度は300,000Mが第三水域を通過している。魂の存在確率が収束した段階で、もう彼女の自我と身体は隔たれていた。無理矢理身体を変質させられた影響だった。だから。

「賢者の知恵を借りた。」

 お前は知らないだろうが、この国の、とある薬局の庭の下には、偉業を成し遂げた賢者が眠っている。そしてその賢者は、死の間際、私にバトンを渡した。私はそれを受け取って、そのバトンに、未来が託されていた。

 あのとき、フォーティアが一緒に背負ってくれたおかげだった。無傷だった賢者のアンプルは、少女の脳の変質を瞬く間に修復し、その命に繋ぎ留められていた魂を接合させた。

 この使い方でよかったか?賢者よ。もし駄目だったなら、私が死んでから、存分に詰ってくれ。

「ぇ、じゃあ、あ、はぁ!?」

 そこで、やっと勇者は理解したようだった。

 デフォルメされた貴様の姿、その横に顕される積の項には、明確にゼロが示されている。

「貴様が殺してきた者たちとお揃いだな、勇者。初めてかもしれないが、精々楽しんでくれ。残機ゼロの、スリリングな世界だ。」

「おっ、前ぇえええええ!それっ、ズルじゃ、っないですかっ!ぼ、僕のッ!スペアがぁ!!」

 ここから先の出方は、完全に後手に回るほかない。乱心の勇者を見て、そう思った。

 もう後がないと悟ったのなら、このまま剣を収めてくれるか。そう期待はしてみたが、残念ながらそうはならなかった。私に誠心誠意頭を下げれば、これまで奴に殺されてきた者たちの代表として首を刎ねてやるのだが。

「こ、かい……後悔させてやる……」

 小さく、勇者が呟いた。聞き返す間もなく、痩身が掻き消える。煩いくらいに輝いた聖剣の軌跡が、奴の足跡を知らせてくれる。

 その軌跡をたどったところに、勇者がいる。そしてそれは。

「地上か、」

 仮想重心制御魔法と、加速系干渉魔法の併用。半ば宙を駆けるような軌道で、私も地上へ躍り出た。

 王室庁庁舎の荘厳な門構え、その奥に、緩やかな坂の下に見える王都の街並みが広がっている。

「全員、殺しますよ、ワイズマン先生。」

「それは、一体どんな含意を持った宣誓なんだ。」

 冷静に返したが、少々厄介だった。避難勧告くらいは出している。だが、まさかそれが王都の数多ある路地裏の突き当りにまで浸透しているとは到底思えなかった。

 土壇場で、できるか。

「この場で、自害してください。転生、できるんでしょ?なら、いいじゃないですか。ここでみんなを守って死んで、自分も、次の人生は生きられるんだからさ、……ねぇ、ほら、……はやくッ!!」

「断る。」

「ッ、後悔しろよ……ワイズマンッ!!」

 聖剣の魔力が励起する。地面に突き刺した聖剣へと、ヴィヴィ・インソープロの魔力が注ぎ込まれていった。聖剣魔法から注ぎ込まれる魔力が、奴の春刹で幾億回の演算処理を施される。やがてそれは、或る魔法の顕現として聖剣に注ぎ込まれる。

 彼は、光の矢を背負っていた。しかし、それがただの矢に比喩される破壊力ではないことを、私は理解していた。だから表現としては、それは、勇者の背後に立ち上った、五発の戦術弾道体。

 もし、着弾すれば。

 薙ぎ倒される家屋、黒い血を垂らす死体。切断された、柔らかな肉。フラッシュバックに吐き気がこみあげて、そんな感情的代謝には到底追い付けない速度で、本能が動いた。

 一発一発、それぞれに魔力演算が行われている。五発を同時に照準するには時間が足りなかった。

 人々の生活が具象化した景色に、勇者は後ろ手に五指を広げた。

「僕が、お前の名前を殺してやる。あの、魔族の女みたいにさ」

 弾体が放たれた。放物線を描く軌道、やはり弾道体と考えて間違いはなかった。速度も想定通りだった。位置エネルギーの転化による、運動エネルギーの加速、その有用性を、勇者は知らない。私は、小さな箱を放り投げた。

 私が放り投げた箱は、小さくその口を開けていた。その間隙には、世界が不文律を強制された、怪異の力が眠っている。そこには、簒奪者の偽神を生み出した、魔法学の負の遺産が、魔石がある。

 私の思考のプロセスは、魔石という超常の力によって、スピリチュアルに傾いている。魔法という力が、魔石の力で底上げされ、真におぞましい破壊力を持つ、と。やがて私のその思考は、形而上的世界で結実し、とある名前となって物質世界に引き摺り下ろされる。


「火焔」


 私を中心とする周回軌道に、古代魔法の産物が巡っている。

 それは、巨大な天体の周りを周回する恒星のようで、そして、その恒星の莫大なエネルギーは、今、この瞬間。私の手の中に在る。

「やれるか、……いや、やるしかない。」

 そして私は、ステータスウィンドウを開いた。魔力が徴収され、約二千二百行の魔力演算の旅を始める。しかし、オートマティックには終わらせない。光の速度に肉薄する魔力の速度、彼らがプログラムに侵入し、その命令通りに変質するその最中、差し掛かったあるコードを削除する。

 魔法が完成する必要最低限のコードは、絶対に削ってはならない。しかし、あってはならない魔法効果を生み出すコードに、魔力を侵入させることも絶対に許してはならない。時間はコンマ数秒、魔力の速度を追体験するように、リアルタイムでプログラムを編集する。完全マニュアル調整。


 対象定義:古代魔法”火焔”

 仮想軸:1.1軸

 発動:仮想重心制御魔法

    →

     →

      →()()()()()()


 通常の仮想重心制御魔法では、四肢を加味した1.4軸が生成される。しかし、球体の火の玉に四肢は存在しなかった。対象定義が破綻し、強制終了するのは目に見えている。チャンスは一度だけ、四肢のうち、三つの仮想軸を作り出すプログラムを、即興で削除する。決して魔力の道程を阻害したり、切断したりしないように、削除して、接合する。

 私は、瞬きすらも終わらない時間で、新しい魔法をリメイクした。弾道演算魔法。

 しかし、魔法に魔法をかける、というのは賭けだった。なにより、一方は人工的な理論魔法、かたや一方は、古代魔法である。だが成功した。魔力には、どんな規格にも辿り着けない、因果律とも呼ぶべき蓋然性が、根を張って繋がっている。

 私も敵に倣って、掲げた手で五指を開く。そのお粗末な照準器の中に、上空で小さくなった光の矢を捉える。

「頼むから、撃ち落としてくれよ。」

 私から放射状に放たれた恒星が、眩むほどの流線を引き連れている。

 仮想軸の制御も、もちろん私のマニュアル制御だ。空中で幾何学の様相で折れ曲がる軌跡、都合五つの巡行迎撃弾の目標指示(キューイング)。瞠目した数秒。真っ暗な視界。成功か、失敗か、それは、瞼を開けて見上げた空にある。

「ッ、」

 一、二、三四、五。都合五つの爆炎が、雲を穿ち、晴天に亀裂を入れていた。影が落ちる王都に、グラウンド・ゼロはない。

「私にかかれば、……っ、こんなものか、」



「カイン様、今のは……一体。」

「頭がおかしいとしか思えない。……攻撃性の魔法に、理論魔法を重ね掛けしたんだ。しかも、機動が妙だ。おそらく、あの人が納品した仮想重心制御魔法。あれを、その場で改造して、弾道演算魔法に仕立て上げた。」

 正真正銘、人間のポテンシャルだけで行われた、魔法を超えた所業。

「やっぱり貴方は、俺の先生だ。」

 一体、今行われた所業が、どれほどの理論魔法力学者を発狂させるのか、わかる奴は少ない。

 ワイズマン・プロネーティアは、あんな魔法をもっていたのか、と感嘆するのが関の山だろう。

「勝てるでしょうか、ワイズマン先生は。」

 馬鹿なことを聞いてきた側近に、悪態と共に吐き棄てた。

「今の見てわかんねぇか?あの人が剣を持ったってことは、」

 映像の中で、ワイズマン・プロネーティアが、剣を構える。

「もう、誰にも手がつけられないってことだ。」



「おい、おいおいおい、なんッなんですか、あんたさぁ!一体今までの一万年、どこに隠れてやがったんですか……っ」

 私は、まだ確信に至っていないとある仮説があった。すなわち、ヴィヴィ・インソープロが持ちうる異能の、その強度である。

 わざわざこんなにも大々的に中継しているのには、その対策という意味がある。

「私も、切れるカードは先に切っておくことにするよ。貴様も、奥の手があるなら用意しておけ。」

「はぁ、?切れるカード……?」

 これを使うのは、正直乗り気はしないが。

 勇者と戦うのだ。勇者を殺すのには、魔王という肩書きと、魔剣がいる。精神的な話だ。

 私は、ともに戦ってきた戦友を思い出した。

「敬愛なる、オルテンシア・アトライア。この戦いで最期だ。」

 お前たちと一緒に、戦っている。あの部屋の中で紡がれた、定義不可能な感情を、私は、理解することすらできず、自分の命を賭けるほどの衝動として持っている。その脈動が、何よりも強く、私の春刹を駆動させる。

 死んでまで手を煩わせて悪いな、オルテンシア。終着地まで、もう少しだ。だから、もう少し。

「魔剣魔法『魔族の王(オルテンシア)』」

 トゥリオビーテから春刹に向かって接続した魔力回路が、魔剣魔法を顕現させるための魔力を欲し、私の身体の生命力を飲み干していく。その暴食の魔剣が満足するには、300,000Mの魔力が必要で、もちろん私の身体は大量破壊魔法兵器ではなかったからそんな大量の魔力を持っていなかった。

 だから、ステータスタグと接続した。

 不幸に呑み込まれ、死を撒き散らすことでしか停滞を抜け出せなかった、とある王の言葉。

『上手く使え。』

 貴方が世界中の憎しみを集めて溜め込んだ魔力を、上手く使うなら、どんな使い道が正当なんだ。全く私には理解できなかったが、今、この瞬間少しだけ理解した気がする。魔剣が、憎しみの力を喰らって顕現する。順当な使い道だ。それに、この剣の見た目にも相応しい。

 噴出した魔力が魔剣魔法を構築する。春刹を通過する莫大な魔力が、私が握っていた騎士剣に寄り集まり、浸透していく。

 やがて、姿を変貌させる(つるぎ)

 オルテンシアの剣は、もっと悪趣味な大剣だったが。どうやら私では魔力が足りなかったらしい。それとも、宿主となる剣に依ったのだろうか。紫紺の魔力結晶があしらわれた、黒き刀身。

 大剣が出てきたらどうしようかと思っていた。私は扱い方を知らない。が、これならば、騎士剣と扱いは変わらない。

 叶うのであれば、どうか、アスタ・アマテ。君とも、一緒に戦いたかった。

「ワイズマン。」

 ふと、私を呼ぶ声がしたような気がした。どこかで、聞いたことがあるような声。

 脂汗を浮かべ、魔法の演算領域とは全く違う、人間の思考に関する領域を疲弊させた私は、傍から見れば満身創痍に見えただろう。

「フォーティア、……」

「……ごめんなさい。でもやっぱり、」

 フォーティアは、私の袖を掴んでそっと呟いた。

「私、寂しがりなんです。」

「仕方ないな。」

「アスタ・アマテ様が、私にはついていますから。」

 これで、三人ということか。あの部屋に集った三人が、今ここに集結する。

 二人とも姿は違ったが、確かにその意思を継いでいる筈だった。

「魔力、大丈夫ですか……?」

「一度顕現させれば、魔法が定着する。魔剣の魔法効果の中には、大規模な魔力供給が含まれている。欠乏症で衰弱死、なんて結末はないから、安心してくれ。」

 聖剣魔法、そして魔剣魔法どちらにおいても、魔力供給はパッシブスキルだ。初回の顕現を耐え抜けば、その運用は容易い。

 図らずも膨大な魔力を手に入れて、私は手中の魔剣を握りなおした。

「少し、切り結ぶ。無茶はするなよ。」

「はい。先生っ」

 そんなに嬉しそうに言われても、どうにも信用できない。しかし、彼女とて、この決戦の危険さを知らずに来たわけではないはずだった。そんなにも愚かな少女ではない。少々愛情に溢れすぎている節はあるかもしれないが。

「先生、弱点増やしてしたり顔ですか?僕のこと、舐めすぎなんじゃないですか、ねぇ」

「まだ貴様から有効打をもらってないんだが、その批評は適切か?」

 どちらともなく、剣を構える。

 業物であれ、普通の剣と魔法の顕現である聖剣はカテゴリが違う。棍棒と大規模魔法で戦っているようなものだ。だが、魔剣対聖剣であれば、格としては同じだ。

 私の聖剣に見合うのか、見定めてやる。

「は、ァッ!」

 哄笑と凶刃が、その刀身の軌跡と共に吶喊する。踏み出しは、同時だった。輝きの内部を灰燼に帰す剣撃の聖剣は、その刀身に致死領域を収束させることで濃度を増す。触れれば即死、その魔素輻射だけでも、影響を及ぼすだろう。

 魔剣を見る。残念ながら、オルテンシアは私より、よほど乱暴にこいつを操っただろう。少しは、剣らしく扱ってやるから、安心してくれ。

 お前の真の力を、その刃の輝きを、解放してやる。

 遠心力に弧を描く切っ先、両腕の膂力いっぱいに振り下ろされる聖剣の斬撃は、決して楽観視できるようなものではなかった。私も両腕で応じる。握り込んだ柄から、魔剣の魔力が反作用する。

 激突し、モノトーンを見せる刀身の十字、しかしまさか真正面からぶつけ合うわけがなかった。私の諸刃の片刃を滑る聖剣、彼の全体重は、膂力から剣撃へと転化し、しかし、その先にあるのは私の肉を炸裂させるような末路ではない。

 貴様のこの一撃への全ての力は、私の刃を滑る聖剣の刃が散らした火花に完結する。

 その火花が魔剣の刃渡りと同じくらいの距離で走った。振り切りの後、がら空きの首。私の一閃、その魔剣に、ギロチンの本懐を背負わせる。今、その首を断つ。

 中空を迸った魔力が、大気を焦がし、魔力の相互作用によって響いたエネルギー伝達の炸裂音が残響する。その魔力に、一切のエネルギーの減退がない。それこそ、人間の首の肉を柔らかに食んだ抵抗さえ、そこにはなかった。

「ハ、ハはははハはッ!殺せたと思ったか?残念でしたねぇ、ねぇ?」

 嫌な想像が当たってしまった。

「僕を本気にさせたからですよ、……もう、お前の攻撃は当たんない、ぃ、イ……」

 だらりと上体を倒し、顎を擦りながら振り乱した聖剣が私の眼前を横切った。私が逸らした聖剣魔力が頭上を突き抜けていき、少し遅れて炸裂音が空を割った。振り切った遠心力のままに飛び去り、私から距離を取った勇者は、壊れかけの玩具を直すようにこめかみを何度か叩き、眼の焦点を取り戻した。

「存在を霞ませることによる、実体の消失。なるほど、実際には存在しない、とは、最強の回避行動だ。」

 存在を揺らがせることによってすり替えを行う異能。その力の本懐。それは、自分の存在の濃度を自在に操ることだ。それは、概念的な肩書きであってもそうであろうし、そして、今見せたように、人の身体という実体であっても、同じ。

 存在しないのであれば、斬れはしないし、灼けはしない。触れすらできない相手を、どう殺せばいい?

「ぇーっと……そう、先生、先生だ。もう諦めて死んでくださいよ」

 しかし、明らかに流暢さを欠いた言動。今の芸当で、魂のいくらかを発散した。現に、私の名前までは、もう思い出せないようだ。

 であれば、貴様が存在しなかったことになるまで、発散させ続けてやる。あるいは、

 私が指した魔剣の切っ先で、勇者が消えた。



 首筋を聖剣に撫でられたとき、私は全く取り乱しませんでした。

 自分の命をベッドして、私はこの決戦の闖入者となった。それは、先生と一緒に、アトライア様と一緒に戦いたいという、私の言いようのない本能の結果でした。だから、怖くはなかったし、突きつけられた聖剣に、命乞いもしませんでした。

「先生、あなたの助手ですか?教え子ですか?それとも、恋人ですか?……三秒経ったら首を刎ねます、自害してください。」

 私の背後で脅迫した、勇者を見ました。まるで座標情報を書き換えたような、いいえ、実際に書き換えたのかもしれません。存在を薄めて、自分の実在性を引き換えに、居場所を書き換えた。そのせいでしょうか、勇者の左腕は、指先を欠損していました。千切れたとか、切断されたとかではなく、もとから存在していないかのように、なくなっていました。

「ワイズマン……!」

 先生は、今まで見たことないくらいに表情を歪めて、私に、熱烈な視線をくれました。

 あぁ、先生。私、本当に貴方のことが大好きです。私のために、そんな顔をしてくれるんですね。

「おい、偽物……!お前は、傷つけられてはいけない人を傷つけられたんじゃないのか?」

 俯いたまま、先生は小さく言いました。少なくとも、私や、私の背後にいる勇者に向けた言葉ではありませんでした。

 では、一体誰に?

「いいか、よく聞いておけ、”アスタ・アマテ”。」

 ずるり、とうなじを舐った悪寒が、咄嗟に耳を塞ぎました。

「彼女が、貴様への祈りを欠かしたことは、一日たりともなかったぞ!」

 私は、冷静な目で、自分の首を寸断するであろう聖剣の煌めきを見ていました。その両刃の先細る断面を、ただ、見ていました。

 目は、瞑るつもりがありませんでした。けれど、瞼ではない何かが、私の視界の邪魔をします。それは、私には見ることができなくて、それは、見た、という結果を、ただの暗闇に塗りつぶしてしまうような、世界の法則をまるっきり無視してしまうような身勝手さを持っていました。

 そう、それはまるで。

 不可視の鉤爪に抉られたように、聖剣が弾かれて、遅れて、勇者の頬肉が削ぎ取られました。爪痕はそれだけでは飽き足らず、地面にも深々と痕跡を残し、その断面は、まるで腐りきって崩れたような腐食の色を残していました。液体のような黒い煙が、立ち上っています。

 そのときに、私は、時間軸を超越するような、超然的な感覚に陥りました。

 私の意思ではないような何かが、私の片腕を操って、その掌底を勇者の肩に押し当てていました。我を取り戻した聖剣の刺突を、顔をよじるだけで躱して、バランスを崩して背中から倒れかける勇者へと、私は小さく詠唱しました。

「”アスタ・アマテ”」

 ぼ、とくぐもった破裂音がしました。指先を欠損した勇者の肩口を、風穴が吹き抜けています。

「ぇ、なんですか、それ」

 そしてその断面は、黒く、腐りきって、ボロボロに崩れていました。

 すぐさまに、先生が私を抱き留めて、お姫様抱っこで運んでくれました。何気ないそれを、実は私がずっとしてほしかったのだと、貴方は気付いているでしょうか。頬が緩みそうになるのを、必死に自制しました。

「君は、気付いていたのか……?」

「え?」

「いや、……なんでもない。だが、決着をつけることにしよう。」

 先生が、トゥリオビーテを覗いています。



 血液すら垂れないような異質な風穴に、勇者はあまり頓着していないようだった。

 しっかりと握った聖剣、その切っ先を、私に向けている。片腕は、もうぶら下げているだけのような状態で、眼は爛々と輝いていた。

「ヴィヴィ・インソープロ、今から私は、貴様を殺す。」

 一万年前、一度目の世界で、貴様が始めた因縁だった。憎しみを出発点とした私の自省録は、いつしかささやかな友人を迎えた日記になっていき、そして二度目の世界で、ある一つのエンディングを迎える物語として結実した。

「先生、その意味、ちゃんとわかってるんですか?僕は、勇者、だ。勇者なんですよ?これから、貴方は勇者殺しだ。この国を守ってくれる英雄を殺した、反逆者だ。逆賊だ。貴方の名前を、一万年先に残るくらい、不名誉に、屈辱に、蹂躙し尽くしてやる。

 ワイズマン・プロネーティアは、人類に反旗を翻した、人類の敵だ。」

 少し前の私なら、忌避しただろう。私の生き方を、誰かが婉曲し、曲解し、私の名前が、知りもしない罪状を言い渡されて後世まで断罪され続ける。悲劇的だと、悲観したことだろう。だが、今は不思議とどうとも思わなかった。

「いいさ。」

 それはきっと、未来のためだ。

「私ではない誰かが、私の死後、私のためだけに力を尽くしてくれる。私が私を慈しまなかったことを嘆き、あるいは怒り、私のためだけに、私の汚名を雪ぐ誰かが、必ず現れる。」

 今だけは、なんの悲観もなく言い切ることができた。私の名前は、いかなる形で後世に語り継がれようとも、その不文律を解体し、私の真実に辿り着く誰かによって救われる。私はその起源として、トゥリオビーテを作った。人類はいつか、第六感を必ず獲得する。そして、その開眼の衝撃は、不文律に埋葬されてきたあらゆる人間の好奇心を復権させ、やがて、世界を変える。

 この日和見主義のお気楽な世界を、不文律を解体する気概のある人間が、作り替える。

 トゥリオビーテを見て、いいや、見なかった。私の眼球から入り込んだ魔素波動力が、私の魂の最も近くにある器官に侵入した。知覚した。

「あんたのそれ、照準器としては不十分だから制式採用されなかったんでしょう?いまさらそれ覗いて、なんになるっていうんですかぁ?」

「火焔。」

「ぁ……?」

 吹き飛んだ勇者の片腕と聖剣が、宙を舞っていた。もはや原型をとどめてはいなかった腕は中空で更に爆ぜ、筋線維を走った熱と衝撃が骨肉とを分解し、皮膚を突き破った。やがてそれは血肉となって降り注ぎ、勇者の金髪をどす黒い血液色に染めた。

 トゥリオビーテは軍事利用できない。本当の事だった。

 技術的問題によって、それは引き起こされている。本当の事だった。

 しかし私は、トゥリオビーテに積極的に性能を損なわせるようなプログラムを施したことはなかった。

「誰にも言ったことはなかったんだがな。トゥリオビーテは、一切照準器の性能に足りないということはないんだよ。いいか、足りていないのは、人間側のスペックだ。私は、どんな複雑な魔装であっても、一度(ひとたび)これを覗き、唱えれば、灼き尽くすことができる。」

 フォーティアも、私の持つトゥリオビーテへと眼を見張った。

 何度も、宣言はしていたはずだったのだがな。私は、魔法で灼いた方がはやい。

「なんの根拠があって、私が照準できないと思っていたんだ?」

 ゆっくりと宙を泳いで、一万年あまりを窮屈な人類の敵の手の中に居た聖剣が、その自由を謳歌していた。やがて、その剣先が地面へと突き刺さる。

「ッ、なぁんで、なんでだよッ……なんでお前だけ、そんなにたくさん持ってるんですか!なんで……僕の方がっ」

 勇者の肩口、爆ぜた袖が、微かに風に靡いていた。その輪郭が、微かに、ぼやけていた。

「動揺した振りが得意なんだな、ヴィヴィ・インソープロ。自我の大半を失ってでも、まだ生き延びていたいのか。」

「ッ、は、……ぁ……?」

 大方、体の大半の存在確率を発散させて、散り散りになって、どこかで結実して生き延びようという算段だったのだろう。

「これは、最初の事例なんだ。」

 突然に言った私の言葉の意味を、勇者は正しくは理解しなかっただろう。

「人々が、史上初めて、自らの手で、不文律を解体する。私じゃない。彼ら全員が、そうする。その、最初の事例だよ。」

 勇者は正義という不文律。勇者は負けないという不文律。勇者は何者よりも清いという不文律。

 クソだ。まさか世界を観測する指標を五つも持つ人間が、こんなにも巨大な概念について思考を巡らせることもしないとは、悲劇だ。

 だから、今、この中継を見ている人間、その全員が、ここで当事者となる。この決戦に、引き摺り出す。貴様らの眼が、今日ここで、この決戦の一手となる。

 彼らが、観測し、その不文律を切り開き、解体する。そうして、彼らそれぞれの真実が、思考の果てに導かれる。そして、その観測という行為が、不文律の中にあった矮小な人間の、脆弱な延命手段を締め上げる。

「何人見ているだろうな、勇者。さっきから、消耗が激しいと思わなかったか?」

 一万人、十万人、下手したら、それよりも多いだろうか。

 彼ら一人一人が、勇者を観測している。その魂を、存在確率を、常に観測し続けている。たとえ勇者に、自身の存在の濃度を自在に操る力があったとしても、それほど自身の存在を確固として刻まれていれば、力の効きも悪くなる。いつもの感覚では効きが悪い身体に、勇者はいつもより殊更強く力を使っただろう。それが、過度な存在の消耗を引き起こし、アイデンティティや身体の喪失をもたらした。

「彼らは今、不文律を解体している。貴様のように、真実を不文律に覆い隠し、煙に巻くようなあやふやな存在を、確かなる悪として、認識し、この白日の下に繋ぎとめている。今更、逃げられると思ったか?」

「だから、だからなんだって……僕がそんだけで、力を使えなくなるとでも!」

「だから、私がいる。」

 だから、私は、トゥリオビーテを作り出した。

 勇者を照準する。腕でも、頭部でも、肩の接合部でもない。ヴィヴィ・インソープロという人間を構成する、全ての物質、全ての魔素波動力を、照準した。照準とは、常にそれを自身の知覚の内側に内包し、把握し続ける概念。アスタ・アマテが生み出した、不文律を解体するための、概念。

 その存在の全てを、私の第六感が強く()る。最上級の()()()()

「っ、なんで、……僕に、なにしたんだよ……?」

 ぼやけていた彼の輪郭が、その境界を取り戻し、不文律を解体する。その内側に隠された暴悪を切り拓く。露呈させる。

 確固として、存在が刻まれている。存在確率に転嫁できるような余地はなく、観測に雁字搦めにされたヴィヴィ・インソープロが、そこに立っている。

「僕を殺したら、お前はこれから、なんていわれるんですかね?いまは、僕の時代なんだ。魔王を倒した、僕の時代。僕が絶対の正義で、貴方は悪だ、悪ですよ?だから、ここで和解しましょう!僕も、謝る。貴方にも、みんなにも謝るから、だから、だから平和にやろうよ、ワイズマン先生、ね?ねぇ、なんとか言ってよ」

 私は。

 黒い血を吐く死体。真っ二つになった死体。手を握って死んだ死体。聖剣に途絶えた死体。虐殺に倒れた死体。

 私は。

「勇者を殺す。」

 そうなのかもしれない。もしかすれば、今は勇者の時代で、私は悪に捉えられるかもしれない。それこそ、かつての魔王のように、いわれなき悪行を背負わされるかもしれない。しかし。しかし。

 そんな時代的解釈を、私は加味しない。

 いつか雪がれる私の悪行を、私は甘んじて背負った。誰もがその目で観測し、不文律に埋葬する余地もなく、目撃した。

 その、決戦の中で行われた、”勇者殺し”と、その犯人についてを。

 眼が、私を見つめている。

 私は、勇者を殺した。

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