序章:陶器のような結婚生活
魔王を殺害する方法を求めよ。なお、時代的解釈は加味しないものとする。
レンズを眼前に、フィルターとの距離は30センチを持つ。角度を垂直から負角に下し、魔素波動力の波長は15〜20Mhあたりを取る。
「俺にいい返事を聞かせてくれるか、ワイズマン。」
日差しは暖かに煙草の煙を突き抜けていき、私にはとある選択が突きつけられる。
「名前は。」
「フォーティア・アンドレティア。生い立ちは、まぁ前渡した資料の通りだ。」
アスタ・アマテ神教の根付いた村落に出生。
十歳にして自分以外の村人が虐殺されたことにより村が壊滅。
神教会で拾われ幼少期を過ごす。
その後、王国立青少年福祉センターに編入。
二年ほどで就職し、調剤薬局事務にて就労。
同年、自主退職し生活援助機構預かり。
「信じられない問題児に見える。」
「信じられない問題児だよ。周りがな。」
「周り……」
「村の虐殺はあの子の仕業だと。なんだ、齢七歳の細腕に、林業を生業としていた屈強な大人五十人余りが易々と殺されたと、本気で思っているのか、あの連中。」
疲れたように煙を吐くその姿が、少女にまつわる厄介ごとを雄弁に伝えてくれる。
「それは……王室庁の仕事か、しかも王調部に。」
「虐殺事件の詳細を、国王は隠したがってる。王国治安神話に傷がつく、ってことなんだろうけどな。
俺たちでさえ、現場の資料を閲覧できない。」
「なるほど……王国からすれば、宮廷付きの私は身内になるわけか。」
「お前を選んだのは俺の独断だ。そういう意図がなかったとは言わないが、これまで俺が関わってきた人間の中で、一人前の女性を任せるに足る人物はお前しかいなかったという消去法的選択だ。」
「なんだ、私は納税額という指標においては全く理想的な王国民だと思うが?」
「女癖の悪さと生活力の無さを指標に組み込め。」
心外な評価に手元がブレる。規定の周波数を持っていた魔素が可視光領域から発散する。
厄介ごとを纏った少女。
身寄りのない少女。
労働経験が少なく、今後自分の人生に与える影響の良し悪しも不明瞭。
今得られた略歴という指標においては、彼女を私が引き取るメリットはない。
しかし、新しい魔法開発において、その結果を視覚効果だけ攫って良だ可だ不可だというのは浅はかにも程がある。その空間における魔力濃度や物理学的な場の解析、そういったあらゆる指標を見通してやっと、本質の輪郭を知れる。
物事は、多角的に観測する必要がある。見えない変数の存在を、私は許さない。
「引き取ろう。」
「いいのか?」
「あぁ。既に私と彼女は関わってしまった。なら、私はできるだけ真実に近いものを見る義務がある。」
「助かる。できるだけ、負担にならないような額の補助金を探しておく。」
レンズとフィルターを結合し、ストラップで首から下げる。魔素波動力を可視化し、人類に新たな視覚を与えたこの魔装に、私は一縷の望みを託している。
凝り固まった“不文律”という存在に、一方向からの観測しか行わないこの世界への、とある希望。
視覚に頼り切った人類の、新たな感覚の獲得。第六感の発現の一因。その希望を込めて、私はこの道具に名前をつけた。初めて視覚を得た生物の名を。
トゥリオビーテの名を、与えた。
⭐︎
◯魔法学院初等教育過程の生徒三名が死亡。春刹、第三水域に灼き切れた痕。
◯ヴァルネラヴィリー症候群、原因解明か。ポイントは人体の設計図?
◯少子化対策・生構支援金給付、繰り上げて施行へ。
◯第57代目勇者襲名。聖剣譲渡式典、王城にて。
本日も、魔法アカデミー領域の記事はなし。
それは、たとえ異世界でも同じことなのだろう。デオキシリボ核酸の発見が今頃というのは、回復魔法という超常現象のメカニズムを探求してこなかった異世界人類の怠慢の結果というところか。
新聞をほっぽり出して、腕時計を見る。口をつけたコーヒーの苦味に一息ついた。
「約束の時間より前に来るとは……私も、俗世に染まってしまったものだな。」
首から下げたネックレス。宝石から、レンズが畳まれた木製の支柱を抜く。宝石はフィルター、支柱がレンズ。レンズを覗き込んで目を細める。そこで、トゥリオビーテは在るべき姿へと完成する。
魔力の源である魔素波動力を、可視化させる。そしてその色は、この余暇を費やして余りあるほど美しく見える。
人間の本能に最も近い器官が知覚するからだろうか。
「と、来たか。」
トゥリオビーテを首に下げ、ドアで鳴ったベルに振り返る。
「はじめまして。フォーティア・アンドレティアと申します。本日から、よろしくお願いします。」
綺麗な一礼に滑り落ちた銀髪。最初に思ったのはそれだった。随分と目立ちそうだ。それと、おそらくメイクは薄い。そもそもの顔の完成度が高いから、必要なかったという方が正確か。
むしろその造形が際立つようですらある。
「ワイズマン・プロネーティアだ。座ってくれ。」
私が促すと、彼女───フォーティアは、私の対面の席に腰を据えた。微かな一礼は欠かさなかった。神教徒らしい礼節の一端が香る、一人前の女性。
「これから、君を預かるにあたって、私の技研に入って助手として働いてもらう。これは生活援助機構からの要請でもある。彼らは、君の社会復帰を願っている。」
「はい。」
随分と物分かりがいい。パトロンとなる私に媚びへつらうような感じでもなく、人生を諦め切っているような悲壮感でもない。
微かに感じていた彼女の雰囲気の正体が、見えてきた気がした。
会話に間隙をもたらした私に、何か思ったのか、彼女は滔々と述べた。
「ワイズマン技術研究所、法人名はアートリエ・プロネーティア公社。秘書室の所属になると伺っています。」
求めていたわけではなかったが、ここまで頭に入っているのなら認めざるを得ない。彼女自身には、何も問題はない。彼女は、ただ環境に恵まれなかっただけの、優秀な人間だ。
「それと」
応じなかった私に何を見たのか、一息を継いで、彼女は付け加えた。
「貴方の、妻になると聞いています。」
ん?
舞台でも眺めるようにしたり顔で納得に頷いていた私は、いつの間にか舞台の上に引っ張り上げられ、その舞台の表面には、この世界で婚姻届に相当するだろう書類の活字がびっしりと埋まっている。
『助かる。できるだけ、負担にならないような額の補助金を探しておく。』
◯少子化対策・生構支援金給付、繰り上げて施行へ。
あれか……!
婚姻関係にある夫婦と、生活援助機構の親のいない子供たち。先の大戦の影響で訪れた少子化と成人しても社会に出られない戦災孤児のために作られた補助金。
二重の補助金は確かに、彼女を養うのには満足な額になるだろう。しかし。
感情を宿さない瞳にトゥリオビーテを照準してみたい誘惑に駆られる。
「まだ、二十歳の女の子だぞ……」
口の中だけで呟いて、コーヒーに口をつけた。
彼女の分のお冷を置いたウェイターが、注文の文句を言う。遠慮したようなフォーティアに促す。
「何にする。」
「……それでは、紅茶をいただけますか。」
その後、冷たいものか温かいものか、砂糖やミルク、添える果実はいるかといくつかの問答があった。
その間に、一つの事実は、私の決断にどれほどの意味がのしかかっているのか、と覚悟を突きつけてくる。
まだ婚期などという概念に頭を悩ませたこともないような少女が、好きになった男と一緒になるために、まず離婚という過程を必要とする。
それは、少し酷ではないか。
「……私はこの歳で独り身だ。技研もワンマンプレーで、関わりのある妙齢の女性などもいない。
そこで、君の存在は全く都合がいい。私は、私の周りの人間からの、ある種のプレッシャーを、君で阻害することができる。
そして、もちろん君は私というパトロンを手に入れて裕福な生活を送れる。世間にバレなければ、好きに恋愛をするといい。私もそうさせてもらう。」
ギブアンドテイクだ。言外にそう言ったつもりだ。
もちろん印象はよくないだろう。しかしそれでよかった。
「結婚しよう、フォーティア。歓迎するよ。
私と共に、なんの熱もなく昂りのない、陶器のような結婚生活をやろう。」
「プロポーズだとしたら、断っていました。」
「もちろんそうだろうな。」
しかしこれはプロポーズというようなロマンチックなものではない。互いの戸籍を担保にした、プラグマティックな雇用契約だ。
そう思わせるべきだ。
「私の研究は魔法のメカニズムを解き明かし、必要であれば新たな魔法を人工的に設計する理論魔法力学だ。魔素波動力魔法学ではない。その意味はわかるか。」
「この国の、騎士団に属する学者、ということです。」
「素晴らしい。私には、私怨がなくとも殺される政治的地位があり、その上、宮廷入りしたのもこれのお陰。」
私が開発し、その権利の全てを持つトゥリオビーテを掲げる。
「血統主義の根強い王城からすれば気持ち良くは思われない。」
神妙な面持ちのまま、しかし瞳には微かな侮蔑を浮かべ、フォーティアは私に問うた。
「なぜ、トゥリオビーテは軍事転用されないのですか。」
「この形状では魔装に組み込んでも通常の照準器として扱うのに不便だ。それに、フィルターはそんなにも便利ではない。識別できるのは一つの魔素波動力だけ。照準できる対象が小さすぎる。」
「されない、は敬語です。私は、何故貴方は軍事転用できないような構造にしたのか、と聞いている。」
私と彼女の関係がビジネスライクと認識させる試みには成功したらしい。先ほどよりもよほど鮮明に、フォーティアという人間から言葉が出てきた。
「技術的問題だ。私の意図は関係ない。」
「気持ちよく思われない原因は、それではないのですか。貴方は意図的に、この道具が戦争の引き金にならないように細工している。」
「誰も証明できない。フィルターを開ければ、中のプログラムは読み取れなくなる。」
「それが答えに聞こえます。」
「特許のための技術的解決だ。」
フォーティアは、自分でも持っていた新品のトゥリオビーテを首元に戻し、服の内側に仕舞った。
「私は……死にたくありません。」
死ななかった。死ねなかった。そう考えてもおかしくない来歴。けれど彼女は、死にたくないと言える。
「誰が敵なのか、私にもわかりません。その敵が、私の生命を脅かす相手なのかも、判断ができません。私は、無知で親のいない、この国のお荷物と呼ばれる存在です。貴方に、相応の価値を示すことができるとも思えない。この性別を鑑みても、貴方はそういう目的で私を利用してはくれないようです。
それでも、私を護ってくださいますか?」
周りは全てが敵だった。だから、彼女に手を差し伸べる最後の人間が、私のようなしがない理論研究者だったわけだ。
そして、その私にも、敵は多い。
「赤の他人を守る義理はない。しかし、君は私の妻になる。家族の命は必ず、私が。私が……家族を殺させることは、絶対にない。」
彼女は何も言わなかった。沈黙の中で紅茶が届く。冷たいそれを口に含んで、小さく嚥下したフォーティアは頷く。
「なんとお呼びしたらいいですか。」
「好きに呼べ。妻に呼び方を指図するような前時代的な家庭にするつもりはない。」
「では皆様の呼び方に倣います。ワイズマン先生。」
「ああ、それがいい。よろしく頼むよ、助手。」
⭐︎
魔王を殺す。しかし、ここに時代的解釈は加味しない。
私に与えられた依頼。いや報酬が発生しないのなら、使命と言った方が意味が通るか。
まるで勇者の仕事だ。私でない勇者は、昨日にもあの王城で、聖剣を受諾したというのに。
「ステータス」
ステータスタグからいくらかの魔力を徴収される。魔素波動力の大気との屈折作用を利用した、空間への投影。
虚空に出現したタブレットサイズのウィンドウに、『今日も貴方は幸せですか?』とポップアップする問い。
なんの意味があるのかもわからないそれに腹いせに『いいえ』を押して、やっと展開した自身の身体情報に目を通す。
それでも、消えていない。
ステータスの所有者のみが編集できる目標欄に、私はそんな無理難題を固定されている。
『魔王を殺す。しかし、ここに時代的解釈は加味しない。』
確かに私には、殺すと決めている人物がいる。けれど、それは魔王などという肩書きでは決してない。
私は、ヴィヴィ・インソープロを殺さなけばならない。
私の人生に強制的に書き換えられた宿願。ステータスを司る魔装のドッグタグは、当然ながら開発者にしかプログラムを編集できない。
超然的な何かが、その絶対を書き換えた。
ステータスウィンドウを閉じて、支度をする。もうあと五分もすれば、愛おしき妻が私を起こしに来るはずだ。
熱もなく、昂りもない。陶器のような結婚生活。もとい、フォーティア・アンドレティアとの雇用契約は、もう二年が経過していた。
彼女の仕事ぶりは、私の秘書的立ち位置にとどまらず、経理部にも多少手を入れているらしい。つまり、社会復帰と、それに伴わなければならない社会性は、とっくにクリアされていた。それ故、二つの補助金は既に給付を中止されており、実態として、フォーティアは正真正銘自立している。
不可解なのは、その状態で婚姻関係だけ解消しても構わないと随分前から伝えているのに、その気配が一向にないことだった。
今後の雇用契約も継続し、必要であれば援助もする───必要はないだろうが───と約束したのにも関わらずである。
私の日常生活の世話などは、妻という責任感がさせるものであって、金なんて端金すら発生していないというのに。
『敬愛なる、アスタ・アマテ。本日も私を、お見守りください。』
扉の奥、フォーティアが唱えるのが聞こえた。
アスタ・アマテ神教における祝詞。昔から、五感は鋭い方だった。
控えめなノックの音。ネクタイを締め、首にかけたままだったトゥリオビーテの位置を正した。
純白のローブを羽織り、寝癖を整える時間はない。はい、だとかぅあい、だとか、発声したのかも曖昧な返事を返してやっと、彼女は私の部屋の扉を開ける。
「おはようございます。あなた。」
幾分か感情豊かになったのかと思うときもあるが、そうして新婚夫婦さながらの台詞を吐いた時だけは勘違いだったと考え直す。
神に祈りを捧げているときの抑揚はどうした。機械人形が、プログラムされた通りに言葉を読み上げるようなチグハグさ。それでも、挨拶を返さなければ機嫌を損ねる。
すっかり習慣になった朝ごはんを一緒に食べるという約束のために、私も挨拶を返した。
「おはよう。我が妻よ。」