殿下が猫を虐げるって本当ですか? ならば“猫神様”に裁きを仰ぎましょう
私の名はフェリシア・グランテール。大陸西部のとある王国に生まれた伯爵令嬢で、かつては国王の甥にして華々しい騎士団長を兼任するアルベール・クラウスフォード殿下と婚約していた。……そう、かつては。結論から言うと、彼との婚約は一方的に破棄されたのだ。しかも理由がまたくだらない。「君とはこれ以上、愛を育めそうにない」などと言われ、後ろに控えていたか弱く見せかけた娘と腕を組んで立ち去られた。怒りと屈辱、そして呆れ。そもそも、そんな言い分ひとつで婚約を投げ捨てられるほど私の存在は軽かったのか。……いいでしょう。ならばこちらにも考えがある。
「あなたのことは、きっちり後悔させてあげるわ」
そう心に誓ったその日から、私はさまざまな策を練った。何しろ、相手は国王の甥。それなりに後ろ盾もあれば、彼本人は美形騎士として世間から人気を集めている。筋肉隆々の強面ではなく、線が細く中性的で優美な姿が人々の目を引くらしい。上に付いた称号や血筋だけでなく、当人自体が華やかだとなると厄介だ。だが、それは裏を返せば「弱み」をつかめば一気に奈落へ突き落とせるということ。実のところ、アルベールには決定的な弱みがひとつあった。
彼は猫好き。しかも相当な愛猫家なのだ。
その事実を大っぴらに語ったりはしないが、私くらいの距離にいればこっそり飼い猫を可愛がっている様子などを何度も見かけたし、旅行の土産として猫の置物を買ってきたりもしていた。それが悪いことではない。むしろ微笑ましい話だ。でも、私の婚約を踏みにじった今となっては、そこを利用しない手はない。――彼の大切にしている猫愛を逆手に取るのだ。
私は執事や侍女のネットワークを駆使し、まずはささやかな噂を広めさせた。「最近、アルベール殿下が猫を大事にしていないらしい」「どうやら新しい恋人が猫嫌いで、飼い猫を追い出そうとしているみたいだ」。そういった「まだ曖昧な不穏」程度の囁きから始め、少しずつ人々の耳に残るように仕向けた。これは前フリに過ぎない。大事なのは、次の段階だ。
私はさらに情報屋に口添えをして、真実味のかけらもないほど荒唐無稽なデマを広めさせることにした。その名も、「アルベール殿下が猫を虐げる悪魔崇拝者である」という噂。さすがに馬鹿げている? しかし、突拍子もなさすぎるからこそ、ちょっとした火種を与えれば妙に人々の興味を惹くのである。都市の貴族界隈は退屈な茶会が続くと、ゴシップに飛びつきやすいのだ。噂話好きの御婦人方が集まれば、ちょっとした奇妙な話に大喜びで食いついてくれる。そこへ私が数枚の捏造書簡を用意して「何やら怪しいサインがあるのでは」と騒げば、それなりに火がつく。
なぜ猫を虐げる悪魔崇拝者という設定なのかと言えば、アルベールが猫を愛していることを知るごく一部の人々は、真偽がわからず混乱しやすいからだ。かえって「いやいや、殿下は本当は猫好きだったのでは?」という声が上がれば上がるほど、逆に「それがフェイクだったのではないか」「表向きは愛猫家を装っていたけれど、裏では猫を生贄にして闇の儀式をしていたのでは?」などという、飛躍した噂が生まれていく。まさに燃料投下。気がつけば都市のあちこちで、「猫を虐げる悪魔崇拝者!」という言葉が踊り始めた。
さて、世間の評判が揺れ始めれば、当然当人も黙ってはいられない。アルベールは猫愛家という秘密を守りたいというよりは、自身にかけられた悪魔崇拝の汚名を払拭しようと必死になるだろう。何しろ国王の甥であり、騎士団長。血筋も役職も「清廉潔白」が前提の立場だ。自分が悪魔崇拝などしていると疑われれば、一気に政治的立場も危うくなる。その勢いで、自分の名誉を守るために慌てふためくだろう。そこからが、私の本番だ。
「猫神崇拝」を大々的に掲げ、あたかも新興宗教さながらの動きを見せればどうなるか。悪魔崇拝者が本当にいるのだと、庶民や貴族はすっかり信じ込む。そして何より、猫神崇拝に賛同する者は猫好きが中心だ。古代に猫を神として崇めたという伝説は、私の国にもそれなりに伝わっている。猫に愛されると幸運が訪れるなどという俗説もある。これを組み合わせて「猫神様は悪魔崇拝者を許さない」「猫を大事にしない者には罰がくだる」という旗印を掲げれば、騎士団長の血筋であろうと容赦なく糾弾される空気をつくれる。
そして今、私の「猫神様教団」は、水面下で一気に勢力を広げていた。
起点となったのは、私がこっそり手配した「ねこマスク」だ。猫の顔を模した仮面を作っては一部の熱心な愛猫家たちに回し、「これをかぶって猫神様に祈りを捧げましょう」と呼びかけた。はじめは冗談めかして楽しんでいた人々も、噂に煽られていくうちに、次第に熱を帯びるようになった。「猫神様は本当に存在して、猫をいじめる悪魔崇拝者を懲罰するのではないか?」……そう信じる者たちが出てきたのだ。
「フェリシア様、街の広場に集う猫神様信者が日に日に増えています。もう百人は下りませんわ」
「そう。ならばそろそろ、儀式を行いましょう」
私が侍女に向けて笑顔を見せると、侍女はやや引きつった表情を浮かべた。というのも、この儀式なるもの、思わず笑ってしまうようなものなのだ。まず、猫を象った祭壇を木材で組み立て、その前で全員が「ねこマスク」を装着してぺこぺこと頭を下げる。三回お辞儀をしてから「にゃーん」と唱えることで、猫神様の加護を得るという設定である。まさに新興宗教まがいだが、そこへ猫耳付きのローブを着た司祭らしき役人を登場させれば、妙にそれっぽくなるから恐ろしい。幸い、「何か面白いことをやりたがる」道化じみた人材には事欠かなかった。こうして猫神様教団の存在が、急速に都市の話題をかっさらうことになった。
一方で、アルベールはどうしていただろうか。噂によれば、やはり焦りまくっているらしい。何せ「自分が本当は猫好きだ」という事実が、半ば裏付けられる形で公になりかけているのだから。今さら「私は猫など好きではない」と弁明すれば、「裏では猫を虐げている」と思われる。かといって「私も本当は猫を愛しています」と公言すれば、既に広まってしまった「偽りの愛猫家説」が逆に信ぴょう性を増し、余計な疑念を招く。手詰まりとはまさにこのことだろう。
その上、私が流布した「アルベール殿下は猫を悪魔に捧げている」という噂が市民の間で炎上し始めると、愛猫家の貴族たちが黙っていなかった。名家に代々飼われてきた高貴な猫を溺愛する者などは、顔を真っ赤にして「クラウスフォード殿下を信用するわけにはいかない!」と声をあげ始めた。街中でも、路地裏で飼われている野良猫好きの人々が「猫をいじめるなんて許せない」というプラカードを掲げて抗議デモを始める始末。さすがにここまでくると、アルベールも自分ひとりで対応しきれる状況ではなくなってきたはずだ。
案の定、宮廷内でも問題が大きく取り沙汰されるようになり、国王の耳にも入ったらしい。国王は呆れ返りながら「本当に悪魔崇拝などしていないのだろうな? まったく……。一度、きちんと説明せよ」とアルベールを問いただしたという。どれほど彼が口で「濡れ衣だ!」と叫んでも、得体の知れない「猫神様教団」なる団体が台頭していて、その教義が「猫をいじめる悪魔崇拝者を断罪する」となれば、民衆の疑念は消えない。何せ一度生まれたゴシップは、当人の否定だけでは消えてくれないのだ。
そして、ここからが私の最大の仕掛け――「猫神様に裁きを仰ぐ」集団儀式だ。
当初の計画では、私はあくまで裏から糸を引くだけに留めようと思っていた。が、この儀式の妙な面白さ、そしてなかなかに混沌としている街の様子が、私の中の好奇心と悪戯心を大いに刺激した。どうせなら、直接その場を仕切ってしまったほうが面白い。そこで私は、仮面こそつけないものの、猫耳付きの豪華なローブを身にまとい「猫神様の巫女」として公の場に姿を現した。
儀式当日、街の中心にある大広場には、驚くほど大勢の人々が集まっていた。半数は猫神様教団の信徒を名乗る面白半分の市民たち。そして残りの半数は、ただの見物客だろう。にもかかわらず、全員が一様に「猫を大事にして悪魔崇拝者を糾弾する」といったスローガンに耳を傾けている。なんとも馬鹿馬鹿しい光景だが、これだけ多くの視線が注がれるのは見ごたえがある。
「皆さま、ようこそお集まりくださいました。私は猫神様の巫女フェリシアと申します」
私が壇上に進み出ると、周囲がぱらぱらと拍手をしながら「にゃー!」「にゃー!」と奇妙な声援をあげる。なんだこれはと思いつつも、妙な一体感があるのがまた可笑しい。
「本日、猫神様はひとりの男に裁きを下すため、私たちを導いてくださいました。その男は……クラウスフォード殿下。猫を虐げる悪魔崇拝者の疑いをかけられていますが、果たして真実はいかがでしょうか」
私がわざとらしく手を広げて尋ねると、広場の一角から地響きのような怒号があがった。「猫をいじめる奴は許さないぞ!」「ちゃんと弁明してみろ!」。熱狂している群衆が一段とヒートアップする様子に、私は内心でほくそ笑む。
ちょうどそこに、金色の甲冑をまとったアルベールが白い馬に乗ってやってきた。普段ならば、彼の麗しい容姿に多くの者がため息をつくだろう。だが今日は違う。群衆の視線は、まるで憎しみや呆れ、あるいは好奇の目で彼を見つめている。彼の背後には、やたら焦った様子の従者たちが控え、なんとか場を収めようとしているのがわかる。
「このような茶番は即刻やめろ! 私は決して猫を虐げたりなどしていない! 悪魔崇拝などありえないと、何度言えば……!」
馬上から声を張り上げるアルベール。実際、彼は本当に猫を虐げるようなことはしていないはずだ。私だって、それくらいは承知している。だが、ここでは真実など関係ない。重要なのは、いかに彼が周囲から責め立てられているかだ。
「殿下がおっしゃることもわかります。ですが、このままでは噂は消えません。もし、本当に猫を大事にしているのならば、猫神様への信仰を誓うことで潔白を示すことができるでしょう」
私がそう告げると、会場に集まった者たちから「そうだそうだ」「猫神様に頭を下げろ」というコールが湧き起こった。猫好きたちは一様に高揚しており、猫耳ローブやねこマスクをかぶった人々が、拳を振り上げている。アルベールは唇を噛みしめ、どうにか群衆をなだめようとするが、混乱は広がるばかり。
「ふざけるな! 私が、こんな新興宗教まがいの儀式に参加するとでも?」
「ならば、あなたは猫をいじめる悪魔崇拝者だという噂を否定できないということになりますね?」
「な……」
私が静かに問いかけると、アルベールは言葉を失った。魔女裁判のごとき図式だ。儀式に応じれば猫神様教団の加護を求めたと嘲笑される。かといって拒めば、民衆からは「やはり猫をいじめる悪魔崇拝者だ」と糾弾される。どっちに転んでもアルベールの面目は丸潰れ。それこそが、私の狙い。彼の眼差しは怒りと恨みを含んで私を見つめるが、もう遅い。噂はここまで大きくなったのだ。
「殿下、猫神様に祈りを捧げるのは、けして恥ずかしいことではありませんわ。それこそ、本当に猫を愛しているのならば、堂々と示せばいいではありませんか」
私の扇をひらりと振る仕草に、群衆は「示せ! 示せ!」と連呼し始める。アルベールの額には玉のような汗が浮かび、金色の髪が陽光を受けてぎらぎらと輝いていた。かつて彼の堂々とした姿に憧れを抱いた自分が嘘のようだ。私は胸の奥に微かな痛みを覚えたが、すぐにそれを振り払った。……もう、情は必要ない。彼は私の誇りを踏みにじったのだから。
やがて、アルベールは脱力したように馬から降りると、周囲の兵士たちを制止しながら歩み寄ってきた。ぎらぎらした視線を私に向けるが、ここで暴力を振るえばさらに民衆の不信を買うとわかっているのだろう。彼は人々の目の前で、仕方なく片膝をつき、頭を垂れた。そしてまるでうめき声のように低い声で言う。
「……猫神様とやらに、誓う。私は猫をいじめてなどいないし、悪魔崇拝者でもない」
プライドの高い彼が、人前で頭を下げる。その光景を見た瞬間、私は胸がすくような爽快感を覚えた。周囲からは「おおーっ!」という大歓声と、「にゃー!」「にゃー!」という奇妙なコールが入り混じった大盛り上がり。この場は完全に猫神様の宗教的集会と化している。私は優雅にローブのフードを揺らしながら、さらに追い打ちをかけた。
「それでは殿下、その証として、こちらの祭壇に祈りを捧げていただきましょう。猫神様に対して、深く頭を下げ、『にゃんにゃん』と三度唱えてくださいませ」
「なっ……!」
アルベールの顔が見る見る赤くなる。怒りか羞恥か、とにかく沸騰しそうな表情だ。周囲からはさらなる声援が巻き起こっている。これは祭壇の前での「大事な儀式」であり、猫を本気で愛しているならできるはず。民衆はそう思い込んでいる。ある意味、ここで「にゃんにゃん」と言わなければ、彼に未来はないも同然だ。
「……っ、にゃ、にゃんにゃん……」
その声は情けないほど震えていた。広場はその瞬間、一瞬だけ静まり返り、すぐに大歓声と爆笑の渦に包まれた。騎士団長として完璧を求められてきた高貴な男が、猫耳だらけの聴衆の前で頭を下げ「にゃんにゃん」と唱える。なんと滑稽な光景だろう。私は思わず笑い声が出そうになったが、ぐっとこらえ、巫女らしく厳かな態度を保つ。
「殿下、もう二度『にゃんにゃん』を。猫神様はまだお聞きになっていません」
「くっ……にゃんにゃん……にゃんにゃん……」
最後まで言わされたアルベールの声は、もはや消え入りそうだった。彼の美しい顔は羞恥と憤怒で真っ赤に染まり、拳を固く握りしめている。だが、それを無視して私は盛大に両手を広げ、宣言した。
「猫神様は、クラウスフォード殿下の真心を受け入れました! もはや殿下は、猫を虐げる悪魔崇拝者ではありません。皆さま、殿下に祝福の拍手を!」
わっと沸き起こる拍手と歓声、そしてお祭り騒ぎのような猫コールに包まれ、アルベールはほとんど地面に伏せるようにして顔を上げなかった。その姿が哀れで、同時に痛快でもある。場の空気に飲まれて勝手に狂騒している群衆は、どこか浮かれているだけ。アルベールにとっては、この瞬間こそが生涯の汚点となるだろう。そう、まさにこれが私の「復讐」だ。
その後、猫神様教団は一時的にさらに勢いを増した。貴族の間でも「猫神様に祈ると良い毛並みの子猫が生まれる」というデマが出回ったり、各家の子どもたちが面白がってねこマスクを被ったりと、大流行になったのだ。だが、一方で国政上の混乱は避けられず、「さすがにやりすぎではないか」と苦言を呈する者も現れ始めた。しかし既に、アルベールが頭を下げて「にゃんにゃん」と三度唱えたという事実は世間に知れ渡り、何とも滑稽な騎士団長殿下というレッテルがついて回るようになっていた。彼のプライドは粉々に砕け散り、その後輩らしき騎士たちがこっそり嘲笑している、という噂すら耳に入ってきた。
私はというと、まだ完全には手を引いていない。猫神様教団なるものを完全に消し去ってしまうのは惜しい気もするが、いつまでも続けていると宮廷から目をつけられる危険もある。ちょうどいい機会なので、ほどほどに勢いを弱めつつ、ほかの面白い企みを準備することにした。どのみち、アルベールへの復讐という最大の目的は果たされたも同然なのだから。
「フェリシア様、これからどうされるのですか?」
侍女が私の傍らで尋ねる。私は猫耳ローブを脱ぎ捨てながら肩をすくめてみせた。
「さあ、どうしましょうか。とりあえず、当分は退屈しなさそうですわね。次はどんな風に楽しませていただこうかしら」
私はそう言って微笑んだ。アルベール・クラウスフォード殿下は、もう二度と私に偉そうな態度を取ることはできないだろう。街中からは「にゃんにゃん殿下」などという新しいあだ名まで生まれているのだから。あれからというもの、アルベールは必要以上に猫を避ける素振りを見せているらしい。街の猫好きたちが近づくと、気まずそうに顔をそむけるとか。もともと猫が好きなはずなのに、それを証明すればあの屈辱的な「にゃんにゃん儀式」を思い出すからだろう。まさに自業自得。彼がどれだけ悔やんでも、既に一度やった事実は取り返しがつかない。
それにしても、我ながらここまで大掛かりな計略を立ててしまったのは初めてだ。やりすぎだと後ろ指をさされるかもしれない。が、私の婚約を踏みにじられた時の屈辱を思えば、これくらい当然の報いだと思う。そもそも彼は騎士団長のくせに、婚約者を平気でないがしろにするのだから、いずれにしろ遅かれ早かれ、どこかでボロが出ていたはず。
あの日、堂々と私との婚約を破棄したアルベールの姿が、もう遠い記憶のようだ。皮肉にも彼は、今や「猫神様に頭を下げにゃんにゃんと鳴く殿下」として、その名を轟かせている。恋人といちゃつく暇すらないだろう。そう考えれば、こんなに痛快なことはない。
こうして、猫神様騒動は一つの終焉を迎えた。私の目的――アルベールに恥をかかせ、私を捨てたことを骨の髄まで後悔させることは、十分に果たせたと言えるだろう。街の人々がしばらく猫神様に浮かれているうちに、私は次なるステージへ進むつもりだ。もともと、婚約破棄をされる以前から優雅に暮らしていたとはいえ、こうやって多少アクティブに動き回るほうが性に合っていると気づいた。人生は、ただ貴族の体面を保つだけでは面白くない。時には、こうしてド派手に物議を醸し出すのも悪くない。
そう、私の名はフェリシア・グランテール。誇り高い伯爵家の令嬢。無造作に捨てられた愛など、私には不要。散々に恥をかかせてやった今となっては、アルベールを思い返すたびに胸がすくような愉悦を感じる。私ははたから見れば少し冷酷に映るかもしれないが、これが私の流儀。今後はさらに面白いことをたくさん企んで、華々しく、そして痛快に日々を生きていくつもりだ。
そろそろ大騒動も下火になりかけてきた頃合いだし、私はゆったりと休暇を楽しもうと考えている。愛しい黒猫のシルヴィを膝に乗せ、のんびり紅茶をすするのだ。私のシルヴィは、今日もじっとりとした瞳でこちらを見上げてくる。本当に愛らしい。もちろん私は、猫を虐げたりなんかしない。シルヴィがいなければ私の復讐計画も閃かなかっただろうし、猫神様の教団などという馬鹿げたものを思いつくこともなかったかもしれない。
「シルヴィ、あなたは本当に可愛いわ。……あの人も、こうして猫を愛し続けてくれていれば、私とこんな結末にならずに済んだのかしら。ふふ、今さら遅いけれど」
思わずそんな独り言をこぼすと、シルヴィはふるふると尻尾を振って気のない様子を見せた。彼女にとっては、人間の恋愛模様などどうでもいいのだろう。猫は自分に素直で、偽らない。だからこそ、猫を利用してデマを流したり、まやかしの教団を作ったりしたのは少し罪悪感がないわけでもない。でも、そんなことは人間社会のごたごただ。猫神様――もし本当にどこかにいるとしたら、私の復讐を笑って見守っているかもしれない。
そして私は再び、日常の優雅な時間を取り戻す。庭園の薔薇が咲き誇る朝、シルヴィの毛を撫でながら紅茶を飲む。ひらひらとしたドレスに身を包み、お気に入りの帽子を被って街に出れば、私に敬意を表する者たちがこぞって挨拶を寄こす。中には「猫神様の巫女様」と恭しく頭を下げる人さえいるのが、また可笑しい。
「……さあ、次はどんな事件を起こしましょうか。ふふ、これはやみつきになりそうですわね」
テラスで猫を愛でながら、小さく笑みを浮かべる。シルヴィは退屈そうに欠伸をしただけ。……そう、私の人生はまだまだ続くのだ。婚約破棄の屈辱から始まったこの騒動は、ひょっとしたらまだ序章に過ぎないのかもしれない。
「それじゃあ、シルヴィ。行きましょうか」
私はそっと立ち上がり、愛猫を抱きかかえる。よく見ると、この子は本当に女神のように美しい顔をしている。まるで、私が作り出した猫神様の仮面のモデルになってくれたかのように。
扉を開けば、廊下の先には私の新しい日々が広がっているだろう。もう振り返らない。婚約破棄なんて取るに足らない過去に過ぎない。この華やかで混沌とした世界の中で、私は私のやり方で輝けばいい。心ゆくまで自由に。そして、時にはちょっとした悪戯心で街を巻き込んで騒動を起こすのも、悪くないものだ。
そう、大切なのは――すべてを楽しむこと。私を踏みにじった愚か者は、しっかりと責任をとる。それこそが、私の美学。そして次に登場するのはどんな可哀想な子猫ちゃんかしら? ああ、楽しみは尽きない。それが私の、新たなる人生の幕開けなのだから。
(完)