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第6話

 「アイザック殿下。ご迷惑をおかけして申し訳ありません」


 壁を向きながらしゃがんで二人は床と壁の掃除をしている。


 割れたカップの破片を麻袋に入れる音が部屋に響く。窓辺には茶色に変色してしまった書類がずらりと吊り下げられている。風が吹けば柔らかな紙がさわさわと鳴る。

 部屋は紅茶のにおいで満たされている。私の心とは真反対の爽やかな香りだ。


「気にすることはないよ。戦友なんだから助け合わないと」


 殿下は眩しいほどの笑顔を私に向ける。私はその笑顔を頼りに同じような笑みを張り付けた。


 なぜここにアイザック殿下がいるのか、数十分遡ることになる。


 執務室の外からどたばたと走る音が聞こえた次の瞬間、執務室の扉が勢いよく開かれた。

 そこには言いを切らしたアイザック殿下が立っていた。そうとう走ったのだろうか、汗を垂らして眉間に皺が寄っている。

 

「ローゼ!」


 息を大きく吸い込んでから、吐くと同時に私の名前を呼んだ。

 

「……アイザック殿下!?どうしてここに?」


 私は驚いて汚れた壁を隠してしまった。隠してもばれることはわかっていたが、咄嗟に隠してしまいたくなった。

 殿下は静かに扉を閉めて私に近寄る。ソファに真っ先に向かわないのがアイザック殿下らしいわ。今日も美しいですわね。その儚い顔を私の所為で歪めてしまって申し訳ないわね。


「どうしてもこうしても、衛兵がローゼの執務室から大声が聞こえてきて、そのあとあの女が部屋から泣きながら出てきたって聞いて心配になって来たんだ」


 私の後ろに隠されているポットと紅茶の染みを見て何かを察したのか、殿下は私の頭を撫でてこう言った。


「来てよかったみたいだ」


 そうして事の顛末をすべて殿下にお話して、今、殿下もマリアンヌの愚行の後始末を手伝ってくれているのだ。


「あの女を出禁にするように言おうか…………」

「いえ、元は陛下がベルにと貸してくださった部屋ですから私が出ていくことにします」


 殿下は黙ってポットの破片を拾い上げている。私といえば床と壁を拭いて汚れが落ちますようにと願っているばかりだ。情けない。


「じゃあ僕の執務室に来ますか?いや、来てください」

「そんなことしたら陛下に怒られますよ」

「別に怒られませんよ。あの人たちは僕に関心がありませんから」


 少し寂しそうに言う殿下を見て私は昔の殿下の境遇を思い出す。

 第二王子として兄を支えるように、兄より目立ってはいけない、兄より良い功績をあげてはいけない。これが腹違いの弟として貴族から向けられる視線であり、同じように陛下も自然にそうあるように追いやった。

 

 そう、アイザック殿下は側室の子どもなのだ。


 そうだったわ。正室であった王妃がベルを出産したときに亡くなったために、まだアイザック殿下は生まれていないけど側室であったアイザック殿下の母が正室に繰り上がったのよね。

 お父様からは王子には変わりないと言われていたけど、他の貴族はなかなかに厳しい目を向けていたっけ。


 アイザックのお母様は家柄は悪くはないけど爵位のない商家の娘、だっけ。それもあって嫌がらせもされてたなぁ……。よく逃げ出してきたアイザック殿下と庭園の城から離れたところで遊んでたっけ。


 アイザック殿下は知らないかもしれないけど、陛下は二人に分け隔てなく愛情を注いでいる。王妃もそうだ。二人のことをよく見ていらっしゃる。ベルに小さな変化があれば何かあったのかとしつこく聞いてくるくらいだ。


「殿下はみんなに愛されてますよ」

「そうですかね。……ローゼは僕を愛してますか?」


 なんて野暮なことをと思って顔をあげればすぐそこに真剣な殿下の顔があり、次の瞬間には視線は床に向いてしまった。

 

「もちろん」


 本当の弟のように大切です、なんて口が裂けても言えない。つい最近まで忘れていたくせにと言われかねないからね!それに私は殿下の顔が好きなのよ。


 殿下はポットを拾う手を止めて床を凝視している。疲れたのかしら。そうよね、普通は殿下がこんなにしゃがんで何かをすることは無いと思うし。


「殿下、疲れちゃいましたか?殿下は先に昼食を……」

「いえ、僕が全部やります。義姉上こそドレスが汚れていますから着替えてきてください」


 あれ、呼び方が。いやそうじゃなくて、殿下に後始末をやらせるなんて無理だわ!

 

「殿下にやらせるわけには」

「なんか急に一人になりたくなったので行ってきてください。行かないと反逆罪で訴えます」


 そんなことを言われたら逆らえず、私は執務室から追い出された。


「どうされたのかしら殿下……。まさか反抗期だったり?」


 着替えて執務室に戻ってこれたのはそれから三十分経った頃だった。


 少し遅くなりすぎましたけど、確かにあんなに汚れていたら私はよくても殿下の面子をつぶしかねませんものね。着替える時間をもらえてよかったわ。


 私が執務室の扉をノックすれば殿下がいつもと変わらぬ笑顔で出てきた。その体にはほんのり紅茶の香りが残っている。


 いい香りですわ。紅茶のにおいはまだ残っているようですけど、一瞬見たところ床も壁も綺麗になっていた。さすが殿下ですわ。

 

「綺麗にして下さりありがとうございます、殿下」


 私は殿下に頭を下げた。

 殿下は私の肩に手を置いて私を部屋から遠ざけるように引っ張った。されるがままにしていると、殿下は私の肩から手を離した。

 

「陛下に僕から言っておきます。ローゼは何も気にしないでください。さ、お昼食べに行きましょう」


 ふふふ、殿下との昼食ですわ。何が出てくるのか楽しみですわ。


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