第18話
一同何が起こったか把握できていなかった。ものすごい速さでアイザック殿下はベルが剣を持つ手掴み、片手でひっくり返したのだ。
アイザック殿下は組み敷いたベルを見下ろしてから審判を黙って見る。審判の表情はぽかんとして二人を唖然として見ていたが、アイザック殿下の冷めきった目に気づき手持無沙汰だった手を上から振り下ろした。
「……やめ!」
アイザック殿下は大きく息を吸う。口から何かを吐き出すのではと思うほど肺を膨らませてから、長く息を吐いた。まるで気持ちを落ち着かせるように。
剣を鞘に仕舞う。
「兄上、指輪を外してもらおうか」
アイザック殿下はベルの上から離れた。
ベルは空しく地面を固く握った拳で叩いた。それを見るアイザック殿下の瞳は寒空のようだ。
「……わかった」
納得のいっていないような返事が飛んできた。
戦いでの汗なのか、上に立つアイザック殿下の圧からの冷や汗なのか、だらだらと額に汗をかいている。
ベルがこちらを見ながら何かを唱えた。そうすると禍々しく黒いオーラを纏っていた指輪は、パキッと割れて地面に二つとなって落ちた。
「外れた……」
「家宝が壊れちゃったわ」
家宝?男爵家から持ち出した家宝だって言うの?エミリーの家は複雑なのは知っていたがとんでもな女を生み出した怪物一家ね。
というか、マリアンヌはベル、いやニアンベル殿下の心配をしなくてもいいのかしら。
「結婚相手のニアンベル殿下の心配はいいの?」
「聖女なので慰め方はわかってますわ」
マリアンヌは髪を手で払った。
「解決策を示す、でしたっけ?だったら逆プロポーズでもして差し上げたら?」
「それは嫌ですぅ」
マリアンヌは潤沢な唇を尖がらせながらそう言い、観客席から去っていった。
マリアンヌからプロポーズされたらベルは泣いて喜びそうなのに。ニアンベル、私はあなたがいなくてもアイザック殿下がいるってことがはっきりしましたし。
私は一人でポツンと観客席に座っている。
「私も行った方がいいのかしら」
私が闘技場の中心を見れば、傷のない綺麗な顔がこちらを向いている。
「行った方がよさそうね」
私はドレスの裾を持ち上げて階段を急いで降りる。敬遠していた闘技場は好きな殿方がいるってだけでなんだかわくわくしますわ。
私は薄暗い通路から明るい出口へと飛び出す。
「――アイザック殿下」
そう声をかけるとアイザック殿下はニコリと微笑んだ。
「ローゼ、ありがとう」
アイザック殿下はギュッと私を抱きしめた。
ドキッと跳ねる胸をバレない様に隠そうとしても強く抱きしめられては隠すこともできない。
「あったかい」
殿下の背に手を回すと服の上からじんわりと体温が伝わってくる。
「動いたからね」
「もう危ないことをしないでください」
殿下は私の頭を撫でた。何度も髪を整えるかのように優しい手つきで撫でる。
「考えておきますね」
私は顔をあげてアイザック殿下をキッと睨んだ。
「もうしません。ローゼのことを考えたら体が勝手に」
眉尻を下げて瞳をウルウルさせながら私を見つめる。
「そんな子犬みたいな顔してもだめです!」
「本当にもうしませんよ」
「はぁ、殿下に何もなくてよかった」
私は強く殿下を抱きしめた。
心底安心した。図体がベルよりも大きいアイザック殿下が勝つとは思っていたけれど、真毅なりにも王子として剣術は習っているし手の内も知っているだろうから姑息な真似をする可能性もあった。
よかった、傷つかなくて。
私とアイザック殿下が光輝いた。
不思議とその光は眩しくなく、ほんのり甘く優しさに溢れた光だと感じることができる。
「ローゼ、これは……光魔法?いつから……」
殿下は目を輝かせてあふれる光を見つめる。
そうだったわ、隠していたことと言うことがいっぱいあるんだったわ。
「前みたいにガゼボでお話ししてもいいですか?」
「えぇ、ゆっくり聞かせてください」
殿下は私の頬を摩る。
私は殿下のかさつく手のひらにハッとする。さっきまで戦っていたんですものね!すぐにというわけにはいきませんわ!
「その前に休むべきですわね!」
「いや、ローゼの力のおかげで体が回復したみたいだし大丈夫だよ」
光魔法って傷を癒したりするだけじゃないのね。
***
ニアンベルは闘技場をあとにしてマリアンヌと自室に帰っていた。
ベッドに二人座っている。ニアンベルは項垂れ、マリアンヌはそれを見て慈愛の目を向けている。
「俺が負けた……それに、ローゼにはアイザックが……」
「ベル、ベルがどんな風になっても離れないよ」
頭を抱えて怨恨にとらわれているのニアンベルの肩に寄りかかりマリアンヌはそう励ます。
マリアンヌは次に何を言おうかと空を仰ぎ考える。
(そういえば近々建国記念日のパーティーがあるわ。そこでベルに終わらせてもらいたいな)
マリアンヌは早くこの牢獄のような城から、閉鎖的な貴族社会から抜け出したくてたまらなかった。
ベルのことを愛しているのは間違いないが、ベルの地位には心底興味がない。むしろその地位が邪魔で仕方がなかったくらいだ。王子であるベルを貴族社会からどうやって離れさせるか試行錯誤の末に、ベルがマリアンヌを愛し、イルローゼを虐めて、世間にベルが国王にふさわしくないと思わせることは簡単だった。
(指輪の効力がどれだけ強いかわからないけど、ベルが処刑されることはないわ。最悪、辺境へ飛ばされるくらいでしょうね。……イルローゼにまだ気があったりはしないわよね)
「あんな目に合わせるイルローゼ様なんてこちらから願い下げではありませんか?」
「……あぁ、マリアは俺を立ててくれる。ローゼもそうであるべきだったんだ……。イルローゼと婚約破棄してマリアと結婚する。どうせ、イルローゼもそれを願ってるんだろうし」