表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

短編

飼育員のオッサン、魔物に拐われて画家になる

作者: マルジン

束になった画用紙をパラパラめくると、これまでの足跡が、かすかによぎる。


休日に描いた旧世代の列車。

風邪で養生していた日に描いた冬の終わり。

仲直りをした日に描いた妻の姿。

幼き頃に描いた生家と父。


拙い絵だ。

だからこそ、ここ最近は静物画ばかりに時間を割いていたのだが、上達を目指すほど、技術ばかりに気を取られ、描くことに没頭できていない。

そんな自分に気づいたのは、昨日のこと。

小さい頃から絵を描き続けてきたというのに、この年になって気づくとは。我ながら恥ずかしい。


技術力向上のため、花瓶と果物の配置をあえて小難しくしてみるのが常であったが、今日は窓の外を描くことにした。


窓越しに流れる風景は、刻一刻と過ぎていく。どの一場面を切り抜くか悩ましくて、ついついボーっとしてしまう。


色の抜けた葉を秋風がさらう。

他愛もない風景なのに、身につまされる。

齢50にもなり独り身。かつての結婚生活に突然終止符を打った元妻は、後日便りを寄越しこう言っていた。


つまらなかった――。


人の価観というのは難しい。

はじけた人生を望む人にはつまらなくても、慎ましく堅実な人生を望む私には大変心地よい生活だった。


高望みせず、身の丈に合った野望を持ち、ひたすらに勤勉であり続けて、ゆっくりと静かな時間を誰かと過ごす。


時たま旅行にでも行って、酒を飲み、若かりし日の失敗を笑い、若かりし日の夢を語り、結局今が幸せであると言いながら、わずかに残った酒をあおって机に突っ伏す。


そんな日々はただの空想でしかなく、あえなく一人となってしまった。


さらさらと風に乗る木の葉を描き、寂しくなった枝と幹、根を張る地面と帰路を急ぐ青年たち。

夕暮れ時、初秋来たりてうすら寒い部屋の中、一人細々と描き出したスケッチは、悪くない出来だった。



翌日、朝日が昇る前に起きたら、口をすすいで、洗顔とヒゲ剃りを済ませる。


朝食は決まって、焼いたパンだ。

パンを焼くのは、独身時代からずっと使い続けている年代物の魔道具。

魔力を流すとパンを両面から焼いてくれる、小さな竈のようなものだ。


新しいものに買い替えたほうが、魔力効率だとか焼き上がりが良くなるのだろうが、コイツにしか出せない焼き色というものがある()()()


そうやって過分な期待をしていたら、最近は、竈から出てくるパンが黒くなることが多くなった。


やはり買い替え時なのかもしれない。


バターを塗って、苦いパンを頬張った後は、よれたスーツに袖を通し身支度を整えて、スケッチに向かい合う。


輪郭を濃く太くして綺麗な下絵に整えるのだが、この作業は数日に渡ることが多い。

妙に凝ってしまう性格と、技術向上の意識が災いして、微調整ばかりを繰り返すから作業が長引く。


けれど今回のスケッチは、風景の一部分を切り取ったもので、今から窓の外を覗いてみても、同じ風景は流れていない。

比較すべき対象は我が脳みそに収められた、完成した絵だけなのだ。


その絵に向かって鉛筆を動かすと、なんと不思議な事か、下絵が完成した。


懐かしい感覚だ。


幼き頃にも、似たような事があった。

何も考えず、頭の中の空想をひたすらに描くと、驚くほど早く、見惚れてしまう絵が出来上がった。


万能感に満たされた私は、才能があると勘違いしてしまった。

幸いにも画材はたんまりとあったから、毎日絵を描き続け、寝食を忘れて色を付け、狂ったように画用紙を並べた。


見かねた父は、私を部屋から引きずり出し、せめて飯を食えと言ったと思う。


絵に取り憑かれてた私は、自分の有り様も不確かなほど、絵以外のことを考えられなかった。


そしてなにをとち狂ったのか、画家になる!と宣言した。


私の言葉を聞いた父は、呆れ顔から怒りに顔を歪め、腰からベルトを引き抜いて、私の頬を張り飛ばした。

私をこっぴどく叩きながら、画家をクソミソに罵っていたと記憶している。


あんなものは娼婦と変わらん。

堕落した人間のお遊びだ。

目指すべき人間ではない。

労働を忘れた人間は獣だ。


画家といえばパトロンに媚を打って、画家といえば女遊びが激しくて、画家といえば薬に走りがちで、画家という名称は職業ではなく、見下すべき落ちぶれた人間の階級である。


おおよそ、そんなことを言いたかったのだろう。


当時はちんぷんかんぷんであったが、今となれば父の憂いと狂気的な躾の意味が分かる。


晩年、父は言っていた。

好きなように絵を描かせたのは、お前の笑顔を見たかったからだと。


父は私に甘かった。母が亡くなり、私をとびきり甘やかしていた。

私の絵を褒めてくれたのも、父だった。


だからこそ、父は驚き慌ててしまった。

画家を目指すと息子が言い出すものだから、厳しく矯正してやらねばと、断腸の思いでベルトを引き抜いたのだ。

泣きながら謝る父の姿を見たのは、後にも先にもあの病室だけであった。


「ふっ」


この年になって、衰えばかりが目立つ日々だが、良き感覚を再び体に感じて、さらには懐かしい思い出まで蘇ったのだから、今日はいい日になりそうだと予感した。


しかしその予感は、黒く塗りつぶされる。


ほくそ笑みながら見やった時計は、いつもの出勤時間を超えていたのだ。


慌てて鞄を掴み、家から飛び出した。

職場は家から二駅先にある。

最寄りの駅、馴染みの駅員に会釈をして、列車に飛び乗った。


荒い息を整え、くすんだ腕時計に視線を落とす。

この分ならば、間に合いそうだ。

安堵したのも束の間だった。ゾッとした私は、とある記憶を掘り起こそうと苦悶した。


毎朝の習慣だから、きっと今日も行ったはずである。

50年も生きていれば遅刻の一つや二つしたことがある。そんな日にも似た不安に襲われて悶々としたけれど、帰ってみれば思わず失笑を漏らしたものだ。


心配のしすぎだと思う。

どうせ家の中には、ガラクタしかない。


……私は戸締まりをしただろうか。


価値のないものばかりだから、泥棒も盗みはしないだろうけれど、いやどうだろう。

手ぶらで帰る泥棒がこの世にいるのか。

せっかく盗みに入ったのだから、一つや二つぐらい持って出てくだろう。


お金は銀行に預けてある。

通帳を見つけても、私の魔力がなければ引き出すのは不可能。

だからお金は、心配してない。


とにかくガラクタたちが心配で仕方ない。

特にあの下絵が心配であった。


「間もなく第三庁舎前、第三庁舎前。お出口は右側です」


アナウンスが流れて数秒後には列車が止まった。

長年の慣習は恐ろしいもので、私の意思とは関係なく自動扉に吸い込まれ、駅のホームに立ち尽くす。


そんな時間はないと分かっていても、なんとなく腕時計を見て、ため息をつく。


最初からそうしていればいいのに、私はトボトボ歩きだした。


どうにもあの下絵が気になって仕方ない。

久々に気分を高揚させた下絵が、未完成のまま奪われてしまうのでは?

そう思うと気もそぞろで、いつもと違う職場の雰囲気に気付けなかった。


「フォーヴィー」


私専用の小屋に入り、鞄を所定の位置に置くと、入口から声が掛かった。


「か、課長?」


振り返ってみると、私よりも若々しい課長の姿があった。

まずもって、驚いた。

私しかいないこの職場に、人がいることもそうだが、課長が入口を塞ぐように立っていることにも驚く。


8年間働いてきたが、課長がここに来たのは今日が2回目で、存在そのものが異様であった。


口を開けて固まっていると、課長は目を瞬き失笑した。


「厩舎前にいたんだが、見えなかったか」


第三庁舎の門扉を抜けて、すぐに右折すると私の職場に辿り着く。

均された道を行けば、大きな厩舎が見えてくる。

その厩舎よりも手前に小屋があるから、厩舎前に人がいれば必ず気づくはずなのに……。


「すみません」


私が頭を下げると、課長は反応に困ったようで、笑顔で取り繕った。

それから何事もなかったように切り出す。


「突然で悪いが、明日から地域振興課に転属になる。バーバトン公爵様からのお達しだ」


「……明日ですか?」


「ああ」


この課に来る前も、突然だった。

前任者が博打で借金を作り、夜逃げをしたとかで、人を探していたところ、ちょうど独身になった私が身軽に見えたらしく、この課にあてがわれた。


引き継ぎ業務は課長が行ってくれたが、課長も詳しいことは知らないという杜撰さで、何も知らない私が冬空の下放り出されたのを覚えている。


あまりにも酷いと課長に抗議をしたが、バーバトン公爵家からと言われては、追求してやるのも可哀想に思えて、かれこれ8年間、手探りの中仕事をしてきた。


そんな思いをするのは、私だけでいい。


「引き継ぎをするので、もう少し時間をもらえませんか。せめて1週間でいいですから」


すると課長は、口を曲げて難しい顔をした。

不穏な空気を感じ取った私は、提案をぞんざいに捨てられる前に言葉を繋げた。


「魔物を相手にするのですから、それぐらいはさせてください。事故防止のためにもお願いします」


急ぎ業務の引き継ぎをしなければならないのだから、本来なら私が頭を下げてもらう立場だろう。

けれど、そこを突いて揉める気はさらさらない。


後任者が安全に業務を遂行できればいいのだ。


すると課長の言葉が返ってきた。

それはあまりにも酷なもので、私は呆然としてしまった。

去り際に「すまんな」と言っていたが、私自身、何に怒っているのか分からないのだから、課長の言葉が誰に向けられての謝罪なのか理解に苦しんだ。


◇◇◇


厩舎に入ると、5つの区画があって、それぞれの格子の向こうには、8年もの歳月を共にした魔物たちがいる。


体は馬のようで、顔と翼は獰猛な猛禽類のような。

ヒポグリフという魔物は、一見すると恐ろしい。

飼育課に転属して初日は、あまりにも恐ろしいので餌をあげられなかった。近づいたら格子をぶち破って襲われるのではと。


しかし彼らは、頭が良い。


私の怯えや不安を察してか、翌日からはあまり目を合わせないようにしてくれた。

ヤギ肉を持って厩舎に入ると、ギロリと手元を睨まれたが、暴れたりはせずに伏せたまま動かなかった。


餌をもらうために欲を抑え、私を導いたのだ。


たった2日にして、魔物のイメージを転換することになった。


彼らの知性を知った私は、3日目には観察するようになった。

日誌には事細かにヒポグリフの特徴を書き記し、図解して詳述することもしばしば。


それから1週間経った頃、ようやく飼育課本来の仕事を思い出した。


飼育課発足の経緯は至極単純で、頻発する魔物被害対策の一環である。バーバトン公爵家の肝いりで、魔物の生態研究と家畜化を目的としており、私はヒポグリフ担当の飼育員。


生態研究や家畜化については専門家が行うから、私がすべきことはヒポグリフたちの日々を観察し、世話をすること。


つまり、世話をしながらヒポグリフたちの状態をつぶさに把握し、専門家たちが研究を行えるよう整えればいいわけで、1週間と少ししてようやく、専門家たちを呼び寄せることになった。


だが上手くはいかなかった。


生態研究という名の反応調査では、人間側に怪我人が出て危うく死者まで出そうになった。

研究員を名乗る学者が引き連れて来た冒険者が、ヒポグリフを攻撃するのだから、当然と言えば当然である。


幸いにも私は小屋にいたから無傷で済んだが、現場に居合わせた研究員たちは二度とこの厩舎に来ることはなかった。


家畜化にしても、ヒポグリフたちを上手く交配させることができず、運良く一頭のメスが妊娠したこともあったが、子供は生まれ落ちてすぐに息を引き取った。


現場にいた私は、衝撃を受けた。


子供が亡くなったことも、もちろん悲しいが、それ以上に母親であるヒポグリフが取り乱していたことが、未だに忘れられない。


何日も餌を食べず、やせ細っていく母ヒポグリフの姿を見るのは辛かった。

頭の良いヒポグリフたちは、仲間の心境に共鳴してしまったのか、暴れたり、餌を私に突き返したりした。


どんどん弱る母ヒポグリフと、他のヒポグリフたちの惨状に耐えきれず、意を決して檻の中に入ったあの日は、膝が震えて冷や汗が止まらなかった。


弱っていると言えど、私よりも遥かに大きく力強い魔物である。

しかも何日間も餌を食べていないのだ。


けれど私は、餌を手ずから与えることにした。

鋭いはずの目には光がなく、うなだれる彼女は私を見ようともしなかった。


好物のホーンラビットの肉を鼻に近づけても反応をみせない彼女に、私は何を思ったのか嘴に手をかけた。


彼女の態度に腹が立ったのか、反応すらしない衰えが不安だったのか、死期を垣間見て焦ったのか。今でも分からないが、彼女の口を無理矢理開けて、ホーンラビットの肉を喉に押し込んだ。


すると反射的に嘴が閉じて、私も反射的に腕を引き抜いた。そのせいで私のスーツは、肩口からすっぱりと破けてしまったし、腕の皮膚も少しだけ削り取られた。


じわりと血が滲んで、指先を伝っていくのを感じたけれど、それよりも頬を伝う涙のほうが熱かった。


彼女はホーンラビットの肉を飲み込んだのだ。

それから私の手元を睨みつけ、ゆっくりと顔を近づけてきた時は、恐れなど忘れて、心底喜んだものだ。


8年は長く、独り身だった私には、忘れがたき思い出である。


毎日顔を合わせれば、心は通ってしまうし、情だって湧いてしまう。

いずれ来たる日に備え、私は名前をつけなかったけれど、どうやら効果はなかった。


「お前たちは明日……処分される」


厩舎の真ん中で、ヒポグリフたちに宣言した。


「金がないから、飼育課の事業は一旦凍結だそうだ。再開はいつになるのか分からない」


この8年、魔物被害に対してバーバトン公爵家は、飼育課に限らず、あらゆる手を尽くしてきた。


例えば報酬制度だ。


冒険者という未開拓地調査のエキスパートは、こと魔物に対して豊富な知見と技術を有している。

そんな彼らが、魔物討伐に参加するよう呼び水として、公爵家直々に報酬制度創設を広く宣言した。


飼育課が長期的な魔物対策だとすれば、冒険者への報奨制度は短期的な対策だと言える。


資金豊富な公爵家だからこそ、飼育課と報酬制度を両立できていたのだが、ここにきて不況が襲う。


公爵家とて大きな流れには抗えなかったのだろう。


魔物被害への目先の対応策だけを残して、飼育課を一旦閉鎖することになった。


ヒポグリフたちがただの馬ならば、よそに売ったり、どこぞの牧場に引き取ってもらうこともできたが、魔物を引き取る奇特な者はなかなかいない。


さらに言えば、家畜化できていれば、話が変わったかもしれない。


ホーンラビット、コボルト、ゴブリンなんかは家畜化に成功しているから、このまま公爵家が引き取るとのことだ。


「きっと食われるんだろうな」


家畜化できず、私にしか懐かないコイツらは、処分される。

殺したあとは、細切れにして売り捌くのか、それとも配って回るのか、庁舎の者たちで美味しく頂くのか。


さて見当もつかない。


「何もかも、突然だな」


8年――。


長いようで短いような、途方もない時間だ。


夜中に呼び出されて、ヒポグリフがうるさいと苦情が来てるから、なんとかしろと言われた。独り身だったからだろう。


出産の日も夜中だった。


落雷に怯えたヒポグリフが、格子を蹴破り逃げ出したのも夜中で、逃げ出さないように格子を強化するまで、泊まり込みだった。


つきっきりの看病で泊まり込みもザラにあったし、珍しく大雪になった日は、寒さに震える中、雪かきをしたり、厩舎の温度を整えた。


「私は、どうしたらいいんだ……」


彼らが、明日にはいなくなるなんて、未だに現実味がない。

こうして目の前に佇む彼らが、思い出と共に消え去るなんて。


「ピィピィ」


虚空を眺めていると、とあるヒポグリフが鳴いた。


ふっくらとした顔つきのヒポグリフ。かつて子を失った彼女だ。


格子から嘴を突き出して、上下に顔を揺らしている。


「なんだい?」


格子の前に立つと、彼女の目は柔らかく私を捉えていた。


「撫でろってことかい?」


今までに見たことのない表情であった。

意図を探るように、嘴に触れて撫でてみると、彼女は目を細めて、翼を広げた。

壁に張り付く翼を震わせて、前足をひたすらに掻いて。

まるで飛び立つ前の助走でもしているようだ。


8年間働いてきたが、こんな行動を見せられたのは初めてのこと。


たぶん、私の表情から察したのだろう。


自分たちの身に何かが起きることを。


「逃げたいのか?」


「ピィピィ」


「……すまない。他の人に迷惑はかけられない」


彼らと、ある程度意思疎通できるからといって、何者かまで忘れたわけではない。


彼らは魔物だ。


人すら食らう魔物で、危険な生物である。


人間に害をなす魔物の中にはヒポグリフも含まれており、数名の人間も惨殺されている。


この格子戸を開け放ち、野に帰せば、どこかで人間を殺めてしまうかもしれない。


その責任は、私にとって重すぎる。


「今日は、お腹いっぱいになるまで、食べさせてやるからな」


だから、最後ぐらいは喜ばせてやりたいと思う。


ひとりよがりだ。


老いぼれた飼育員の。


◇◇◇


「……」


腕時計に視線を落とす。

退勤の時間から、1時間も過ぎていた。


晩ごはんは与えたし、厩舎の掃除もした。

ヒポグリフたちは眠るだけ、私は帰るだけ。


これ以上してやれることはない。

かといって、帰ってすべきこともない。


私は厩舎の真ん中に座り、ウトウトする彼らがちゃんと眠るまで見届けたあと、鞄を抱えて第三庁舎前駅へと向かった。


列車に乗り込んだ私は、どうしてここにいるのだと、自分に尋ねた。


彼らを助ける方法は、いくつかあった。

私の人生や命やお金をかければ、あるいは、助けられる。


実行できなくとも、涙の一つぐらい流してやれる。

明日の朝まで一緒に過ごすことだってできたのに。


私は、冷酷で温情の欠片もない人間なのだろうか。


今思えば、妻が出ていった時にも泣きはしなかった。

父にベルトでぶたれたときも、顔は腫れたが、へっちゃらだった。

課長から、ヒポグリフの処分宣告を受けた時だって、軽い抵抗をしただけで、縋り付くような真似はしなかった。


思い出せる涙は、ヒポグリフの子供が亡くなった時ぐらいか。


いや、違った。


子を失い憔悴したヒポグリフが、肉を頬張り、物欲しそうに、残りの肉を睨んだ時だ。


あれは……。


白黒の生命が色づいた瞬間だった。


漫然と惰性のままに生きてきた私には、あまりにも尊く輝いていた。


あの時私は、感動したのだと思う。


生きる原動力を、まざまざと見せつけられて。

生きようとする姿を見せつけられて。


私は将来にばかり目を向けてきた。

妻のため、老いる自分のため、もしかしたらできる子どものためにと、ふんわりとした何かを見据えてきた。


真面目にひたむきに丁寧に生きてきた。

己の欲が、まるでないように振る舞ってきた。


けれどどうだろう。


なにもかも突然に、私の元から去っていく。


妻はどこかへ。

ヒポグリフたちも、死んでしまう。


小さい頃に夢見た画家もそうだ。


大好きな父を怒らせてしまった反省として、夢は諦めた。

趣味として、未だに描き続けてはいるが。


齢50となり、残りの人生は短く、私のそばには誰もいない。

一人さみしく朽ち果てるのは、あまりにもやるせない。


思えば、ヒポグリフたちとの出会いは、運命的だった。

妻が去ってすぐ、彼らに出会い多くを経験させてもらった。

初めてばかりで、不安も大きく、緊張の連続で、死がよぎったことも数え切れないけれど、その時にだけ湧き出すヒリヒリした感覚を楽しんでいたのも事実だ。


この8年間は、つまらないと言われた私の人生においては、大変刺激的だった。


かけがえのない人生の一部を、みすみす殺させてやるのか私は。



他人に危害を加える可能性は捨てきれないけれど、誰もヒポグリフの味方をしてやらないのは、不公平だ。


8年間もそばにいた私ぐらい、味方をしてやりたい。


助けてやりたい。


公爵家の所有物であるヒポグリフを逃がせば、良くて罰金、悪ければ禁固刑、気分次第で首が飛ぶ。

逃がしたヒポグリフが人に危害を加えたら、私の立場はなくなるだろう。


でも構わない。


70歳で長命と言われる世界で、平凡な私はあと10年ぐらいしか生きられないだろうから。

ヒポグリフを逃がした後は、どこかの犯罪者のように、派手な逃避行を繰り広げて、散財してみたい。


金だけ残して牢屋に入り死ぬなんて、そんなのは嫌だ。


どうせなら豪遊しまくってる最中に、なだれ込んでくる騎士たちに捕まるぐらいしてみたい。


翌日の新聞の一面を飾ってみたい。


慣れない妄想をしていると、最寄り駅についた。

すぐに列車から降りて家へと駆けた。


いつものように鍵を取り出して、いつものようにノブを回して、いつものように扉が開く、はずだったのだが。


ガンッ――。


扉は閉まったままだった。


そういえばと、朝の列車が思い出される。

戸締まりが心配であったが、やはり忘れていたようだ。


私は鍵を差し込んで、今度こそ扉を開けた。


「……はあ?」


間の抜けた声を漏らしながら、我が家に足を踏み入れた。


そこに見慣れた景色はなくて、乱痴気騒ぎでもしたかのような荒れようだった。


「通帳!」


ハッとして、ベッドの下に潜り込み、仰向けになる。


「良かった」


ベッドの下に貼り付く通帳を引っ剥がした。


這い出てすぐ、踏み場のない部屋を歩き回った。

平常の私なら、この景色に絶望していたかもしれないが、私にはもう守るものがない。


どれだけ荒らされようが、何を持ち去られようが……。


辺りを見回していた私は、盗まれそうな金目のものばかりに気を取られ、この部屋にあるはずの大切なガラクタが、根こそぎなくなっていることに気づいた。


今日の朝に仕上げた下絵に始まり、これまで私が描いてきた絵が尽く持ち去られていたのだ。


「……いや、きっとこの下に」


突然冷たくなった指先を、折り重なる書類の束に突っ込んで、かき分けた。


本やテーブル、戸棚やベッドをひっくり返したりもした。

キッチンの戸棚も、鍋の中も確かめた。


絵が、ない。


どこにもない。


「……バカだな。ハハハ」


絵を奪われ、なぜか笑いが込み上げた。


頬を伝う涙に首をかしげながらも、笑いが止まらなかった。


「絵だけを持っていくなんて、変わった奴だ」


幼少期からこれまでを描き続けた、私の思い出が消えた喪失感は計り知れない。

その分怒りも湧いてくるのだが、我先にと喜びが顔を出す。


盗っ人に入られて笑う私は、少しばかり狂ってしまったのかもしれないが、嬉しいものは嬉しいのだ。


盗んでいくということは、価値があると思った、何よりの証拠だろう。

盗っ人は私の絵に、価値を見出したのだ。


たしかに父は、私の絵を褒めてくれたけれど、私の笑顔を見たかったからという不純があった。

元妻なんて、興味すら示さなかった。


私の絵を、純粋に評価してくれたのは、盗っ人だけだ。


「ハハハ!」


寂しいが、嬉しい。

子供が成長して独り立ちするような感覚だろうか。

まだ経験したことはないし、これから経験することもないだろうが。


「ハハハ。ハッハハハ」


涙を拭いながら、腹を抱えていた私は、窓から漏れ聞こえる喧騒に気づいた。


「魔物だッ!逃げろ!」

「騎士を呼べ!」

「冒険者を呼べ!」


窓の外から轟くのは、近隣住人たちの怒号だった。


「ピィィッ!」


続けざまに響いたのは、ヒポグリフの咆哮だ。


私の住む町は、バーバトン公爵領の中心部で、魔物被害が多発している外縁部からかなりの距離がある。

こんな所にまで、ヒポグリフがやって来るとは……。


「ピィィィィ!」

「ピィィッ!」

「ピィピィ!」


羽ばたきの中に混じる鳴き声には、かすかな違いがあるように思える。

3頭、いや5頭。

ヒポグリフたちは群れをなして、ここまでやって来たのか。


「……それはないだろう」


それは、まずあり得ないのだ。


魔物の被害が多発してるからこそ、魔物が頻繁に出現する地域の守りは固く、見張りも設備も人員も万全の状態を保っている。


だから、公爵領の外縁から中心部まで飛来するのは、至難の業。

さらに言えば、飛翔先の町へと警告を発して、騎士や冒険者を予め動員するはず。


突然ヒポグリフが現れるなんて、あり得ない。


「……そんな、まさか」


窓に映るのは、月夜を駆けるように飛び回るヒポグリフがたちだった。


「なんで、どうやって」


あれは、どこぞのヒポグリフではない。


私だからこそ分かる。


8年を共にした、ヒポグリフたちだから。


私は窓を開け放ち、首を突き出した。

騎士団の詰め所がある方向へ首をひねると、ゆらゆらと赤い光が列をなして、移動しているのが見えた。


5分以内に、ヒポグリフたちとの接触するであろう距離。

その後には、応援の冒険者たちが集まる。


確実に殺される。


騎士団と冒険者の威信をかけて、町中に現れた魔物を討伐するだろう。


「逃げろぉぉッ!」


これでは届かない。

窓から半身を投げ出して、再びヒポグリフたちへ叫んだ。


「逃げろ!殺されるぞ!」


ようやく声が届いたのか、彼らの顔がこちらに向けられた。


身振りに合わせて、私はまた叫んだ。


向こうへ行けと、騎士団たちの灯りと逆方向を示したら、ヒポグリフたちは急降下をはじめた。


しかも、まっすぐに私のもとへ飛んでくるではないか。


「こっちじゃない!」


必死に叫ぶも、彼らは意に介さず。

バサリバサリと滞空しながら、1頭のヒポグリフが顔を近づけてきた。


ひと目見て、あの母ヒポグリフであると分かった。


「早く逃げろ、殺されるぞ!」


「ピィピィ」


彼女は顔を上下に揺らして、ちょんちょんと私をつつくばかりで、一向に動く気配がない。


彼女の意を汲み取りたいが、なんせ飛んでいるのを見るのは初めてで、こんな暴挙に出たのも初めてだ。


「殺される!逃げろ!どこかへ行け!」


大仰な身振りで指示をしてみるが、彼女は顔を上下させるだけ。

辺りに目を向ければ、住人たちが遠巻きにヒポグリフと私を見つめており、騎士たちの灯りが迫っている。


こうなったら……。


私はさらに身を乗り出して、ヒポグリフの嘴を引っ叩いた。


「行け!逃げろ!」


騎士とは真逆を指差して、片手を振りかざすと、彼女はビクリと顔を遠ざけた。


なんと後味の悪いことか。

手も心も痛む。


「行けッ!」


語気を強め、喉を潰す勢いで叫んだ。

さすがに、私が怒っていることは伝わったらしい。


初めて見た私の怒りに気圧されたのか、彼女は首を縮こめたまま固まっていた。


だが次の瞬間には、あの獰猛な眼光が私に向けられた。


彼女たちは、言わずもがな魔物である。

その辺の家畜とは違って、人を襲い食らうような、危険な生物だ。


攻撃をしたならば、相応の報いが返される。


努めて毅然とした態度を取っていたが、彼女が動きを見せた刹那、恐怖で硬直してしまう。


ぐんと迫る嘴。

冷たい風が頬を切り、小さく開いた嘴がカチンと閉じた。


「うぉぉっ、な、なにを」


私は後ろ襟を咥えられて、窓から引きずり出された。


ぶらんと揺れる足に意識を向ければ、遠くにある地面が映り、離れた場所から響く住人たちの絶叫と怒号が、私の不安を加速させる。


「は、離してぇおおおおわぁぁっ!」


彼女に命令しようとした途端、ぐいっと襟が引き上げられて、世界が回った。

輝く月、軽くなった内臓。

ヒポグリフの背中と翼と、それから暗い地面が見えたと思えば、またぐるりと回って、絨毯のような暖かく柔らかい感触に、腹から叩きつけられた。


「ピィィィィ!」


荒波に浮かぶ小舟のような揺れようで、はたと顔を上げると、目の前には大きな翼があった。

そして、小麦色のふかふかな羽毛がくるりと振り返り、上下に顔を振っている。


「人が拐われたぞ!撃ち落とせ!」


ハッとして振り返る。

ぐんぐん高度が上がり、その正体もおぼろげになるが、どうやら騎士団が到着したらしい。


ヒュンッ――。


下から飛んでくる魔法は、尽く外れた。

こちらは無灯火、一方で騎士たちは灯りを焚いているから、どちらに分があるかは明白だ。


「……真っすぐだ!」


私は騎士から遠ざかるように、進行方向を指さした。

ヒポグリフたちは、私の身振りを一瞥すると「ピィピィ」と鳴いて、強く羽ばたいた。


冷たい風にさらされる私は、ヒポグリフの背に乗り、視界いっぱいに広がる月夜の海を謳歌していた。

我が物顔で泳ぐヒポグリフたちは、これまでの鬱憤を晴らすかのように翼を広げている。


「どうして私のところへ来たんだい?」


「ピィピィ」


「逃げた先でも飼育員が必要だって?なるほどな。やはりお前たちは頭が良いな」


「ピィピィ!」


「まずは、住むところを探そう。少なくとも国外が望ましい。ヒポグリフの厩舎つき物件を売りに出してる国……あてはあるかい?」


「ピィピィ」


「だろうな。私も聞いたことがない。ああそうだ!国境を越えたところに山があるんだ。そこに小屋を建てるのはどうだろうか。せっかく厩舎から出たんだから、自由に山を駆け回って、空を飛びたいだろう?」


「ピィピィ」


「よし決まりだ。まずは山へ。それから私は、麓の町で交渉をして、山小屋を建ててもらい、食料もどうにか山まで運んでもらえるよう手配しなければな」


「ピィピィ!」


「……それから、そうだなあ」


「ピィ」


「絵を売ってみようと思う」


「ピィ!」


「まあ道楽みたいなものさ」


「ピィピィ!」


「それから、もっと意思疎通できるようになりたいな。なにを言っているのかさっぱりだ。まあお互い様だな」


「ピィ!」


◇◇◇


ヒポグリフ脱走事件から数年後。


バーバトン公爵家の執務室にて、書類に視線を落とす行政長官は、難しい顔をしていた。


「……再開するのですか」


その書類には【飼育課再開に係る単年度予算詳細】との題が添えられ、大きな数字が所狭しと並んでいた。


「魔物への対策は報酬制度で十分な成果を上げておりますぞ閣下」


行政長官が視線を送ったのは、ワイン片手に真剣な顔をする、バーバトン公爵だった。

執事に抱えさせた絵を眺める彼は、首をひねる。


「つまらんな。弱々しいヘタレた筆致が気に食わん。配置も絶望的。希望という題名は、皮肉としか思えん。次だ」


執事は後方のテーブルに額を置き、隣に並ぶ剥き出しのキャンバスを掴んだ。


「閣下……」


行政長官は、困った顔で公爵を見つめる。

以前の不況から脱して、やっと巡った好景気、潤い始めた公爵領。それだというのに突然、飼育課の再開に多額の予算をつけるのは、どうしても納得がいかなかった。

再開に異論はないのだが、もう少し予算を減らして、将来に備えて積み立てるのが良いだろうと、考えていたのだ。


そんなことはお構いなしに、公爵は執事の手元ばかりに目を向けていた。

どうやら、キャンバスを固定する木枠がぐらついていたらしく、もたつく様子に少しだけため息をつく。

気持ちを落ち着けるようにグラスをあおる公爵へと、ようやくキャンバスが顔をもたげた。


「……ほお」


執事がこわごわと抱える絵を見て、公爵はグラスを置いた。

しかも、椅子から立ち上がって、食い入るように顔を近づける。


「下手だな。全体的に塗りムラがある」


そうは言いつつも、公爵の頬はゆるみっぱなしで、隅々に目を凝らしている。


その様子が珍しかったのか、行政長官は少しだけ移動して、公爵の肩越しに絵を見やる。


「……夜空、いや月夜と」


「ヒポグリフだ。月夜を駆けるヒポグリフ。こっちへ来い、ここを見てみろ」


「は、はあ」


公爵は童心に帰ったような様相で、絵についてあれやこれやと考察を始めた。


「やけに生々しいと思わんか。翼の躍動感、小麦色の羽毛、細くしなやかな毛並み。それに、脚から血を流しているだろう?なぜだと思う」


「……魔物との格闘で、負ったのでは?」


「5頭全てが、前脚だけを怪我しているのだぞ?そうだなあ、人間が意図を持って負傷させたか、はたまた……ああ、そうか」


「何か分かったのですか?」


「月夜の晩、空を駆ける生々しいヒポグリフ。作者は、間違いなくこの場面を目撃している。空想ではなく、この角度から見たのだ」


「魔法で浮かんだのでしょうか。なかなかの手練れですな」


「違う。ヒポグリフの背に乗ったのだ。この疾走感と冷たい風が証左だろう。つまり作者はヒポグリフたちを、助け出した。その際に前脚の傷は、人間につけられた、調教の痕ではないか?」


「……私にはさっぱりです」


「俺も妄想しているだけなのだ。お前も少しは考えてみろ。で、作者は誰だ」


執事は、キャンバスの裏に書かれたサインを読み上げた。


「マーク・B・フォーヴィーでございます」


二人は首をかしげた。


「初めて聞く名だ。外国の若手だろうな」


一人納得する公爵であったが、行政長官だけは、何かを思い出すように眉間のシワを深めた。


「なんだ」


「……どこかで聞いたことがあるのです」


「そこまで珍しい名でもなかろう」


「……そうなのですが、あ!」


「知っているのか?」


「ヒポグリフが脱走した日、一人だけ拐われた男がいたのを覚えていますか?アイツです!ヒポグリフの飼育員をしていた男、マーク・フォーヴィーです!」


「ほお」


行政長官の言葉を聞いた公爵は、どかっと椅子に座り直し、残ったワインを飲み干した。

じっくりと味わうように絵を眺め、そして頷いた。


「買おう。いくらだ」


執事はテーブルに置かれた、紙を一瞥して答える。


「1ゴールド以上の自由価格でごさいます」


「ふっ。私に価値を決めろとな。面白い」


ブツブツと言いながらも、公爵の持つペンは素早く走る。

そして一枚の細長い紙片を受け取った行政長官は、目を見開いた。


「こ、こんな大金、おやめください」


「渡りをつけろ。文通でも念話でもなんでもいいから、マーク・フォーヴィーと話がしたい」


「それだけのために、こんな大金を払うのですか?」


「そうだ。パトロンになってやろうと思う」


「パトロン……。騎士団に捜索させて、ここへ連行させたほうが早いのでは?」


「絵を見て分からんか」


「はい?」


「町を捨て、職を捨て、月夜の晩に、ヒポグリフと共に飛び立った男。意味するところは、そうだなあ。自由、いや、生き方だ」


「……はあ」


「しがらみから離れた男が、生き方を見つけたのだ。もういじめてやるな」


「……はい。それでは、接触する方法を検討してみます」


公爵はグラスを口に当て、顔をしかめた。


「足りないな」


「かしこまり――」


「ああ、お前はそこにいろ。絵をよく見たいから、別の者に持ってこさせろ」


公爵は、運ばれたワインを飲み干すまで、その絵を眺め続けた。

そして眠そうな目をこすりながら、ボソリと呟いた。


「他の絵がつまらなく思えるな」


◇◇◇


マーク・B・フォーヴィーの絵が、バーバトン公爵に買われてから、50年経つ今、フォーヴィー氏にまつわる書籍は数多ある。

齢90歳までの彼の生涯や、彼とヒポグリフの関係についてはもちろん、彼の私生活や家族関係についても根こそぎ暴かれた。


だが断定されていない彼の真実もあった。

その一つが、故郷へ戻らなかった原因だ。

故郷を離れた後、一度も故郷へ戻ることはしなかった事が知られているが、その原因に関する部分は、証拠らしきものがなく、書籍で面白おかしく考察された。


バーバトン公爵との不仲であるとか、元妻への恨みであるとか、絵を盗まれた怒りや治安の悪さに辟易していただとか。


そんな折、バーバトン公爵家はとある手紙を公表した。

マーク・B・フォーヴィー直筆の手紙である。


「ジュリアとアダンが眠る場所から離れるわけにはいかないのです。ご容赦ください」


ジュリア、アダンは、バーバトン公爵領から逃げ出したヒポグリフの内、2頭の名前であり、彼と彼女が亡くなり埋められた山から離れられないという意味であった。


この事実が知られ、とある出版社からマーク・B・フォーヴィーに関する書籍の改訂版が発売され、またまた大ヒットとなった。


その出版社は売上の一部を、バーバトン公爵領の飼育課へ寄付した。


実はこの社長は、以前から定期的に寄付を行っており、その理由について、自叙伝でこう語っていた。

ヒポグリフたちへの愛を見習い、魔物と人間の関係が発展するよう、少しでも貢献たい、と。


そこで、心酔するマーク・B・フォーヴィーについても、こう回顧している。


「かつての盗みが、私の人生を一変させた。

その日、たまたま入った無施錠の家は、質素で味気ない老人の住処であった。

そんな中、ガラクタのように置かれていた絵たちに、私は魅了された。

ハートが震えたのは、後にも先にもあれっきりだ。妻にさえ、あれほどの震えが起きることはなかったというのに。

この究極の魔法を、世間に知らしめるためにどうしたらいいか、私は必死に考えてこの出版社を立ち上げたのだ。

貧しさで言い訳をする私を、真っ当にしてくれた絵に、私は一生をかけて恩を返したいと思ったのだ」


盗っ人から出版社の社長になった彼は、晩年のマーク・B・フォーヴィーから招待を受けて、彼の小屋へと赴いた時のことも書いている。

もちろんこの時点では、自叙伝は発売されておらず、マーク・B・フォーヴィーは、彼が絵を盗んだ張本人とは知らなかった。


その証拠に

「フォーヴィーさんは、単なる熱心なファンとして、私を迎え入れた」と自叙伝に書いている。


小屋に到着してすぐ、彼はかつての罪を告白したそうだ。

その時の細かなやり取りについては

「死んでも教えないし、教えたくない。私と親愛なるフォーヴィーさんとの秘密にしたい」とだけ。


絶えず人々の興味をひき、熱烈なファンを抱えるフォーヴィー氏。彼の故郷、バーバトン公爵領では定期的に【マーク・B・フォーヴィー展】が開催される。付近が大混雑するほどの人気ぶりだったのは、とても鮮明に覚えている。


さて、明日から開催される【マーク・B・フォーヴィー展】は、どうなることか。

混雑解消のため、列車は増両増便を行い、交通整理の人員も増やすと告知されている。

ちなみに、3ヶ月前には美術館前に繋がる新たな道路も整備されている。


これだけバーバトン公爵が本気なのは、今回の【マーク・B・フォーヴィー展】が特別だからだろう。


なんと、世界各地から彼の傑作が集うのだ。


「希望」「家族」「喪失」「誕生」

離れ離れになっていた傑作たちが、明日から始まる美術展で一堂に会する。


さらには、フォーヴィー氏の遺作「私の生き方」が、世界で初めて展示される。


マーク・B・フォーヴィーファンのみならず、生き方に悩むすべての人に鑑賞してもらいたい。


ちなみに私は、記者の特権で事前鑑賞させていただいたが、一言だけ断言できる。

「観て良かった」と。

ひと月後、この新聞社を去る私には、良き出会いであった。


偉大なる画家、マーク・B・フォーヴィーに、ぜひとも会いに行ってほしい。

もしよろしければ、✩評価お願いします!

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ