その九十九:マルセノ親方とおかみさんが行方不明になった理由は……
「りっぱな基地だけど、人間がだめね」
基地の港には最新の戦艦が並び、鋼色の艦橋がまぶしい陽光を反射する。
「なんて頑固な司令官なのかしら。ねえ、あなた!」
おかみさんは戦艦を睨みながら憤慨した。
「あんなにたくさんあるんだから一隻貸してくれたって減らないのに! ねえ、あなた?」
「いや、しかし、初対面でいきなり軍艦を一隻よこせというのは、さすがに無理があるんじゃないか?」
マルセノ親方はのんびり歩いていた。
世界と世界の〈境目〉の、境海側を航行していた〈リュデア号〉は海賊に襲撃されてからわずか数時間後、大国の軍艦に保護された。
それだけでもそうとう運が良かったのだ。
運が悪ければ、船の燃料と食料を根こそぎ奪われた最悪の状況下で、何日も境海を漂流したかもしれないのだから。
「あら、よこせなんて言ってないわよ。貸して、と頼んだだけでしょう。海賊を壊滅させて財産を取り戻したら、もちろんお礼はするわよ」
「はは、壊滅させると言っても、ふつうの人は信じられないよ。こっちの頭がおかしいと思われたって、仕方ない」
マルセノ親方が船室に置いていた現金類は、クローゼットの金庫に入れていた分以外、すべて強奪された。
船客が船倉に預けた荷物も大半が奪われたと聞く。衣類や持ち運べる家財道具のたぐいまでもだ。現在、リュデア号の船員と海軍が協力して目録を作成中だ。
しかし、そんなものはどうでもいい。
物は、後で何とでも取り返しがつくからだ。
――よりによって、弟子のニザを連れ去られたとはな……。
おかみさんはぎりっと口唇を噛んだ。
「一生の不覚だわ。このわたしが、目の前で養い子を連れ去られるなんて……」
海賊ども、けっして許すまじ。
ここは夫婦で一致した見解だ。
ただ妻の方がいささか気が短かった。
妻は怒りの大魔神と化した。伝説に聞く北方海の恐怖を司る氷の海の女神さながらに冷たく怒り狂っている。海賊どもへ恐るべき天罰を下す気満々だ。
マルセノ親方は苦笑するしかない。
――ニザは、世界で一番おしとやかなレディだと信じていたろうになあ……。
マルセノ親方は空を見上げた。
「海賊の被害者はわしらだけではないし、見知らぬ外国人相手に、いちいち軍艦は貸せんだろう。個人の船じゃないんだからな。……で、さっきから歩いているが、どこへいく気だい?」
海軍基地は高い塀で囲まれている。
目立たない場所の出口を探し、海軍司令部の中央の建物から、正面ゲートがあるのとは反対側へ歩いてきたのだが……。
「ほら、裏門があったわ」
鋼の高い鉄柵が左右にずっと伸びている。鉄柵の出入り口になる扉部分は三つの錠前が締められている。鉄柵の太い鉄の棒は、ちょっとやそっとでは壊れそうになかった。
「民間の船会社よ。あのいけすかないちょびひげの司令官が言ってたでしょう。すぐ行きたいなら自分で民間の船を雇えって!」
おかみさんが指をパチンと鳴らすと、三つの鍵は壊れずに解錠し、鉄柵の扉は開いた。
おかみさんはさっさと鉄柵の扉をくぐり抜けた。
「ふむ、それが温和な解決法だな」
おかみさんにつづいてマルセノ親方が扉をくぐり抜けると、そのうしろで扉は勝手に閉まり、三つの鍵は勝手に動いて、カチリ、元通りに掛かった。
外には堀があった。幅は2メートルくらい。
身の軽い者なら、少し走って勢いをつければ飛び越えられないことはなさそう。
が、あいにくマルセノ親方は少しばかり太めだし、おかみさんは太っていないが運動はあまり得意ではない。鉄柵からの距離はほんの数歩で、助走に使える距離は短すぎた。
「こりゃ川じゃないな。りっぱな水路だ。あっちにも長くつづいているね。荷物の運搬用かな」
川船で荷を運ぶのは昔からある運送手段だ。ただ道路のように水路を引くとなると、道路を整備するよりも莫大な費用がかかる。
「あら、ここはヴェネチアーナ共和国よ。水路は初めから計算して造られているのよ。海に面したこのあたりは、長い杭を海の浅瀬に打ち込んだその上に、建物が造られているの。この港一帯がぜんぶそうだわ。ここはまだ実質、海の上なのよ」
「そういや、そんな国もあったな。……あ! もしかしてここは、あの大陸じゃないか!?」
マルセノ親方が右手で額を押さえた。
「そういえばそうね。あなたがずっと昔に働いていた街は、この大陸の反対側の端にあったんじゃなかったかしら」
おかみさんがいうと、マルセノ親方は天を仰いだ。
「なんてこった! それこそ昔のことだし、いまどうなっていようと知りたくもないが、いやな気分だ」
「まあそうでしょうね。忘れたらいいわよ、そんな昔のこと。いまのわたしたちに大切なのは、あの子だけだわ」
おかみさんは口唇をすぼめ、堀の方へ、フッと息を吹いた。
すると、おかみさんの足下の地面に生えていた名も無い小さな草が見る見る増えてぐんぐん伸び出し、あっというまに太い茎の束となり、さらに伸びに伸びて対岸にまで届き、細い橋を架けた。
おかみさんとマルセノ親方は草で出来た橋を歩いて対岸へ渡った。
二人が振り返りもせず行ってしまったその背後で、名も無き草の橋は魔法で伸びた分だけたちまちしおれて茶色に干からび、わずかな風に砕け散って、跡形すら残らなかった。
基地司令官から二人の行方を探すよう命令を受けた海軍士官たちは、もちろんこの鉄柵の扉も調べにきた。
しかし、何の痕跡も発見できなかったのである。
民間の船会社はすぐ見つかった。
が、一軒目をあたって、船会社の船を雇うのはあきらめた。
窓口に出てきたその会社の営業だという青年に、基本的に〈赤い冠島〉へは個人で行くのは無理だといわれた。
とてつもなく慇懃な態度で彼が教えてくれたのは、次のような要点だった。
・〈赤い冠島〉は観光地ではないから旅客船はおろか貨物船もいけない。ヴェネチアーナ共和国ではどこの船会社へいこうと、行く船は見つからないだろう。
・いわゆる闇商人しか出入りできない島なのだ。まともな船乗りは関わりたくない。
・あの島周辺の海域には呪いがかかっていて、よく船が故障する。船乗りなら決して近づかない呪われた海域である。
・嵐もよく起こるため、船の遭難が多い。しかし、大型船や貨物船の遭難は、半分は海賊の仕業だという噂である。
……という話だった。
それに遠洋航海できる船は中型船以上の大きさがなければ難しい。
なにしろ〈赤い冠島〉は北方海に近い海域に面していて、ヴェネチアーナ共和国からは少々遠い。
個人で行くには、片道で金貨にして五〇〇枚プラス諸経費が必要だ。まして相手は海賊、危険きわまりない連中である。別途、護衛の傭兵団も雇わなければならない。金貨一千枚どころでは収まらないだろう、と。
おかみさんが魔法使いで、海賊から財産を取り戻せば支払いはできると説明しても、鼻でせせら笑われた。
けっきょくは無知故にバカなことをいう迷惑な外国人を断るために、多額な費用がかかるとふっかけられただけだった。
それでも、息子が海賊に攫われたのだというと、船会社の営業マンは目にかすかな憐れみを浮かべてこう言った。
「どうしてもというなら港で個人の持ち船を探せばいかがでしょうか。個人で中型艇を所有しているオーナーにうまく話をつければ、あるいは……」
港の波止場に船はたくさん停泊していた。
個人が所有する船も多く見られたが、それは金持ちが道楽で所有している小型ボートか、中型の豪華なヨットだった。
それ以上大きな船となると、高級クルーザーと呼ばれるような豪華な船だ。持ち主はどこかの大富豪だろう。とてもじゃないが、他人が初対面で交渉して乗せてもらえるものではなかった。
マルセノ親方とおかみさんは波止場を歩いていた。
道は石畳できれいに舗装されているが、道端には七色の紙くずやら酒ビンなどが落ちていてきれいとはいいがたい。
港町の一角に、にぎわう界隈があった。
レストランや酒場など、飲食店が集まっている通りだ。
あちこちの街灯の柱には船の絵を描いたポスターがベタベタと貼られていたし、街灯の上や通りの建物の軒には小さな旗が飾られていた。それは片付け忘れられた物のようで、道端に落ちてゴミになっているのはそれらの一部らしかった。
「ずいぶん散らかっているわね。お祭りでもあったのかしら?」
「それよりメシでも食おう。もう昼だよ」
テラス席がにぎわっているレストランが目に入ったので、そこへ向かった。
ちょうど昼時だ。昼食を取りに来る客があとからあとから入ってくる。
店へ入ると、奥の大きなテーブル席で、ジョッキを掲げて乾杯しているグループがいた。
ワッ! と、拍手が湧き上がった。
「では、いよいよ明日、帰国の途につく我々が、念願の金の優勝カップを持ち帰る幸運を祝して!」
「我々の勝利にカンパイ!」
日焼けした陽気な男達だ。
さいわい店が混み合う直前だったので、おかみさんとマルセノ親方はすぐ空いている席に案内された。
「にぎやかね。優勝とか聞こえたけど、あれは何のお祝いをしている人たちなの?」
おかみさんはワインを運んできた若い給仕に尋ねた。
「彼らは冒険家ですよ。ここでは毎年、一ヶ月かけて国際ヨットレースが開催されるんです」
出発とゴールはこのヴェネチアーナ共和国の海軍基地のある港だ。境海をはさんだお隣の大陸にある港が折り返し点で、ここの港に戻ってくるまでのタイムを競うのである。
「そのレースでトップタイムだったチームが彼らです。これでむこう四年間、彼らのヨットがこの境海世界最速の称号を持つわけです。明日帰国するからそのお祝いをしてるんですよ」
「ヨットレースで優勝した? そのヨットって、どんな船なの?」
「昔ながらの帆布を操って走る、スクーナー船ですよ。大型のヨットです」
給仕の説明を聞いたおかみさんとマルセノ親方は顔を見合わせた。
「まあ、すてきね。境海を渡れるほど大きなヨットなの? 船の大きさはどのくらい?」
「乗員十二人で動かす帆船です。ご覧になったことはないのですか?」
「あいにくこの町には来たばかりでね」
「たとえていうなら、大きなバス二台分くらいですね。よかったらお客さまも一隻所有されてはいかがですか? 高級ヨットメーカーをご紹介しますよ」
給仕はどうやらヨットのセールスマンを兼業しているらしい。
「あら、自家用の船もいいわね。でも、いまどき帆船なんて、そういうレースでもなければ、最新のスクリュー船にはとてもかなわないんじゃない? 帰りは風まかせなんて大変ね」
「そこはご心配ありません。レース中はルールに従って帆布の操縦だけで競われますが、ふだんは風がないときの補助のために、スクリューエンジンだって搭載してるんですよ。なにせ最新型のヨットですから、補助エンジンだって最新型なんです!」
この若い給仕もまた、船の好きな男らしい。
つまり、この境海世界で最新型にして最速の大型ヨットとそのクルーがすぐそばにいるわけだ。
おかみさんとマルセノ親方はちらっと目と目で会話してから、おかみさんは給仕に微笑んだ。
「新しい船を造る時間はないわ。その大型ヨットを雇えるかしら?」




