その九十八:マルセノ親方ご夫妻の行方
〈赤い冠島〉が解体されたあと、僕のことを海軍へ、詳しく報告してくれたのはロミさんとヨルナさんだけだったそうだ。
〈リュデア号〉の乗客名簿には僕の名前がある。海賊に連れ去られたところは大勢の乗客が目撃していた。
僕は船にも島にもいなかった。本当に実在した乗客なのか確認するため、海軍はほかの乗客から聞き取り調査をした。
ほとんどの人は海賊に連れ去られた年長の少年を覚えていた。
けれど、同じく人質だったリーザさんは、僕と関わったことを自分からは話さなかったそうだ。リーザさんと友人づきあいをしていた二人の女性も。
僕について訊ねられたリーザさんたちはとても不本意そうな様子で、僕とはたしかに海賊船でいっしょだったけど親しい交流はしていなかったと、重い口を開いたという。
僕は苦々しい笑いがこみあげた。
「リーザさんたちとは折り合いが悪かったんです」
思えば海賊船に乗っていたときから、苦手というか、敵対意識を持たれていた気がする。なぜかはわからないけど。
「どうやらそのようだね」
トニオさんはあっさり同意した。ロミさんとヨルナさんが、リーザさんたちとのエピソードを詳しく申告ずみだった。
リーザさんのことを思い出して苦い表情になった僕に、トニオさんは「あくまでも一般的な見解だけど」と、次のような意見を教えてくれた。
リーザさんは享楽的な生活を好むタイプだ。なので、僕みたいにどんな境遇にあっても真面目な信念を持って生活するタイプは、気に入らないのではなく、近くにいると比較されてしまうから煙たい存在だったのではないかと。
いまは僕だって、リーザさんのことなんかどうでもいい。友だちにはなれない人だった。それだけだ。
「……で、マルセノ親方とおかみさんは〈リュデア号〉に乗って行かなかったんですね?」
「じつは、それが謎なんだよ。誰も気づかないあいだに出て行かれたようだが、方法がわからないんだ」
トニオさんは困惑を露わにした。
お二人は僕がこの町にいることを知らず、現在の居場所は不明――トニオさんから、ロミさんとヨルナさんの手紙を先に渡されたときから、そんな気はしていた。
もしもマルセノ親方とおかみさんがこの国にいて、僕の話を耳にしたなら、トニオさんよりも先にここへ来たに違いない。
だが、トニオさんに僕の情報が届いたのはマルセノ親方とおかみさんがこの国から離れたあとだった。
旅客船〈リュデア号〉の乗客の目的地は、大きく分けて二つあった。故郷への帰還、そして新天地への移住だ。
もしかしたらこのヴェネチアーナ共和国がある世界よりもっと遠い、境海をいくつも越えた次元界をめざしていた人がいたかもしれない。
マルセノ親方ご夫妻の目的地がそうだった可能性もゼロではないのだ。
「それが、このヴェネチアーナ共和国から別の船に乗ったという記録がないんだ。いったいどこへ行かれたのか……。ただ、それと関連しているかはわからないが、こんなことを聞いている」
マルセノ親方ご夫妻が姿を消す前、海軍基地の基地司令官に個人面談を申し込んだ夫婦がいた。
それがマルセノ親方ご夫妻だと、トニオさんは言う。
「立ち会った士官の証言では、ご夫人の方がものすごい剣幕で、基地司令官にくってかかっていたらしい。〈赤い冠島〉へ息子を助けに行くのに、一番速い軍艦を貸せと言っていたそうだ」
トニオさんがリュデア号の乗客名簿と連れ去られた人質のリストを照らし合わせた結果では、その二人が捜していた息子とは僕のこと。その二人がマルセノ親方ご夫妻で間違いないそうだ。
「ご夫人は、自分は魔法使いで、責任はすべて自分が取るから軍艦を一隻貸せとの一点張りだったそうだ」
なんだか僕の知っているおかみさんとはちがう女の人の話を聞いているみたいだ。でもトニオさんは、その話は間違いなくマルセノ親方ご夫妻だと基地司令官の議事録に記録されていると断言した。
「基地司令官は、初めは人質になっている息子の身代金を一刻も早く払いに行きたくて必死になっているのだと思ったらしい。魔法使いと名乗られても、いろいろな魔法使いがいるからね。魔法使いがひとりいたところで、海賊相手にはどうしようもないし」
海賊へ人質の身代金を渡すには闇商人の仲介がいる。基地司令官は、海軍が闇商人を紹介することはできないとも説明した。
「だったらなおさら軍艦を貸せと。基地司令官は、たとえご夫人が魔法使いでも、民間人の個人的な理由で軍艦を出すのは無理だときっぱり断ったんだよ」
そりゃそうだろう。大勢の海軍将校やら船員を乗せるこの国の軍艦だ。釣り船を雇うのとはわけがちがう。
軍艦に保護された〈リュデア号〉は海軍基地の港に停泊していた。乗客は船から下りないよう指示が出ていた。ところが基地司令官との会見後、怒ったマルセノ親方ご夫妻はその足で基地から出て行ったらしい。
皆が気がついたときにはいなかった。船室からは手荷物が、船倉に預けられていた荷物もぜんぶ無くなっていたそうだ。
「お二人はほんとうのすごい魔法使いだったんだと、基地司令官が顔を青くしていたよ」
この国は魔法使いがほとんどいないが、その存在まで知らないわけではない。
境海を越えて他の世界へ行ける船には〈魔法の羅針盤〉があり、そのメンテナンスは魔法使いの仕事だ。魔法使いがこの国に定住していないだけで、外国にはいるのである。
「それで、お二人はいったいどこへ行かれたのでしょうか?」
「わからないんだ。基地司令官は民間船を雇うために港にある船会社のどこかへ行ったのでは、と言ったが、港のどこの船会社からもご夫妻が立ち寄った連絡はなかった。その件でニザくんに確かめてもらいたいことがあるんだが……」
トニオさんは書類から二枚を引き抜いた。
「これは〈リュデア号〉が立ち寄る予定だった航路図と寄港地のリストだ。船長や船員、保護した乗客からの任意での聞き取り調査の結果をまとめてある。この中にマルセノ親方ご夫妻の目的地だった場所はあるだろうか」
僕は、マルセノ親方がめざしていた旅の目的地を知らない。
だからトニオさんにこの質問をされたとき、きっとこのリストにマルセノ親方がめざした土地もあるのだろうと考えていた。
海賊の襲撃に遭わなければ僕もいっしょに行くはずだった、境海世界のどこかにある新しい土地が――。
リストに並んだ地名は、出発したイタリー王国とその港以外、初めて見るものばかり。航路図にはそれら聞き慣れぬ国名の港の位置までていねいに記されていた。
航路図の書き込みによると、境海を越える旅客船リュデア号は、この第七階梯世界をぐるっと周遊して、最終的には第八階梯世界の境目近くまで行く予定だったようだ。
もしかしたらマルセノ親方も第八階梯世界をめざしていた可能性もある。
ひょっとしたら、もう行ってしまわれたかも知れないんだ。
もしそうなら、僕がこのヴェネチアーナ共和国のある大陸中を探しまわったって、マルセノ親方とおかみさんを見つけることはできないんだ。




