その八十四:ロミーナ王女のむかし語り
僕とロミーナ王女は歩き、ときどき走りながら、いろんな話をした。
白い光の道を行くのは魔法に掛けられたように体が軽かったが、休憩無しで走りすぎると僕は息切れした。でも、ロミーナ王女は平気みたいだった。
「わたくしはもう生身ではないからでしょう。貴方のようには疲れないみたい」
ロミーナ王女ひとりなら、とうに北の入り江に到着したかもしれない。僕のペースに合わせてくれてるんだ。
「僕にはあなたが生きている人間のように見えます。こうして話しているのに、もうお亡くなりになった方だなんて信じられません」
僕は歩いているあいだに呼吸を整えた。ロミーナ王女が幽霊でも、怖いと思う気持ちはもうなくなっていた。
「ええ、わたくしはあなたからすれば、遠い昔に死んだ人間の、魂だけの存在だわ」
ロミーナ王女は陽気に笑った。
「今夜は魔法の夜だから。これは偉大な魔法使いがこの島に刻み残した魔法なの。それがやっと発動したのよ。あなたのおかげだわ」
「僕が?」
なにをしたんだろう?
ロミーナ王女によると、今夜は自然界の季節が移り変わる魔法が、夏と秋の季節の境目である以上に、強く働く夜。それにプラスして、人間と海との太古の盟約である海の神々の魔法、そしてこの島でむかし偉大な魔法使いが掛けた大地の魔法がいっしょくたに作用しているそうだ。
「あなたはあの呪われた城から勇気を持って脱出した。わたくしはあの建物から出られなかったの。あの男は長い間、島民を利用してわたくしの魂をこの島へ縛りつけていたわ。でも、あなたがわたくしの手を掴んで連れ出してくださったのよ」
僕らは何度か休憩をはさみ、森の中の白い光の道をたどり続けた。
ふと、僕は、ロミーナ王女の姿が気になった。
ロミーナ王女は、どうして塔から落ちたときのままの姿でいるのだろう。赤い海賊船長は会うたびに容姿が変わっていたのに……。
そうだ、それに髪飾り以外の宝石も、ほんとうに何もないのだろうか……?
「あの、塔から落ちる前のことをお訊きしたいのですが……。どうして髪飾り以外の装飾品をつけていなかったのですか?」
理由があるような気がして、ずっと気になっていた。
でも、これほど美しい人なら、装飾品などいらないのかもしれないけど……。
「まあ、ニザさんはそれを、わたくしが見せた幻影で気がついたの?」
「ええ、婚礼なのにベールと髪飾りだけなんて……。そういう風習かとも思ったんですけど、なにか奇妙な感じがしたので」
「ふふ、やはり魔法玩具師は、目のつけどころが違うわね。――船であの男に捕われてすぐ、すべて取り上げられたわ。手鏡や化粧道具の類いまでね。彼は、昔から頭だけは良かったから」
ロミーナ王女の口調は淡々としていて、赤い海賊船長への恨みや憎しみはとくに感じられなかった。
赤い海賊船長がそういった装飾品や小物を取り上げた理由は、非常に実際的なものだった。
それらはロミーナ王女を護るための、魔法のお守りでもあったのだ。
「わたくしのために、わたくしの婚約者がお抱えの魔法使いにたくさんの魔法のお守りを作らせて贈ってくれたの。境海には危険が多いから」
ロミーナ王女が不慮の事故や危険から護られるよう、赤い海賊船長のような男に危害を加えられぬように――それらの〈護り〉がすべて奪われてしまった。
そして、ロミーナ王女を憎む女が、塔から降りたくないとごねるロミーナ王女に短剣を突きつけ脅し、いうことを聞かせようとした。
脅しだったので本気では斬りつけられなかったが、短剣の刃を避けたはずみで、ロミーナ王女はおおきくよろけた。
手をつこうとした先が物見台の窓枠の外だったのが不運であった。
もしも、守護の魔法をすべて身に付けていれば、こんな結果にはならなかった。
赤い海賊船長もロミーナ王女の死は誤算だったろう。
「わたくしに残されたのは、この母の形見だけだった……」
ロミーナ王女は左手をあげて髪飾りに触れた。銀と真珠の髪飾り。魚の骨を連想させる棘状の突起がある巻き貝を象ったものだ。手のなかに握り込めるほど小さいが、とても古い海の魔法が込められているという。
「でも、これの魔法だけでは、わたくしの死の運命を変えることはできなかったの。わたくしの体は岩礁に叩きつけられる前に、古い海の盟約によって海が迎えにきたけれど、あの高さから海面に落ちたわたくしは、やはり重傷は避けられずに死んだわ。わたくしの体は海によって運ばれ、険しい岩礁のどこかにあるもっとも深い海底へ隠された。あの男の手に渡らないようにね」
そのあと島で起こった出来事を、ロミーナ王女は断片的に知っていた。
「本来なら、魂だけとなったわたくしはその夜のうちに千里の海を駆け、愛する人の元へいけるはずだった」
赤い海賊船長はロミーナ王女が塔から落ちたと知るや、即座に島を封鎖したのだ。
誰ひとり島から出ないよう命令したうえで、さらに、魔術によって島全体を外海から閉じたという。
「あの男はわたくしが死んだ後も、わたくしの遺体を三日三晩探し求めた。島のどこにもいないとわかると、わたくしの魂だけでもけっして逃すまいと、魔法で呪いをかけたの」
それがロミーナ王女が魂だけとなっても逃げ出せなかった理由なのだ。
「あの赤い海賊船長は、魔法が使えるんですか?」
「ええ。いわゆる魔法使いではないけれど、人並み以上の魔法の知識があるから、道具立てを使った魔術を行使できたのよ。彼のそばには魔導師みたいな協力者たちがいて、彼にいろんな知恵を与えていたの」
ロミーナ王女が生きたのは、魔法使いがごく普通の隣人として存在した時代。
魔法は日常にあり、魔法の才を持つ人が生活に簡単な魔法を使用するのはあたりまえだった。
ロミーナ王女も道具なしでロウソクに火を灯したり、空中から水を出してコップをいっぱいにするようなことができたそうだ。
あの赤い海賊船長は――ロミーナ王女の生国では、ディアルト卿と呼ばれていた彼は、政権の中央に近い大貴族のたしなみとして、教養としての魔法の知識を身に付けた、国の中枢の一員であった。
「野心家だった彼の夢は、わたくしと結婚してわたくしを女王に、自分はその夫として、国のすべてを支配したかったようね」
けれどロミーナ王女は結婚相手に愛する人を選んだ。政略結婚だと思われていたが、外交で知り合った遠国の王子とお互いに一目惚れして婚約したという恋愛結婚だ。
ロミーナ王女の結婚が決まった時点では、王の後継者は決まっていなかった。王位継承権を持つ者は何人かいたが、王は選考期間をおき、すぐには後継者の指名をしなかったのである。
ディアルト卿本人もまた、王家の外戚として王位継承権を持っていたが、玉座に座るには遠すぎる順位だった。
それもディアルト卿は納得できなかった。
国でもっともロミーナ王女の伴侶にふさわしいと噂され自分でもそう思っていた男は、未来の女王を国外へ嫁がせてはならないと、何度も王に進言した。
それがかなわないとわかるとひそかに手勢を集め、ロミーナ王女の誘拐と王朝の簒奪を企んだが、政敵によって計画は潰され、彼は国外へ遁走した。
捕らわれれば死罪を免れぬ。ゆえに、二度と国には戻らないだろうと判断され、そのまま永久追放の身となったのである。




