その八十:亡霊の目的
帽子から靴まで赤い海賊船長の亡霊は、僕の顔前へ剣の切っ先を突きつけた。
この男もその剣もすでにこの世のものではない。だが、突きつけられたギラつく剣の恐ろしさは幻影とは思えなかった。
それに、彼の容姿が初見のときとは違うのにも、すごくおどろいた。
この前見たのはまさに亡霊、赤い帽子から黒髪を海藻のように垂れ伸びさせ、蒼白い顔の中に黄金の瞳がギラつく冥界の幽鬼そのものだったが――。
いま僕の前にいるのは、二十代半ばの端正な青年。黒い髪は切り整えられ、床屋で髭を剃ったみたいにさっぱりした顔。日焼けしていない白い肌は血の通う人間らしい生き生きとした色合いを帯び、生者と見分けがつかない。これならバラッドに歌われた大貴族の貴公子といわれても信じられそうだ。
「また会ったな、小僧。バカみたいに呆けていないで答えろ。ここにあの女がいたのか?」
そう問われても、怖いのと返事のしようがないので何も言えない。
すると彼は、せっかく端正な貴公子然とした姿を、ニヤリ、邪悪に満ちた笑みで崩壊させた。
「そうか、俺が来たから隠れたか。……ロミーナ、どこだい。近くにいるのはわかってるんだ、さあ、出ておいで――」
猫撫で声で空へ呼びかける。
僕の顔前に剣を突きつけながら。
「ロミーナ、怖がらなくていいんだ。俺のところへ戻ってくるんだ。あんな遠い国には行かなくていい。あの男は俺が殺してやる。――今度こそな」
彼の言葉に、僕は狂気を感じた。この亡霊は狂っているのかも知れない――もしかしたら生きていたときから、死んだ後もずっと。
上品な貴公子みたいに振る舞うことはできても、きっとこちらが彼の素顔、海賊稼業に身を落とした男の本性なんだ。
ロミーナ王女とこの男は同時代の死者。その存在はこの世ならぬ異界のもの。ある意味、彼らは同じ世界の住人ではないのか?
この海賊船長は亡霊と成り果てながらもロミーナ王女を探しつづけ、ロミーナ王女もまたこの物見の塔のある建物を長の年月さ迷いつづけている。
なぜ二人は出会わない――出会えないのだろう?
「ロミーナ、君は自由になったんだ。ここは君のための王国だ。君が女王になるんだ。俺と二人でこの国を治めよう――」
自由なはずのロミーナ王女は出現しない。
いかなる返答らしき現象も顕れず――。
海賊船長の顔が、凶相に歪んだ。
「おい、魔法使いの小僧。お前はあいつらの手下なのか?」
「なんのことだかわかりません!」
いまにも斬りつけられそうで、僕は即座に言い返した。
あいつらって誰のことだろう。ロミーナ王女ではなさそうだけど……。
僕は正直に答えたのに、海賊船長は貴公子然とした上品さをかなぐり捨てた。
「くそおッ、あいつら、俺が死んだ後まで謀りやがって! ならば望み通り、お前も死ね!」
亡霊の足が、僕の胸の真ん中を蹴り飛ばした。
「うわッ!?」
亡霊が生きた人間に干渉できるなんて!?
すばやい蹴りを避けられず、まともに衝撃を受けてしまった僕は、かるがる窓の外へ吹っ飛ばされた!
まっさかさまに落ち――だが、ずっと左手に握っていたシーツのロープにすがり、窓の外でガクンと宙に浮いた。
「シャーキス!」
だが次の瞬間、上の方でロープは切れた。
シーツを裂いたロープは弱かった?
いや、こっちを見下ろす海賊船長の勝ち誇った顔。あいつが切ったんだ!
「るっぷりーぃッ!!!」
風よりも速く飛んできたシャーキスが、落ちていく僕の背中にくっついた。けどシャーキスはぬいぐるみ妖精、夢見の中ならともかく現実の僕の体重は持ち上げられない。
「ご主人さまッ、魔法をーッ!」
魔法?
僕は魔法玩具作りの職人、伝説の魔法使いみたいな魔法のわざは使えない。
もしそんな魔法が使えたら。
魔法のロープを作る?
魔法の命綱?
いや、もっと安全で、やわらかくて頑丈な、あの蜘蛛の巣のようなネットを!
でも、僕はすぐ地上に叩きつけられる!
もうダメだと目を閉じた刹那、
パアッ! と、まぶたの裏が、白熱した黄金色に染まった。
閉じた目にさえまばゆい輝き。
僕の視界はしばし、一面の白に焼かれた。




