その八:カトルス雑貨店のオーナー
「さて、ニザくんはわしのことを知っているかね? きみが買い物をしたこの店は、わしの店なんだよ」
カトルス雑貨店の前で、ご大老に訊かれた。
この雑貨店が、キノヤ親方の家具工房と取引があるのは知っている。
「一ヶ月ほど前、家具工房へ来られたとき、お見かけしました。お名前までは存じ上げませんが、キノヤ親方から雑貨店のオーナーさんだと教えてもらいました」
「このカトルス雑貨店のオーナー、マルクス・カトルスだ。改めてよろしく」
ご大老が右手を差し出したので、僕は握手した。
「ニザくん、きみは偉いよ。あの馬鹿どもがあんなにひどいことをやったのに、きみの方がずっと大人らしい、賢い態度をくずさなかったね。じつに立派だった」
ご大老が言うには、カフェにいた旦那衆は、魚屋の泉前での騒ぎに気づいた他の人たちと一緒に、急いでやって来たそうだ。
魚屋の泉は、カフェからは三〇メートルほど離れた場所にある。
ご大老が実際に目撃したのは、テノの仲間が僕を羽交い締めにし、テノが僕の鉛筆やノートを踏んづけていたところだった。
平和この上ないこの町でも、たまに若者同士のケンカくらいはある。僕らが言い争っていたのもそうと思われたそうで、ほとんどの人は傍観していた。
カフェから移動してきた旦那衆とご大老は、僕がテノの仲間に捕まってジタバタしているところから見たそうだ。経緯は、最初から見ていた人から教えられた。
しかし、魚屋の大将のように、僕を知っている人もいた。僕がひどい目に遭わされているのを理不尽に思った人々は、僕を助けようとしてくれた。そうして一番手で来てくれたのが魚屋の大将で、二番手がこのご大老だったわけだ。
雑貨店のご大老は応対に出てきた店員へことわりをいれ、僕を文具品の棚へ連れてきた。
「さて、あの買い物はこのあたりだったかな?」
「はい。そこの黒芯の鉛筆と、無地のノートです」
僕は品物を指し示した。ご大老は、僕に同じ物を買い直させるため、ここへ来たと思ったからだ。
「それと五色の色鉛筆セットです。さっき僕が買ったのはそれだけでした」
色鉛筆は別の場所にある。三階の画材専門コーナーだ。
「ふむ。……しかし、きみが本当に欲しいのはノートではなく、デザイン画を描くスケッチブックじゃないかね?」
ご大老はなぜ僕が欲しいものを知っているのだろう。
僕がデザイン画を描くことは、ここでは誰にも言っていない。今日ここで買い物をするまで、僕は出納帳代わりの小さなメモ帳と、ちびた鉛筆一本しか持っていなかった。
ふつう木工細工と言えば、シンプルな木製の食器やカトラリーや、木製の生活用品全般を作る職人を思い浮かべるものだ。
キノヤ親方でさえ僕のことは、大工の仕事もこなすただの木工細工職人だと思っている。
「ええ、でも……スケッチブックは高いので」
たかが紙と思うなかれ。
先だって僕が買った無地のノートは古紙を回収して作られた再生紙。安いぶん手触りはザラリとして、紙の色もくすんでいる。色鉛筆で彩色しても、くすんだ色が透けてあまりきれいではない。
でも、デザインの基となるラフスケッチを描くならそれで充分なんだ。
だって、とうぶんは新しい魔法玩具を考えても作れない。
思いついたアイデアをメモする作業しかできないんだから……。
そりゃあ僕だってもっと本格的な、細部まで決める繊細なデザイン画を描くなら、上質紙のスケッチブックがいい。紙質は白くきめ細やかで手触りもなめらかだ。鉛筆の芯の滑りもよく、サラサラ描ける。色鉛筆や水彩絵の具で色をつけても理想通りの色合いになる。
ただし、お値段は再生紙ノートの軽く十倍はする。今の僕にはとても手が出ない。
「ふむ、画材には金がかかるからな。よし、さきに三階へいこう」
ご大老は自ら僕を三階へ案内した。
この店の一階はおもに日用品で、二階は化粧品や洒落た小物などがある、ご婦人専用階だ。
「この町は木材産業の町として有名だが、いろんな職人が住んでいるのだよ。家具職人は家具のデザインをするし、大工は家や室内装飾のデザイン画を描く。室内インテリアが専門のデザイナーもいるし、美しい森に惚れ込んで森の風景画ばかり描いている画家もいるんだ。だからうちはいろいろと専門的な画材道具も置いてあるんだ」
三階の画材売り場には、僕の欲しい色鉛筆や絵の具も、水彩から油彩までさまざまな種類が揃っている。色鉛筆だって百色以上のセットがあるのだ。
なぜ僕がそれを知っているかと言えば、ときどきここへ画材を見に来ては、溜め息をついていたからである。
いずれまた旅に出る身だ。目的地の手掛かりは無く、この旅がいつ終わるのかもわからない。旅は身軽なほうが良い。デザイン帳一冊でも、徒歩の旅にはかさばる荷物だ。
この町に居る間、自分の部屋があるからと調子に乗っていろんな画材を買い込んでしまったら――いざ旅出つとき、すべてを処分していくしかないだろう。
「ふむ、五色のセットはこれだが」
ご大老は一番安価な五色の色鉛筆セットを手に取った。
「ええ、それでした」
ああ、よかった。これなら手持ちのお金でおつりがもらえる。あとは一階にあるノートと鉛筆だ。
「きみは木工細工職人だったね。デザインの専門はあるのかな?」
ご大老に訊かれたので、僕はそこだけ正直に回答した。
「インテリア雑貨の小物を作ります。暖炉の上や飾り棚に置く小さな人形とかです。小鳥やウサギや子猫や、家やお城や、船のミニチュアなんかも作ります」
嘘じゃない。これまでの僕がしてきた仕事だ。ただ、魔法の玩具も作れる魔法玩具師だという事実が含まれていないだけ。
「なるほど、なるほど。インテリア雑貨のデザインなら、なおさらこちらが良いだろう」
ご大老は五色の色鉛筆セットを棚へ戻し、その上の棚に置いてあった六〇色の水彩色鉛筆セットを取りあげた。お値段は五〇〇〇ソルド。五色の一〇倍だ。
「あの、それはちょっと……」
いやその、僕にだって手の届かない金額ではないんだ。簡易宿一泊分より高いと思うと、とても買う気になれないだけで。
だから僕は、種類も量も五〇〇〇ソルドよりはるかに下の五色セットを選んだのだけど……。
「いいから、いいから。わしにまかせておきなさい」
つぎにご大老は、スケッチブックが並べてある大きな棚の中段から、大判のノートサイズのスケッチブックを取った。厚みのあるスケッチブックは、紙の質も枚数も、無地の再生紙ノートの五倍以上。価格はやはり十倍はする。
「あの、僕はさっきの品物と同じ物でいいですから……」
困ったな。きっと好意で良い品物を選んでくださっているのだろうけど、銀貨一枚じゃとても足りない。僕の手持ちからかなり出さないと。そうしたら蓄える分はわずかになる……。
ご大老はスケッチブックの上に色鉛筆のセットをのせた。
「さあ、どうぞ。これはわしらからのお詫びのしるしだ。代金のことなら心配いらんから、遠慮せずに受け取ってくれたまえ」
それを僕へ押しつけるように持たせた。
「ええ!?……いえ、それでもこれはちょっと、多すぎます!」
慌てて身を引きかけた僕へ、
「じつはな、あの馬鹿者どもの中にわしの孫もいたんだ。きみから紙袋を取り上げてテノに渡した男だ」
「え!?」
僕がビックリしたその隙に、ご大老はそれらの品物を僕へ、強引に持たせた。
「いやはや、まったくもってお恥ずかしいかぎりだよ。そうそう、あの銀貨は使わないから安心しなさい。わしがきみなら、即座に拾って相手の顔に叩きつけているところだ。じつはあのほかの馬鹿も、この町では有名な家の子どもたちなんだ。だからこの件は、わしらが責任を持って始末をつけるから、きみは気にしなくていいんだよ」
ご大老は喋りながら、つと目をやった絵画専用の筆記具の棚へ手を伸ばし、彫刻されたケース入りの黒い鉛筆一セットを取り、僕が捧げ持つスケッチブックと色鉛筆セットの上にポンと載せた。
僕は合計価格を計算して、悲鳴をあげそうになった。
ご大老は僕にそれらを持たせて一階へ降り、店員を呼んで紙袋へ詰めさせた。
大きめの紙袋を持たされ困惑する僕へ、ご大老はこう言った。
「帰ったら、これらをすぐキノヤ親方に見せなさい。わしが押しつけたことも忘れずに言うんだよ。もちろん、今日の出来事もすべて報告するんだ。でないとまたあのテノが、どんな言いがかりをつけてくるかわかったもんじゃないからね」
僕が必要な品物を買い直すのはテノにだってわかるだろう。自分の部屋に入る前に遭遇したらまた「こんどは何を買ってきたのか」とわけのわからない難癖をつけられるかも知れない。
「そうします」
僕はご大老の助言に従うことにした。こうして僕の味方になってくれる人もいるんだ。これならテノがどんな卑怯な嘘をついたって、僕の方にも非があったなんて思われることはないだろう。
「あの、ついでと言っては何ですが、教えていただきたいことがあります。なぜ僕はテノさんたちの目の敵にされるのでしょうか?」
〈ご大老〉は、年配の方への尊敬を込めた呼び方だ。この方は町の長老であり、知恵者として人々の信頼を得ている人なのだ。僕が気づかないことを知っているかも知れない。
「テノがきみに辛く当たる理由かね?」
「はい。おわかりになりますか?」
「憶測でものを言うのはよくないことだが、ひとつ心当たりはある」
そう前置きして、ご大老から聞かされた〈心当たり〉は、僕からすれば思いもよらない内容だった。




