その七十九:城塞からの脱出方法
城塞の北端に位置する物見の塔の、長い長い螺旋階段を抜き足、差し足で降りていく。
三階の踊り場で止まった。
ここから下は要注意だ。
ものすごく耳の良い海賊が、二階のドアのすぐ裏側で夜の見張り番を務めているから。
ここは二階のドアからは一〇段以上離れている。この距離でそのドアの向こう側の物音なんて、僕の耳には聞こえない。
「シャーキス、がんばってくれよ……」
シャーキスは今、外だ。この階段を降りてくる前、物見の塔のてっぺんの窓から外へ、飛んでいってもらった。
この塔の階段に入るドアは、二階以外は完全に封鎖されているのだ。今夜までに僕が調べた結果、島の北側へ出られる出入り口は、物見の塔の下の一階だけだった。
シャーキスにこっそり見てきてもらったのだが、他の階は、扉も窓もやたらと頑丈な木の板でガッチリ封鎖されていた。ドアを破る斧のような道具は無いし、もしガラスや窓枠を壊せば音がするから、耳の良い海賊が聞きつけるだろう。
だから、魔法で姿を隠したシャーキスに、二階の廊下の窓の外でわざと音を立ててくれるように頼んだ。
窓の外で不自然な音がしたら、海賊はそっちの様子を見にいくだろう。その隙に二階のドア前を通過すれば――。
ほどなく、二階のドアのあたりから、ざわめきが漏れ聞こえた。
僕は急いで階段を降りようとして、右足を階段の一段下へ降ろした姿勢で、ピタリと止まった。
二階のドアが開いたんだ。僕はあわてて壁の陰に身を隠した。
「おい、どうした?」
「ああ、いや、軽い足音がしたかと思ったが、気のせいかな?」
ドアから出てきた海賊の気配は二人。開け放たれたドアからは、他の海賊たちの声も漏れ聞こえてくる。
「よしてくれ、言い伝えの白い貴婦人だったらどうすんだよ」
「白い貴婦人が歩き回るのは上の階で、二階には降りてこないはずだろ。さっきの窓の外だって、けっきょく強い風の音だったぞ」
彼らはロミーナ王女の幽霊――白い貴婦人と呼ばれているらしい――その伝説を恐れていて、二階のあのドアの周辺以外はウロつきたくないと思っているようだ。
「くわばらくわばら。もしも廊下をウロついているのが初代様で、うっかり出会って祟られたらどうするんだ。俺は願い下げだぜ」
初代様? なんのことだろう?
「まったくよう、なんで初代様に俺たちが祟られなきゃならないんだ。ひでえ話だよな。祭だってのに酒も飲めず、初代様のお言いつけ通り、今夜だけはネズミ一匹逃げ出せないよう、島中が眠る真夜中まで見張ってるってのによお……」
けっきょく、北へ抜けられる脱出口は、この階段だけなんだ。海賊もそれをわかっていて、ここの警戒だけは怠らないんだ――。
「なにもないみたいだな」
ひとりがポツリとつぶやいた。
「今夜は風の音がきついしなあ。上の階も静かだし、どうせ朝まで誰も起きやしないさ。おい、このドアの前に座るから、そっちの椅子をよこせよ!」
ドアは閉められた。
僕はしずかに上へ戻った。
この階段を降りて、一階出口からの脱出は無理だ。
どんなに音を立てないように気を付けても、あの二階のドア前を通るとき、海賊は出てきて僕を捕まえるだろう。
僕の居た宿舎の部屋からこの北側へ侵入できるのは、封鎖された北側廊下の割れた窓だけだった。
他の階の北側は、塔の階段へ通じるドアは板で封鎖されている。すべての窓は割れにくい分厚いガラスで、もっと頑丈な窓枠は壊すのも難しい。
割れ窓のほかに外へ開いている場所は、物見の塔のてっぺんの、扉の無い吹きさらしの物見台だけだ。
だけど、物見台のてっぺんから降りるには道具がない。
せめて縄ばしごでもあれば――簡単なロープでも作っておけば良かったと後悔しても、いまさらだ。僕には材料も時間もなかった。
僕は考えた。なにか代用になるものは……?
「シャーキス、僕の部屋からシーツを取ってきてくれるかい」
飛んでいったシャーキスが丸めて持って来てくれたシーツを細く引き裂き、即席のロープを作った。
塔の上から窓枠にくくりつけたシーツのロープを垂らしてみた。
「ダメだ、とてもたりない」
そもそも建物の高さが三〇メートル以上あるし、その下は崖で、地面までは数百メートル。落ちたら最後だ。
北への道は、この物見の塔の一階出口からしかいけないようになっているんだ。
「もっと何かないかな……」
ほかの布は、僕の上着にシャツにズボンくらい? いやいや、これは僕の大事な宝物。裂いてロープにするなんて、とんでもない!
ふと、背後に人の気配。
ロミーナ王女がいた。
花嫁の白いベールはかぶっていない。頭の左側に銀と真珠の小さな髪飾り。長い黒髪がベールのように背後に流れていた。
そのはっきりとした姿は、生きている人と見分けがつかなかった。
もう怖くは感じなかった。まっすぐな美しいまなざしは、僕に何かを訴えかけているように思えたんだ。
おそらくロミーナ王女のような存在は、この世での行動になんらかの制限があるんだ。彼女は死の向こう側にある世界の住人だから。きっと、生きている人間とはそう簡単に関われない世界の理があるんだろう。
「ロミーナ王女」
僕の呼びかけに、王女は二回瞬きした。
ほら、僕の声はちゃんと届いている。初めて見た時はそう思えなかったけど、今はまちがいなく。
この美しい人が僕に害をなすとは思えない。僕の勝手な想像だけど。
「もうこんな所に囚われたまま、さ迷いつづけるのはやめませんか? 今日は秋分の日です。僕と一緒に北の入り江に行って、魔法の船に乗りましょう!」
僕は右手を差し出した。
ロミーナ王女はうれしそうに微笑み、僕の方ヘ右手を伸ばした。
だが、その手が、まさに僕の手に触れようとした瞬間、ロミーナ王女は消えた!
「おい、いま、ロミーナ王女と言ったな!?」
僕はビクッと飛び上がった。
王女のいた場所のすぐ後ろから、あの赤い海賊船長の亡霊が、抜き身の剣を持った姿で現れたのだ!




