その七十二:祭りの仕度
翌朝の宿舎は、どことなく騒然としていた。
今朝も少し寝坊した僕は、朝食が終わる時間ギリギリに食堂へとびこんだ。
食堂はにぎやかだった。
子ども達のお喋り、厨房で働く人の話し声、行き交う足音やら、あちこちが騒がしい。
後ろめたいことがある僕は、もしや真夜中に部屋を抜け出したのがバレたのかと思ってドキドキした。
子ども達はそわそわしていて、人質の女性達はかたまってお喋りしていた。
どうやら皆も朝食はこれからみたいだ。
朝食の仕度が遅れているらしい。
僕は女性達に近づいて「なにかありましたか?」と声を掛けた。
「ニザさん、おはよう。ええ、あったといえばあるんだけど……」
ロミさんが珍しく濁した言い方をした。
「お祭りがあるんですって!」
ヨルナさんも僕の方を向いてくれた。ほかの女性達はこっちをちらっと見たが、そのままお喋りを続けた。
「まさかまた海賊の……?」
秋で祭りといえば、穀物の収穫祭などが定番だけど……。
この海賊の島で祝い事なら、また海賊の別のグループが『大仕事』を成功させてきたお祝いをするのでは? と思ったんだ。
「あの石碑の伝説の、四百年前に亡くなった王女を記念するお祭りらしいわ」
今朝の朝食が遅れているのは、祭りの準備で厨房が大忙しのせいらしい。おかげで僕は朝食にじゅうぶん間に合ったけど。
「ヨルナ、ちょっと違うわ」
ロミさんが苦笑した。
「〈夏嵐の慰霊祭〉というそうよ。あの伝説の、王女が略奪されてきた大海戦の犠牲者の、追悼行事ですって。それがいつの間にか、悲劇の王女の命日に行われるから、王女の記念祭みたいに言われるようになったそうよ」
ロミさんは今朝一番に食堂へ来たので、厨房の配膳担当のおばさんの手伝いをしながら、詳しく聞かせてもらったそうだ。
「それがね、島の人が信じている悲劇の王女の最後は、おかしいの」
ロミさんが聞いた『この島の人が信じている伝説の真相』は、『王女は、実は生国にいた頃から海賊船長の恋人だった』説だ。
この島の初代統領という男は、海賊になる前は王女の国の貴族の貴公子で、王女と親しい間柄だった。ところが、王女の父王は貴公子を追放し、王女と遠国の王子の政略結婚を決めた。輿入れで境海を渡っている最中に王女はこの島へ来たが、王女に真実の恋人がいると知った遠国の王子は怒り、戦を起こそうとした。王女は悩み、問題となった自分さえいなければ……と、海の見える塔から身を投げた――そんな物語だ。
「ね、あらすじだけでも、あの石碑の伝説とはまったく違うでしょう?」
ロミさんは不愉快そうだった。たしかに石碑に書かれた伝説を知っている僕らからすれば、おかしな話だ。
「海賊側に都合が良すぎるわね」
ヨルナさんがうんうんと頷いた。
「いちばん変なのは、王女の悩み方よね。政治的に判断するなら、王女は遠国の王子の元へ行くべきだった。百歩ゆずって、海賊になった貴公子を愛していて、この島へ駆け落ちしてきたなら、遠く離れた生国を気にして塔から身を投げるなんて、矛盾してるわ」
「そうですね、あのロミーナ王女なら自害なんてしないと思います」
僕は昨夜見た過去の光景を連想して、思わず王女の名を口に出していた。
「はい、なあに? 私がどうかした?」
ロミさんが首を傾げている。
僕は心臓が跳ねて口から出るかと思った。
「え? ロミさんがロミーナですか?」
「ええ、そうよ?……そういえば、おたがい正式な自己紹介はしてなかったかしら?」
ロミさんは、ロミーナ・サリエ・デセル。
ヨルナさんは、ヨルナジーナ・ジュヴァン。
囚われた海賊船で顔を合わせてから、すでに二ヶ月以上。僕はロミさんとヨルナさんのフルネームを知った。
あの王女と同じ名前に僕はとても驚いたけど、〈ロミーナ〉は、この境海世界ではさほど珍しくない、昔からある名前だそうだ。
朝食の終わりに、厨房から女の人が大きなお盆にたくさんのお菓子を載せて出てきて、子ども達へ配りはじめた。
赤や黄色の棒アメ、小さな黄金色のタルト。揚げたてのねじり棒型ドーナツに、貝殻みたいな形のパイ。パイの中身はマフィンの実をマッシュポテトみたいに潰したものだった。
僕も赤と黄色の棒アメをもらった。赤はイチゴ味で黄色はオレンジ味だった。砂糖を煮詰めて練り上げて作るアメに、濃い果物のシロップを混ぜて作ってあるのだ。
この宿舎で提供される飲食物は、ほとんどこの厨房で調理されている。
僕が地球にいた頃によく食べたような、きれいな包み紙のキャンディーやチョコレートは、この島では高価な輸入品だ。街の大きな食糧品店にはあるが、島民でも慎ましい暮らしの人たちはめったに食べられない。
そんな人々でも、ふだんは買えない品物が手に入る機会がある。
それが海賊の凱旋祝いだ。
特に首領やその側近が、数年に一度やり遂げる〈大仕事〉の後の大宴会では、すべての島民へ、公平に、生活必需品が下げ渡される。
それらは略奪されてきた品物だったり、その宝石や貴金属を闇商人に売り払って得た金で購入した品物だったりする。――由来はともかく、島民にはありがたい配給品なのだ。
厨房で働く男性が、この前の大宴会のおかげで向こう半年はあくせく漁に出ずにすむ。病気がちな母親を大陸から来た医者に診せられた――と喜んでいたのを、僕はある日の昼食を食べながら聞いたことがあった……。




