その七十一:王女の死の真相
「見ていてわかったわ。あなたは彼を愛してるわね。彼も貴女には親切だわ。他の女性とは態度がちがってる。そうでしょう?」
王女は優しく、同情深く、話しかけた。
赤毛の美女は無言。それは、王女の言葉を真剣に考えているふうにも思えた。
「この花嫁のヴェールは、あなたが被るべきだわ」
王女は両手をあげ、顔の横に垂れたヴェールを持ち上げた。髪の左側に真珠をあしらった小さな銀の髪飾りが留めてあった。
僕はなぜか王女の格好に違和感をもった。
その理由はすぐわかった。
王女の装飾品は小さな髪飾りひとつ。耳飾りや首飾りはない。豪華な花嫁衣装と真珠のヴェールは王女に合っているから、おそらく王女が国を出る際に仕立てて持って来た輿入れ道具だ。
海賊が衣装箱ごと略奪してきたなら、そこに装飾品もあるだろうに……。
「彼だって、わたくしがいなくなれば、きっと気づくわ。あなたがそばにいれば……!?」
王女は途中で言葉を途切らせた。
赤毛の美女は体を震わせていた。
「――あの男は狂ってるのよ、王女に……」
僕にもわかるほど、彼女は怒っている……なぜだ?
「そうでなきゃ、寄せ集めの海賊が東方海で最大の大船団に挑むなんてバカな真似、するわけないでしょう。――あんな大勢の仲間を犠牲にしてまでッ。あたしの兄弟も友だちも、あの海戦で死んだわ。勝利だなんて喜んでるのは、生き残ってぶんどり品にありつけた男だけよ……」
赤毛の美女の一語一語はすさまじい暗い怨嗟で満ちていた。スカートの陰から出した左手には短剣が持たれていた。
赤毛の美女は右手で短剣の柄を握り、扱い慣れた手つきで抜いた。
銀の刃が陽光を反射してギラついた。
僕とシャーキスは「ひッ!?」と悲鳴を飲み込んだ。
「なにをする気ッ!?」
王女は窓際に追い詰められた。
「アンタさえいなければ……。あんなに大きな船で騎士達に護られてたくせに捕まるなんて、この間抜け女ッ! 黙って彼に従えばいいのよッ!」
「やめてッ、来ないで!」
「このわがまま娘がッ! この島では誰も彼には逆らえないんだ。おとなしく来なッ!」
呆然と見ていた僕は、王女の悲鳴でわれに返った。
「だめだ、やめてッ!」
僕は夢中でもみ合う王女たちに駆け寄ったが、僕は彼女たちの体を通過して、窓の横の壁にぶつかった。
もし少し右にずれていたら、大きく開いた窓から落ちていただろう。
彼女たちは過去の幻だけど、この物見台と大きな窓は、僕のいる現実だ。
王女の悲鳴にそちらを見た僕は――。
窓の外で、王女の白い裳裾の端が逆さまにひらめいて、窓の下に消えたところを目撃した。
それはあっという間の出来事だった。
「そんなッ……!?」
ハッとしたら、僕のすぐ前に、赤毛の美女が背を向けて立っていた。
赤毛の美女は窓から上半身を乗り出して、窓の下を覗き込んでいるようだった。
「ちがう……――ちがうわ。あたしじゃない。あの女は勝手に落ちたのよ……――」
その右手から短剣が落ち、石の床でカランと音を立てた。
銀色の刃に血は付いていない。
あの短剣は王女を傷つけていない。
窓辺からよろりと離れた彼女は、左手に白い紗のヴェールを掴んでいた。
「死ぬほど嫌がって――……自分で落ちたのよ。そうよ、王女は自分で落ちたの。あんなに結婚式を嫌がっていたから…………だから、あたしは悪くないんだわ……」
王女が被っていた無数の真珠で飾られた繊細なヴェールは破れ、短いショールほどの大きさになっていた。
「でも、どうしょう……。こんなのもう使えない。……代わりの花嫁になんか、なれない……どうしたら…………」
彼女は破れたヴェールを持ち、ふらつきながら物見台から出ていった。
僕は急いで窓に駆け寄り、下をのぞいた。
はるか下にあるだろう恐ろしい光景を見る覚悟なんて、なかった。けれど、王女の最後を確認せずにこの場を離れることも、できなかった。
伝説では、王女は囚われの身を儚み、自分で塔から飛び降りた事になっている。
しかしさっきの光景では、王女は真剣に逃げ出そうとしていた。
赤毛の美女が短剣を抜いたのは、物見台から動かない王女を脅して早く連れ出したかったからだ。言葉も態度も乱暴でひどかったけど、殺すつもりまではなかった…………。
塔の真下は険しい崖と谷間だ。巨大な岩場の狭間は深く、真昼でも光が届かない底は真っ黒だった。
僕の視力では、崖下に王女の姿を見つけることはできなかった。
ここは山の上の城塞だ。この物見台から麓の岩場までは四、五百メートル以上だろう。この高さから落下すれば助からない。崖の下は巨岩の転がるすごい岩場で、捜索に行くのも困難この上ない……。
石碑の伝説が史実の記録であるなら、かつて王女が亡くなった三日後に訪れた魔法船は、王女の遺体を発見できずに帰還したのだろう。
王女はまだあの岩場にいるんだ。
誰にも発見されないままに。
でも、僕は……僕には、可哀想な王女様を探しに行くことは、無理だ。とてもできそうにない……。
「るっぷりい! ご主人さま、太陽ではなく、月なのです!」
シャーキスが窓の外に浮かんでいた。
世界の明るさは真昼のごとく、外の景色は夜に変じ、天空には月と星が輝いていた。
僕の予想通り、塔の階段の下層階には各階に廊下へ続く扉があった。
一階の踊り場だけは、廊下とは反対側にも大きな扉があり、その隙間からは外の風が感じられた。
シャーキスが僕の頭上から扉を照らした。
「るっぷりい! ご主人さま、鍵がかかっているのです!」
扉同様古い鍵は、細い金属の棒を掛けるタイプのかんたんな閂錠だった。少し錆びが浮いているが、問題なく動かせる。
僕は閂錠を上へ持ちあげて右側へ落とし、扉の取っ手を引っ張った。
歳月を感じさせる黒い木製の重い扉は、ゆっくりと、スムーズに開いた。
海賊に聞かれないか心配だった蝶番の軋み音はしなかった。
僕はシャーキスに手元を照らしてもらい、蝶番を調べた。
蝶番のネジ部分は油で艶光りしていた。
油がさされている。
何百年もの間、封印されていたと見せかけて、年に一度あるいは緊急時にはすぐ使えるよう、定期的に油をさして手入れされている証拠だ。
僕は外へ出た。
冷たい潮風が吹いていた。
真夜中の月光に照らされて、野原の中の細い道が北へと白くつづいていた。




