その六十四:マフィンの実
僕らは街中を、三十分ほど歩いた。
街は港からは少し離れている。
平らに削り出された石畳が敷き詰められた道は歩きやすかった。
白い石造りの建物や薄い赤茶色のレンガ造りの家を眺めていると、イタリアのどこかにある古い街にいるような錯覚を起こしそうだった。
ときどき探るような視線を感じたが、僕らに話しかけてくる人はいなかった。
広場では、野菜や果物など、様々な食料品を売るテントの露天商が店を並べていた。
古い雑誌や本を売っている露店があった。ロミさんが立ち止まって値段を訊いた。が、慌てて交渉を打ち切って戻ってきた。
「私の国で発売されている一年前の雑誌が十倍の値段なのよ。とんでもないわ」
しかし、それはひどいぼったくりではなく、この島がまともな海の交易ルートから外れているため、まともな品物が入ってこないせいだろうという。
そろそろ帰ろうと引き返した途中で、ロミさんは、香ばしい甘い匂いを漂わせている露店へ向かった。
そこでは大人の両手で持てる大きさの、丸い薄茶色の木の実をまるごと炭火で焼いたのが売られていた。
「これね、マフィンの実っていうのよ。パンの実みたいなものなんですって」
ロミさんはマフィンの実について詳しかった。僕らが今いる境海世界の南から西よりの北の海にかけて生えている木で、収穫したてでも食べられるけど青臭く、煮ても焼いても美味しくない。冷暗所に一ヶ月ほど保存して発酵させ、こうして焼くと、甘くなって美味しく食べられるそうだ。
また発酵させた実を潰して乾燥させれば一年以上保存が利く。お団子のように丸めて茹でたり、野菜や肉と煮込んだりしても美味しいという。
ロミさんがマフィンの実を三個買おうとしたので、僕とヨルナさんは慌てて止めた。
「だいじょうぶ、お金を使うのは今日だけだから。それにこれは安いわよ。きっとこの島で栽培しているのね」
ロミさんはさっさと手持ちの銅貨で支払いをすませ、新聞紙にくるんだマフィンの実を三個受け取ると、僕とヨルナさんへ、ほい、と渡した。
僕らは温かいマフィンの実を囓りながら、帰路についた。
マフィンの実は砂糖みたいなはっきりした甘味があり、歯触りがちょっとザクザクしている焼き芋みたいだと僕は思った。
「ロミさんはいろんなことをご存じですね」
「そうかしら」
「わたしもそう思うわ。わたしも何度か境海を旅したから、マフィンの実は知ってたけど、保存や調理方法なんて知らないわよ」
ヨルナさんはマフィンの実を目の高さに持ち上げてから、おもむろにひと囓りした。
「あら、境海は広いもの。私だって知らないことは、いくらでもあるわ」
「そりゃそうですね」
僕らは笑った。宿舎での食事時もそうだけど、こうして三人で食べながら喋るのは楽しかった。
「ロミは物知りよね。本が好きでよく読んでるから? わたしはあまり読まないから」
「あら、一般常識だと思うけど。ヨルナだって、船では子ども達の面倒をみてくれていたでしょ。助かったわよ」
「あれは、ロミが一人で大変だったから……わたしはほんの少し、手伝っただけだわ」
そういえば、ロミさんは海賊船に乗っていたとき、子ども達の勉強をみていたんだ。
僕にはこの世界の知識がほとんど無い。
たぶん、あの子ども達の足下にもおよばないくらい無知だ――。
「ロミさん、僕に、この境海世界のことを教えてもらえませんか?」
「え? この境海世界のこと?」
「船で、子ども達に勉強を教えてましたよね。僕は地球出身で、地球での常識しか知らないんです。こっちの境海世界のことがさっぱりわからないんです」
「そうねえ。でも、私の知っている話をするだけというのも、薄っぺらいような気がするし……。なにか、テキストにできるような本があればいいんだけど……」
「ロミさんが教えられる範囲であれば、それでいいです。僕にはこの世界の基礎知識が必要なんです」
けっきょく、帰り道では白い花嫁の話はしなかった。
普通に考えても、幽霊の話なんて怖がられるだけだろうし……。
もうひとつ、僕がこうしていろいろ調べているのは本気で逃げ出すためであること、その真の理由も二人には言えずにいた。
初めは、ロミさんとヨルナさんに逃亡計画を話し、一緒に逃げようと誘うつもりだった。
でも、考えているうちに、それは非常に困難なことに思い至った。
魔法船が、この島から連れ出してくれるとして、その後はどうなる?
複数の被害者を、一人一人、その人の故郷にまで送り届けてくれるのか?
もしそうだとしても、今、この状況下にあるロミさん達が、それを信じられるのか。
僕自身が、絶対に助けてもらえるという保証が無い賭けをしようとしているのに?
ロミさんとヨルナさんは一年間待てば、いや、そんなに待たずとも、彼女たちを大切に思う親族が、身代金を持って急いで助けに来てくれる可能性の方が高いというのに……。
城塞へ帰ると、ロミさんは、僕に役立ちそうな本を探してくれた。
子ども達が勉強している図書室には本がある。そこから本を借りることにして、食堂の片隅で、僕らの勉強会が始まった。




