その二十二:魔法使いと魔法玩具師の違い、良心の欠けた男
「ニザくんのここでの働きぶりを見る限り、彼はまったく真面目で実直な職人だ。海賊に襲われた話も嘘ではないだろう。彼が〈赤い冠島〉から脱出した際に乗った商船とは、わしらも知っている有名な船だ。その船長は信頼できる男だよ。こちらもジェノヴァンの港湾局経由ですでに情報を提供してもらっている」
「だったらお父さん達は、いまさらどうしてニザさんの何を調べたいの?」
キノヤ親方の言いようを聞いていると、〈真面目な木工細工職人のニザ〉を調べる必要など、何も無いように思えるが……。
「彼が本当は何者なのか。どこから来て、どこへ行きたいのか。海賊に監禁されていたのに、どんな手段を用いて、海賊の城から逃げおおせたのか。噂に聞く海賊島は、子どもが一人で脱出できるような場所ではないのだよ。その詳しい事情を知る必要がある」
仕事には厳しい父だが、むやみに人を疑う人ではない。なのになぜ平然と、ニザに疑惑を持っているというのだろう。
「必要ならニザさんに直接聞けばいいでしょう? ニザさんは正直な人だと思うわ」
「わしもそう思うよ。だが、ノエミ、よく聞きなさい。表面上信用できる男でも、あらゆる疑惑がゼロになるわけじゃない。海賊は内陸の町も獲物に選ぶ。下見のために、海賊とはまるで関わりのない人間を脅迫して、手先に使うこともあるんだ。この町は大リガルナ河の畔にある。河の水深は深いから、船底が大きな海洋船でも航行可能だ。最新の動力を持つ蒸気船ならなおさら、河の流れに逆らって上流へ来られるからな」
そういった話は、海賊の噂としてときおり新聞にも掲載されている。しかし、父のいかにも現実に起こりうる重さを含んだ説明に、ノエミは心底ギョッとした。
「まさか、ニザさんが海賊の手先だと疑っているの!?」
「さて。だが、海賊の島から一人で脱出するなんて、よほど腕の立つ兵士か、海賊に負けないくらい肝の据わった経験深い船乗りくらいだろう。ニザくんはまだ何か、わしらには言えない深い事情を隠しているようだね。ぬいぐるみ妖精だってそうだろう。あんなものがくっついているなんて、ぜんぜんわからなかったんだ」
「ひどいわ、そんなの。ぬいぐるみ妖精こそ、ニザさんが正直な善人の証拠だわ。ニザさんが海賊の手先なら、シャーキスがそばにいるはずがないわ」
「ノエミ、ニザくんは新参者の旅職人だよ。どうしてそんなに気に掛けるんだい?」
ノエミの言い分を黙って聞いていたキノヤ親方は、おもむろに口を開いた。
「それは……」
ニザを気に掛ける理由、といわれても……。自分でもよくわからないのが答えだろう。
初対面から頭にピンクのテディベアを載せていた同年代の男の子。
どうやらそんなふうに見えているのはノエミだけ。ほかの人々は、ニザの頭上のぬいぐるみ妖精には気づかず平常にすごしている。
ノエミは自分の目と頭がおかしくなったのかと何度も自分の正気を疑った。
一昨日、ニザが熱を出して起きられないとシャーキスが助けを呼びに来るまで、じつのところ気が気ではなかった。
ぬいぐるみ妖精シャーキスは真性の魔法の存在だ。これまで伝説や噂でしか耳にしなかった本物の魔法を使える魔法使いの業で創造されしもの。その創造主たる魔法使いはニザなのだ。
ニザの人となりを知りたいならば、その事実で十分ではないか。と、ノエミは思う。
なぜなら……。
「海賊に襲撃されて、つらい旅をして、やっとお父さんのところで落ち着いて働き出したのに、ここでもテノの馬鹿にひどい目に遭わされて! ぬいぐるみ妖精シャーキスが一緒にいても、ニザさんはつらいんだわ。だから、マルセノ親方とおかみさんという人をうわごとで呼ぶほど、会いたいんだわ。もしかしたらお二人はニザさんのご両親で、もう会えないのかも知れないわ」
「ほう、どうしてそう思うのかね」
キノヤ親方はからかうような口調で訊ねた。ノエミはちょっとムカッとした。
「だって、ほら、職人の家にはよくあるでしょう。他の弟子の手前もあって、一人前になるまでは、師匠であるお父さんのことを親方と呼ばせるの」
ノエミのすぐ上の兄だって、キノヤ親方の家具工房で修行していたときは、師である父を「親方」と呼んでいた。仕事が終わって本館へ戻れば、ごくふつうに「お父さん、お母さん」だったが。
「ニザくんはもう一人前の職人だと思うがね。まあ、その可能性はある」
キノヤ親方は破顔した。まだまだ幼い娘とばかり思っていたが、なかなかどうして鋭い洞察力がある。
一方でノエミは、父の機嫌の良い表情をどう解釈していいものやらわからず、視線を床へ落とした。
「どちらにせよ、ニザくんはいい親方の元で修行していたようだね」
そうでなければ雇うものか。……キノヤ親方は心の内で呟いた。雇う職人の腕を見抜くのも、親方としての力量のうちだ。
ノエミは顔を上げた。ようやく父と意見が一致した!
「わたしもそう思うの! ニザさんを見ていたらわかるわ。職人としての腕は確かだし、大人らしい礼儀作法も身に付いているし、なにもかもが非の打ちどころのない紳士だわ。テノみたいな馬鹿とは大違いよ」
「ノエミ、そんなふうに人を比べるものじゃないよ。相手がたとえテノでもね」
キノヤ親方は、とりあえず自分のことは棚に上げておいた。
「でも、お父さんだってそう思ったでしょ。だからやっとテノを破門して、実家へ返してくれたんでしょ?」
ノエミは唇を尖らせた。
キノヤ親方は苦笑をかえした。
「お前には悪かったと思っているよ。だが、去年、お前の腕を掴んだテノをその場で破門しなかったのは、わしもあいつをぶん殴ったからだよ」
テノがノエミに手を出そうとした現場を見つけてぶん殴った。テノはふっとび、壁にぶつかった。顔を腫らせ、体の打ち身も合わせると、町の医院の医者から全治二週間の診断をくだされた。
「あの件については、わしはまったく反省する必要は無いと考えているよ。しかし、正当であっても暴力を振るった償いは必要だ。わしがテノをまともな職人に育ててやることこそ、最高の償いになると思ったんだが……」
以後はかつてないほど気を遣いながら厳しくテノの指導にあたったが……。
「テノは怒られても一瞬後にはケロリとしている。謝ってもうすっぺらい言葉だけで、反省の色はどこにも無い。自分が悪いことをしたから怒られたとは、けっして考えないのだ。おそらく普通の人間の感覚や常識が理解できないんだろう。あれは良心が欠けた男だ」
それでもテノの父親から、必ず反省させるから一年間の猶予を与えてやって欲しいと頭を下げて頼まれた。
テノの父はキノヤ親方の古い友人だ。
だが、その友情はテノの行いによってカラカラに干からびてしまったので、キノヤ親方がテノの父親の願いを聞き入れた動機は、子を持つ親としての哀れみゆえだった。
「わしもじゅうぶん我慢したと思う。ここらがケジメをつける潮時だろう」
見習いから一歩も先へ進めなかった男。めったにいない良心が欠けた子どもは、情けないことに、キノヤ親方が数多い弟子の中でもっともその成長に心を砕き、手塩に掛けた弟子となった。
さんざん苦労したキノヤ親方に残された見返りは、深い失望でしかなかった。
その一方で、この境海世界のどこかには、まだ子どもだったニザを引き取り、十五才の若さでどこに出しても恥ずかしくない職人にまで叩き上げた〈親方〉もいるのだ。
それはもちろんニザ自身の素晴らしい素質や才能があってのことだが、それらを上手く引き出し、かつ成長するよう促してやれたのは、ニザを育てた親方の手柄だ。
おなじ職人の親方としてなんとも羨ましいかぎりである。
「ノエミ、ほんとうにすまなかった。一年間、お前にはつらい我慢をさせてしまった」
キノヤ親方は頭を下げた。
ノエミの目が潤んだ。
「お父さんがわかってくれているなら、我慢したかいがあるわ。だってもしかしたら、今回のニザさんの件しかなかったら、あいつは表面だけ謝って、まだ破門されなかった可能性もあったのよね。それならわたしは、今回のことまで我慢できた過去の自分と、昨日よりも強くなれた今日の自分を、よくやったと褒め称えられるわ」
ノエミはこぼれた涙を指先でぬぐった。
「感謝するよ、ノエミ。ニザくんのことも、心配することは何も無いから、安心しなさい」
キノヤ親方はソファの背もたれに背中をあずけた。
「来月になれば、ニザくんの正体も判明しているだろう。そうしたら問題は、すべて解決ってことさ」




