その二十一:ベネアの委員会
「わしはワケありの旅職人だとわかったうえで、ニザくんをこの屋敷へ連れて来たからな」
キノヤ親方は、ニザから聞いた話をこの町の自治組織である〈考慮委員会〉へ正式に報告した。
ニザは、境目を越える途中で旅客船が海賊に襲われたという。その話が事実なのか、この町の〈十人委員会〉に依頼し、調査員を派遣してもらうためだ。
「で、今回はたまたま、我が家のトニオが適任として選ばれたというわけだ」
〈考慮委員会〉はベネアの町の自治組織の頭脳。町の政治的な問題を処理する議会であるが、いわゆる町議会とは少々性質が異なる。その議員は、キノヤ親方のように大旦那衆と呼ばれる町の発展に貢献している富裕層の人々から選出される。それは議員として務めている者による完全指名制である。
議員の任期は長く、肩書きによって十年から三十年におよぶ。議員選挙で選ばれた最高委員長ともなれば終身制だ。自ら引退を表明しないかぎり、最高委員長の椅子に座りつづけねばならない。
〈考慮委員会〉が扱う議題は、身近には町の若者の縁組みから、上下水道の設備管理などのインフラ、果ては境海の海賊の襲撃からいかにして町を護るかまで多岐にわたる。その足下にある組織が〈十人委員会〉だ。ようは〈考慮委員会〉の手足となって動く実働部隊といったところである。
「〈十人委員会〉って、トニオ兄さん達が所属しているこの町の青年会のことでしょう」
町の人なら〈十人委員会〉の存在は知っている。町でも名家の子弟が選ばれて入る青年会だ。青年といっても男だけではなく、妙齢の女性も所属している。
町に住む人間はわかっているのだから、古くから付き合いのある家同士では『どこの誰それが議員の何役で、何家と何家の息子は〈十人委員会〉のメンバーだ』くらい見当を付けるのは簡単だ。もっと知ろうと思えば、町の人間ならいくらでも調べはつく。
「故郷の町の都合で長期航海を途中で抜けるなんて、船員の規則に違反しないの?」
「〈十人委員会〉はこの町の利益を守るための組織だからね。それに海賊が関わっているとなると、この町だけの問題ではないからだ」
このヴェネチアーナ共和国では、そこそこ大きな自治体は必ず何かしらの委員会を組織している。それはことさら秘密主義でもない。なぜならば、いざというときはお互い協力体制をとるためである。
ベネアは古い町なので各地の港との繋がりが深い。トニオが働く船会社の幹部はこの町の出身者が半数を占めている……。などなど、父の話は、ノエミには初耳の内容がてんこ盛りである。
「ちょっと待って、お父さん、そんなにいっぺんに言わないで! ニザさんについては、もういろんな情報を調査済みなんでしょう。だったらトニオ兄さんは、何を調べて、何の情報を集めてくるの?」
「このヴェネツィアーナ共和国の主要な港の港湾局には、この第七階梯層世界のあらゆる情報が集まってくる。トニオには、ニザくんが乗っていたという旅客船の船客名簿から件の海賊の犯罪歴まで、できるかぎり調べて持ち帰るよう指示した。さすがにこの内陸の町にいては、遠い境目で活動する一海賊団の動向までは聞こえてこないからね」
「じゃあ、お父さんは本気でニザさんが犯罪者だと疑っているわけじゃないのね……」
ノエミはホッとした。
父はこの町の職人組合の長として、問題ある職人が訴えられれば裁定を下す役目も負っている。もしもニザが後ろ暗い問題を抱えた身であるならば、それが判明した瞬間、警察の牢に放り込まれるだろう。
そうなれば父はニザを斬り捨て、町の利益だけを考えるだろう……。
「彼はここへ来るまでに相当ひどい目に遭ったようだがね。この町へ着いたときの彼の状態を覚えているだろう?」
「ええ、とても可哀想だったわ」
父は面倒見の良い親切な親方だから、どこかで哀れな旅の孤児――他所の町には両親を亡くし、頼れる親戚もいない子どもがたくさんいるのだ――を拾ってきたのだと思ったほどに、哀れそうな少年だった。
けれど、その顔立ちは一目で遠い異国人とわかるおだやかな面差し、一重まぶたの黒い目は優しげで涼しげで、ノエミには好ましく感じられた。同じ若い男でも、テノみたいなやつとは月とスッポンだ。あいつは初対面からノエミの顔より先に胸元へ視線を落とし、露骨にイヤラシい目で眺め回していた。
ただ、ニザの頭上にはつねにお喋りなピンクのテディベア・シャーキスが居座っていて、じつはぬいぐるみ妖精だとわかるまでは、自分の正気を何度も疑いかけたけど。
キノヤ親方は若い頃に旅をしていろんな人種を見たことがあるという。ニザには遠い東洋の国の特徴があると言っていたから、きっとそうなのだろう。
この境海世界にはさまざまな人種が入り混じって住んでいるのだ。
ニザの服装は旅職人風、だが、ノエミの知る旅職人の正装とはどことなく異なっている感があった。
正規の旅職人なら、キノヤ親方の家具工房にも来たことがある。
二十代半ばから遅くても三十代前後の若者が故郷を遠く離れ、仕事をしながら放浪の旅をする。彼らはそうじて働く意欲にあふれた元気の良い若者たちだ。
ニザは若すぎるのだ。
今年十六才のノエミよりも年下の十五才。もちろん世の中には、ごく幼い頃から親方について職人の修行をする者もいる。それでもノエミより年下の少年がひとりぼっちで境海を越え、地名も知らぬ大陸へ旅職人の修行に出るなんて、早すぎやしないだろうか。
貧しい人々の中には仕事にありつきたいが為に、旅の職人だと素性を偽る者もいると聞く。
もっともキノヤ親方の家具工房で働き出したニザを見ていたら、哀れな孤児でも嘘つきでもないと納得したけれど。
ニザは工房の熟練工と並んでも、なにごとも引けを取らない。
職人としての腕は一人前、その物腰は良く躾けられた紳士そのもの。着ていた良い仕立ての服にふさわしい、裕福な両親の元にいた育ちの良い少年なのだと納得するばかりであった。
「ニザさんがジェノヴァンの港に降りたときは、また船に乗るお金も汽車代も無くて、駅三つ分を歩いてこの町へ来たんでしょう。旅の最後の日は食べ物も無くて、水だけしか飲んでなかったって……。港ではお金を貯めるためにつらい波止場人足の仕事をしていたから、あんなにボロボロだったんだわ」
「その話の裏付けならすでにとってある。ジェノヴァン港の、波止場人足の手配師の元締めから報告をもらっているよ」
キノヤ親方は、手配師の元締めが、ニザが身分を詐称した無頼者の船乗りではないと保証したこと、真面目な若者だと褒めちぎっていたと語った。




