その十七:僕が連れ去られた後、マルセノ親方とおかみさんはどうしていたか?
ニザを含めた人質は、食堂から連れていかれた。海賊船長も出て行った。
見張りに残された海賊どもは、食堂にいる乗客の手首を縛っていった。
手下どもはゲラゲラ笑いながら、すでに手首を拘束されていたおかみさんを、マルセノ親方と一緒にロープでグルグル巻きにした。
「おとなしくしてるのに、なんてことしやがるんだ」
マルセノ親方は憤慨した。ぎゅうぎゅう縛られたから、腕はぜんぜん動かせない。
出入り口の階段を降りてきた海賊が食堂を覗き、何かを指示した。
海賊の手下どもは、食堂の乗客の中から最も高齢そうで、最も華奢でおとなしそうな見た目の老婦人を選び、食堂から連れて行こうとした。
「なんてことするのよ、このおたんこなす!」
おかみさんは老婦人の腕を掴んでいる海賊を怒鳴りつけた。
「待ちなさいッ。その人をどこへ連れて行く気なの。いいこと、よく聞くのよ、その人を離して子ども達を返しなさい。そしてわたしを代わりにつれていきなさいッ!」
しかし海賊たちは笑い飛ばし、二人がかりで青ざめる老婦人を挟んで連れていった。
「ああ、もう! なんて馬鹿な人たち。覚えてらっしゃいッ!」
「おい、落ち着きなさい。いまはやめとくんだ。船は止まっているようだよ。ここはまだ境目の上なんだから」
マルセノ親方はおかみさんへ穏やかに話しかけた。
「悔しいわ。目の前であの子を連れて行かれるなんて……」
おかみさんは歯を食いしばった。ぶつけどころのない怒りに興奮状態なのだ。淑やかなおかみさんしか知らないニザが見たら、きっと信じられないというだろう。
「そう落ち込むなよ。そのうち機会は必ず来るから」
マルセノ親方は自信たっぷりだ。
「あなたはあの子が心配じゃないの?」
「ふつうに心配さ。だが、俺が手塩に掛けて育てた弟子だぞ。海賊ごときに心が負ける人間じゃない。この船はもうすぐ境目を抜ける。それまでの辛抱だよ」
マルセノ親方の言葉に、おかみさんは小さくうなずいた。
子どもと女性の人質は、海賊船へ連れて行かれた。
旅客船の甲板で、海賊船長は部下に命じ、食堂に残された大人の中からいちばん年配でおとなしそうな――つまり、海賊の男達がたやすく制圧できる非力な人間を選定して……――一人の老婦人を連れてこさせた。
海賊船長は、恐怖のあまり青ざめて震える老婦人の手の縄を解かせた。
「そう怯えなくてもいいですよ、マダム」
海賊船長は礼儀正しく、老婦人の力の入らないその右手をとり、鍵を一つ、握らせた。
「いいか、よく聞け。俺たちの海賊船が水平線の彼方に見えなくなったら、お前はこの鍵で船長室のドアを開けにいけ。船長達はそこにまとめて閉じ込めてある。だが、もしもお前が、海賊船が見える間に甲板から姿を消したら、俺たちはすぐに引き返してきて、乗客全員皆殺しにしてやる」
老婦人は鍵を両手で抱きしめて甲板にへたりこんだ。
海賊船は出発した。
ゆっくりと客船から離れ、大きな帆が風をはらんだ。
海賊船はどんどん遠ざかっていった。その光景だけならば、波の上をすべる白い水鳥のごとく美しく。
船長室の鍵を抱きしめていた老婦人は、海賊船が水平線に豆粒よりも小さくなると、すぐに食堂へ走り戻った。
あの距離なら、もう双眼鏡を使ったって甲板に立つ人の姿なんて見えない。あちらからだってもう見えやしないのだ。境海を何度か船で渡ったことのある老婦人は、海上での距離感を、経験で知っていた。
老婦人は涙をこぼしながら、震える足をけんめいに動かし、食堂へ入ってきた。
「船長室の場所を知っている人は? 船長さん達はそこに閉じ込められているそうよ」
そう訴えながら、力の入らない手つきで、いちばん近くにいた乗客の手の縄をなんとかほどいた。
海賊船が去ってから十分たらず、船長室に監禁されていた全員が拘束から解放された。
自由になった乗客により、解放された船長と船員たちは、急いで食堂へきて、真っ先に乗客全員の安否を確認した。
海賊に小突かれたりしてかすり傷を負った者、縛られた両腕や足首が傷ついた者は多かった。気分が悪くなって安静が必要な者もいた。しかし、それ以上の負傷者はいなかった。
船医は食堂の片隅に急遽診療場所を作り、看護師と一緒に診察に当たった。
もっともひどい負傷は船長であった。殴られた顔は赤紫色に腫れあがり、全身打撲傷だらけだった。口の中が切れたせいで、あごや首元は血で汚れていた。動けないほどの重傷ではなかったが、船医からは応急処置がすむまで動くなと命令された。
船長は船医の命令を拒否した。
「休むのは副船長と共に、乗客への説明責任を果たしてからにする」
長椅子に横たわった船長がいちばん重傷なのは一目瞭然だったが、それをわかっていてなお、乗客は船長と副船長へ詰め寄るのをやめられなかった。
「船長、これからどうしたらいいんだ?」
「境目の海は安全じゃなかったの? どうして海賊に襲われたの?」
「子どもたちを取り戻したいんだ!」
口々にわめきたてる乗客の前に、すぐには体を起こせない船長の代わりに、副船長が立った。
「皆さま、落ち着いてください。船長は見ての通り負傷しており、まだうまく喋れません。代わりに副船長の私が皆さまの質問にお答えします」
船長が食堂の片隅で船医から応急処置を受けている間、副船長は自分たちの身に起こった出来事を説明した。
「当船は真夜中に海賊の襲撃を受けたのです」
「真夜中だって!?」
乗客がざわめいた。
「海賊船が現れたのは夜明け頃だろう?」
「いいえ、それは違うのです。海賊船が現れるはるか以前に、この船の乗員の中に、海賊のスパイが潜入していたのです」
副船長の説明によると、昨夜、船員用の夕食と夜勤で提供される軽食、また飲み物類のすべてに、遅効性の睡眠薬が混入されていたらしい。
レストランで乗客と同じ食事をした船長も眠らされたから、乗客の食事の一部にも睡眠薬は混入されていたのだろう。
スパイは複数人いたようである。
現時点で判明しているのは、厨房で働いていた料理人が一人。ほかにも上級船員や機関室のエンジニアなど、半年から一年以上、この船で働いていた数人が姿を消していた。
睡眠薬を飲まされたにもかかわらず、船長達が目覚めたのは夜明け前であった。料理や飲み物に入れられたせいで、薬の効果が薄められたと推測される。
だが、用心深い海賊のスパイ達は、眠っている間に艦橋で働く甲板員全員を縛り上げ、まとめて船長室へ押し込めた。
目を覚ました船長は、手は拘束されていたが歩けたのでドアの前までいき、大声で海賊船長と交渉しようとした。
その結果、わかったことがある。
海賊は、初めから話し合いをする気は無かったのだ。
うるさく大声で呼びかけ、ドアを蹴り続ける船長に業を煮やした海賊どもは、手っ取り早く船長の部下の心を折るため、その目の前で、よってたかって船長に殴る蹴るの暴力を加えたのだ。
船長は船医による応急処置がすんでも、頬やあごが腫れ上がっているのでうまく喋る事ができず、けっきょく副船長が応対を続けた。
「ご覧のように船長は負傷しております。これからは副船長の私が船長代理として、お子様方が攫われた方につきましても、皆様からいろいろと聞き取りをいたしますので、なにとぞご協力をお願いします。これから質問を受け付けますので、聞きたいことがある方は挙手をして、順番にお話しください」
「質問があります」
いちばんに挙手したのは、海賊船長に船長室の鍵を持たされた華奢な老婦人であった。
「副船長さん、あいつらはたくさんの荷物をこの船から運び出していました。まさか、私たちが船の金庫へ預けていたお金や宝石も盗られたのですか?」
「そうです。誠に申し訳ないかぎりです。船長が眠っている間に鍵を盗まれ、船の金庫室でお預かりしていた皆様の貴重品の大部分が略奪されました」
副船長は非常に悪い顔色で認めた。
悲鳴と絶望の叫声があがった。
「わたしたちの財産が!?」
「これから新しい土地で暮らすのに、先立つものが無いなんて、どうしたらいいの!?」
「それについてはお預かりした際の目録がございます。皆さんが受けられた被害については、これから順番に聞き取り調査をいたしますので、ご協力を……」
「待ってくれ、先にどうしても聞きたいことがある」
副船長の話が一段落するのを待っていたマルセノ親方は、挙手しながら歩み出た。
「子ども達が誘拐されて身代金を要求された。海賊どもは〈赤い冠島〉へ金を持ってこいと言っていた。あいつらは奴隷商人なのか? 子ども達はどこへ連れて行かれたんだ?」
「それは……」
副船長が言いよどむと、長椅子に横たわっていた船長がおもむろに立ち上がり、副船長の左肩に手を置いた。
「それには、私がお答えします」
船長は、単語の一つ一つを確認するように、ゆっくりと喋った。
「境海世界は広いので、奴隷制度のある領海では、海賊は奴隷商人でもあります」
「攫われた子どもや女性は、その領海で売られるのか?」
「いえ、すぐには売られません。〈赤い冠島〉とは、現在地から一ヶ月ほど航海した先にあるサンツアード領海の北にある小さな島です。そこには海賊が集まる無法者の街があり、海賊の首領が住む城があるのです。海賊はその城へ人質を監禁し、年に何度か、裏社会と繋がりのある商人を仲介役にして、人質と身代金の交換をするそうです」
乗客のざわめきが大きくなり、子どもを連れ去られた者は怒りをあらわにした。
「一年も待っていられるか! すぐに海賊船を追いかけて子どもを取り戻してくれ!」
「これから海賊船を追跡しても、我々には武器が無い。海賊と戦える兵士もいません。皆殺しにされるだけです」
船長の告げた残酷な事実に、乗客たちは言葉を失い、しずまりかえった。
「そんな……」
誰とも無く呟いたとき、
――ボオオー~~……
腹の底に響く重厚な汽笛が聞こえた。
「軍艦だ」
船長が言った。




