その十四:海賊が襲来した日のこと
その日の朝のことはよく覚えている。
丸い船窓からは夜明け前の白っぽい光が差し込み、室内は湖底のような薄水色に染まっていた。
耳を澄ますと、低くうなる風の音だけが聞こえた。
隣の部屋ではマルセノ親方とおかみさんが眠っている。
朝食まではまだたっぷり時間がある。
僕はもういちど眠ろうと目を閉じた。
「海賊だッ!」
外で、誰かが叫んだ。
はっきり聞こえないまでも、窓の外や廊下がなにやら騒がしくなった。
僕はギョッとして跳ね起きた。
「るっぷ? どうしたのでしょう、ご主人さま?」
枕元にいたシャーキスが首を傾げた。
「わからないよ。シャーキス、外を見てきてくれるかい?」
「るっぷりい、了解しました!」
シャーキスは枕の上でパッと消えた。
こういう魔法の現象を間近で見せられると、改めてシャーキスは本当にぬいぐるみ妖精なんだなあと感心する。
僕は慌てて身支度した。パジャマでは部屋から出ることもできない。
ちょうどクローゼットの前に昨夜の夕食会で着た服が吊してあったから、それを着る。
これは僕のための正装だけど、この旅のためにおかみさんが仕立ててくれた特別な旅装でもある。部屋の外へ出るときはこれを着なさいとマルセノ親方とおかみさんに重ねて言いつけられていた。
隣の部屋からおかみさんとマルセノ親方の会話が聞こえた。
「境海世界の海賊ですって? ここはまだ地球に近い海のはずでしょう?」
「そうとも、境目ではどちらの世界の魔法も武器も使えないから、来るはずがないのが常識なんだが……」
僕が着替え終えると、身支度を調えたマルセノ親方とおかみさんが部屋にきた。
おかみさんは薄いオレンジ色のフード付きマントを羽織っていた。おかみさんが歩くとフワッと動く。とても薄くて軽い素材らしい。背中側に垂れた大きなフードは銀の花の刺繍が入っている。
こんなマントを着ているところは初めて見たけど、おかみさんにとても似合っていた。
「ニザさん、まだ外がどうなっているのかわからないけど、いつでも動けるようにしておきましょう」
「はい、おかみさん」
――乗客のみなさん、落ち着いて聞いてください。いまから持てるだけの手荷物を持って食堂へ集まってください。繰り返します……。
船内放送がひびいた。
「今のは……」
「船長さんの声だわ」
船長の声はときどきうまく喋れないふうにつっかえた。
「よし、外へ行こう」
マルセノ親方は廊下へ出るドアを開けた。
僕らがめいめいの手荷物を抱えて食堂へいくと、そこには乗客が集まっていた。
僕らは来るのがだいぶ遅かったようで、前の方に人が大勢いて進めず、その向こうに何があるのか見えなかった。
乗客はざわついていた。
「変だわ、船長が来ないじゃない」
「おい、船員がどこにもいないぞ。みんなどこへいったんだ?」
「おい見ろ、あの制服のやつら、剣を持ってるぞ!」
「まさか、あいつらが海賊か!?」
僕らは騒いでいる乗客の後ろにいた。
背の高いマルセノ親方は人垣の向こう側の光景が見えているだろう。マルセノ親方はそれ以上進もうとはしなかった。
「二人ともわしの後ろにいなさい。けっして前へ出るんじゃないぞ」
マルセノ親方は低い声で言い、おかみさんはうなずいた。マルセノ親方とおかみさんの真剣な表情は、境海世界の海賊がどれほど危険かを知っているにちがいなかった。
僕はとても現実とは思えなかった。海賊の実物を見ていないから実感も無く、これから何が起こるのかを想像できなかったからだ。
「ニザ!」
ひそめた声で僕を呼んだおかみさんは、僕の右腕を引っ張って自分の左側へ引き寄せ、僕らはマルセノ親方の真後ろにピッタリ付いた。
おかみさんは僕を左側に立たせて頭からマントですっぽり包んだ。そして自分の胸に隠そうとするかのように、僕の肩をがむしゃらな力で抱きよせた。
「わたしのマントの中でかがんでいなさい。上を向かないでね」
僕は膝を曲げて背中を丸め、おかみさんの左側で肩を抱えられていた。おかみさんがマントの中に幼い子をしっかり抱きしめているように見えないこともなかっただろう。
「絶対に声を出さないで。わたしのお腹にしがみついて、できるだけ小さく見えるようにしているのよ」
もしも僕を胸の中へ隠せるものならば、おかみさんは本当に自分の胸の中へ僕をしまい込んだだろう。そう思えるほどの必死さを感じた。
「船長、乗客は全員食堂に集まりましたぜ」
僕の前は人垣しか見えないけれど、海賊どもの会話は聞こえた。
「おい、家族連れはそっちの壁際だ。一人旅の若い男はこっちで並ばせろ!」
「おら、歩け! さっさとしろ!」
怒号と悲鳴。
海賊船長の命令で、手下どもが剣を突きつけて家族連れの乗客を移動させたのだ。
僕らは家族連れのグループとして追いやられ、家族で固まって座るように指示された。
皆がしゃがんだので、僕らもゆっくりとしゃがんだ。
「よーし、これで乗客は全部だな。――おいッ! 若い女と子どもを集めろ」
「へい」
海賊の手下どもがすばやく動き出した。
剣で脅しながら、大人の男から細いロープで手際よく拘束していった。
泣き叫ぶ子どもを親から引き離し、海賊船長の近くへ運んでいく。
若い女性の悲鳴が何度か聞こえた。
僕のいる近くで、子どもを守ろうとした母親が突き飛ばされ、父親が殴られた。何組かの親子がそんな目に遭わされたあとは、乗客の悲鳴も抵抗もほぼ見られなくなった。
僕はおかみさんのマントで頭から覆われていたが、隙間からその光景を目撃していた。
見た目が十歳よりも下の幼い子どもは、親元に残されていた。
「ひい、ふう、みい、……ふむ、十歳以上が十三人か」
海賊船長ではない、海賊の手下の誰かが、人数をかぞえていた。
――どういうことだろう?
海賊は、年齢で子どもを選んでいる。
なぜこの船に乗ってきたばかりの海賊が、乗客の子どもの数とその年齢を知っているのだろう?
「船長、これで十歳以上の子どもはぜんぶ集まりましたぜ」
「いや、もう一人、大きい男の子がいるぞ」
僕は、その声に聞き覚えがあると気づいた。僕を含めた子ども達を、船内の見学で案内してくれたあの気の良い上級船員のおじさんだ!
「おい、たぶんあそこにいる家族だ、大きい男の子がいるはずだ、連れてこい!」
海賊船長の命令で、僕らの前に海賊の手下が来た。そいつらは二人がかりでマルセノ親方を押しのけ、べつの一人が僕を抱え込んでいるおかみさんの左手を掴んだ。
「さわらないでッ!」
おかみさんは手下の手を叩き払ったが、別の横合いから伸びてきた手がおかみさんのマントを掴み、僕は襟首を掴まれて、おかみさんのマントの中から引きずり出された!
「待て、だめだッ!」
マルセノ親方は引き離されていく僕の手を掴み、僕がおかみさんのマントの中で取り落とした手荷物の巾着袋を押しつけた。
「これだけは持って行くんだ! 職人の命はなにがなんでも手放すな!」
マルセノ親方は三人がかりで押し倒され、ロープで縛られた。
僕は巾着袋を両腕でしっかり抱えて海賊の手下に引きずられ、子ども達が集められている階段の近くへ連れて行かれた。
「わたしの子にさわらないで! その手をお離しッ! 離せッ!」
僕を追おうとしたおかみさんは突きとばされ、マルセノ親方の上へ倒れた。
この船の船員や乗員の姿はなかった。
「さて、なんともはやお気の毒な乗客の皆様に、良いことを教えてさしあげましょう」
海賊船長はマルセノ親方やおかみさんや、大人たちが固められている方へふり向いた。
僕は海賊船長の側に立たされ、背後から背中にナイフを突きつけられた。それだけで、僕は硬直して指先一つ動かせず、瞬きもできなくなった。
「皆様、お静かに!」
海賊船長はあたかも演説をするように、威風堂々、よく響き渡る声でいった。




