その十一:旅の話をした夜のこと
夕食はなかなかのご馳走だった。
キノヤ親方とその奥さまとノエミお嬢さんとの会話は楽しかった。
ノエミお嬢さんが僕の旅の話を聞きたがったので、僕はベネアの町へ来るまでの話をかいつまんで披露した。
だが、とんでもなく辛かった経験をそのまま話すことはできない。
僕は、本物の修行中の旅職人のふりをした。
船で境海を渡る途中で海賊に襲撃された。
監禁されていた海賊の島から逃げ出した。
逃げ出すのは、本当はかなり危険だったけど、そこは運が良かったことにした。
たまたま親切な船長さんに助けられ、この国の港で降ろしてもらった。
港町で波止場人足の仕事をしていたが、それがとても辛かったこと。手のマメが潰れて血が出て、自分が木工細工職人として働きたいのだと、改めて気づいたこと。
そして、噂に聞く木材産業の盛んなベネアの町へ行こうと固く決意したこと。
急いだので、ベネアの町へ来るまでの切符代が足りず、三駅分の距離を甘く見たせいで街道を五日間歩いたこと――……。
ノエミお嬢さんたちに楽しんでもらえるように、さりげなく滑稽さをまぶして、しかし嘘をつかないように脚色をつけずに話すのは、けっこう疲れた。
僕は嘘つきじゃない。
本当は魔法玩具師であること、途中まで師のマルセノ親方ご夫妻と一緒に旅していた事情までは話さなかっただけだ。
その夜、本館の客室に泊めてもらった僕は、なかなか眠れなかった。
自分の部屋だと――この家具工房の職人寮だけど――最近はそこそこぐっすり眠れていたのに、今夜は眠いのに睡魔が訪れない奇妙な状態がつづいている。
心配したシャーキスが、僕の枕の上にずっと座っていた。
「るっぷりい! ねんねできるようにポンポンしましょうか?」
ぬいぐるみの腕で額をポフポフされたが、ちっとも効かない。
「るっぷ? 眠りの魔法が効きませんねえ。どうしたものでしょう」
あ、ときどき寝る前にやってくれるあれは、やっぱりよく眠れる魔法だったんだ。
シャーキスって、じつはいろんな魔法を使えるんじゃないかな。
いつもすごいスピードで空を飛び回ってるし、他の人に見えないように姿を消す魔法は日常的に使っているし。まともに訊ねても魔法のことはあんまり教えてくれないけど。
僕が海賊から逃げ出すときでさえ、まったく何も魔法を使ってくれなかったしな……。
「でも、僕はもうすごく眠いはずなんだよ、シャーキス……」
たぶん、精神的に疲れているんだ。
慣れない晩餐のご馳走と、キノヤ親方家族の親切なもてなしと、ふだんの自分の部屋よりとても豪華な、本館の客室に泊めてもらったせいだ。
僕はシャーキスに説明しようとしたが、体はすでに半分眠りの中にひたっているみたいで、口をしっかり動かせなかった。
しかし意識はまだ冴えている。心身がやすらかに熟睡する眠りじゃない。
「るっぷりい! 眠れないときは子守歌なのです!」
シャーキスがぽふんと枕の上で弾んだ。
「る~っぷり~い、お星さ~まがぁ、夜空にまたた~き~、る~っぷりい~、お月さまは天空にのぼ~るぅ~。太陽の夢と月の鏡はゆ~らゆらー。虹の彼方の大きな木の下で、子猫たちは遊んでるぅ~っぷ!……」
調子ッぱずれの音程でシャーキスが唄いだした。いちおう韻律を踏んでるし、詩は優しい感じがするから、これでも子守歌なんだろうなぁ……。
そのうち僕は、ベッドに横たわったままなのにだんだんと下へ、下へと沈んでいくような、奇妙に下降していく感覚をおぼえていた。
こういう感覚も「眠りの底へ引きずり込まれていく」過程なのだろうか…………――――。
肌に感じる空気が、冬の井戸水のように冷えてきた。
なぜだろう、眠るのが怖くなってきた。
このまま眠ってしまったら、その眠りの向こう側で何か怖いものに出会うような気がして、心臓がドキドキしてきた。
――シャーキス! なにかおかしいんだ。急いで起こしてくれ。
でも声を出せなかった。
すでに僕の体は眠りの中にある。
きっと、これが睡魔の訪れというやつなんだ。ほんらいは心身の安らぎであるべき睡眠の眷属に、何故〈魔〉という文字が使われるのか、その理由がわかった気がした。
まるで魔の海の、深い深い底へ潜っていくような気分だ……………………。
僕は、久方ぶりの青ざめた夢の中で、あの海賊に襲撃された光景を、もう一度見たんだ。




