その十:キノヤ親方の屋敷とノエミお嬢さん
キノヤ親方は、ベノアの町いちばんの家具工房の親方だ。
その大きなお屋敷と工房は、町の中心から南へ少し離れた場所にある。
カトルス雑貨店のご大老に言われた通り、僕はキノヤ親方に会うため本館へいった。
従業員専用玄関で呼び鈴を押し、出てきた使用人のおばさんへ、キノヤ親方に取り次いでもらえるよう頼んだ。
ほどなく中へ案内され、居間でくつろがれていたキノヤ親方にお会いできた。
「キノヤ親方、お話したいことがあります」
カトルス雑貨店のロゴマーク入りの大きな紙袋を抱えた僕の様子から、キノヤ親方は何かを察してくれたらしく、
「ここではなんだから書斎へいこう」
キノヤ親方は書斎へ移動し、ドアをぴったりしめてから僕に話をうながした。
僕は書斎の机へ紙袋の中身を出して見せ、手に入った経緯をくわしく報告した。
キノヤ親方は深い溜め息をつかれた。
「そうか、町中でテノに絡まれたか……。ケガが無くて良かった。テノのことは、まことに申し訳ない。私の指導不足だ」
「いえ、キノヤ親方がテノさんを家具職人の弟子として丁寧に指導されているのを、僕は作業場で見て知っています。今日の出来事にキノヤ親方は関係ありませんよ」
「まったく、なんと詫びたら良いのかわからんよ。バンさんからいろいろ聞いて気にはなっていたんだが……。現場を見たことがなくても、きみに対するテノの態度や様子はどこかおかしいとは思っていたよ。嫌な目に遭わせてすまなかった」
キノヤ親方が、テノに厳しい注意を繰り返していると、職人頭のバンさんとエルヒさんからも聞いている。
「今日のテノさんの行動については、キノヤ親方に責任は一切ありません。僕はなぜか初対面からテノさんの目の敵にされていましたから」
今日までわからなかったその理由も、カトルス雑貨店のご大老に教えてもらえた。そこは省略して話していない。キノヤ親方もその理由はよく知っているのだと、ご大老は言っていたから。
「ああ、まったくあいつには困ったものだ。ニザくんには関係無いことなのに、すまないかぎりだよ」
そのとき、件の理由に関係ある人物の手によって書斎のドアがノックされた。
「お父さん、ちょっといいかしら。ニザさんが来ているでしょう?」
「なんだい、ノエミ?」
親方の返事が終わらぬうちにドアが開いて、ふわふわの薄茶色の巻き毛の少女が、洗濯物入れのカゴを両腕で抱えて入ってきた。
「ニザさんの洗濯物を持ってきたの」
いちめん花の刺繍を散りばめたエプロンドレスがよく似合うノエミお嬢さんが、にっこり笑いかけてくれた。
僕もつられて笑顔になる。ノエミお嬢さんは僕がこれまでの人生で出会った中でもとびきり可愛くてきれいな少女だと思う。
「ありがとうノエミ。ニザくんとはまだ話があるから、そこの机へ置いていってくれ」
「はい。ニザさん、どうぞ」
キノヤ親方に返事だけして、ノエミお嬢さんは榛色の目を細め、こぼれそうな微笑みを僕へ向けながら洗濯物のカゴを差し出してくれた。
「いつもありがとうございます」
僕は洗濯物のカゴを受け取った。カゴにはネームタグが付いているし、服の上に掛けてあるタオルにも名前は縫い取られている。
うん、まちがいなく僕のだ。できた洗濯物は本館裏手にある洗濯物置き場へ自分で取りにいくのがルール。けど、僕が本館に来たときはノエミお嬢さんがいつも持ってきてくれるから助かっている。
「お父さん、もうすぐお夕食だけど、お茶とお菓子でも持ってきましょうか?」
ほんとうに細かい気遣いができる親切なお嬢さんだな。なぜかキノヤ親方は渋い表情になっていることが多いけど。
「いや、いいよ。それまでには終わるから。そうだ、ニザくん。今日はこっちで夕食を食べていきなさい。いや、今夜は別館にも戻らない方がいいかもしれん。テノが何をするかわからんからな。客室へ泊まるといい。ノエミ、お母さんにそう伝えてくれ」
「はい! わたしもニザさんの旅の話を聞きたいわ。お母さんに伝えたら、ここへ戻ってきてもいいかしら?」
「いまは仕事の話をしてるんだよ。旅の話は夕食のときに聞かせてもらおう。ほら、いいから行きなさい。お母さんに、忘れずニザくんの分の夕食と客室の準備をするように伝えるんだよ」
「はーい。ニザさん、またあとでね」
ノエミお嬢さんはちょっと不満そうに唇とつんと尖らせて出ていった。お淑やかそうなのに、キノヤ親方を相手にすぐ引かないとはなかなか強いお嬢さんだ。
「それでニザくん、きみは今後どうするつもりかね。最初の契約では半年だったが――……」
またドアがノックされた。
「ごめんなさい、ニザさんの新しいシャツを持ってきたの。渡すのを忘れていたのよ」
ノエミお嬢さんがたたんだシャツを持って入ってきた。
僕の新しいシャツ?
そういえば、キノヤ親方の奥さまに服のことを聞かれた。手持ちの着替えは二枚だけしかない。そう答えたら、新しいシャツをくださると――旅職人の修行は、旅の途中で出会う人々の親切なくしては成り立たないものなのだと――教えてもらったんだ。
「ノエミ。それを渡すのは夕食のあとでも良かっただろう」
キノヤ親方はジロリとノエミお嬢さんを見やったが、ノエミお嬢さんは平然としている。
「お母さんにはちゃんと伝えてきました。ニザさん、はいどうぞ。ちょっと当ててみて。袖の長さとか、どうかしら?」
ノエミお嬢さんはキノヤ親方が苦虫を噛み潰したような表情になったのも気にせず、僕へ新しいシャツを手渡した。
「こんなに早く、ありがとうございます」
僕はチラッとキノヤ親方の顔を伺った。キノヤ親方はこんどはすっかり諦めたような、やけに穏やかな表情になっている。
「いいから、早く見せてやってくれ。続きはそのあと話そう」
僕はシャツを広げて体の前に当てた。
あれ? これは――。
「僕のとまったく同じ……?」
僕の師であるマルセノ親方のおかみさんが僕のために仕立ててくれたオリジナルのシャツと、襟や袖の形まで同じだ。違うのは大きさだけ。付けてあるボタンもよく似ている。
「母とわたしで縫ったのよ。ニザさんのシャツは襟とボタンがとても珍しいでしょ。あのシャツから型紙を作って、ボタンは洋品店に頼んで似たものを探してもらったの」
「それは……!? お金がかかったのではありませんか? 代金を払わせてください」
丁寧な手縫いのシャツは、いくらお金があったとしても普通では買えない品だ。ボタンは真珠貝に似たきれいな貝殻から作られている。それ相応に高価なはずだ。
「いや、これはこちらの好意で用意したものだから、受け取ってもらわないと私たちが困るんだよ」
キノヤ親方にそう言われると無理にお金を渡すこともできない。
「キノヤ親方……。ノエミお嬢さん、ありがとうございます。あとで奥さまにもお礼を申し上げます」
僕はシャツを体の前に当ててみた。丈は充分だし、袖も余裕があるのもありがたい。
「これならもう少し背が伸びても楽に着られそうです」
この二ヶ月で三センチほど身長が伸びたので、服も新しいのが欲しかったんだ。これはとっておきの外出着にしよう。
「よかったわ。ニザさんが着ていたのはちょっと窮屈そうに見えたから、これは少し大きめにしてあるの。ニザさんは成長期だから、まだまだ背が伸びるかもしれないって、お母さんが言ってたから」
ノエミお嬢さんは輝くような笑顔になった。
奥さまには夕食のときに会えるから、そのとき丁寧にお礼を言おう。
ノエミお嬢さんは満足したのか、やっと書斎から出て行った。さすがにこれ以上とどまる理由は出せなかったようだ。
どうして僕なんかと話がしたいのだろう。
この町にたどり着くまでの僕の旅は、さんざんなことばかりだった。海賊に捕まって逃げ出したり、港町で波止場人足をしていた単調な日々の話なんて、面白くもないと思うけど……。
僕はもらったシャツをきちんとたたみ直し、カゴの洗濯物の上にのせた。
「ニザくん、さっきのつづきだが……」
キノヤ親方に促されたので、僕は答えた。
「僕の今後ですが、以前お話しした通り、いずれまた旅に出ます。テノさんのことはそれまでの辛抱だと思っています。いまは海賊に身ぐるみ剥がれたせいで旅の資金がありません。もう少しお金が貯まるまで、ここで働かせていただけると助かるんですが……」
「もちろんだとも。きみのように正直な、腕の良い職人にいてもらえるのはありがたいことだ。こちらもきみの経験から学ばせてもらうことがたくさんある。もし、家具職人として働きたければ、いつまでもうちで働いてくれればうれしいよ」
キノヤ親方の親切な申し出に、僕は、胸の奥が小さく痛んだ。
言ったことに嘘は混じっていない。
けれど、僕が行くのは旅職人の修行の旅じゃない。
魔法玩具師のマルセノ親方とおかみさんを探す、宛ての無い旅路だから――――。
キノヤ親方の表情がふと陰った。
「テノのことだが、明日にはなんとかすると約束しよう。でなければきみは部屋にいても安心できないし、おいそれと町に出ることもできない」
「でも、テノさんはキノヤ親方のご親戚では……?」
「いやいや、それとこれとは別問題だよ。テノはあろうことか、工房とは関係なく休日を過ごしていたきみに町中で暴力まで振るったんだ。目撃者も大勢いる。テノは暴力事件の首謀者だ。あいつは職人には向かない人間だ」
キノヤ親方は強く約束してくれた。




