その一:見習いのニザ
のこぎりの最後の一引きで、太さが僕の体の半分くらいもあった丸太は、ようやく切断できた。
僕は小さくクシャミした。足下には木くずがいっぱい。空中には細かい木くずが埃のように舞い漂っている。
「やあ、上手くいったぞ。ニザくんはなかなか筋が良いな」
「ありがとうございます」
僕はのこぎりから手を離した。
丸太を切断する大きなのこぎりを扱うのは、これが初めてじゃない。
こんなに大きな木を切ったのは初めてだけど。のこぎりだって、扱いには慣れていたつもりなのに、手の平が痛くなった。
「いやいや、相手に呼吸を合わせてまっすぐのこぎりを引くのは、初めてで早々できるものじゃないよ。きみはいい大工になれるぞ」
大工の親方は僕の背中をバンバン叩いた。大工仲間のおじさんたちがにこやかに眺めている。
「おいおい、ニザは家具職人になるんだろ」
「おれは木工細工職人だって聞いたぞ」
「大工になるかい、ニザ。俺たちゃ大歓迎だぞ。なに、俺たちだって、木工細工はやるもんだし、この町に住むなら問題ないだろ」
「あの、まだ修行中の旅職人ですから、決めていないんです!」
僕は神妙に答えた。
木工細工や大工など、建設関係の職人は入門した工房である程度の技術を身に付けた後、修行の旅に出て腕を磨き、やっと一人前になる。
この国にも放浪の旅職人の文化があって助かった。
「まあまあ、よかったら真面目に考えてくれ。まだ若いんだ、いつでもうちに来いよ」
大工の親方は僕を気に入ってくれたらしい。この大工工房は、気の良い人たちばかりだ。今日が初対面の人もいるのに、とても親切にしてくれる。
「よーし、そろそろ昼飯にするか」
大工たちはたくさんの丸太と切られた板と、木くずだらけの広い作業場から出て、食堂へ移動していく。
僕は、自分の使っていたのこぎりを丁寧に置き場所へ片付けた。
僕は作業小屋から外を見た。
外はまばゆいほどに明るい。
晴れた青空に、母屋の煙突から昼食を作るほそい煙がたなびいている。
ここでは臨時雇いの僕にまで暖かな食事がもらえるのだ。
僕は自分の両手の平を見た。
のこぎりから手を離して時間が経ったのに、まだ手の平がジンジンしている。この三日間で、両手の指ぜんぶの付け根に新しいマメができた。玩具作りをしていたときには無かったマメだ。
僕は魔法玩具師なのに。
繊細なミニチュア家具や可愛いぬいぐるみ、このうえなく精巧なカラクリ仕掛けのオルゴールや、月や太陽の光を魔法で込めた特別な玩具……そういった作品を作るのが、本来の僕の仕事だ。
そういえば、最初の船に乗って境海を越えてから、玩具作りの道具にはさわっていない。
僕はいつか、魔法玩具師の生活に戻れるのだろうか…………?
僕の師匠である親方と別れたときのことを思い出す。
――ニザ、絶対にあきらめるな!
僕の魔法玩具作りの師、マルセノ親方が叫んだ言葉。
――待っているんだ、かならず迎えに行くからな。
――やめて、この子をつれて行かないで!
悲鳴をあげるおかみさんの手が僕からむりやり離されたあの日の記憶は生々しく、まるで昨日の出来事のよう。
あの日のことがふいに記憶に浮かび上がるたび、僕の頭のどこかにするどい痛みがはしるんだ。
僕は両手で目をおおった。そうすればあの記憶を見ずにすむかのように。だが、この記憶の痛みは、僕のざわめいた心がなんとか落ち着くまで消えてくれない。
「るっぷりい、ぷう!」
甲高い声とともに、僕の頭の上にポスンとやわらかい感触が乗っかった。
僕は頭の痛みを忘れて、顔から両手をはずすことができた。
「やあ、シャーキス。どこにいたんだい?」
「ずっと屋根の上で、飛んでいく鳥の数を数えていたのです、ぷいっ!」
ぬいぐるみ妖精のシャーキスだ。ピンクの小花模様の布で作られた、お喋りなクマのぬいぐるみ。
「ご主人さまも、早く食堂へ行きましょう。お昼ご飯がなくなっちゃいますよ?」
シャーキスは僕がもっと若い頃、ひとりでデザインから仕上げまで手作りしたテディベアだ。ふつうのぬいぐるみを作ったつもりが、なぜだか魔法の生命が宿り、ぬいぐるみ妖精になったのである。
「今はちょっと食欲がないんだけど……」
「お腹が空いては良いお仕事ができないのです。よく食べてよく遊ばないと、親方に叱られちゃいますよ、ぷいッ!」
ぬいぐるみ妖精のシャーキスは、いつも僕のそばに居る。ふだんは人の目に見えないように魔法で姿を消しているのだ。
シャーキスが親方というのは魔法玩具師のマルセノ親方のことだ。ここにマルセノ親方はいない……と返しはせず、代わりに僕は、右手で頭の上にいるシャーキスの足を軽くさわった。
「シャーキスだけは、いつでもどこにいても、僕と一緒だね」
海賊の船でも、逃げだした時に乗った別の船でも、波止場で日雇い仕事をしていたときも。この町に来るまで野宿した夜も。
「るっぷりいッ! あたりまえです! ボクはご主人さまのぬいぐるみ妖精なのですよ! ぷいっ!」
こうして僕の頭の上で弾んでいても、他の人にはシャーキスの姿は見えない。
純真な子どもや、大人でも魔法使いの素質がある人なら見えるらしいけど。
シャーキスいわく、ほんとうに純真でぬいぐるみ妖精がはっきり見える子どもはだいたい三才くらいまで。大きくなるとふつうに見えなくなるらしい。
ごく稀に、大人になってもぬいぐるみ妖精が見える人はいる。しかし、魔法使いの素質がある人はめったにいないそうだ。
「さ、早くごはんにいくのです。こんなところでのこぎりとにらめっこしていても仕方がありません。急がないと焼き肉がなくなるのです、ぷいっ!」
「そうだね、このところ肉はほとんど食べてないもんな。よし、いこう、シャーキス!」
僕はニザ。
魔法玩具師マルセノ親方の最後の弟子で、マルセノ親方には一人前の魔法玩具職人だと認められた、腕の良い魔法玩具師なんだ。
ここが、この場所が、僕の知らない異世界の見知らぬ街であろうと、そんなことは関係ない。
どこにいたって僕は僕だ。
それ以外の何者でもないのだから。