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ep65 まごころ神ちゃんの五兄弟妹(きょうだい)③

 幼い頃、家族の外出では必ずいつも他のことに気を取られて迷子になっていた。窓から猫が見えたからという理由で他人の家の中に侵入し、警察沙汰になったこともあった。友達の持っていたヒーローもののフィギュアが欲しくて、一人で勝手に都心のおもちゃ屋さんまで電車で出かけたこともあった。


 押すなと言われれば押す。引くなと言われれば引く。行動原理は単純だ。亮は制限されることが嫌いなのだ。それでも大事には至らなかったのは、ただ単に運が良かっただけに過ぎない。


「居んだろ、身内で勉強できる奴」


 将が言うと、亮はその人物が思い当って、苦い顔をした。


(のぼる)兄貴ィ? やだよ。全然帰ってこねぇし、生きてんだか死んでんだかわかんねんだもん」


「生きてんだろ、さすがに」


「わかんねーじゃん。どうすんだよ、電話してみて死に際だったら」


「その確認も兼ねて電話してこいよ」


 将に言われて、亮は不満そうに唸った。


「えーやだやだぁ! 将兄ちゃんもそばにいてよ。俺、昇兄ちゃん怖い」


「うぜぇ」


 こんな時ばかり弟面して縋りついてくる亮を、コントローラーをもったまま肘で引きはがす。肘は額に当たり、亮は痛さに呻いた。


「俺も昇兄(のぼるにい)苦手なんだよ。あのクソ屁理屈野郎」


 将でさえ長男に対しては強い苦手意識を持っている。それもそうだろう。将と昇は不良と堅物優等生だ。人種が違う。


「桜花咲行きてぇんだろ? だったら、昇兄に頼むしかねーんじゃねえか?」


 肘の痕のついた額をこすりながら不服そうに睨む亮を、将は一瞥した。


「ま、せいぜい頑張れや」


「言われなくてもわかってるよ」




 亮は自室に戻ると、スマホを片手に悩んでいた。昇は神谷家の長男だ。有名大学の法学部を卒業後、公務員試験を合格して警察官になった。


 すでに社会人として働いている昇と亮では、歳の差がありすぎる。幼い頃に遊んでもらった記憶もないし、まともに会話したことも無い。仕事が忙しいらしく、一人暮らしをしている昇は、正月くらいしか帰ってこない。ほとんど連絡すらよこさない昇は、無口な仕事人間というイメージが強く、亮にとっても、昇がどんな人間なのかいまいち掴み切れていなかった。


「昇兄ってさ、何考えてっかわかんねんだよなぁ。いつも不機嫌そうな面して愛想ねーし」


「クゥーン」


 亮が呟くと、ファイが元気づけるように鼻を鳴らした。


 将が言うとおり、身内で勉強が出来るのは昇のみだ。しかし、ただでさえ仕事が忙しく連絡さえ寄こさない昇に、受験勉強を見てもらう暇があるとは思えなかった。


「まぁ、当たって砕けろってやつだよな。そうだろファイ」


「キャン!」


 ようやく決心がついて、初めて昇にメールを送った。来年は桜花咲学園高校を受験するつもりであることと、そのために勉強を教えてほしいという内容だ。


 まぁ、断られるだろうとは思っていた。昇兄は忙しいのだから。


「うわぁっ!」


 不意に手の中のスマホが震え、思わず取り落としそうになる。画面には、「昇兄」と書かれている。


 もう、メール見たのか。はやくねーか?


 亮は慌てて通話ボタンを押して、緊張しながらスマホを耳に当てた。


「もしもし?」


『……よう、元気か』


 久しぶりに聞いた昇の声だった。低い、不愛想な声をしている。


「あ、あぁ。元気だよ。兄ちゃんは?」


『元気だ』


「つうか、電話はえーな。今日仕事じゃねーの?」


『いや、休みだった』


「へぇ……そりゃあ、丁度良かったよ」


 緊張しすぎて、調子が狂う。身近には騒がしい兄妹(きょうだい)しかいないため、落ち着いた話し方をする昇の前だと、ちゃんとしなきゃいけないような気がしてしまう。


『それより、亮。お前、桜花咲受けるんだってな』


「あ、あぁ」


 ついに本題が来た。緊張を落ち着かせるため、唾を飲み込む。


『なんでわざわざ桜花咲なんだ』


「そりゃあ――」


 友達が行くから。そう言おうとして、言葉を止めた。咲乃が行くからというのはきっかけに過ぎない。


「行きてーと思ったから」


 咲乃が行く高校だ。それはそれは面白いにちがいない。


 昇は何も言わなかった。ただ、『そうか』と短く答えただけだった。


「無理だって言わねぇの?」


『親父たちにそう言われたか?』


「いや、父ちゃんたちにはまだ言ってねぇ。兄貴たちには止められた」


『まぁ、止めるだろうな。普通』


 昇は当然だろうと冷静に言った。


『だが、目指して損はないと思う』


 こんな風に、昇に肯定されるとは思っていなかった。彼は現実的な人間だ。絶対に理路整然と、いかに無謀かを諭されるだろうと予想していたのだ。


『桜花咲に向けて勉強するんだ。まぁ、ある程度は必死にやらなきゃいけねーだろうが、学力がつけば、いくらでもカバーが効く。無駄ではないと思う』


 昇が肯定的なのが意外で、亮は少しずつ自信が戻って来るのを感じた。


「そ、それでさ。メールにも書いたんだけど……。勉強、見てくんねぇかな」


 それこそ、無理だと言われるのは覚悟のうえだ。


 無理だと言われたらどうしよう。塾に行く費用ぐらいは貸してもらおうか。それか、桜花咲受験を認めてもらえるよう、親父たちの説得に協力してもらおうか。


 弱気になっている亮の足にファイが鼻面を押し付けて慰めた。


『あぁ、構わない』


「ま、マジで!? いいの!?」


 あっさり了承する兄貴に、思わず声が裏返った。


「でもさ、昇兄、仕事忙しいんだろ?」


 昇は捜査第一課の刑事だ。休日も不定期だし、帰宅時間も不安定なはず。そんな中で、弟の勉強を見る時間があるとは思えない。


『メールを返信する時間くらいはある。基本的には自力でやってもらうが、まとまった時間で勉強を見てやる。ビデオ通話、あるだろ』


「あ、あぁ。すっげえ助かる!」


『まずは効率的な勉強の方法と、受験勉強の仕方を教えてやる。勉強の習慣化のためのスケジューリングも。あとは、お前のやる気次第だ』


 ここまでとんとん拍子に話が進むとは思ってもみなかった。ファイも忙しなく尻尾を振って、亮の足元を回っている。


「でもさ、何で手伝ってくれんの?」


 昇の協力的な反応が意外だった。実家に帰った時に見る昇兄の印象は、兄弟の事なんか関心が無いように思えたのだ。


『俺も昔、桜花咲を受験したことがある。結果的には落ちてしまったが、経験者として、アドバイスできることがあるだろう』


「マジ!?」


 ファイを膝に乗せてベッドに座り、からだを撫でてやった。


 昇が桜花咲学園高校を受けていたという話は初耳だった。勉強ができたからこそ、実力を試すために挑戦しようと考えたのかもしれない。


「よく、親父たちからオッケー出たな」


『言ってない。受かったら報告しようと思ってな。金のことは、まぁ、お前と同じだよ』


 電話口から聞こえる昇の声が、若干懐かし気に笑う。


 もっと無愛想で怖い兄貴だと思っていたが、案外突飛もない行動もするようだ。そこが何だか兄弟らしく思えて、亮にとっては意外だった。


 その後、昇から勉強の仕方を教わり通話を切った。ファイは亮にからだを撫でられているうちに眠っていた。





 昇に勉強を見てもらうようになってから、神谷の学力は急速に上がった。今までただやる気がなかっただけで、地頭は悪くない。幸か不幸か、怪我をして入院していた時期は、苦手科目を克服する期間としてうってつけだった。そして何より、忙しい合間を縫って、昇が見舞いに来て勉強を見てくれていた。入院中でも勉強に支障が出ることなく、時間を有効活用して基礎学力を伸ばしていったのだ。


 そうして半年が過ぎ、3年生の夏休み。神谷は、咲乃の家の前に立っている。


 篠原咲乃、神谷亮、津田成海。


 桜花咲学園高校受験メンバーが集い、今日から一ヵ月間、夏休みを使っての桜花咲受験対策勉強会が、今始まろうとしていた。

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