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ep65 まごころ神ちゃんの五兄弟妹(きょうだい)②

「篠原以外で勉強みてくれそーな知り合いはいねーしなぁ。敦兄ちゃんは高卒だし、(しょう)兄ちゃんはバカだし」


 咲乃に教えてもらうならば同じ高校を志望する分効率的だろうが、神谷はまだ、咲乃に頼むつもりはなかった。最初から何の努力もせずに、咲乃に助けを借りるのは違うと思ったからだ。

 咲乃の後を追って桜花咲を受ける以上、彼に頼っていては意味がない。自力で勉強して桜花咲に受からないと、咲乃と肩を並べたことにはならないと思う。


「ま、何とかなんだろ」


「キャンッ!」


 考え事をしていると、すぐに飽きてゲーム機を取り出す。亮は長時間悩むことにも向いていなかった。


「にいちゃん、いるんでしょ!? 出てきなさいよ!!」


 部屋のドアを強く叩きながら、喚き散らす甲高い声がする。亮が鬱陶しく身体を起こしてドアを開けると、小4の妹が仁王立ちで部屋の前に立っていた。顔を真っ赤にさせて、憤怒の形相で亮を睨みつけている。


「んだよ、うっせぇな」


 亮が妹に文句を言うと、妹は亮の目の前に少女マンガを突き付けた。


「にーちゃん、またゆずのマンガ読んだでしょ! ここ、ジュースのシミついてるんですけど! 汚すから勝手に読まないでって言ったじゃん!!」


 神谷家の末の妹、神谷柚(かみやゆず)は、地団太を踏み歯噛(はが)みしながら怒鳴った。マンガの表紙には、イケメンたちが各々ポーズを決めながら、ひとりの少女を囲んでいる。


「もぉおおおおどうしてくれんの!? このマンガ、ゆずの宝物だったのに! 汚さないように大切に読んでたのにぃーっ!!」


 耳に突き刺さるようなぎゃんぎゃん声で喚く妹に、亮は耳に指を突っ込んで声を遮った。ファイも亮の足元で小首をかしげて短い尻尾を振っている。



 休日にゆずが友達の家へ遊びに行っている間、暇つぶしにリビングで見つけたマンガを、お菓子とジュース片手に読んでいたのを思い出す。そのマンガは、桜花咲学園高校を舞台にしたマンガで、庶民の主人公と貴公子たちの恋愛を描いた逆ハーレムものだった。


「あー、あれな。“キスから始まる恋”ってやつだろ。大丈夫か、あれ。主人公の周り性犯罪者しかいなかったぞ」


 イケメンだからという理由だけでべたべた女性の身体に触れても許されるという不条理さ、主人公のご都合主義でありえない展開と、周りの男性キャラの背筋の凍る甘ったるいセリフの連続に、読んでいて精神が削られそうになった。しかしそれでも最終巻まで読み進めたのは、ただ単に暇で死にそうだったからにすぎない。


「ダメだぞ、ゆず。あんな男に引っかかっちゃ。男は顔や金じゃねぇ、心だ心!」


「んなことにーちゃんには関係ないでしょ!? 勝手に人のマンガ読むなって言ってんの!」


 妹は益々歯をむき出しにして怒っている。亮が辟易していると、窓の外で数台のバイクが止まる音がした。それから数人の話声が聞こえた後、また数台のバイクが走り去って行く。すぐに玄関のドアが開いた。


「将! アンタ道端でブンブンブンブンうっさいのよ! 近所迷惑になんでしょうが!!」


「うっせえ、ババア! テメェに関係ねーだろうが!」


 すかさず母親の怒鳴り声が響き、それに怒鳴り返す青年の声がした。神谷家三男、神谷将(かみやしょう)が帰ってきたのだ。


「あ、将兄貴が帰ってきた。にーちゃーん」


「逃げんなバカ兄貴!」


 亮は妹を押し退けて、将に駆け寄った。


 お兄ちゃん聞いてっ、(ゆず)がいじめるの!


「んだよ、亮。今日はゲーム借りてきてねぇぞ」


「えー、マジか。今持ってんの全部飽きちゃったんだよなぁ」


 母親と二言三言やりあった後、自室へ向かう将を亮が迎えた。


 将は、絶賛反抗期中の高校2年生だ。頭を真っ赤に染め、耳にピアスを開け、制服をだらしなく着くずしている。こうして家に帰るのは珍しく、普段は一人暮らしの友達の家に居座っている。週に1回帰ればいい方だった。


「この間だって、勝手に部屋入ってゆずのゲームやっちゃうし! ほんとサイテーッ!」


 後ろからゆずがぎゃんぎゃん吠えていても、亮も将も慣れたもので意に介さない。

 亮はファイを抱いて、一緒に将の部屋へと向かった。


「ほんと、この家の兄貴クズばっか! 嫌いっ、大っ嫌い! みんな死んじゃえバカ兄貴!」


 ゆずも兄貴二人に無視されるのは慣れたものだ。負けじと喚きちらしながら後ろをついてくる。


「お前、また何やったんだよ」


 反抗期中の将と言えども、さすがに一番下の妹には敵わないらしく、げんなりした顔をした。


 この家での家庭内カーストは、一家の大黒柱たる父の上にゆずがいる。そしてその上が母親である。神谷家の男どもは総じて女性陣の下に位置していた。


「おい、ゆず」


 いい加減甲高い声にも聞き飽きて、亮が振り返った。顔を真っ赤にさせたゆずが亮を睨んでいる。


「お前さぁ。人の趣味はそれぞれだと思うけど、エロ本はもっと上手く隠せよな。ほらあれ、男同士の恋愛もののやつ――」


 亮の言葉が、ゆずの怒りに油を注いだのは言うまでもない。




 怒り狂った妹がようやく自室に戻ったころ、亮と将は床に座り込んで格闘ゲームをして遊んでいた。


「しばらくは口きかねーな、あれ」


 将がげっそりした顔で呟いた。妹は散々喚き散らすと、数日間一切口を利かなくなるのだ。


「ガキのくせに小難しいお年頃だよなー。エロ本なんて恥ずかしくねーじゃん。俺たちだってみんな持ってるぜ? なんであんなにキレてんだか」


 悪びれもせずに言う亮に、将は呆れた。


「お前にはデリカシーが足りねぇよ。探して来いよ、デリカシー」


「デリカシー探してる暇あったら、百円玉探した方が得じゃね」


「デリカシーねぇうえに、意地汚ねぇのかよお前は」


 将の言葉を無視して、亮はコントローラーのボタンを連打した。それに合わせて、テレビ画面のキャラクターがキックをくりだす。将のキャラクターがガードしつつ、間合いを取った。


「兄貴の友達にさぁ、勉強できる奴いねー?」


「は、勉強?」


 突然、弟の口から信じられない言葉を聞いて、思わず将の指が止まった。


「うちのバカ校にいるわけねーだろ。つか、お前勉強すんの」


 改めて将に聞かれ、亮は口ごもった。亮の胡坐の間で寝ていたファイが、不思議そうな目をして顔を上げる。


「来年から受験だし、俺もそろそろ考えようかと思って」


「中2でもう受験のこと考えてんのかよ。らしくねぇな」


 信じられないといった様子の兄貴に、亮は心外だとばかりにイーッと歯を剥き出した。


「いーだろ、別に。とにかく勉強しなきゃヤベーんだって」


「どこ行くんだよ」


「桜花咲」


「はぁあ!?」


 亮の志望校を聞いた途端、将は絶句した。いつもの将なら散々笑って馬鹿にしたところだったが、あまりの現実味のなさにからかうのも忘れてしまうほどだった。


「マジで言ってんのか? 無理だろ、お前じゃ」


「敦兄にもおんなじこと言われたわ」


 亮は面白くなさそうに眉を寄せながら、画面を睨んでいる。将はそんな亮を横目で見ながら正気を疑った。


「決めたんだよ、だから誰が何言おうが桜花咲に行く」


 将は呆れつつ、同時に弟のいつもの奇行に諦めてもいた。反抗期真っ只中な将が言うのもおかしな話だが、昔から亮は手のかかる問題児だった。好奇心旺盛な彼は、興味のあることとなると周囲の意見を全く聞かなかったのだ。

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