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ep63 この時間があまりにも幸せで。②

 お出かけ当日。待ち合わせ時間の5分前になると、彩美は、完璧に仕上げた自分の姿をショーウィンドウに映して前髪を整えた。


 自分の容姿の良さを最大限に引き出すため、研究に研究を重ねた、彩美の必勝メイク。ナチュラルメイクで清純派、清潔感を意識して仕上げつつも、目元と唇は少し大人びた印象に仕上げた。服装も、今年流行りのスカートを取り入れつつ、やりすぎないようにシンプルに。髪型も、少し手の込んだハーフアップにして女性らしさを存分に出した。


 前日からお肌のケアを念入りにして、睡眠時間もしっかり取ったため、肌の具合も好調だ。今日の彩美は誰が見ても、見惚れてしまうほどの、最強の美少女だった。


「ごめん、山口さん。待った?」


 待ち望んでいた声がして、彩美は声の方へ振り向いた。


「ん〜〜っ!!」


 咲乃の姿を目にしたとたん、彩美は色んな感情が湧き上がって両手で口を塞いだ。


 学校の制服ではない咲乃の私服姿。白いTシャツに黒いスキニーパンツという簡単な出で立ちにも関わらず、咲乃が着るとどこからともなく品を感じてしまう。

 制服デートにしなかったのは正解だった。私服だからこそ、今は完全に咲乃のプライベートなのだ。休日のこの1日だけは、自分だけが、咲乃との時間を独占している。


「山口さん?」


 覗き込むように顔を見られて、彩美はなんとか気持ちを落ち着けて、ありったけの愛らしさで微笑んだ。


「ごめんなさい。全然待ってないよ?」


「そっか、良かった」


 穏やかに笑った咲乃に、彩美は心の中で歓喜の悲鳴を上げた。





 二人は電車に乗って東京まで出ると、駅周辺のショッピングモールを散策し、途中のカフェでデザートを楽しんだり、人気のフォトスポットで写真を撮ったりして過ごした。


 これはもう、デートと言っても過言ではない。彩美と咲乃を見る周囲の視線は、中学生の美男美女カップルに目元を緩ませている。傍から見ても咲乃と彩美は、お似合いのカップルだった。


「篠原くん、次はあれ乗ろ?」


 彩美が、空を指さす。咲乃は、眩しそうにその方向を見上げた。


「観覧車?」


「うんっ! 今日のラストに、お願いっ!」


 彩美が両手を合わせて頼むと、子供のようにはしゃいでいる彩美がおかしかったのか、咲乃はくすくす笑ってうなずいた。


「うん、乗ろうか」


 観覧車のチケットを買って、列に並ぶ。休日だから多少待ち時間はあるかと思われたが、思いのほか空いていて、思ったよりもスムーズにゴンドラに乗ることができた。


 観覧車のゴンドラの扉を、スタッフの手によって閉められる。突如現れた密室に、彩美は急に落ち着かない気持ちになって、外の風景を眺めることで紛らわせた。


 とにかくデートっぽいことをしたくてたまたま目に入った観覧車に誘ってしまったが、いざ乗り込むと言葉数が少なくなってしまう。高さが増して外の音が遠くなるにつれて、息遣いさえも二人だけになって、よけいに彼の存在を意識してしまった。


 彩美がちらりと咲乃を窺うと、咲乃は目の前に広がる景色を眺めていた。


「観覧車に乗るの、実は初めてだったんだ」


 頂上付近になってから、咲乃がぽつりと言葉をこぼした。


 彩美は意外に思って「そうなの?」と咲乃に尋ねた。一心に外の景色を眺めたまま、咲乃は小さく頷いた。


「こんなにきれいだなんて思わなかった」


 そう言った咲乃に、程よく日の光がさして髪の毛に光沢が乗る。


「ありがとう、山口さん。誘ってくれて」


 咲乃が心の底から笑った。彩美は息を呑んだあと、心から湧き上がる幸せを噛み締めて、今日のデートの締めくくりを存分に楽しんだ。




 帰りの電車に乗って、英至駅を降りる。楽しかった時間はあっという間だ。帰路につく道すがら、彩美はひっそりと寂しさを抱えていた。


 篠原くんと過ごす日が1日だけなんて、絶対に足りない。もっと、篠原くんに近づきたい。


「ねぇ、篠原くん。もしよかったら、また――」


「おーい、しのはらー!!」


 こんな時に限って、必ず邪魔者が現れる。


 せっかく篠原くんとの休日なのに、よりにもよって神谷(こいつ)と会うなんて。彩美の気分は急激に下がった。


「お前ら何してんだよ。もしかしてデート?」


 咲乃と彩美の顔を交互に見て、からかうようにニヤニヤしている。この顔さえ見なければ、今日は一日完璧だったのに。彩美は不機嫌を隠さずに神谷を睨んだ。


「わかってんならもっと空気読みなさいよ!」


「悪かったな、良いところを邪魔しちゃって」


 神谷はたいして気にしていないように肩をすくめる。彩美はふと、神谷が手にしているリードへ視線を移した。


 神谷は犬の散歩をしていたらしい。豆柴犬が黒豆のような瞳を輝かせて、しゃがみ込んだ咲乃に短い尻尾を振っていた。


「神谷、犬飼ってたんだ」


 咲乃は、神谷が連れている仔犬に興味があるらしい。仔犬に手の匂いを嗅がせるためにそっと手を差し伸べた。


「そ。知り合いから引き取ってさ」


「人懐っこいね。全然吠えたりしないし」


 豆柴は小さな鼻先をくっつけて、咲乃の手のにおいを嗅いでいる。暫くすると短い前足を咲乃の膝に乗せ、ぺろぺろ手のひらを舐めはじめた。くすぐったそうに笑いながら、咲乃は優しく豆柴を撫でている。


 咲乃と仔犬の戯れのなんとも愛おしいことか。気付くと彩美は不機嫌になっていたのも忘れて、目の前の愛らしい交流に目を奪われていた。


「……このこ、お名前は何て言うの?」


 彩美が尋ねると、神谷は自慢げに胸を反らした。


「ファイアー・ドレイク。炎をつかさどる龍の名さ!」


「わんちゃんに付ける名前じゃなくない?」


 ファイアー・ドレイクは、小さな尻尾をふりふり振って彩美を見上げた。つぶらな瞳とぶつかって、つい撫でまわしたい衝動に駆られる。この仔犬、あざとい。


「お前ら、この後帰っちゃうの?」


「うん。山口さんを家まで送って帰るよ」


 咲乃が事もなげに言うのを聞いて、彩美は切なくなった。終わってしまう時間があまりにも切なくて、しかもそう思っているのは、きっと彩美だけなのだろう。


「どうせ帰るだけだったら、ついでにファイの散歩に付き合えよ」


「いいの?」


 咲乃の瞳が輝く。


「おう。ここら辺一周するだけだけどな。山口も来いよな」


「……えっ。う、うん」


 誘ったのは咲乃だけだと思っていたから、彩美は戸惑いつつも慌てて頷いた。




 あともう少しだけ、篠原くんといられる。……神谷付きなのは残念だけど。




 彩美は表情を緩めて、既に歩き始めている神谷と咲乃の隣りまで駆け寄った。

 デートの最後の締めくくり。ここからは、『青春』と言う名の思い出を。

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