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ep63 この時間があまりにも幸せで。①



 ――ごめん、これ以上は話したくない。



 彩美は、最後に咲乃と話したときのことを思い出して、深くため息をついた。咲乃と喧嘩してから、何度も謝ろうと思っていたのだが、なかなか勇気が持てず、話しかけることも出来ていなかった。


「なんで私、いっつも空回っちゃうかな……」


 壁に背中を預けてベッドの上に座った彩美は、大きなため息を吐いて、抱きしめていたクッションに顔をうずめた。


 中本結子の時もそうだった。ライバルが現れると、余計なことをしてしまう。そんな自分が嫌で仕方ない。欲しいものには貪欲なのに、すぐに感情的になってしまって、焦ってしまって。そのせいで欲しいものが遠のいて、また焦って、余計なことをしてしまう。


 彩美はモテる分、自分から行動するとなると経験が少なすぎたのだ。結局、いくら自分の容姿に自信があっても、篠原咲乃には届かない。


 手の中にはスマホがある。かれこれ1時間程、彩美は咲乃にLINEを送るための文面を考えていた。


 嫌われたくないという気持ちが大きすぎて、何を言ったら正解なのかがわからない。咲乃が何を望んでいて、何をしたら喜んでくれるのか。近づこうとすれば離れていく。けして、彩美を立ち入らせないその距離が、もどかしくて、悔しかった。


「篠原くんにとって私って、なんなんだろう……」


『友達』


 いつも咲乃はそう言っていた。しかし、彼からそう言われるほどには、心を開かれていないような気もする。


 友達なんかに収まりたくはないと思っているから、その咲乃の言う『友達』という距離感に物足りなさを感じているだけなのだろうか。彩美には、わからなかった。



 はぁーと、再び大きなため息を吐いて項垂れていると、手の中のスマホが震えた。こんな時にいったい誰なんだと、半ば八つ当たりの気持ちを交えて画面を見る。


 そこには、『篠原咲乃』と表示されたLINEの通知があった。


 彩美は驚いて息を止めると、震える手で通知をタップした。画面がホーム画面から、トーク画面に切り替わる。


 咲乃のLINEアイコンは、相変わらず初期設定のままだ。アイコンを変えるという発想がないのか、LINEを連絡手段としか捉えていない、無駄なことはしない咲乃の思考が反映されているようだ。


 その初期設定アイコンから伸びる吹き出しから、2通のメッセージが表示されていた。


『この前のこと、ちゃんと謝りたくて』『話がしたいんだけど、明日いい?』


 彩美は息を呑んだ。咲乃の方から謝りたいと言ってくれたことが嬉しくて、今までため込んでいた感情のダムが決壊するように、涙がぼろぼろと零れ落ちていく。


『うん。明日、私も話したい』


 彩美は震える指で、ようやくそう送った。





 翌日、彩美は咲乃と美術室の前で待ち合わせていた。朝の喧噪から離れたこの場所は、普段から人通りがほとんどない。誰に邪魔されることなく、落ち着いて話すにはうってつけの場所だった。


 彩美は、数日ぶりの咲乃を前にして、とても緊張していた。久しぶりに見た咲乃は、前よりももっと背が伸びていて、より一層大人びたように思う。この数日で、こんなにも成長するのかと、異性の成長度合いの違いを改めて認識した。


「篠原くん、あの、昨日はLINEをくれてありがとう」


 彩美が咲乃に礼を言うと、咲乃は静かに首を振った。


「ずっと謝らなきゃとは思っていたんだけど、いろいろあって。俺も、もっと言葉を選ぶべきだったと反省していたんだ」


 申し訳なさそうに、視線を落として咲乃は静かに頭を下げた。


「ごめんね、山口さん」


「私の方こそ、篠原くんの気持ちを考えられなくて、ごめんなさい」


 ずっと、言いたかった言葉をようやく伝えられた。彩美は心の底からほっとして、晴れ晴れとした気持ちで咲乃を見つめる。咲乃の、心底ほっとした表情がそこにあった。



 篠原くんも、少しは悩んでくれたのかな。



 彩美は思う。自分が、どうすれば咲乃と仲直りできるのかで悩んだのと同じくらい、咲乃も自分のことで沢山悩んでくれたのだろうか。そう思ったら、彩美の中に、少しだけいつものしたたかさが戻ってきた。


「ねぇ、篠原くん。私に勉強を教えてくれるって話だけど、本当にしたいのは、勉強なんかじゃないんだ。本当はね、篠原くんとの時間が欲しかったの」


 彩美は、自身が持つありったけのかわいらしさを発揮して、咲乃を見上げた。


「1日だけでいいの。1日だけ、私に時間をくれないかな?」


 大きな瞳で、きらきらと熱視線を送る。咲乃の顔はとたんにひきつり、微笑んだ表情のまま固まった。


 いつものやりとりで分かっている。この顔をしているときの咲乃は、あまり乗り気ではない。しかしそれでも――。


 今回だけは、絶対に引かない。


 数日ぶりの彼との会話で、彩美の決心は固かった。彩美は、長い睫毛をぱちぱちと瞬かせ、迫るように咲乃の顔を覗き込む。


「……い……1日だけ、なら……」


「本当!?」


 咲乃が、絞り出すように言うのを、彩美は聞き逃さなかった。咲乃は困ったように視線をそらすと、またもや絞り出すように言葉を続けた。


「……1日だけなら、空いてる」


 咲乃の言葉を聞いて、彩美の頬はみるみるうちに赤く染まって、心の中で喜びの声をあげた。


 勝った!――と。

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