ep60 革命後の教室は①
篠原くんのお見舞いで神谷くんと衝撃的な出会いを果たした翌日、突然神谷くんが相談室に押しかけて来た。
「トンちゃん、遊びに来たぜ!」
バーンと効果音が付きそうなほど勢いよくドアが開いて、わたしと西田くんはすっかり怯えてしまった。
「アッ、アノ、ナンノヨウデ……」
神谷くんと会ったのは2回目だけど、なんで馴れ馴れしくトンちゃんなんて呼ばれなきゃいけないんだろう。失礼じゃないの?
「篠原のやつ、最近新島ばっかでぜんぜん構ってくれねぇんだもん! 暇だから、来ちった」
来ちった、じゃない。いきなり押し掛けてきたら、先生だって迷惑だ。先生、どうぞこいつを追い出してください!
「あらあら、とっても元気なのね。お菓子はいかがかしら?」
「いいんすか? やったー!」
最悪だ……。平和だった相談室が、ノーデリカシー男子に占拠されてしまうなんて。
「先生、良いんですか!? 神谷くん、別に困ってることとかなさそうですけど!」
ここは、悩み事を聞いてもらうための場所じゃないのか。わたしが日高先生に耳打ちすると、先生は目尻にしわを寄せてニコッと笑った。
「あら、いいのよ。相談室は誰でも自由に来てもいい場所なんだから。こうしてお菓子を食べに来るだけでも、先生大歓迎だわ!」
そんなこんなで、昼休みになると神谷くんが相談室にやってくるようになった。
最初、神谷くんを警戒していた西田くんも、よく喋りかけてくる神谷くんには慣れてしまったらしい。最近は3人でスマホでゲームをして遊ぶくらいには仲良くなっていた。
恐るべし、コミュ力お化けの神谷くん……。
そうしてなんだかんだ和やかに過ごしているうちに、西田くんは教室復帰した。
また、しばらくは相談室の中は先生とわたしの二人だけになる。西田くんとゲームやマンガの話をするのは楽しかったから、ちょっと寂しいな。
そんなことを思ってたら、お昼休みに西田くんが遊びに来てくれた。神谷くんと一緒に。
「トンちゃん、知ってる? 篠原の奴、昨日おじさんにめちゃくちゃ絞られたらしいぜ」
そう、報告してくる神谷くんの顔が、やたらうれしそうにニヤニヤしている。本当に神谷くんって、篠原くんの親友なの?
「篠原くん、怒られちゃったんですか!? 一体何があったんですか!?」
あんなに温厚なおじさんを怒らせるなんて、篠原くんは一体何をやらかしたんだろう。
「それがさ、昨日めちゃくちゃ面白いことがあって――」
「あ―――っ! あっ! あ――――あ――――っ!!」
神谷くんが理由を話そうとすると、突然西田くんが騒ぎ始めた。
いきなり、大声をあげるからびっくりしたじゃん、やめてよ心臓に悪いな!
今日の西田くんは、顔中にガーゼを当てている。すごく痛々しいけど、何があったのかは教えてくれない。
「なんだよ、西田。いいだろ、別に!」
「だめだよ、篠原くんとの約束なんだから! 絶対に喋っちゃダメ!」
えっ、えっ、篠原くんとの約束? なに? 何があったの?
わたしがふたりの顔を交互に見ていると、西田くんは苦笑いしつつ「大した話じゃないから」とごまかされてしまった。
なんだろうこれ。なんか仲間外れにされてる気分。
男同士の友情というやつには、女子である自分は立ち入れないらしい。いいなぁ、男子って。
まぁ、わたしなんかが、みんなの事情に関わりたいだなんて、おこがましいだけなんだけど。
内心ちょっと不貞腐れたりしながら、気を取り直して課題を勧める。
篠原くんに聞いたら、教えてくれるかな。
「トンちゃん、この問題分かる?」
「えぇっとですね、この問題は――」
「なるほど、こうやって解くのか。トンちゃんすげーな。超わかりやすい!」
「そ、そうですかね。えへへ……」
褒められてちょっと嬉しい。ここはわたしも苦手だった問題だったからな。何度も篠原くんに教わったところだから、人に教えるのも得意になっているのだ。
わたしたちに混ざって、一生懸命勉強している神谷くんを見ていると、本当に桜花咲に行くつもりなんだなぁって感心した。
神谷くんて勉強嫌いそうな感じなのに、なんか意外だ。
「神谷くん、何で桜花咲を受験しようと思ったんですか?」
わたしにとっても、桜花咲高校は憧れの学校だ。好きなマンガの舞台ということもあって興味があるのだ。
「そりゃあもちろん、篠原が行くからだろ」
「えっ、そんな理由でですか!?」
平然と言う神谷くんに、わたしは驚いてしまった。つまり神谷くんは、篠原くんを追いかけるために受験するつもりなんだ。
「でも、桜花咲ってかなり倍率高いじゃないですか。大丈夫なんですか、本当に」
もちろん、第二志望とかも考えているかもしれないけど、桜花咲を受けるってかなりの勇気がいるんじゃないかな。偏差値を見るだけでもしり込みしてしまうのに。
「大丈夫もなにも、受かるに決まってんだろ。そのために受けるんだからさ」
「はぁ」
わたしの口から気の抜けた声が出た。
神谷くんって、時々言ってることわかんないんだよな。「受かるために受ける」ってなにそれ、宝くじは買わなきゃ当たらない、みたいなこと? というか、なんで受かる前提? その自信はどこから出てくるの?
「神谷くんはすごいですね。篠原くんが行くからって、自分も桜花咲に決めちゃうだなんて」
神谷くんの謎の自信はさておき、桜花咲を受けようと思たこと自体はすごいと思う。実際、神谷くんはちゃんと頑張ってると思うし。
「そこまでしねーと、篠原の親友って言えねーからな」
楽しそうに笑った神谷くんの顔を、わたしはぽかんとして見つめてしまった。
篠原くんの、“親友”。それは、神谷くんがことあるごとに何度も自称していた。
……そっか、神谷くんは、ただ篠原くんを追いかけたいんじゃなくて、篠原くんと対等でいたいんだ。
すごいなぁ、神谷くんは。
篠原くんの本当の親友になるために、努力してるんだなぁ。
「トンちゃんだって、受ければいいじゃん。桜花咲」
「えっ!?」
神谷くんを心から尊敬していると、神谷くんがいたずらっ子みたいな顔で笑いながら、とんでもないことを言ってきた。
「む、むむ無理ですよ! わたしに桜花咲だなんて!」
いきなり神谷くんは何を言い出すんだろう。勉強のしすぎでおかしくなっちゃったんじゃないの?
「そんなことねーだろ。トンちゃん勉強できるし、意外と簡単に受かるんじゃねーか?」
「いや……でも……」
わたしは元々勉強苦手だったし、最近少しできるようになったくらいの実力だ。それなのに桜花咲だなんて……。
わたしがうじうじ考えていると、神谷くんはやれやれと頭を振った。
「トンちゃんはダメだなぁ」
呆れたように言われて、わたしは「うぅ」とうめき声を漏らしながら小さくなった。
「トンちゃん、何のために勉強頑張ってんだよ」
「な、何のためにって……」
それは、だって、篠原くんが教えてくれるから。課題だって出してくるのは篠原くんだし、わたしはいつも、篠原くんの課題をこなすのに精一杯で――。
いや違う。きっとこれは言い訳だ。勉強をやってきたことを篠原くんのせいにするなんて、自分が仕方なくやってきたみたいに。
勉強はほどほどでいいと言えば、篠原くんだって無理強いしたりはしなかった。もっとペースを落とすよう調節してくれたはず。でも、わたしは篠原くんにそんなお願い、一度もしたことはない。
……なんでだろう。あんなに嫌だったのに、結局なんだかんだで頑張ってしまうのは。
「……楽しかったから」
色々ぐるぐる考えて、ようやく出てきた言葉に、自分でも驚いてしまった。
楽しかったから? 楽しかったから。
何度も同じ言葉を心の中で反芻して、咀嚼した。意外なことに、この言葉がしっくりくる。
嫌になることもあるけど、なんだかんだ言って篠原くんと勉強するの、楽しいんだよな。
「ならいいじゃん」
神谷くんは、何が問題なんだと言わんばかりに肩をすくめる。そして、楽し気にニヤっと笑った。
「トンちゃんも、俺たちと一緒に桜花咲行こーぜ?」
篠原くんと、神谷くんと一緒に?
行けたらきっと楽しそうだな、なんて考えてしまった。すごく倍率の高い学校なのに。
だけど興味もあるし、日高先生も、学校選びはフィーリングだって言ってたし。
ちらりと日高先生の方を見ると、先生はわたしの背中を押すように微笑んだ。
「……そうですね」
本当にわたしが目指して良い学校なのかは、わからないけれど。
「考えてみます」
少し調べてみるくらいなら、良いかもしれない。




