ep59 新・クラスの王様②
必死に発した言葉はそれだった。咲乃を睨むと、手を挙げたのは神谷だった。
「はいはいっ、俺でーす! 俺がずっと隠れて撮ってましたー!」
「だからどうやって!」
神谷の素っ頓狂な言い方に苛立ち、声を荒げると、咲乃は静かに答えた。
「俺がどうやって神谷に助けを求めたのか。または、どうやって神谷が場所を知ったのか、でしょう?」
そう、その両方だ。
悠真は固唾を呑んだ。ボウリング場の地下駐車場を使うと決めたのは前日の夜だった。村上に西田を連れてくるように指示し、その後計画を日下たちにLINEで知らせた。別室登校により、通常の下校時刻よりも早めに帰宅する西田を捕まえさせてボウリング場へ連れていき、悠真たちが来るまでそのまま待機させたのだ。
悠真が咲乃を誘うまで、咲乃は西田が囚われていることを知らなかったはず。移動中、誰かに連絡できる状況に無かったし、その様子もなかった。
「新島くん、散々言ってくれたでしょう? 俺は何でも一人で無理をし過ぎるって。西田くんにも、俺は大丈夫だって言うときほど大丈夫ではないんだって言われて。結構痛いところ突いてくるなぁって、反省したんだよ」
悠真が西田を見ると、西田は戸惑った顔をしていた。西田も話の流れがよくわかっていないのだ。
「だから、今回は助けてもらう事にしたんだ。このクラスでもう一人の、許されている人間に」
咲乃は、悠真からすっと視線を外す。その視線を追うように、悠真も視線を動かした。その先にいたのは、日下だった。
「……!?」
日下が裏切った。衝撃のあまり言葉が出てこない。
「たまたま日下くんと一緒に帰る機会が出来て、その時に聞いたんだ。新島くんとは保育園の時からの幼馴染なんだって」
咲乃はじっと悠真を見て言った。
「このクラスで自由に行動できる人間はごく僅かだ。ほとんどの人間は、新島くんの顔色を窺っている。下手に目立てば周囲の反感を食らうし、新島くんに切り捨てられれば、クラスに居場所はない。しかし、僅かな人間だけは、新島くんに権限を保証されている。それは、散々新島くんとは反対の行動を取っていて許されていた俺であり、そしてもう一人が、新島くんの幼馴染で唯一の親友である日下くんだった」
悠真にとって、日下は最も信頼してきた仲間だった。小林や、中川たちではけして補うことのできないほどに。それは兄弟のようであり、家族にも思えるほどの強い絆があった。
悠真は、日下が咲乃に対して不信感を抱いているのを知っていた。そして時々、悠真の過剰な行動を咎めることもあった。
日下の立ち位置は中立的だったが、悠真が何かをするときは必ず付き合ってくれた。しかし悠真は、自分のせいで日下に迷惑をかけるのは嫌だった。咲乃とのゲームの事も、日下には自由に抜けて良いと伝えていたくらいだ。
それでも、日下はすべて承知したうえでついてきてくれた。だからこそ、彼がなぜ裏切ったのか、悠真には全く理解できない。
「日下くん、ずっと新島くんを心配していたんだよ。誰かを傷つけるたびに傷ついているきみを、助けたいと思ってもどうすればいいか分からないって」
日下は苦しそうな顔をしていたが、それでも悠真から目を逸らしたりはしなかった。何か言いたげだったが、堪えるように口を引き結んでいる。
「俺が相談に乗れたらよかったんだけど、日下くんに嫌われているみたいだったから別の相談相手を紹介してあげたんだ。神谷は意外に面倒見がいいし、助けになるかと思ってさ。本当に困ったときは、神谷を頼れってね」
悠真は怒りで頭が真っ白になりそうになりながらも、必死で冷静を保っていた。
相談相手。そんなものはもちろん、日下に神谷の連絡先を登録させるための口実だ。日下も馬鹿ではないから、咲乃が自分に何をさせたいかは分かっていたのだろう。
「日下から連絡が来たのは、ちょうど掃除ん時だったぜ」
神谷が言った。
「篠原が危ねぇって連絡来たから、急いで兄貴に電話して迎えに来てもらったんだ。そんでバイクで先回りして、誰にも見つからねーように真っ暗の中廃車でずっと撮ってた。汚ねぇし、臭ぇしもう最悪だよ。でもまー、おかげで楽しませてもらったけどな」
悠真は、必死に激高に耐えていた。日下に対する怒りではない。裏切ることでしか悠真を止める術が無かった、日下の気持ちは理解できる。
では、自分は何に怒っている。自分を嵌めた咲乃か。この状況で楽しんでいる神谷か。そうではない。悠真は自分に怒っていた。咲乃を侮った、自分自身に怒っていたのだ。
「これで、きみの逃げ場は無くなったわけだけど」
咲乃が静かに告げる。暗く揺らめく瞳を、真っすぐに悠真に向けて。
「この映像を担任に送るか、きみがこの教室から消えるか選ばせてあげるよ」
淡々とした声に、感情は見られない。ただ、その瞳の中にあるものは、ずっと悠真が見たかったものだった。
「最後のゲームだ、新島くん」
頭は不思議なほど冴えわたり、怒りはもうおさまっている。最後に悠真が答えを告げた時には、不思議と胸がすく思いがした。
*
神谷の兄、神谷将が運転するバイクの後部座席に乗って、知り合いがやっているという診療所で手当てを受けた頃には、すでに夜の8時をまわっていた。近所の公園で降ろしてもらうと、神谷の兄がジュースをおごってくれる。そこで一息つくと、みんなだいぶ落ち着いてきて、西田も元気を取り戻していた。
「篠原くん、神谷くん、助けてくれてありがとう」
西田が二人に礼を言った。咲乃が来なかったら、自分は本当に殺されていたかもしれない。それほど、悠真には切迫した緊張感を感じていたのだ。
「無事でよかったよ」
咲乃が微笑だ。その顔にも、痛々しくガーゼが当てられている。
「にしても、ひでぇなその顔。明日大丈夫かよ」
いちご牛乳を飲んでいた神谷が、改めて咲乃と西田を交互に見た。確実に担任から、何があったのか聞かれるだろう。
「新島の事、担任にチクんの?」
「いや。担任には言わないよ。新島くんとは交渉したいし」
「交渉ってなに? クラスメイト全員の前で土下座させる? 全裸で校庭100周走らせる?」
他人の不幸に目を輝かせて聞いてくる。本当にイイ性格をしている。
「新島くんには退いてもらおうと思ってる。彼は、クラスには邪魔だから」
「ひえー、超ドライ。お前ら、この前まで仲良かったじゃん」
咲乃の人を切る時の思い切りの良さに、さすがの神谷も引いていた。
たしかに咲乃は、悠真のことが嫌いかと言われればそんなことはなかった。新島悠真が何に悩んでいるのかは、誰よりも咲乃が良く分かっていたからだ。しかし、今の悠真をクラスにとどまらせておくわけにはいかなかった。
「夏休み明けには、津田さんが教室復帰するんだ。せっかく復帰したのに、津田さんに何かあってはいけないから」
悠真のせいでだいぶ教室も荒れた。その元凶をそのままにしておくわけにはいかない。
成海の教室復帰の障害を何としてでも取り除きたかった。そのために悠真に近づき懐に入りながらも、立場の弱いクラスメイトを守ってきたのだ。少しでも、成海が過ごしやすい教室にするために。
「つまり、お前が新島たちの前で好き勝手やってたのって、全部トンちゃんのためかよ。すげー執念だな、お前」
神谷が驚いて声を上げると、咲乃は聞き馴染みのないあだ名に反応した。
「トンちゃん?」
「そ、トンちゃん。豚ちゃんって感じだろ、津田って」
女の子につけるあだ名じゃないだろうと思ったが、それ以前に神谷の成海への馴れ馴れしさが気になった。
「ちょっとまって、いつから津田さんのことをあだ名で呼ぶようになったの?」
「いや。お前のクラスが荒れてる間は遊びに行きたくなかったから、休み時間中は相談室に入り浸ってたんだよ。相談室良いよなー。日高センセー面白れぇし、お菓子とお茶まで出てくるんだぜ? 天国じゃん」
初耳だった。成海からは全くそんな話は聞いていない。
「つまりお前は、相談室で課題をしている津田さんや西田くんの邪魔をしに行っていたということ?」
咲乃の険悪な空気に気づいて、西田が慌てて間に入った。
「あっ、えっと、神谷くんも一緒に勉強してたよ? 神谷くん、教室では自分のキャラ的に勉強がしにくいからって、相談室を利用させてもらってたんだよ。ね、神谷くん!」
「なになに? もしかして、トンちゃんが他の男と関わるの嫌なの? へー、篠原くんも、仲良い女子が他の男と仲良くしてるとやきもち焼いちゃったりするんですね、ぷぷぷー」
西田が泣きながら咲乃をなだめ、神谷の兄が神谷に拳骨をくらわさなければ、また新たに怪我人が増えるところだった。
その後、神谷は兄に引きずられるようにして帰っていき、西田も神谷兄の友人たちに送られて帰って行った。
咲乃が帰宅すると、雅之が玄関で待ち構えていた。これ以上ないほどににこにこしている。
「お帰り、咲乃」
「た……ただいま」
咲乃は、叔父のただならぬその笑顔を見て、次に来る災難を覚悟した。




