ep58 真の理解者①
咲乃が連れてこられたのは、廃業してから放置されているボウリング場だった。建物はフェンスで囲まれているが、近所の若者たちが侵入した形跡があり、入口は既にこじ開けられ、簡単に侵入できるようになっていた。
地下駐車場の入り口はなだらかな坂になっている。日の光が入るのは入り口付近だけで、奥の方はライトが無ければ何も見えない。中に入ると、コンクリートはひんやりしていて、排水溝から漂う汚水の悪臭が滞留している。自分たちがたてる足音が、暗闇の中で何重にもなって反響した。
ここでは、スマホのライトが唯一の光源だ。ライトの光が壁の落書きや長年放置された廃車を照らし出す。そして、奥で待ち構えていた栄至中の制服を照らした。
顔中にガーゼで傷を覆った村上と、村上とつるんでいた仲間たち3人、そして地面に倒れる西田。西田の口はガムテープで塞がれ、両手と両足にもガムテープで巻かれている。顔中に切り傷や青あざがあった。
西田は必死に顔を上げ、助けを乞うように咲乃を見上げた。
「西田くんまで使って、俺に何の用?」
咲乃が険を含んだ口調で尋ねると、悠真はいつもの人好きのする顔で笑った。
「怒んなよ、学級委員長。俺はただ、お前と仲良くなりたいだけなんだからさ」
咲乃は視線だけを動かすと、村上たちの表情を窺った。
「仲良くなりたいのは、きみだけみたいだよ」
小林や中川たちは、警戒をにじませた顔で咲乃のことを窺っているし、村上は憎悪のこもった顔で睨んでいる。村上の仲間たちも、誰も咲乃を良く思っているような表情はしていない。
「徐々に仲良くなれるさ。お互い信用してさえいけばな」
「信用ね」
咲乃は不思議そうに首を傾げて、悠真を見た。
「信用も何も。俺は新島くんたち側に着きたいだなんて、全く思ってないんだけど」
表面上で、咲乃が悠真の友達を演じることに抵抗はない。しかしそれはあくまで、クラス全体の平穏が保てる状況での話だ。悠真が、今のクラスの状況を受け入れろと言うのであれば、咲乃が受け入れるはずもない。
悠真側について、教室が崩壊していくのを黙って見ているつもりはなかった。
咲乃のはっきりとした拒否に、悠真は困ったように笑った。
「心配なんだよ。お前はいつも無理するから」
悠真は本気で咲乃を心配するように、物憂げに瞼を伏せた。
「なぁ、篠原。本当は、学級委員なんかになりたくなかったんでしょ?」
悠真は優しい声色で、穏やかに語り掛ける。
「みんなに優しくて平等で、先生からも信頼されている品行方正な優等生。でも、本当はそんな役割、窮屈で仕方ないんじゃないの?」
両手をポケットに入れた悠真は、西田の背中に足をかけると、少しずつ体重を乗せた。西田の口に塞がれたテープの隙間から、苦しそうな呻き声が上がる。
「お前はただでさえ他人に好意を持たれやすいから。勝手に期待されて責任だけ押し付けられて、馬鹿の尻ぬぐいさせられて……そんなの、楽しいわけないでしょ」
同情するように言いながら、ぐりぐりと踏みつけていた足を動かし、さらに西田へ体重をかけ続けた。
「誰に対しても平等に接するなんてさ、意識して努力したって、普通、無理が出んだよ。とくに、元からなんでも出来る奴ってのはさ」
悠真はふっと短くため息をつくと、鋭い蹴りが西田の脇腹に入った。
「西田や竹内みたいな雑魚はマジで邪魔だし、担任みてーな能無し、本当は死ぬほど嫌いでしょ」
再び悠真が、西田を蹴る。
「ブスに優しくすんのも正直しんどいし。安藤みたいな女、目に入るだけで気分下がるし、好かれでもしたら、マジで最悪」
喋りながら、何度も何度も蹴り続ける。
赤い顔で痛みに悶えている西田を見下ろす咲乃を、悠真は同情するように見つめた。
「本当は、そういう奴らが死ぬほど嫌いなんだって、目を見れば分かるよ。死んでほしいと思ってんだろうなって」
「俺はきみみたいに、西田くんたちが死ねばいいなんて思ってない」
「前の学校でお前が何をやってきたか、俺が知らないとでも思ってんの?」
悠真は、目を細めて言った。
「八城台中学校。篠原が転校する前の学校で、行方不明になった生徒がいたんだってな」
日下や村上たちは、悠真が何を言っているのか分からなかった。誰もが彼を不可解そうな表情で見ている。
それもそうだ、栄至中学でこの事件のことを知っている人間は、他に誰もいないのだから。
「失踪する前に、そいつは部屋に書き置きを残してたんだって。なぁ、知ってる? 『ぼくはもう生きたくないので、ぼくをいじめたやつを殺してこの世からいなくなることにします』」
咲乃の顔から表情が消えていく。今までずっと平静を保っていた彼の変化に、悠真は茶化すように言葉を続けた。
「事件の概要はこうだ。男子生徒は以前からクラスメイト数人から酷いいじめをうけていた。男子生徒が行方不明になった当日、近所の神社でいじめていた生徒4名を呼び出し暴行、刃物で切り付けそのまま失踪した。被害を受けた4名のうち1名は軽傷、残り3名は全身酷い打撲と切り傷で重症を負っていたが、数週間後に回復した。現在も警察は、行方不明の少年を捜索している――。なぁ、篠原。いじめてたクラスメイトって、お前だったんじゃないの」
咲乃の様子を観察しながら、悠真は上機嫌に言った。
「……なぜ俺だと?」
ようやく咲乃が言葉を返す。温度を無くしたような、感情のない冷たい声だった。顔を上げた瞳の中には、射るような鋭い光を宿している。悠真は楽し気に目を細めて、咲乃の目を見返した。
「この事件は、去年の夏に起こった事件だった。その後の八城台からの急な転校生。無関係だなんて思わないわけないでしょ」
事件の事は悠真が2年生の頃、夏休み中に流れたネットニュースを見て知った。
未成年が関わる事件だったため、行方不明の少年の名前はもちろん、被害に会った少年たちの名前も伏せられていた。
未成年が起こした傷害事件。しかも、不可解なまま終わっている。少年たちの唯一の情報として記載されていた(14)という数字。悠真と同い年の事件にインパクトがあったのか、“八城台”という地名も含めて、事件のことが妙に頭に残っていた。
夏休みが開け、英至中に転校生がやってきた。その転校生が“八城台”から来たと知ったのは、事件を知った時に興味本位で覗いた八城台中学校が運営するホームページのおかげだった。
学校のホームページには、生徒たちの日常を画像と共に簡潔に書き記したブログ記事が公開されている。その中に、特に目を引く容姿をした男子生徒が映っている画像を見かけたことがあった。八城台中学校の全校生徒の前でスピーチをしていた少年が、話題の転校生と似ていたのだ。
咲乃は、転校初日の自己紹介の時、出身の県名しか言わなかったらしい。しかし、転校生が言った県には八城台という地名がある。出身地や中学のことを聞かれても、咲乃が頑なに明かさなかったのは、事件のことを知られたくなかったからだ。
悠真は咲乃に近づくと、いつもするように、気安く咲乃の肩に腕を乗せた。
「本当に事件と無関係だって言えるか? お前は嘘が得意だから、いつもみたいにすました顔で言ってみろ。『そんな事件と俺は関係ない』ってさ。でも、それって、変わろうと思って足掻いていたものの否定じゃん。本当は、西田とそのいじめてた奴が、被って被って仕方なかったくせに」
悠真は、咲乃の耳元に口を寄せて、囁いた。
「西田とそいつを重ねてどう思ってた。何を感じてた。お前にあったのは罪悪感か。それとも、抗い難い程の嫌悪感か?」
悠真は咲乃から離れると、村上から金属バットを受け取った。悠真は西田をまたぐようにして立ち、バットを高く振り上げる。勢いよく振り下ろされたバットが西田の背中を殴った。
西田は背中を丸め、額に汗を流し、ふーふーとテープで口を塞がれた間からうめき声と共に荒い息を繰り返した。
「最後のゲームだ」
悠真は、バットの芯を自分の手に打ちつけながら言った。
「俺はこのまま、何度も西田を殴り続ける。こいつの骨が折れようが、失神しようが、死のうが絶対にやめない。でも、お前が代わりに殴るなら、西田もそこまでひどい目には合わないだろうな」
悠真は口の端を上げると、バットを振りかぶり。
そして、勢いよく振り下ろす。
「わかった」
西田に振り下ろされる寸前のところで、悠真の手が止まった。
「やるよ」
短く答える咲乃に満足気に頷く。悠真はバットを、咲乃に差し出した。
「俺が良いというまで殴り続けろ。いいな?」
咲乃は持っていたかばんを下ろし、バットを受け取った。
悠真が警告するように、視線で村上たちを示す。村上たちも、それぞれバットを持って控えている。逆らえば、逆に村上たちの返り討ちに合うと言うわけだ。
咲乃は頷き、西田を跨ぐ。両手でグリップを握りしめ、高く掲げる――そのまま西田に向かって勢いよく振り下ろした。




