ep52 似たもの同士で探り合い
西田くんが相談室に来るようになってから1週間が経ったけど、わたしは未だに西田くんと話せずにいる。
篠原くんからは、「友達が相談室に通うことになったから、仲良くしてあげて」と言われているけど、そんなことコミュ障のわたしにこなせる訳がなかった。
西田くんも相当のコミュ障なのか、チラチラこちらを気にして見ているそぶりがあっても、話しかけてくる気配が一切ない。かろうじて交わされる言葉と言えば、お互い控え目に挨拶を交わす程度だ。そもそも、篠原くん以外の男子と喋ったことないのに、見知らぬ男子と仲良くなんて出来るわけがない。
「あらあら、困ったわね」
日高先生は苦笑気味に、長テーブルの端と端に座って自習しているわたしたちを交互に見た。
「津田さん、新しいお友達が出来るチャンスよ」
お節介なおばちゃん根性で、余計な耳打ちをしてくる。
仲良くしろって言われたって……、西田くんには悪いけど、全身から根暗クソオタクの臭いがプンプンするんだよ。根暗クソオタクと根暗クソオタクはプライドだけは高いから、同じジャンルが好きでもたった一つの解釈違いで険悪になったりするし、オタク同士って意外と友達になるの難しいんだよな。
「もう、こんなに暗くちゃ、先生息苦しくなっちゃうわ!」
日高先生は、溜息をついてうなだれた。横目でわたしたちの反応を窺っている。わたしは冷や汗をかきながら、夢中で課題に取り組んだ。先生が視線で圧をかけてくるから全く集中できないんだけども!
先生は思いついたとばかりに、元気よく両手を叩いた。
「ねぇ西田さん、あなたのことを聞かせてくれないかしら? あなた、趣味はあるの?」
「えぇっ! ……ぼ、僕ですか?」
突然、話題を振られた西田くんは、汗をびっしょりかいてあたふたした。
「そうよ? だって先生、西田さんとお友達になりたいんだもの。それとも私の趣味が知りたい?」
「え、いや……特には」
そこは興味がなくても聞いてあげなさいよ。これだから、コミュ障は……。まぁ、教えてもらった趣味がピンとこなかった時の空気は地獄なんですけど。
「じゃあ、西田さんの趣味を聞かせてちょうだい」
日高先生が眼鏡を光らせて、ぐいっと西田くんに迫った。西田くん、完全に怯えてます。やめてあげてください先生。
「ゲ、ゲームとか……」
「あらぁっ、ゲーム!? ゲームなら津田さんも好きなのよ! ねぇ!?」
おーっと、急に話題がキター!! これは何という変化球。わたしの心臓が持ちません!
「え!……あ……ぅ……、ゲ、ゲームって言っても……わたしのは女子向けのゲームですけど……」
本当はアクションゲームも結構得意だったりするんだけど、最近のゲームは持ってないので、適当に誤魔化しておく。別に西田くんと仲良くなりたいわけじゃないし。
「あ……ぼ……僕も、そんなにゲーム、詳しく……ないです……」
「あらそう」
空いた窓の外からさわやかな風がカーテンを揺らした。部屋の壁時計が静かに時を刻んでいる。
おやつまだかなぁ
「でも、ゲームは好きなのよね? どんなゲームやっているの? 先生、詳しくないんだけど、教えてほしいわ!」
「え……あ、はい」
ゲーム詳しくない人にゲームのこと教えてあげるって、結構難しいんだよな。質問がざっくりしすぎて、西田くんも困った顔をしている。
「え……と……、今僕が主にやっているのは無料でプレイできるオンラインゲームで、最大100人のプレイヤーと対戦して、生き残って勝利することを目指して対戦するバトルロイヤルゲームです。最初はグライダーで開始地点を選べるんですけど、どのプレイヤーも最初は武器やアイテムは持っていなくて、すべて現地調達なんですが、強い武器を調達できるかどうかは運要素も強いんですが、相手のプレイヤーを倒しても調達できます。プレイヤー自身の腕も重要でしてこのゲームの深いところが――」
うわぁ……オタク特有の早口。先生もよくわかんなくて戸惑ったように目をぱちくりさせている。顔色から聞くんじゃなかった感がにじみ出ている。
「そうなのね〜。なんだか難しそうなゲームね。知らなかったわ~。そ、そうだ、音楽は? 西田さん、好きな音楽なんてあるかしら?」
日高先生はわかりやすい社交辞令を言った後、別の話題に舵を切った。
「お、音楽ですか……音楽は、『|My dear Stella《マイ ディア ステラ》』の曲が好きで――」
|My dear Stella《マイ ディア ステラ》って確か、美少女アイドルのアニソンじゃん。非オタに音楽の趣味を聞かれた時に答えていい種類の音楽じゃないんだよなぁ。
わたしも、マイ・ステは好きだけど、マイ・ステみたいな萌え萌えした曲は先生には刺激が強いと思うぞ?
「マイ・ディア・ステラ……? 洋楽の曲かしら。西田さん、良いセンスしてるわね!」
先生がお洒落な洋楽の曲と勘違いしてるよ。どうすんの、西田くん。曲聴かれた時の反応が気まずいぞ、これ!
「あ、洋楽じゃなくてアイドルの曲です」
「あら、そうなの? 先生、西田さんはアイドルが好きなのね。最近はいろんなアイドルがいるものね」
アイドル、うん。アイドルには違いない。二次元だけども。
先生の会話と西田くんの会話を聞いてるだけなのに、なんで、わたしがヒヤヒヤしてるんだろう。
西田くんの隠しようのないオタク的な雰囲気にシンパシーを感じてはいるんだけど、友達になりたいかというと別だ。だって、絶対話合わないもん。さっきから西田くんの趣味聞いてるけど、わたしの射程圏外だし。そんなことを考えていると、西田くんのカバンのマスコットに目が留まった。
「西田くん」
「は、はい?」
「もしかして、西田くんは黄色派ですか?」
「え、そうですけど」
「実はわたしも黄色派です」
「ホントですか!?」
日高先生は、熱く語り合うわたしたちを交互に見て、飛び交う用語の数々に白目をむいていた。
*
西田が教室に来なくなってから数日が経つ。それでも、クラスの日常は何も変わらない。序列という分類が塊として存在しているだけで、たかが一人欠けたところで教室の中に大きな影響はない。
休み時間中、絵を描いて過ごしていた女子の机にぶつかり、落としたノートを上履きで踏みつけても、その女子に送られる言葉は冷ややかな刃物のような悪態か、白々しい嘲笑だけだ。誰かが指導権を握り、その下に序列があり、虐げられるべき奴隷がいないと成り立たない。このクラスは、虐げる側も、虐げられる側も共同で作り上げた幻想の上で成り立っている。
咲乃は、くっきり上履きの跡のついたノートを拾い、チリをはたいて微笑んだ。
「落としたよ、安藤さん」
怯えていた女子生徒にノートを返すと、そのまま自分の席に戻って読書を始める。咲乃もまた、西田が教室からいなくなった後も、変わらぬ様子で日々を過ごしていた。
掃除の時間、咲乃と悠真たちの班は第二理科室の掃除を担当していた。悠真は机の上に座って、箒と卓球のボールで遊んでいる仲間たちの様子を眺めていた。大騒ぎする仲間たちに見飽きて視線を外す。一人で黙々と、窓ガラスを拭いている咲乃に近づいた。
「ちょっとは休んでもいいんじゃないの、学級委員長?」
軽口をたたきながら、窓枠に腰を掛ける。咲乃はちらりと横目で見ただけで、何も言わなかった。悠真は足を軽くぶらつかせて、しばらく咲乃のことを眺める。咲乃は悠真の視線も構わず、ひたすら手を動かしていた。
「西田の事、怒ってる?」
「なぜ?」
ふいに悠真に尋ねられ、咲乃は、視線を窓ガラスに向けたまま尋ね返した。
「西田をいじめるなって言ってたろ?」
「やっぱり、村上くんをけしかけたの、きみだったんだ」
悠真が裏で、西田のスマホを取り上げろと命令していたのだ。しかし、村上たちが西田の投稿を読み上げている間、悠真は何くわぬ顔で自分の席から騒ぎになるのを眺めていた。
「あいつらバカだから、面白けれなんだってやるし、便利なんだよ。扱いやすくて」
悠真は鼻歌を歌うように、機嫌よく言った。
「やめろって言った所で、どうにかなるとは思ってないよ」
咲乃は腰をかがめて、バケツの中の水に雑巾を浸した。固く絞り、また手を動かす。
「むしろ、怒っているのは、きみの方じゃない?」
咲乃はようやく手をとめて、冷ややかに悠真を睨んだ。
「それで隠しているつもりなら笑えるよ。ずっとイライラしてるでしょう」
悠真は、いきなり吹き出すと腹を抱えて笑いはじめた。笑いすぎて苦しそうな息を吐きながら、目じりに溜まった涙をぬぐった。
「別に、篠原に怒ってるわけじゃねーよ」
悠真は肩をすくめると、遠くを見るように箒で遊んでいる仲間たちの方へ目をやった。
「ただ、これからどうしようかなって」
悠真は挑戦的に咲乃を見る。咲乃は、悠真を睨み返した。
「西田も来なくなっちゃったし。生贄は別に西田じゃなくてもいいわけだし?」
悠真は、含むように笑いながら緩慢な動きで腕を組んだ。
「西田にこだわる理由なんて、初めからないんだよ。クラスのストレス発散役が一人必要ってだけでさ」
悠真は口角の上がったくちびるの端から、八重歯を見せて笑う。教室の中に波のような風が吹き込んで、悠真からほのかにスズランとベルガモットの清涼感とみずみずしく甘い柔軟剤の香りが広がった。
「ただ、やってたゲームを途中で変えたら、篠原がつまんないんじゃないかって」
悠真にとって、今までのことは咲乃を試すだけのゲームだった。いじめられている西田をどこまで守れるか。結果は悠真の勝ち。西田は消えた。
ただ咲乃は、そんなくだらないゲームに参加した覚えはない。
「余計な世話」
咲乃は吐き廃るように呟いて、窓の掃除を続けた。




