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ep51 取っ付きにくいなんて思ってゴメン

 西田が学校に来なくなってから3日目。咲乃はその日学校が終わると、担任から教えてもらった住所を頼りに、西田の家へ向かった。

 3階建ての古びたアパートの206号室。家のチャイムを押して数秒待つと、西田の声で「どちら様、ですか?」と応答があった。


「篠原です。様子を見に来たんだけど開けてもらえない?」


 咲乃は穏やかに伝えたが、西田からの返事はなかった。しばらく待ったが反応はない。咲乃が帰るつもりで後ろに下がると、がちゃんと鍵がまわる音がして、ドアが数センチ開けられた。


「入る?」


 小さな声が、ドアの隙間からした。


「迷惑でなければ」


 西田はドアのチェーンを外して、咲乃を家の中に迎え入れた。成海の時のように、受け入れられるまでに時間がかかるだろうと思っていたが、案外すぐに入れてくれたことを意外に思った。悠真と近い位置にいる自分は、最も恐れられているだろうと思っていたからだ。


 西田は、咲乃を居間に通すと、キッチンに差し掛かったところで、咲乃の方へ振り向いた。


「麦茶があるけど、飲む?」


「うん、ありがとう」


 咲乃は、西田に促されるまま、ローテーブル側の座布団に腰を下ろした。西田は、麦茶を注いだコップを咲乃の前に置く。


「今、親いないんだ。弟は友達の家に遊びに行ってて……」


「弟がいるんだ。何年生?」


「小学4年生」


 二人で麦茶を飲みながら、取り留めのない話をする。咲乃を前にした西田は、とても緊張していた。普段から軽く挨拶されることはあったが、こんな風に喋ったのは初めてだったのだ。

 西田の家に、同級生が来たのは初めてだった。しかも、相手が篠原咲乃となると、自分が住んでいる家の中ではあまりにも不釣り合いで、とたんに現実味がなくなる。篠原咲乃の人形のように整った顔立ちは、ごちゃごちゃと生活感にあふれた景色の中では浮いて見えた。


「突然来て驚いた?」


 西田が不思議な思いでじろじろ咲乃を見つめていると、急に目が合った。西田は恥ずかしくなって視線をそらした。


「えっ、あ……うん」


 控え目に頷いて、西田は下を向いた。


「……篠原くんは、どうして来たの?」


 つっかえながら訪ねる。


「あんなことがあったから、心配で来たんだ。変?」


 首をかしげる咲乃に、西田は言葉を詰まらせた。クラスに自分を心配してくれる人なんて絶対にいないと思っていたからだ。

 警戒する西田に、咲乃はにこりと笑った。


「俺は西田くんと友達になりたいと思っているんだけど?」


 西田は驚いて顔を上げ、咲乃を信じられない気持ちで見つめた。


「どうして? だって、接点無いし……」


 趣味も合わなければ話も合わない。自分と居ても、咲乃が損するだけで彼に利益はないはずだ。

 驚いている西田に、咲乃は困った顔で笑った。


「クラスメイトでは接点にならない?」


 “クラスメイト全員友達”は、陽キャみたいな感じがするが、普段の咲乃を思いだしても陽キャの部類ではない。西田は唖然とした。


「篠原くんて、クソ真面目なんだね」


 よほど学級員としての意識が高いらしい。

 咲乃は苦笑しながら「そんなつもりはないんだけど、よく言われるよ」と言った。



 意外にも西田が咲乃と話していて苦痛に感じる瞬間は一時もなかった。よく話を聞く彼の態度が、口下手な西田でも喋りやすく、受け入れられているような気がしたからだ。容姿だけ見れば、西田とは相いれないように思っていたが、予想以上に柔軟で、安心して話せてしまう。西田が一方的に怖がっていただけで、悪い奴ではなかったのだ。


 その後も、何度も咲乃は、西田の様子を見に家までやってきた。西田は咲乃と、一緒にゲームをしたり、漫画を読んだりして過ごした。


 普段あまりゲームをやらないという咲乃に、操作方法を教えると、すぐに慣れて上手くなる。咲乃の飲み込みの速さに、ゲームを得意だと自負していた西田は舌を巻いた。


「篠原くんって、オタク文化あんまり否定的じゃないよね」


 西田が咲乃を自室に招き、自作のプラモデルを飾った棚を見せていた時だった。色とりどりのロボットや、様々な種類の戦車や戦闘機が並べられた棚を、咲乃は面白そうに眺めていた。


「うん。友達に一人いるから。ついていけない時もあるけどね」


「意外だな。篠原くんはもっとこう……」


「取っ付きにくい?」


 適切な言葉を探そうと西田が逡巡していると、咲乃は苦笑して言葉を続けた。西田が慌てて否定すればするほど、咲乃は益々苦い顔で笑った。


「よく人から怖がられるから、俺も慣れてる」


「……篠原くんはその……。何でも出来るし、僕みたいなどん臭い奴はイラつくだろうなって思ってたから……」


 西田は口ごもった。


「村上くんたちみたいに?」


「アイツらは性格がクソだから。でも、篠原くんは新島くん側だったでしょう?」


 咲乃はプラモから目を離し、西田をしげしげと見つめた。


「西田くんは、新島くんが苦手なんだね」


 西田は、咲乃の視線から逃げるように近くにあった漫画を手に取った。


「新島くんは……なんていうか……。昔から僕のことが嫌いみたいで……」


 西田は、居心地悪そうにページをめくったり、丸めて手の中で叩いたりした。


「……中1の頃からずっと同じクラスなんだ。特に話したこともないけど、僕の存在が気にくわないみたい」


「心当たりはないの?」


「ないよ、そんなの」


 西田はぶっきらぼうに答えた。


「存在するだけで無性にムカつく奴たまにいるじゃん。……多分、僕がそれなんだと思う」


 西田は小さく呟いた。咲乃は西田から目をそらし、カバンから一枚の紙を取り出した。


「まだしばらくは学校に来る気はないと思うけど、もし来る気になったらここに行ってみない?」


 そう言って西田に手渡す。毎月配布される学校新聞だった。


「相談室?」


 西田が怪訝な顔で聞き返すと、咲乃はプリントの一番下のある個所を指さした。


「俺の友達が通ってるんだ。その子も訳ありで、教室には登校できないんだけど、そこでカウンセラーの先生と勉強したりして過ごしてる」


「あー……そうなんだ」


 西田は相談室の案内文に目を落としながら、微妙な反応をした。


「……ありがたいけど、今は……あまり……」


「気が向いたらでいいよ。そこの先生、とても話しやすい人だから。言いにくい悩みも聞いてくれるだろうし、その友達も良い子だよ。相談次第では出席単位ももらえるかもしれない」


「……うん、ありがとう」


 西田は案内文に視線を落としたまま、曖昧に返事をした。






 学校へ行かなくなった西田を、両親は心配していた。担任からは何度か電話が来たが、西田は担任と話す気はなかった。その後も、何度も咲乃は来た。少ない滞在時間ながらもいろんな話をした。しかし、二度と咲乃の口から、相談室の話が出ることはなかった。


 ようやく西田が外を出る決心がついたのは、咲乃が来てから3週間が経ったころだった。ガラス窓に、ピンク色の画用紙が内側から貼られ、ポスカでイラストともに『相談室』と書かれたドアを前にする。


 西田が一瞬躊躇し、意を決してドアをノックしようと手を掲げた。


「あら、もしかしてあなたが西田さん?」


 ノックをしようとして手を掲げると、中年の女性が唐突に部屋の中から出てきた。目を点にして固まった西田を、先生は素早く巻き込むよう肩を抱いて、部屋の中へ案内した。


「待ってたのよ~。篠原さんからお話は聞いてたんだけどね。さぁさぁ、そこに座って。今ちょうどおやつタイムだったの!」


 促されるままに部屋の中に案内され、椅子に座らされる。部屋の奥の席には、背の低いぽっちゃりした女の子が、問題集を顔の前に立てて身を小さく縮めていた。

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