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ep49 想いはいつも混沌として

 大きく泣き腫らした瞼で、彩美は学校に到着した。廊下ですれ違う生徒たちが、美少女だった彩美の顔を見て、さっと顔を伏せる。今の彩美には、周囲を気にする余裕はない。氷水の入った袋で片目を冷やしながら、ふらふらと自分の教室へ向かって行った。


「うっわ、バケモンじゃん!」


 神谷の直接的すぎる言葉を無言でたたき割り、そのまま顔面にパンチを食らわせる。あと数センチ違ったら鼻が折れたのに、狙いが外れた。


 彩美は自分の席に着き、ゴンッと大きな音を立てて机に額をつけた。


 最悪。本当に最悪。せっかく篠原くんが学校に来てるのに、こんな顔じゃ会いにも行けないじゃない。


 咲乃のお見舞いの帰り、稚奈に彩美のプライドをズタズタにされてから、休日中はずっと部屋にこもって日中夜泣き通した。

 何せ“咲乃が、稚奈の家にまで通って勉強を見ていた”という事実が衝撃的すぎて、彩美には耐えられなかったのだ。しかも、のうのうと「山口さんも見てもらえばいいのに」とのたまいやがる。ふざけんな、そんなこと出来たらとっくにしてるわ!


 先ほどから、彩美の周囲で「今日は山口に見つからないように生きような」「あぁ、神谷の二の舞になる」とこそこそ話しているのが聞こえて、ペンを一本折ってしまった。


「何やってんの、彩美。ペンがかわいそうでしょ。物にも命が宿るって話、知らないの?」


 モブ親友こと橋本愛花が、彩美の手の中を開いて真っ二つになったペンを回収した。同情するとこ、そこじゃねーだろ。


「あ゛っ……、あ゛い゛か゛ぁ゛……」


 顔を上げて橋本愛花に縋りつくと、愛花は嫌そうな顔で「どうどう」と背中を撫でた。


 愛花には通話でぶちまけたので全て知っている。周囲の恐ろし気な空気も気にせずに、愛花は彩美の目の前の椅子に座った。


「で、どうすんの? 泣き寝入りするわけ?」


「……う、うぅ……」


 愛花の容赦ない言葉が、彩美に胸にグサグサ刺さった。確かにここで泣いているだけでは、状況は変わらない。そんなことは分かっているのだが、今の彩美には反論する気力すら湧かなかった。


「もうさ、いっその事、篠原くんに告白しちゃえば? アンタだって篠原くんとは仲が良いんだし、意外にチャンスあるかもしれないじゃん?」


「そ、そんなっ、だめ!」


 他人(ひと)ごとだと思って投げやりに言う愛花に、彩美は勢いよく顔を上げた。


「今告っても絶対上手くいかないもん! もし振られたらどうしてくれんの!?」


「どうしてくれんの、って言われてもねぇ」


 きっぱり諦めて次の恋を探せばいいんじゃないかと思う。愛花は見た目の可愛さとは裏腹に、かなりドライな性格をしているのだ。


「篠原くんが、本田さんのことをどう思ってるかも分からないし、本田さんよりもっと仲良くならなきゃ」


 気持ちの面では焦るけど、焦って振られては意味がない。


「じゃあ、頑張って篠原くんを誘うしかないじゃん」


「わ、わかってるよ、そんなこと」


 呆れたように半目になって言う愛花に、彩美は頬を膨らませた。


「この学校で、一番可愛いくて仲が良い女子なんて私だけだもん。篠原くんが、本田さんみたいな子を好きになるわけないんだから」


 中本結子の時もそうだった。頭が良くて人間も出来ている咲乃が、面白みのない平凡な女の子を選ぶはずがない。少女漫画でもあるまいし。

 考えてみれば本田稚奈など取るに足らない小物だ。頭とノリが軽いだけの女に、彼がそう簡単になびくはずがない。本田稚奈みたいな女は、咲乃が一番苦手とする部類の人種なのだから。







 まぶたの腫れが引いた頃、彩美はようやく神谷を引き連れて2組の教室へ向かった。

 ちなみに神谷は、腫れた顔に氷水の入った袋を押し当てている。殴られた上に、良いように引き連れ回されて、神谷の気分は最悪だった。


 2組の教室で、咲乃はいつもと変わらぬ様子で悠真たちと過ごしていた。悠真との繋がりで親しくなったらしい女子たちも数名混ざっていて、会話に加わっている。その中に関りたくなかった女子生徒を見つけて、彩美は顔をしかめた。


 遠藤沙織(えんどうさおり)澤田加奈(さわだかな)だ。遠藤沙織のことは嫌いだったが、咲乃が目当てではないので無視していい。問題は澤田加奈だ。

 教室に入るなり、澤田加奈に睨まれた。加奈が咲乃に気がある気があるのを知っていた彩美は、鋭く彼女を睨み返す。


「神谷どうしたの。すごい怪我だよ?」


 咲乃が神谷の顔を見て驚くと、神谷は不機嫌そうに「鬼神に祟られた」と答えた。


 彩美は神谷の言葉など耳にも入れていなかった。ただ、目の前にいる咲乃に見惚れた。


 今日も篠原くん、とっても素敵……。


 悠真たちのグループにいる咲乃は、なんて華やかなんだろう。まるで、悠真と二人組のアイドルみたいだ。一緒にいると、お互いの容姿の良さを引き立て合って神々しさすら感じる。

 彩美が感嘆に浸っていると、悠真と目が合った。


「あ、山口さんも来たんだ? なんか、久しぶりだね」


 悠真が甘い顔で笑いかける。彩美は愛らしい顔でにこりと笑った。


「新島くんこんにちは」


 彩美が挨拶を返すと、それを見ていた悠真の彼女である遠藤沙織に睨まれた。


 こっわ。彼氏取られないように必死すぎ。


 彩美はにこにこ笑顔を絶やさずに、心の中でつぶやいた。


 悠真は彩美の初恋だった。というより、女子の初恋はほとんど悠真が相手だったのではと思うほど、昔から彼は人気だった。

 中学生になって、身長が伸びて声も低くなって、小学生の時よりも更に魅力を増した悠真は、仲良しグループの中にいた遠藤沙織と付き合い始めた。


 悠真と沙織が付き合っていると知った時、彩美はショックのあまり、何日も食事が喉を通らないほど落ち込んだものだ。しかしそれも、咲乃が現れてからは、悠真への恋心など綺麗さっぱり忘れてしまったのだが。


 もう、好きな人を他の女なんかに取られたくない。篠原くんは、絶対に私のものにして見せる。


 彩美は固く心に決めると、咲乃の肩をちょんちょんと突いた。


「篠原くん、話があるんだけど、今大丈夫?」


「どうしたの?」


 まっすぐ咲乃の黒い瞳に見つめられて、自分で話しかけておきながら心臓が軽く跳ねた。


「あのね、数学でわからないところがあるの。教えてもらえない?」


 必殺上目遣いで、咲乃に熱視線を送る。大概の男子はこれで落ちるのだが、しかし咲乃は、いつものように柔らかく笑っただけだった。


「いいよ、今見ようか?」


 ありがたいが違う! 彩美は冷や汗をきながら、両手をぶんぶん顔の前で振った。


「いっ、今じゃなくていいの。もしよかったら、放課後一緒に勉強しない? 家じゃ捗らないし、図書室で勉強しようかなって思ってて……」


 本当は、稚奈のように家に誘いたかったのだが、さすがに初日で自分の家に誘うのはハードルが高すぎる。咲乃だって、いきなり家に誘われたら驚くだろう。図書室で勉強というのは、彩美なりの精一杯の妥協だった。


「ごめん。放課後は用事があるから駄目なんだ。折角誘ってくれたのに、申訳がないけれど」


「えっ」


 用事。また用事だ。いつもそればっかり。前までは納得して諦めていたけど、稚奈とのことを知った以上、彩美には納得ができなかった。


「じゃ、じゃあ、お休みの日は? 私、篠原くんの予定に合わせられるよ?」


 今回は、絶対に引き下がるわけにはいかない。なんとしても、咲乃との関係を縮める一歩が欲しい。


「ごめん。休みの日もちょっと……」


 どうして。


 彩美の脳内を埋め尽くす、数多の疑問。


 咲乃はいつも、彩美を寄せ付けない。友達だと言いながら、彼のプライベートには一切入らせてくれない。聞けば応えてくれる回答は無難なものばかりだ。

 いつも笑顔で接してくれるのに、それ以外の表情を、感情を、見せてくれたことがない。私のことを聞いてくれたこともない。興味を持ってもくれない。でもそんなの、友達なんて言わない。


 ごめんね、と改めて咲乃が謝った。そうやって簡単に謝る割に、それ以上は譲るつもりはないと言われているように感じて、それが凄く。


「本田さんとは、一緒に勉強してるのに」


 ずるい。


「それ、誰に聞いたの?」


 咲乃の目が、警戒するように彩美を見つめた。自分が言ってしまったことに血の気が引く。やってしまったと思うのに、なぜだか、やっと認識してもらったような不思議な感覚になった。もしかすると、彩美は今まで、きちんと咲乃に認識してもらえていなかったのかもしれない。


「え……えっと……」


「本田さん?」


 彩美が狼狽えていると、鋭く核心をついてくる。彩美は言葉を失った。


「本田さんとは、共通の友人を通して知り合ったんだ。勉強を見ているって言っても、その友人のついでだし、二人きりで勉強しているわけじゃない」


「そ、その友人って……?」


「それは山口さんには関係ないよね?」


 急に突き放されるような厳しい言い方に、彩美は息を呑んで首をすくめた。


「ごめん、これ以上は話したくない」


 拒絶。彩美を見た咲乃の目には、明らかにそれがあった。固まっている彩美の横を過ぎる。

 視界から彼の姿が消えたところで、ようやく彩美は我に返った。


「しっ、篠原くんっ! まって……!」


 教室を出て行く咲乃を必死に呼び止めた。しかしそれは虚しく響くだけで、教室から出ていく咲乃を止めることはできなかった。

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