ep48 篠原咲乃の悩みごと
休日をまるまる使って風邪から回復した咲乃は、教室へ向かう西田の後ろ姿を見つけて駆け寄った。
「西田くん、おはよう」
咲乃が挨拶をすると、西田の肩がびくりと跳ねた。恐る恐るといったように振り返る。
西田からすれば、朝のぼんやりした思考のまま廊下を歩いていると突然声を掛けられ、驚いて振り返ると、穏やかに笑う咲乃がそこにいた、といった感じだ。
「おっ、おおおおおはようっ!」
西田は青い顔でがたがたと歯を鳴らし、急いで頭を下げると、逃げるように行ってしまった。見かけるたびに声を掛けるようになってから数日が経つが、未だに慣れてくれる気配がない。しかし、友好的に接しているつもりの咲乃には、西田に怖がられている理由がさっぱり分からなかった。
「すっげー避けられてんな」
いつの間に背後に立っていたのか。神谷がニヤニヤ面白そうに笑っている。咲乃は神谷を睨んだ。
「何の用?」
「何の用はねぇだろ。せっかく慰めてやろうと思ったのに」
「……悪かったよ」
表情が慰めようとしている人間の顔ではなかったのだが。
咲乃は溜息をついて、神谷に謝った。確かに今のは、ただの八つ当たりだったかもしれない。
「でもまー、あの避けられ方はシンプルに傷つくなー。俺だったら、ショックすぎてしばらく引きずるわ」
「傷口に塩を塗るの止めてくれないかな?」
励ますふりして、嬉々として傷口に触ってくるこいつが嫌いだ。
咲乃が睨むと、神谷は元気づけるように背中をパンパン叩いた。
「そう落ち込むなよ。怖がられるのは仕方ねーって。客観的に見ても、あいつとお前じゃタイプ的に合わないじゃん?」
「タイプって?」
咲乃は不思議な顔をして神谷を見た。西田と自分のタイプが違うとはどう言うことなのか、いまいちピンと来なかった。
「三軍の陰キャと、一軍のお前じゃ、住んでる世界が違うだろ。趣味も話も合わねーじゃん。しかもあれ、ぜってーオタクの中でもイタイやつだぜ。二次元にガチ恋してる方の。アニメのポスターとかフィギュアとか飾ってひとりでニヤニヤして、エロゲで性欲発散させてるような人種だぜ? ちょうイタイじゃん止めとけって」
なぜだろう。一瞬、成海の顔が横切った。
咲乃は激しく頭を振って、脳内の成海をどこかへやると「他人の趣味にイタイは失礼だよ」と無駄に必死になって擁護してしまった。
「西田くん、未だにクラスに溶け込めていないみたいで。クラスをまとめるのも俺の仕事だから、気にかけているつもりなんだけど……」
「でも避けられてんじゃん。あれじゃあ、気にかけるっつっても何も出来ねぇな」
悔しいが、神谷の言い分はもっともだ。こうして毎朝挨拶しているのに、一向に気を許してはもらえないのだから。
「俺が新島くんのグループにいるから警戒されているんだろうと思うけど、友好的に接しているつもりだよ。すくなくとも、嫌われているわけではないと思う」
「まぁ、嫌われてはねーだろうけど。ただ、見た目からして取っ付きにくいかんなーお前。コミュLv.90以上ないとハードル高いわな」
「俺ってそんなに取っ付きにくい?」
自覚が無かったのか。神谷は呆れて口の端をひくつかせた。
「一般的にキレイすぎる奴ってプライド高い上にガード固そうに見られがちじゃん。兄貴の友達が言ってたぜ。ナンパするときは美人狙うよりちょいブス狙った方が釣れるって」
「……何の話?」
「見た目良すぎると先入観を持たれて近寄られないって話だよ」
「なる、ほど」
神谷のわかりづらい例えのせいで困惑はしたが、何が言いたのかは分かった。確かに咲乃は、今まで自分の容姿が「親しみやすいか否か」に重きを置いて考えたことが無かった。
神谷の言う通り、自分の容姿が親しみやすいかと言われればそうではない。加えて普段から、人と距離を置いて接している分、傍から見ても取っ付きにくいのかもしれない。
「面が良くても、人間関係は苦労するよな? ま、気にすんなよ、なっ!」
日頃の妬みを、ここぞとばかりに嬉々としてぶつけてくるこいつが嫌いだ。
*
「なるちゃん、よくそんなに勉強出来るね。前は、勉強嫌いだったのに」
勉強に飽きたらしいちなちゃんが、わたしのノートを覗き込んで言った。
「本田さん、無駄話しない。次、ここの問題の解き方教えるから」
「はぁーい」
篠原くんに注意されて、しぶしぶちなちゃんは勉強に戻った。相変わらず、勉強が嫌になると癇癪を起してしまうちなちゃんだったけど、篠原くんが隣りで熱心に勉強を見ているおかげか、最近はちなちゃんなりに頑張っていると思う。
それにしても、ちなちゃんの集中力途切れはじめてるな。わたしもお腹がすいてきたし、次の休憩でおやつタイムにしよう。そろそろ脳に糖分が必用だ。
タイマーが鳴って休憩時間にはいると、わたしはのびをした。
「お母さんがおやつ用意してくれてるから、飲み物と一緒に持ってきますね」
「稚奈も手伝う?」
「二人はそのまま休んでて大丈夫」
ちなちゃんと篠原くんを残して部屋を出る。キッチンでお湯を沸かし、マグカップを人数分出して、レモンティーのティーバッグを用意した。冷蔵庫にはスーパーで買った“ひとくちドーナツ”があった。
鼻歌を歌いながら、ドーナツの袋をあける。皿の上に、ざっくばらんに個包装されたドーナツをもりつけた。
「俺も手伝うよ、津田さん」
「ヒィッ!」
びっくりして変な声出た。一体、いつからいたんだよ。
「いいです、いいです。もうすぐ出来ますから」
完全に一人でのびのびしてたから、びっくりしすぎて心臓が飛び出るかと思った。鼻歌聞かれたのが地味に恥ずかしい。
「でも、お盆持って歩くの危ないし」
「……じゃあ、お願いします」
篠原くんも手伝ってくれるというので、沸かしたお湯をマグカップにそそいでもらう。
「ちなちゃんは、部屋で待ってるんですか?」
「ううん。お手洗いに行ってる」
そっか。じゃあ、その間に早く用意してあげないとな。
「さっきの曲、なんていう曲?」
えっ、曲? 鼻歌の……?
「エ……エンドレス・ラブ……」
まさか鼻歌の曲名を聞かれると思っていなかった。めちゃくちゃ恥ずかしすぎる。ちなみに、『エンドレス・ラブ』は、わたしが推してるVチューバ―の曲だ。
「そうなんだ」
軽くふふっと笑われた。顔が熱い。今、わたしの顔、湯気が出そうなくらいには真っ赤になってる。
「津田さんの鼻歌、初めて聞いたかも」
鼻歌って、そもそも人に聞かせるものじゃないしな。
「篠原くんは、音楽聴かないんですか?」
「うーん、普段はあまり」
「勉強中とかは?」
「聴かない。無音の方が捗るから」
「ふーん。篠原くんだったら、クラシックとか聴きそうですけどね」
うん、想像してみてもぴったりだ。
「嫌いではないよ。幼い頃はよく練習してたし」
「練習?」
「うん。ピアノの練習」
ひょええええ、篠原くんピアノ弾けるんだ!
「聴いてみたいです!」
「人に聴かせられるようなレベルではないよ」
ちぇ、断られた。
「それより、津田さん。あれから神谷に何か嫌がらせ受けてない?」
「神谷くんですか? たまにLINEが来ます」
神谷くんに初めて会ったとき、LINEを交換させられてから、たびたび連絡がくるようになった。
「神谷とは、何の話をするの?」
「うーん、主に新作マンガの情報交換とか、ゲームの話ですかね。たまたま同じゲームを遊んでいたので、フレンドになったりとか」
ゲームする友達が身近にいないから、正直フレンドになってくれるのは助かっている。神谷くんはガッツリしたオタクという訳では無いけど、マンガもアニメもメジャーなものだったら話が通じるし。
時々、神谷くんのガサツなところにはびっくりするけど、悪い人ではないみたい。わたしのことを“トンちゃん”と呼んでくるけど、神谷くんなりの親しみなのだと思うことにしている。
「そう、意外と仲良くやっているんだ」
「はい、まぁ、一応。知り合いが増えるのは嬉しいです」
少しだけ含みのある篠原くんの様子が気になるけど、特に気にせずにうなづいた。
「もし、神谷の事で困ったことがあったらすぐに知らせてね。後で殴っておくから」
「篠原くんも厳しいですね。神谷くんには」
篠原くんの神谷くんに対する扱いに苦笑してしまう。まぁ、時々神谷くんの話は聞いていたから、色々苦労しているのだろうなとは思うけど。
飲み物とおやつの用意が出来て、お盆に乗せた。さて部屋へ戻ろうかと言う時に、篠原くんは考え込むように黙り込み、困った顔でわたしを見た。
「篠原くん、どうしたんですか?」
篠原くんのその悩まし気な顔を見ても動じなくなってしまった。わたし、大分図太くなったな。
「津田さん、ずっと俺のこと恐れ多いって言ってたよね?」
「えっ、いや、まぁ……」
確かにそんなこと言ったけど。正直、今でも時々思ってるし。
「俺って、そんなに話しにくいのかな」
「いやっ、どう、ですかね……ええっと……」
「……やっぱり話しにくいんだ」
なんて答えたらいいのか分からずに目を泳がせていると、篠原くんを落ち込ませてしまった。
そりゃあ初対面の時は、こんな美少年と会話を成立させるなんて絶対無理だと思ってたけど。何で篠原くん、今更そんなことを気にしだしたんだろう。
「えっと、なんかあったんですか? 学校で言われたとか?」
もし、篠原くんが誰かに悪口を言われたのだとしたら、絶対に許せない。わたし一人じゃ何もできないけど、わたしのバックにはお姉ちゃんが居る。
怖いんだぞ、うちのお姉ちゃんは。剣道3段持ってるし、悪口を言わせれば、平気で人を再起不能に出来るんだからな。
この間、お姉ちゃんにおつかいを頼まれたとき、間違ったものを買ってきたら「ゴキブリよりも無価値」とまで言われたんだからな。
篠原くんは、「神谷が……」と言いかけたところで少し溜息を吐いた後、「……いや、それはいいんだけど」と詳細は教えてくれなかった。わたしが首を傾げていると、篠原くんはいつもみたいにふわりと柔らかく微笑んだ。
「ちょっとね。でも、大丈夫。大した事ではないから」
「……そう、ですか?」
悩みがあるなら聞くのに、そんな風に言われると、もう何も聞けなくなっちゃうな。
「篠原くん」
「ん? なに、津田さん」
「もし、必要でしたら、いつでもお姉ちゃんに土下座する用意はできてますので」
篠原くんのためなら、この安い頭、いくらでも下げる所存だ。
「なんで土下座?」
篠原くんが可笑しそうにくすくす笑う。わたしたちは、お菓子と飲み物を持って部屋へ戻った。




