ep47 宣戦布告
「山口さん、途中まで一緒に帰ろ?」
咲乃の家の帰り、稚奈に声をかけられ、彩美は断ることもできずにこうして一緒に帰路についている。
本田稚奈のことは、小学生の頃から知っていた。活発な性格で交流関係も広い彼女は、同性異性関係なく友人も多く、もちろん彩美自身も何度か話したことがある。しかし、1度でも彩美が稚奈に興味がひかれたことはなかった。ノリが良く、普通に話せる相手だったが、結局は大勢の中の一人。飛びぬけて何か特徴があるわけでもない。そもそも、目立つほどすごく可愛いというわけでもない。
容姿の偏差値は、中から少し上程度。背が低く華奢で、年齢よりも少々子供っぽい。幼稚な印象を持っていた。そのため、まさか本田稚奈と篠原咲乃に交友関係があるなど、思いもよらなかった。
彩美が複雑な感情を抱いている横で、先ほどから本田稚奈が輝かしい笑顔で話しかけてくる。「修学旅行はどうだった?」とか、「体験授業は何にしたの?」とか。
取り止めのない世間話を彩美は無難に答えながら、胸の中にもやもやとしたものを抱えていた。
どうして、本田稚奈が篠原くんの家に行けるの? 篠原くんは、女子の友達は殆んど作らないのに、そんな篠原くんとどうやって仲良くなったの?
「山口さんって、2年生の頃篠原くんと同じクラスだったんでしょ? 別のクラスになっても、家に来るほど仲がいいんだね!」
ふいに話が咲乃の話しになり、彩美は言葉を詰まらせた。表情がこわばらないよう、必死で笑顔を取り繕う。
「そ、そうだね。同じクラスだった縁があって、今でも仲がいいかな」
仲が良いと言っても、咲乃の家に訪れたのは初めてだったし、神谷と重田にお願いして連れて来てもらったのだ。咲乃の家の場所も知らなければ、彩美が一人で行っても、咲乃が良い顔をしたかはわからない。
しかし、それにくらべて本田稚奈は……?
共通の男子の友達がいるわけでもなさそうだし、どうでもいいブサイクな女友達を連れて咲乃の家に居た。咲乃も、稚奈に慣れている感じがした。咲乃の家へ行くのに、気兼ねなく女友達まで連れて行けるほど、稚奈は咲乃の家に行き慣れているということだろうか。
ふたりがどれほどの仲なのかを探ろうと思えば思うほど焦ってしまって、どう探ったらいいのか分からなかった。そもそも彩美は、本田稚奈のような、ノリだけ良くて薄っぺらい、幼稚な子と接するのが苦手なのだ。稚奈のテンションの高さにも疲れてしまう。
「そっかぁ。篠原くんと同じクラスになったことがあるなんて、羨ましいなぁ。稚奈なんて、一回も篠原くんと同じクラスになれなかったよ……」
少しがっかりした様子の稚奈を見て、彩美は内心鼻を鳴らした。
篠原くんと接点があるくせに、調子のいい女。
「本田さん、ずっと篠原くんと仲が良かったんだね。私、全然知らなかったな」
暗に今まで咲乃から話題に上げられたことが無かったことを伝えると、本田稚奈は全く察していない様子で無邪気に笑った。
「篠原くん、学校だとすごく話しにくいんだもん。いつも、誰かに囲まれててさ、周りにいる女の子たちも怖いし。でも、学校の外の篠原くんって全然違うんだよ? すっごく面倒見がよくて話しやすいの!」
「……外……?」
篠原くん、本田稚奈と学校外で会ってるの……?
彩美でさえ、学校外で咲乃と遊んだことはほとんどない。神谷が入院していた時、放課後一緒にお見舞いへ行っていたときくらいなのに。
「……本田さん、篠原くんと学校の外でよく遊んだりするの?」
「うーん、遊ぶって言うかね。家で勉強を教えてもらってるの。次のテストの勉強とか、受験勉強を見てもらってるんだけど。篠原くん、勉強に関してはすごく厳しくて、ちゃんと言われた事やらないと怖いんだぁ……。篠原くんが出した宿題をさぼったりするとね、怒鳴ったりはしないんだけど、笑顔のままどうして宿題をやってこなかったか聞いてくるの。本当に怖いの!」
「へ、へぇー……」
怖いと言いながら楽しそうに喋る稚奈に、彩美は不穏を察知して動悸が激しくなるのを感じていた。
家で勉強……? 普段から、家に行き来するほどの仲なの?
だが咲乃のおじさんは、「咲乃はあまりお友達を家に招かない」と言っていた。という事は、咲乃が稚奈の家に行くことが、よくあるということか。
彩美は、全身の血流がさっと引いていくのを感じた。
咲乃女の子の家に通うほどの仲とは一体どれほどの仲だろう。本当にただの友達なのだろうか。
「でも、勉強頑張るとすごく褒めてくれるんだよ? 篠原くんって、勉強教えるのも上手だけど、やる気にさせたり褒めたりするのがすっごく上手いの。だから、ついつい頑張っちゃうんだよね。2年生の時にね、レポートの課題、提出期限ぎりぎりまで放置しちゃってたんだけど、篠原くんが図書室で2時間も手伝ってくれたんだぁ! おかげで、先生にレポート褒められちゃった」
「……そ、うなんだ」
嬉々として咲乃とのことを話す稚奈に、彩美は動揺を必死に隠していた。
咲乃の知らない一面を、本田稚奈からまざまざと伝えられる。彩美は、咲乃が個人的に勉強を教えるほど、面倒見がいい人だなんて知らなかった。提出期限ぎりぎりまで放置していたレポートに付き合ってくれるような人だとも思っていなかった。彩美が知っている咲乃は、やさしい一面もありながら、あまり深入りしない人だったから。
「山口さんも、篠原くんと仲がいいんでしょ?」
稚奈が笑顔のままくるりと彩美に振り向いた。彼女の細い髪の毛の一本一本が、夕日の光をはじいてきらきらと輝いている。
「山口さんも、篠原くんに勉強教えてもらえばいいのに!」
悪意無く輝かしい笑顔で言われて、彩美は言葉をなくした。稚奈のその言葉は彩美の中で鈍く響き、激しい悔しさや憤りではらわたが煮えくり返るようだった。
咲乃と過ごした時間の少なさを。夢見るだけで、遠くに感じるその距離を、嘲笑われているような気がしたから。
*
――西田くんをいじめるの、やめてくれない?――
「――ま、――悠真ったら!」
袖を引かれて、はっと我に返る。引かれた方を見ると、少女が不満そうな顔をして悠真を見ていた。
「何考えてんの。うちの話聞いてる?」
「あ……あぁ、聞いてる聞いてる」
「ほんとぉ? なーんか、今日の悠真ぼーっとしてばっかり」
「ごめんって、沙織」
その日、悠真は付き合って2年になる彼女とファミレスでデートしていた。デートと言っても、一方的に彼女の話を聞き、適当に相槌をうつだけの時間だ。上の空でも気付かれない程度には話を聞いているつもりだったのだが、相当ぼんやりしているように見えてしまったらしい。
膨れている彼女の頬を、悠真が甘い顔で触れれば、彼女は途端に機嫌を直す。悠真はいつものように、彼女と恋人らしい戯れをして、彼女の機嫌を取った。
空が暗くなった頃。ファミレスを出て、彼女を家まで送り届けた。その帰り道、悠真はひとり、分厚い雲の広がる夜空を眺めて歩く。
空洞のように空いた心の穴の中で、大量の蟲が仰け反るような不快感。中1の時からそれはあった。西田と同じクラスになった時からだ。
中学1年生の頃から同じクラスだった西田が、ずっと目障りだった。理由は特に無い。ただ受け付けないのだ。行動が、言動が、性格が、思考が、存在の全てが。
何もしてなくとも、生きている事だけで殺意が湧くほど。この、胸の中に広がる、蟲がのたうち回るような感覚と同じ不快感を覚える。
「西田をいじめるのをやめろ、ねぇ」
あんなゴミを庇って何になるのだろう。周囲が迷惑を被るだけの、愚図で、無能で、存在する価値のない奴が。
「篠原だって、嫌いなくせに」
俺と篠原は似ているから。
咲乃が時々、悠真と同じ心の中の不快感に耐えるような顔をしているのを見たことがある。本当は篠原だって、ああいう無能が嫌いなのだ。
他人の足を引っ張るだけの存在価値の無い無能。息をしているだけで人を不快にさせ、視界に入ると不快感しか残さない。潜在的に嫌悪感を与えさせるような人間。
無数の大きな蟲が身体の中を這い回り蠢くような。あの不快感と同じ感覚を覚える、西田を。
心の底から。
「殺してやりたいって、思ってるくせに」




