ep44 縁結びの神様
咲乃が稚奈の呼び出しに応じると、稚奈はこれから悪戯をする子供のような、楽しそうな顔をした。
「告白作戦のこと、本当に本当によろしくね!?」
「わかってる。重田を呼び出せばいいんでしょう?」
「うん、絶対連れて来てよね。篠原くんだけが頼りなんだから!」
稚奈に念を押され、いよいよ本当に重田を呼び出さなければならなくなってしまった。咲乃の本心では、未だに重田を呼び出すことに抵抗を感じている。重田に嘘をついて呼び出すこと自体が嫌だったし、彼が稚奈たちの好奇心や楽しみのために利用されているのも嫌だった。
しかし、修学旅行前に絶対嫌だと主張していると、稚奈に同情した成海も参戦して、二人揃っての「篠原くんは分かってない!」攻撃を食らったのだ。何を分かっていないと言うのか。自分はただ重田に迷惑が掛かるのが嫌だと言っただけなのだが。
咲乃は重田がいる部屋に訪れた。ノックをするとドアが開き、対応した人に頼んで重田を呼んでもらった。重田が出てくると、なぜか神谷も一緒に出てきた。同室だったらしい。
「重田だァ? 俺に用はねえのかよ!」
「無いよ。重田に用があるんだ」
神谷の可愛くもない駄々を軽くいなしながら、苦笑している重田に「少し時間をもらえる?」と言って場所を変えてもらった。
ついてきそうな神谷を同室の仲間たちに託し、咲乃は重田と共にホテルのラウンジへ向かった。
後をついてくる重田は、これから大事な話をされるのだと思ったのだろう。わざわざ場所を移す程の話なのかと、神妙な顔をしている。サッカー一筋の真面目で正直な友人は、咲乃が呼び出した理由がまさか女子の告白のためだとは思っていないのだ。
「どうした、篠原。何かあったか?」
凛々しい眉をひそめ、真面目腐った顔をする。咲乃はそんな友人と向き合って、稚奈やその告白したい女子のためにこれ以上重田をだますのはやめようと思った。咲乃にとっての友人は重田だ。女子達の気持ちは関係ない。
「お前と付き合いたい子がいるらしいよ」
「えっ!?」
前置きを省いて端的に伝えると、重田は驚きのあまり体をのけぞらせた。
「告白したいから連れ出せって頼まれたんだ。驚かせたいから、嘘をついて呼び出せって言われたけど、重田に嘘をつくのは嫌だったから今話すよ」
咲乃が事の次第を伝えると、重田は顔を赤く染めて狼狽えていた。サッカー一筋といえ、女子絡みとなるとやはり中学生らしい反応を見せる。
「それ、言って良かったのか。後で篠原が本田達に怒られるんじゃないのか?」
「だから重田がうまく、初耳だって顔をして驚いてくれれば問題ないよ」
「なんだよそれ」
重田は困った様子で頭を掻いた。因みに、告白する女子とは面識があるのかと聞くと、小学生の頃に同じクラスだったとのことだ。
「サプライズで告白されて、考える余裕もなく答えを迫られるなんて、平等じゃないと思ったんだ。こんな手を使わなければ伝えられない想いに誠意なんてものは無いよ。こう言うやり方、好きではないから」
咲乃がはっきり断言すると、重田は噴出した。
「それ、何度もされてきた側の口ぶりだな」
休憩所から出るバルコニーで、重田の登場を、今か今かと待ち構えている女子達の姿が見えた。
咲乃は重田の背中をたたいて、「頑張って」と簡単に言葉をかけると、重田は緊張した面持ちでバルコニーへ出て行った。
咲乃が部屋に戻ると、今夜も澤田加奈や女子達が遊びに来ていた。そこに悠真の姿がないのは、今頃、彼女と一緒にいるからだろう。咲乃もゲームに誘われたが、断って読書をした。
読書をしていると、スマホにLINEに通知がきた。重田からだった。告白は断ったそうだ。女子には泣かれ、傍にいた稚奈達からは責められたらしい。今頃、女子達の総すかんを食らって疲れ果てているだろうなと思うと、咲乃は重田が不憫で仕方なかった。
深夜2時ごろ、がちゃっと小さく部屋のカギが開く音で、咲乃の目が覚めた。そっと音もなく部屋に入る背の高い人影が、日下たちの足を踏まないよう、抜き足差し足移動している。
「お帰りなさい。今夜はもう戻って来ないのかと思ったよ」
咲乃が人影に向かい、冗談めかして声をかけると、人影は――悠真は何食わぬ顔で肩をすくめた。
「朝の点呼の時点で部屋にいなかったらやばいだろ。お前の迷惑になるつもりは無いよ、学級委員長」
悠真は、日下たちを踏みつけないように気を付けながら、バスタオルを持って部屋の浴室へ入って行った。
シャワーの音を聞きながら、咲乃は再び目を閉じて眠りについた。
*
3日目の修学旅行最終日は、西本願寺から金閣寺銀閣寺を周り、清水寺を最終地点とする京都の世界遺産観光だ。
下鴨神社の朱色の建物を背に、それぞれ仲の良いグループで記念撮影をしている。縁結びのご利益があるとされる、相生社の参拝は女子たちに人気だ。他にも、美麗祈願の河合神社もある。彩美はもちろんのこと、女子達は和気あいあいと境内を周っていた。
「あぢぃ」
神谷は、木陰の中に座り込み、雲一つない青空を仰いだ。
最終日も天候に恵まれ、5月とは思えぬほどの熱烈な直射日光が生徒たちの気力をそいでいた。水分補給を適度に挟まないと、熱中症で倒れてしまうほどの猛暑だった。
「つーか。さっきまで寺とか神社に興味なかった癖に、縁結びってだけですぐ飛びつきやがって。あいつらすげーゲンキンじゃん」
神谷は、楽しそうにはしゃぎながら絵馬を結んでいるクラスメイトの女子達をうんざりして眺めた。良縁や美顔に興味がない男子たちの大半は、暑さにやられて木陰を見つけて涼んでいた。
「まぁ、いいじゃん。修学旅行も今日で最後なんだしさ。楽しんだもん勝ちだろ?」
隣の木陰で涼んでいた重田に諭され、神谷はうんざりして呻いた。
「そーだけどさ。……それはそうと、重田は縁結び参拝しなくていいのかよ」
神谷がにやついて茶化すと、重田の顔はみるみる赤くなっていった。重田は昔から、恋愛がらみの話が苦手だ。
「なっ、なんで俺が縁結び参拝しなきゃいけねぇんだよ!」
「だって、5組の女子に振られたらしいじゃん。新しい出会いがありますようにって絵馬に書いといた方がいいんじゃねー?」
重田は昨夜の告白を思い出し、赤い顔をさらに赤くさせた。
「なんで知ってんだよ! つうか、俺振られてないし! むしろ断ったんだよ! 今は、受験とか部活とかで大変だからって!」
「あー、わりぃわりぃ。傷癒えてねーのにいじって悪かったよ。何なら、お前のために祈ってきてやろうか? "可愛そうな僕の友達を幸せにしてください"って」
「神谷……お前、ほんと性格悪いな」
重田が肩を震わせて怒っているのにも関わらず、神谷は再び「あぢぃ」と呻いた。
「んなことよりさ」
「また、自分のペースで話変えやがる……」
「篠原と本田ってどういう関係?」
新しい名前が出てきた。重田は昨夜咲乃が、本田稚奈から呼び出すよう頼まれたと言っていたのを思い出す。
「本田? 本田稚奈の? えっ、いや、俺に聞かれても。そもそも、本田さんと篠原ってクラス違うから接点ないんじゃないの?」
2年生の頃はもちろん、3年生になってからも接点はないはずだ。本田稚奈は5組で咲乃のクラスからは随分離れている。
「……だよな。お前を呼び出すのに篠原使った本田って、一体いつから篠原と仲良くなったんだろうな」
「知らねぇよ。篠原に聞けば?」
「いや、喋らねぇだろ。あいつ口固いもん」
「まぁな」
咲乃が口を閉ざすのは、殆んど神谷のせいでもあったが、彼は元々自分のことを話すのは得意ではないようだ。前の学校はどうだったのか聞いても、いつも答えをはぐらかされる。重田は内心、友人さえも近づけさせないような距離感に歯がゆさを感じていた。でも、本人が話したくないなら話さなくてもいいかとも思う。
友人を慮って適切な距離を測ろうとする傍らで、ぐいぐい咲乃の中に入って行こうとするもう一人の友人を見ると、いったい何が正しいのか分からなくなった。
「実はさ、一部の女子の間で、その本田と篠原が付き合ってんじゃねーかって噂もあるくらいなんだよ」
「そうなのか?」
「街中で、二人で歩いてるところを見たってやつもいるし。表には出てねーけど、うっすら噂になってるっぽいんだよな」
「あくまで噂だろ。信ぴょう性あんの?」
「昨日の告白の件からすると、知り合いじゃないってことは絶対ねーな」
たしかに。実際、篠原が直々に重田を連れ出したのだ。いくら面倒見のいい篠原でも、赤の他人の下世話な頼みを呑むはずがない。
「それ、山口に言わない方がいいんじゃないか?」
「あ、お前もそう思う?」
重田が神妙な顔をしていると、神谷も神妙な顔をして重田を見返した。
「うん。ヤバいと思う。学校が滅びる」
「だよな。鬼神山口だもんな。命がいくつあっても足りねーよな」
重田と神谷が深く頷くと、遠くで彩美のはつらつとした声が聞こえた。
「篠原くーん! 一緒に記念写真撮ろう?」
「え、うん。いいよ」
「わーい。篠原くんこっちこっち。重田くーん、カメラおねがーい」
「おい、鬼神が呼んでんぞ」
「やだよ。お前行けよ」
「なんでだよ。鬼神の下僕だろ、早く行け」
そもそも、呼ばれてるのは重田の方だ。神谷に動く気はない。
「重田くん、カメラを頼みたいんだけど」
ついに彩美が重田の方へ近づいてきた。輝かしい笑顔を浮かべて、スマホを渡す。
「あ、はい」
重田はおとなしく彩美に連行され、神谷は、女子達に囲まれて写真を撮る咲乃の姿を眺めた。
「あいつらのために参拝すっか」
重田も咲乃も、女運はとことん悪そうだ。神谷はよっこいしょと腰を持ち上げて相生社の授与所受付に並んだ。




