ep42 学級委員は、修学旅行も忙しい。①
今日から2泊3日の修学旅行が始まった。3年生が修学旅行へ行っている間も、わたしは内申点を稼ぐために相談室登校を続けている。学校に通うのは面倒だけど、日高先生が紅茶とおやつを用意してくれるため、勉強後にお茶しながらお喋りする時間は好きだった。
今日のおやつは、動物型のサブレだ。猫型とか熊とか、いろんな形のサブレが、個包装にされている。見ても可愛いし、食べても美味しい。どの子にしようか迷ってしまいそう。
「今日はいい天気ね。お散歩日和で気持ちがいいわ。でも知ってた? 奈良と京都は朝から大雨なのよ」
「先生、やっかみが酷過ぎるんじゃないですか?」
先生は両腕を背中の後ろに組んで、窓の外を眺めながらふふんと上機嫌に笑った。
「だって、非常勤講師は修学旅行に参加できないのよ? 不公平だと思わない?」
「先生は、担任クラス持ってないじゃないですか。しょうがないですよ」
「でも保健室の先生は同伴なのよ? おかしいと思わない?」
「保険の先生が居なくちゃ、気分が悪い生徒が出た時どうするんですか……」
修学旅行に行きたいだけで、どれだけ捻じ曲がった根性を抱えてんだ。
先生はくるっとわたしの方を向いた。
「せっかくの修学旅行なのに、津田さんは感心がないのね」
「旅行に行くなら友達とだけで行きたいです。クラスの仲良くない子と行っても、気をつかっちゃって楽しめないですよ」
篠原くんや、ちなちゃんと修学旅行に行けなかったのは残念だけど、親しくない人とグループ作って行動したり、同室で二晩過ごすのって、わたしにとっては辛いことこの上ない。そもそも、インドア派のわたしに旅行は億劫だ。家でゲームした方が何倍も楽しい。グラフィックがきれいな画面で、銃を持って荒野を駆け回ったり、全身緑の衣装を着て剣を振り回しているだけで十分お出かけした気分になれるのだから、別に旅行に行きたいわけでもない。
「修学旅行といえば、青春の一大イベントじゃない? 先生の目をかいくぐって好きな子の部屋へ遊びに行ったり、湯上り姿を見てときめいたり、お土産を選ぶのに夢中になってて気づいたら二人きりになっちゃったり」
「んな、少女漫画みたいなこと、ほんとに起こるんですかね」
「まぁ、わたしはなかったわねぇ。大人しい子ばかりの班だったから」
あ――……(察し)
先生とありそうで無い(というかわたしたちみたいな、冴えない女の子には一切関係がない)修学旅行あるあるを話してるうちに、旅行へ行く前のちなちゃんと、篠原くんのことを思い出した。
「ちなちゃんが篠原くんに、友達の告白を手伝ってほしいってお願いしてたんですよ」
修学旅行に行く前の勉強会でのこと。ちなちゃんの友達は、ずっと前から重田くんの事が好きだったらしく、ちなちゃんが篠原くんに友達の告白作戦を手伝って欲しいとお願いしたのだ。
「あらぁ! 修学旅行に告白なんてロマンチックじゃない! 夜にこっそり呼び出して、旅行先の夜景を見ながら告白するんでしょ? 素敵ねぇ!」
先生は鼻息を荒げ楽しそうに頬を染めた。先生も心の中は少女なんだな。
「はい、まさしくそれです。でも、篠原くんすっごくいやがっちゃって。結局わたしとちなちゃんの二人掛かりで説得したんですよ。そうしたらやっと引き受けてくれました」
「あら、篠原さんはどうしていやがったの?」
「他人の告白のために友達を騙すみたいなやり方で連れ出して、友達に迷惑をかけたくない。やるなら告白する本人が呼び出せ、って」
「まぁ、関係のない彼にとってはいい迷惑よね。他人の恋事に巻き込まれるなんて」
「多分、篠原くんにも経験があるんじゃないかなぁ。友達に呼び出されたら、女の子からの告白だった、なんて。だから嫌だったのかも」
篠原くんならありそうな話だ。何も知らないで連れてこられたもんだから、逃げ場なんてないようなものだしなぁ。断られるちなちゃんが可哀想で、一緒になって篠原くんを説得しちゃったんだけど、よくよく考えたら、篠原くんもかわいそうだったかもしれない。
「でも、意外ねぇ。呼び出される相手が篠原さんじゃないなんて。篠原さんなら、修学旅行を無事に過ごすこと自体が危ういんじゃない?」
たしかに。隣で無防備に寝てる篠原くんなんて危険以外のなにものでもないだろう。男同士、密室、何も起きないはずがなく――なんてことも起こるかもしれない。……行っとけば良かったかな。
「修学旅行の前日にね、篠原さんからお願いがあったのよ」
「篠原くんからですか?」
昨日一緒に勉強したときは、何も言ってなかったけど。
「旅行中は課題は少なめにして、お話ししてあげてくださいって」
先生が「篠原さん、優しいわよね」と微笑んだ。
なんか、マジですまん。めちゃくちゃ下衆なこと考えてたわ。無事に、清い篠原くんのまま帰ってくるといいな。
*
修学旅行1日目は生憎の雨だった。大粒の玉のような雨の雫が傘を叩く。修学旅行シーズンのため他校の生徒の列と重なり、やたら幅をとる傘は煩わしく思う。5月の雨は肌寒く、生徒たちの傘の柄を握った手は白くなって震えていた。
長時間新幹線やバスに揺られた疲労が蓄積されて、歴史的文化遺産を堪能する余裕はない。ましてや中学生に、古臭い城の良さなどわかるはずもない。生徒たちの感想と言えば、早くホテルに着いてジャージに着替えたいと思うだけだった。
その中でも、学級委員は修学旅行委員の補佐として、クラスメイト全員が安全に行動できるように誘導しなければならない。学級委員長である咲乃は、副委員長とともに忙しく立ち回っていた。各集合場所で点呼を取り、乗り物酔いした生徒を養護教諭に託し、先生からの連絡事項を伝える。列が崩れないよう誘導し、怪我が無いように注意喚起をする。気楽に観光気分に浸る余裕はなかった。
人一倍働きまわって、しかし彼の美しさは不思議なほど損なわれることはなかった。したたり落ちる雨の雫も、焦げ茶色の髪が豊かな光沢を放って清らかに流れ落ちる。肩を濡らす雨のシミさえその美しさの邪魔にはならなかった。水も滴るも美少年は美少年だ。女子達は古臭い城や肥満体型の大仏などよりも、尊敬をもって咲乃のことを見つめていた。
奈良観光を終えると、バスに乗って京都駅まで向かう。宿泊先のホテルに到着すると、そこでも咲乃は各グループの点呼を取りに動き回った。
ロビーで教師からの説明後、一般生徒は班長の先導によって各部屋まで荷物を置きに行くが、まだ学級委員には仕事がある。クラスごとの学級委員と修学旅行委員が集まり、夕食案内や余興の段取りを確認するのだ。
夕食後には1日の反省と翌日の打ち合わせがあり、ようやく学級委員が落ち着けるのは就寝前の自由時間のみだった。咲乃は今日1日の仕事から解放されると、入浴のために着替えの服を持った。疲れのあまり大浴場を使う気にはなれず、部屋に備え付けられた浴室でシャワーを浴びた。ジャージに着替えて浴室を出ると、悠真たちがトランプをして遊んでいた。
「今大富豪してるんだけど、篠原もやる?」
悠真が、浴室から出た咲乃に声をかけた。
「うん。今誰が勝ってるの?」
咲乃は、濡れた髪をタオルで拭きながら、車座になっているみんなの間に座った。
「日下。強いんだよ、こいつ」
小林が歯をむき出してつまらなそうにいう。日下は得意げに笑った。
「負けたやつ罰ゲームな」
日下の罰ゲーム発言で、他の仲間たちがうめき声をあげた。絶対に最下位にだけはならないとそれぞれやる気を出したところで、部屋の扉がノックされた。中川が扉を開くと、澤田加奈と悠真の彼女と、その他の女子達がおやつを持って部屋にやってきた。
「みんな、遊びに来たよ!」
「おっせぇよ」
「ごめんごめん。先生たち順番で見回りしてて、ここに来るの大変だったんだもん」
みんな初めから女子達が来ることを知っていたらしく、女子達をすぐに部屋に入れると、車座の輪の中に入れた。男だらけの暑苦しい部屋に、花が咲いたような甘いシャンプーの香りが広がる。
男子部屋に女子が入ることは禁止されている。女子部屋も同様だ。教師に知られたら、生活指導の先生と長いお説教が待っている。
「一応、学級委員がいることを忘れてない?」
咲乃が諦観をにじませた笑顔で悠真を非難すると、悠真は爽やかに笑った。
「良いじゃん、委員長。せっかくの修学旅行なんだしさ」
だから、何か問題があってはいけないのだと反論したかったが、仲間たちの盛り上がりに押されて結局言うのも諦めてしまった。




