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ep37 恋のトラウマは花粉症の季節にぶり返す①

「ぶぇくしょん!」


 急に鼻がむずむずしてきて、勢いよくしゃみをしてしまった。あーあ、花粉症つらいなぁ。


「びっくりしたわぁ。津田さんたら、おじさんみたいなくしゃみするのねぇ」


 パソコンで仕事をしていた日高先生が、丸眼鏡のおくから驚いたように目をぱちくりさせた。


「えへへ、すみません」


 へらへら笑って、目の前の課題に戻る。さっきから目がかゆくて集中できないんだよなぁ。

 新学期が始まっても、わたしは変わらず相談室登校を続けている。始業式には出席しなかった。学校にいるなら参加した方がいいのは分かっているけど……。


「そう言えば津田さん。3年生から教室復帰するって話だけど、本気なの?」


 日高先生に尋ねられて、わたしはおずおずと頷いた。


「……は、はい。そのつもりです」




 春休み前に、担任と、わたしとお母さんの三者面談があった。三者面談での内容は、今後(・・)のこと。教室復帰するか、相談室登校を続けるかだった。


「学年最後なんだし、少しづつでいいから教室に来てみないか? 新しい友達も、出来るかもしれないぞ?」


「そうよ、成海。あと1年くらい行ってみればいいじゃない、ねぇ!」


 三者面談の間中、わたしは、増田先生と目を合わせられないまま、ひたすら机の上に目を落としていた。


 教室復帰、したほうがいいのはわかってる。でも“したくない”というのがわたしの本音だ。だって、もし、新しいクラスにいじめっこの女の子たちが居たら? その子たちがいなかったとしても、またあの辛かった学校生活に戻ってやっていけるのだろうか。


 ……自信がない。


「新しいクラスには、篠原もいるんだぞ? 篠原がいれば、津田も安心できるんじゃないか?」


 わたしは驚いて、今日初めて先生を見上げた。


「篠原くんが?」


 先生は、大きく頷いた。


「あぁ。津田だって、ひとりで教室復帰するのは不安だろう。篠原がいれば、津田も戻りやすいだろうと思ってな。ちゃんと考えてあるから、安心しなさい」


 たしかに、同じクラスに篠原くんがいるというだけでも、気持ちが大分楽だ。学校で篠原くんに話しかけるなんて、絶対に出来ないとは思うけど……。


「復学するなら早い方がいいと思うが、焦らなくてもいいんだ。いつでもいいから、考えてみてくれ」


 焦って決めなくていい。ゆっくりでいいと言うけれど、それが言葉通りではないことを、わたしは分かっていた。わたしももう3年生だ。ゆっくりでいいわけがないことはわかっている。


 面談後、わたしは篠原くんに面談の内容を話した。教室復帰を勧められたことや、3年生になっても、篠原くんと同じクラスらしいということも。


「うん、同じクラスになるのは当然だと思う」


 篠原くんは穏やかに微笑んで頷いた。


「クラス替えは、クラスごとのバランスを考えて振り分けられるんだ。成績の平均に差が出ないようにだったり、人間関係が偏らないようにとかね」


「そうなんですか?」


知らなかった。クラス分けなんてくじ引きで決まるのかと思ってたよ。


「あと、考慮されるのは人気関係かな。仲の悪い生徒同士を別のクラスに分けたりもするし、逆に仲のいい生徒同士をあえて別のクラスにしたりするらしいよ。新しい人間関係を築けるようにって」


「なるほど」


 生徒としては、仲のいい子が別のクラスになっちゃうのは悲しいことだけど、そういう意図があるんだな。


「特に津田さんは教室復帰のことも考えて配置されているはずだから、事情を知っている担任を変えるはずがないし、俺は津田さんの面倒を見られるから、担任にとっても都合が良いんだよ」


 篠原くんの説明を聞いて、納得した。実際、篠原くんが同じクラスになると聞いた時、わたし自身ほっとした。でも、そもそも篠原くんは2年生の時、たまたま連絡物を届ける係になっただけだ。3年生になってまで篠原くんに頼るなんて、まるで、扱いにくい問題児(せいと)を、都合よく篠原くんに押し付け(・・・・)ているだけじゃないのだろうか……? ふと、そんな心配が湧いてきて、わたしは目を落とした。


「篠原くんは、迷惑じゃないですか? 3年生になっても押し付けられて」


 別のクラスだったら、もうわたしと関わる必要はなくなるのに。


「押し付けられたなんて、思っていないよ」


 篠原くんは、穏やかな顔でゆるゆると首を振った。


「津田さんと同じクラスにして欲しいって、担任に頼んだのは俺だから」


「えっ!」


 わたしは驚いて顔を上げた。


「3年生になっても、津田さんのサポートができるようにって」


「えっ、でも、3年生になったら受験勉強だってしなきゃいけないし、わたしに使う時間、無いですよね!?」


 正直、勉強会だって続けられるかもわからなかった。いつまでも篠原くんに甘えて、受験勉強につかう時間まで奪いたくない。篠原くんは、“桜花咲学園高校”にいくのだから。


 わたしが慌てて言うと、篠原くんは真面目な顔で再び首を振った。


「3年になっても、今まで通り、津田さんの勉強は見るつもりだよ。受験勉強なら、並行して出来るから」


 篠原くんの言葉に唖然とした。そんなの申し訳なさすぎて、受け取れない。

 わたしは、何とか篠原くんに考えを改めてもらおうと何かを言おうとしたが、何も言葉が思い浮かばなくて、「で、でも……」と、行き場のない言葉が口の中で籠った。


「言ったでしょう? “畏れ多いなんて思ってほしくない”って」


 狼狽えているわたしに、篠原くんはきっぱりとした口調で窘めると、暖かく笑った。


「友達なんだから、受験勉強だって一緒にやるよ」


 当然だと言いたげに、篠原くんは笑った。その顔がすごく眩しくて、わたしは危うく泣きそうになった。改めて友達だと言ってくれたことが、嬉しかった。


「……篠原くんは、教室復帰した方が良いと、思いますか……?」


 わたしのために、クラス分けのことで先生に頼むくらいだ。教室復帰をした方が良いと考えているだろう。それを見越しての、“同じクラス”なのだし。そう思って尋ねると、篠原くんの答えはまた、意外なものだった。


「しなくていいんじゃないかな、別に」


「えっ」


 再び驚きの声を上げたわたしに、篠原くんは首をすこしだけ傾げた。


「内申は相談室に行けばある程度はもらえるし、勉強は今のまま続けていけば、無理して学校に行かなくても十分な学力はついていると思うよ。仮に津田さんが、全日制の高校に進学したいと望めば、無理なく受験出来ると思うんだけど」


 テストや相談室の時に、無理やり事を進めていた篠原くんの発言とは思えない。わたしは、くちをぽかんと開けたまま、篠原くんの顔をまじまじと見た。


「それ、本気で言ってます?」


「本気だよ。入試試験の結果のみを重視する学校もあるから。通信制の高校や、専門学校に行くにしても、無理して教室復帰する必要はないと思う」


 今まで、誰かにこんなにはっきりと“行かなくていい”と言われたことはなかった。先生も、親も、学校に復学するのは当然だと言いたげだったし、篠原くんもそのためにわたしの勉強をみてくれているのだと思っていたから。


「わたしは……」


 改めて、自分がどうしたいのか考える。今までは、みんながみんな、「学校に行け」と言うから頑なに意地を張っていたけど、行かなくていいと言われた瞬間に、なんだか急に宙ぶらりんになったみたいだった。自分の心がどこにあるのか分からなくなって戸惑う。


 わたしはどうしたいんだろう。教室復帰、したいんだろうか。したくないんだろうか。





「やっぱり、わたし……、学校に行きます」


 頭がぐるぐる回って、目がまわりそうになるくらいに考えて応えたのは、登校日直前になってからだった。その時の篠原くんはとても驚いていて、本当にそれでいいのかと何度も聞いてきた。

 わたしは、しっかりと頷いた。


「はい、良いんです。決めましたから」


  いつまでも、篠原くんに甘えていたらいけないんだよな。いつかは、自分の力で生きていけるようにならないと。

 何日も悩んで、やっと出した結論だった。すごく不安だったし、決めるまでにものすごい勇気が必要だったけど、それでもこれが一番正しいんだと言える。


「だって、篠原くんと同じクラスですから! 怖いものなんてないですよ!」


 本当は今もずっと怖いけど、だけど、わたしだって篠原くんに応えたいんだ。





 日高先生は、復学を決めた経緯を聞いて、納得したようにうなずいた。


「そう、決めたのね」


「はい、決めました」


 わたしは、決意を込めて頷いた。


 本当は「やっぱり止めます」と言ってしまいたい。だけど、口に出すことは絶対にしない。


「復学の時期は、聞いている?」


「はい、夏休み明けに復学することになりました」


 新学期に教室復帰する話も出ていたが、修学旅行が近いからと、復学は夏休み明けにしてもらうようにお願いした。

 新学期なら、変に目立たず教室復帰できるのかもしれないけど、修学旅行に参加するのは嫌だったのだ。


「そうね。それこそ、急ぐ必要はないもの。ゆっくり準備を整えていけばいいと思うわ」


 先生に励まされて、わたしは改めてほっとした。

 何度も相談室に通ううちに、以前に比べて学校自体への恐怖心は薄れている気がする。それもこれも、篠原くんと、日高先生のおかげだ。新しいクラスには篠原くんがいるし、もしまた辛くなってもここに来れば日高先生もいる。わたしを知ってくれていて、応援してくれる人たちがいるとわかっているだけでも元気が湧いてくる。相談室はいつの間にか、わたしにとって、“ひとつの居場所”になっていたのだ。


「せっかくだから、新しいクラスのクラス名簿を見てみる? 増田先生からいただいたの」


「えっ、そうなんですか?」

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