ep32 神谷は地雷の鼻が利く②
神谷が恨めし気につぶやくと、咲乃は視線を本に落としたまま尋ねた。咲乃自身のガードが徹底しすぎているから、神谷も余計に頭をひねらなければならなかった。
あー、どうすっかな。篠原の恋愛事情なら、あいつら食いつくと思ったんだけど。適当な相手見繕うのも面倒くせーな。……いっそのこと男でいくか? 女同士だと、同性同士の嫉妬で色々こじれそうだけど、相手が男だったらむしろ喜びそうじゃん、あいつら。むしろ篠原の好みなら仕方ないってなりそうじゃん。相手に対するヘイトも最小限で済みそうだし。誰にすっかなぁ。例えば、重田とか――。
「そういえばお前、津田んとこにまだプリント届けてんの?」
寸前のところで、ある女子の名前を思い出した。津田成海。クラスメイトでありながら、不登校のため一度も顔を見たことがない女子だ。
咲乃に親しい女の陰があるとなれば、咲乃へのファンの関心は一時的に逸れ、津田成海という正体不明の女子生徒へ向かう。例え、津田成海にヘイトが集まったとしても、学校にいないからいじめに発展する危険がない。
神谷が色々と考えを巡らせていると、咲乃は本から視線を上げて、不思議そうに神谷を見た。
「なぜ?」
まるで、自分と全く関係がないのに、どうして津田成海のことを聞くのかとさえ取れるような聞き方をする。そんな咲乃の様子に、神谷は何かを感じた。これは離してはいけない獲物だと、直感でわかる。
「だってさ、津田ん家にプリントを届ける係、いつの間にか無くなってんじゃん。あれ、お前が全部引き受けてんだろ?」
大概のクラスメイトは、津田成海という生徒が存在したこと自体を忘れている。罰ゲームのように捉えられていた、“津田成海の家に配布物を届ける係”も、いつの間にか無くなっていたとしても誰も気にしていなかった。
「家が近いから」
意外にも素直に認められて、神谷は内心で舌打ちした。まるで、それ以上に何もないという言い方だ。咲乃は普段から女子を平等に扱うから、たとえ個人的にプリントを送り届けていたとしても、それはあくまで担任に頼まれただけの仕事だという、清廉潔白たる理由が存在する。
大概の人は、咲乃の表面的な理由に騙されて、その奥なる意図を読むまでに至らない。しかし、神谷は咲乃が清廉潔白であればあるほど、裏があるのだと分かっていた。神谷も伊達に篠原咲乃の親友を名乗っているわけではない。篠原咲乃という親友が、優等生の厚い面の皮を被った相当の問題児であることは分かっている。
絶対、津田成海とは何かしら関係がある。しかし、このまま食い下がって根掘り葉掘り聞き出そうとしても、無難な答えしか返ってこないのは明らかだ。
普通に聞いても無駄なら、あとはどうするか。咲乃の感情を揺さぶってボロを出させるか。例えば、いつものように怒らせるとか。……いや、だめだ。感情的に煽ってボロを出すような馬鹿ではない。怒れば怒るほど、篠原咲乃という人間はどんどん冷静に冷ややかになっていく、厄介な性格をした人間だった。
「結局、一回も学校来ねぇな。クラスメイトなのに知らねー奴がいると、なんか残念だよなー」
怒らせるのが駄目なら情に訴えかける作戦だ。
冬休みが明ければこのクラスにいられるのもあと数か月しかない。3年生に上がり、クラスがバラバラになるのもすぐなのだ。折角、クラス全体がまとまって来たのに、ひとりその輪の中に加われない生徒が存在するとなれば、それは残念なことだろう。
ちらりと咲乃の反応を伺う。咲乃の片眉がかすかに上がったのが見えた。少しは、心に届くものがあったのかもしれない。
「そんなこと気にしてるの、きっとお前だけだよ」
咲乃は軽く肩をすくめ、また何も感じていないように本を読み始めた。
「まぁ、そうかもしれねーけどさ。津田んとこ、俺も一回は行っておけばよかったかなぁ」
神谷が椅子の背もたれに背中を預け、手を頭の後ろに回した。咲乃は、ますます不思議な顔をして、じっと神谷を見た。
「神谷じゃ、怖がられるだけなんじゃい?」
いじめられて不登校になっている女子に無神経な神谷が近づいたら、余計に引きこもりが悪化すると、冷静に指摘される。
神谷は一瞬、「お前だって、陰キャからみたら大分怖いわ!」と言いそうになったが、必死で言うのを我慢した。
何を言っても興味なさそうな反応しか返ってこない状況に、神谷はどうしたもんかと、思考を巡らせた。
きっと、これ以上掘っても何も出てこない。本当にただの、係の“仕事”でプリントを届けているだけで、面識すらないのだろう。
この、|人間関係を極端に選ぶへそ曲がり野郎は、何の理由もなしに自ら不登校生徒に関わろうとするような性格ではない。
でもまぁ、と神谷は妥協点を探した。津田成海というネタは使えそうだ。事実、咲乃とつながりのある数少ない女子なのだから。盛大に話を盛って、尾ひれをつけて噂を流せばいい。“篠原咲乃が担任に頼まれたプリントを届けていることをいい事に、自分は特別扱いを受けていると思い込んでいるイタイ女子”というレッテルを張り付ければ、ファンクラブのヘイトは確実に津田成海に向かう。篠原咲乃への関心は一時的に反れ、学校での尾行行為は減るはずだ。
「言っておくけど」
思考が別のところへ飛んでいた神谷は、咲乃に視線を向けた。
咲乃の瞳の中に鋭く強い光が宿り、挑むような面持ちで神谷を睨む。
「津田さんには手を出させないから」
神谷は驚いて目を見開いた。咲乃は、神谷のやろうとしていることに気付いて、早々に潰そうとしているのだ。
「せっかく少しずつ前進してきているのにお前のせいで全て無駄になったとしたら、そのファンクラブごと全員潰すから」
咲乃の目が本気だ。
神谷は驚きのあまり目を瞬かせると、すぐに目を輝かせた。
「えっ、マジ!? 津田と仲良いの? いつから? なんで?」
あの、女子全員平等に扱う篠原咲乃に、唯一“特別扱い”を受けている女子がいる。これは、まさに大スクープだ。そして、女子の怒り爆発必須である。危険過ぎて逆に扱えないネタではあるが、強く興味を惹かれた。咲乃に特別扱いを受ける女子とは一体どんな子なのか。
「何そいつすげー気になる! 絶対秘密にするから、津田に会わせろよ、な!」
「やだ」
「……は?」
若干、むすっとした顔をして咲乃が視線をそらす。神谷は大きな目をぱちくりさせた。
「津田さんをお前なんかに会わせたら、悪影響しかない」
「なんだよそれ! クラスメイトなんだからいいじゃんか!」
悪影響を与えると言われたことも腹立たしかったが、それ以上に咲乃の反応に神谷は呆気にとられた。
なんだか咲乃が、自分がみつけたものを独占したがる幼い子供のように見えたのだ。
咲乃は益々不機嫌そうな顔をした。
「絶対にやだ。お前にだけは会わせない」
ここまで頑なになると、咲乃は揺るがない。神谷は思いっきり舌打ちをして、絶対に重田とのデマを流してやると心に決めた。




