ep29 篠原君とはじめてお出かけする話①
「おはよう、津田さん」
「おはようございます、篠原くん」
今日は篠原くんとお出かけの日。マンションのエントランスで待っていた篠原くんに挨拶すると、わたしは心の中で手を合わせた。
私服姿の篠原くん……尊い。
もちろん、今までだって篠原くんの私服姿は普通に見ている。だけど、家の外で見るとまた印象とか、雰囲気が違う感じがする。気のせいかもしれないけど、やっぱり場所とかシチュエーションって大事だ。いつも、わたしのオタク部屋だもんな。
篠原くんはシンプルな服が好きらしくて、ワイシャツとか、ニットとか、黒と白のモノトーンで組み合わせることが多いんだけど、そのシンプルさが逆に篠原くんの上品な感じが引き立っている。お顔が既に華やかだと、無駄な装飾とかいらないんだなぁ。
でも、問題はその隣であるく自分だ。わたしの服装は、良くも悪くもいつも通りだった。灰色のパーカーと、白いシャツ。デニムパンツと履き古したスニーカー。髪の毛も、頭の下で二つに束ねた程度。顔には黒縁メガネ。本当にいつもの服装。
お出かけのことは事前に決まっていたのだから、もうちょっとマシな恰好してこいよと思われるかもしれない。おしゃれに金をかけろと人は言う。だが、そんな金があったら推しに使う。
おしゃれド素人が、知識皆無で下手におしゃれに走ると自爆しかねないし、篠原くんにも「この豚、何意識してんだ」と思われかねない。そう、大事なのは自分らしさ。敢えていつも通りの服装にしてきたのだ。
これで良いんだよ、うん。これで良いんだ。別に、恥ずかしくなんてないもん。ちょっと外出が嫌になったりしてないもん。
「お腹痛くなってきた……」
「体調悪いの? 大丈夫?」
全然大丈夫じゃない。あんなに勉強が嫌だったのに、やっぱりお家で勉強して過ごした方がいいんじゃないかと思えてきた。
体調が悪いわけではないらしいとわかると、篠原くんは逃さないとばかりに、わたしの腕をグイグイ引っ張って歩き出した。
「おうち帰りたいよ……」
「たまには外に出て日光を浴びた方がいいよ、津田さん」
いやだ、帰りたい。こんなのお出かけなんかじゃない。連行だ。
駅に近づくたびに、人が多くなっていく。休日だから、おしゃれな恰好をした学生も沢山いる。すれ違った女の子のグループが、篠原くんを見てキャッキャとはしゃいでいた。
「……制服で来ればよかった……」
「学校外での制服着用は校則で禁止されているよ」
んなぁことは分かってるよ! 制服だったら、私服のことで悩まなくていいし、今は校則より、わたしのクズメンタルを守る方が大事だと思うの!!
「わたしは大木……わたしは大木……わたしは大木……」
「津田さんは、大木じゃなくて人間だよ」
やめてよ! 今、自己催眠かけてるんだから!
自己催眠を掛けてないと、精神的に持たないんだって。篠原くんがわたしを人間だって自覚させるから、またお腹が痛くなってきちゃったじゃないか。また初めから掛け直しだ。わたしは大木……わたしは大木……。
電車の中で、清楚系のきれいなおねえさんと目が合った。おねえさんは、篠原くんを意識しつつ、わたしを虫けらを見るような目で見てきた。わたしは大木、虫けらじゃない!
駅に着いた頃には、時間はお昼近くを回っていた。わたしたちは、ファミレスの一番奥の観葉植物に囲まれた席に座った。
外食なんて、久しぶりだな。というか、友達とファミレスに入ったのはじめてだ。
どうしよう、何食べようかな。
篠原くんはレアチーズパスタとサラダとコーンスープのセットを頼んだ。わたしはハンバーグとご飯とドリンクバー付きのセット。食後は絶対にデザート食べよう。デザート何にしようかな。イチゴパフェとか美味しそうだなぁ。お、季節のデザートだって。どっちにしよう、迷う。よし、ここは季節のデザートだな。イチゴパフェも魅力的だけど、限定物は今しか楽しめない。イチゴパフェはまた今度にしよう。
わたしはメニューを掲げたまま、手だけを呼び出しボタンへ伸ばした。パシッと手首を掴まれる。驚いてメニューから目を上げると、篠原くんがにっこり素敵な笑顔を浮かべていた。
「津田さん、デザート食べるの?」
「え、食べますけど」
なに当たり前のことを言ってるんだろう、この人。
「この、季節のデザートが美味しそうなんですよね。あっ、もしかして、篠原くんもデザート選びたかったんですか? すみません、メニュー独占してしまって。どうぞどうぞ、篠原くんも選んでください」
メニュー表を篠原くんに差し出すと、篠原くんは、わたしの手首を掴んだまま、にこにこ笑った。
「俺はいらない」
「そうですか? それじゃあ、わたしだけ」
篠原くんがデザートいらなくても、わたしは食べるぞ。この手を離すんだ。
手を引っ張ってみるも、篠原くんの手の握力が強く振りほどけない。なんだよ、わたしはこの呼び出しボタンを押したいだけなのに。
「本当に頼むの?」
「え、もちろん頼みますよ?」
食後のデザートは定番でしょ? デザート食べないと、ご飯食べた気しないじゃん。
「前々から思っていたんだけど」
「へ?」
「津田さんは、もう少し摂取カロリーを意識した方が良いと思う」
「え……し……篠原くん……。デブはデザートを食うなって……言いたいんですか……?」
……信じられない……。
……信じられない。
……信じられない!!
酷いよ! 篠原くんも内心は、わたしをデブだと思ってバカにしてたんだ! 篠原くんだけは人を見かけで判断しない人だと思ってたのに……!!
呼び出しボタンから手を引くと、篠原くんも手を放してくれた。頬に目一杯空気を溜める。
そりゃ、わたしはデブだけどさ……でも、そんな分かりきったことわざわざ言わなくてもいいじゃん。わたしだって、せっかくのお出掛けだし、美味しいもん食べたいのに……。
「……しょうがないな」
篠原くんは苦笑しながら呼び出しボタンを押した。女性の定員さんが注文を取りに来ると、篠原くんがメニュー表をさした。
「季節のデザートをひとつ。あと、スプーンを二つください」
「かしこまりました、少々お待ちください」
店員さんが居なくなると、わたしは目をまんまるにさせて篠原くんを見つめた。デブはデザート食べちゃダメなんじゃなかったの?
「一緒に食べよう? 一つじゃ津田さんには多いけど、半分くらいなら食べても良いよ」
「う、うぅううう……」
「え、泣くの?! やめてよ、津田さん!!」
だって……だってぇええ!! 季節のデザートめっちゃくちゃ食べたかったんだもん!!!!
ファミレスを出て、『にじいろ水族館』にやってきたわたしたちは、券売機で中学生チケットを2枚買って、館内のゲートをくぐった。
薄暗い館内には、色とりどりの水槽とアクアリウムが彩っていて、ライトアップされた水槽の中で、赤いイソギンチャクが揺れている。鱗を虹色に輝かせた魚たちが、水槽の中を縦横無尽に泳ぎ周っていた。
「……わぁ……きれい」
本当に、南国の海の中みたいだなぁ。
「津田さん、カクレクマノミがいるよ。可愛いね」
「ほんとだ。可愛いですね! あ、篠原くん。この魚、すごくきれいですね」
「エンゼルフィッシュって言うんだって。本当にきれいだね」
魚を見つけるたびに篠原くんが隣で嬉しそうに目をきらきら輝かせている。こんなに楽しそうにしている篠原くん、はじめてだ。篠原くんは水槽をひとつひとつじっくり見て説明文をしっかり読む派らしい。こんな所でも勉強熱心なんだな。
「篠原くん、クラゲですよ、クラゲ!」
クラゲコーナーにやってきて、わたしは目の前でふよふよおよぐミズクラゲを目で追った。
色とりどりのLEDライトに透過したクラゲが色鮮やかに光っていて、すごくきれいだなぁ。
「クラゲって、ふわふわしていて可愛いよね」
「クラゲ、好きですか?」
「うん。リビングにアクアリウムがあったら、素敵だなぁて」
たしかに、クラゲ見てると癒されるもんな。
「クラゲって何食べるんですかね?」
「動物性プランクトンだって」
篠原くんは説明書きの文字を指さした。
動物性プランクトンが結局何なのかよくわからないけど、クラゲは動物性プランクトンってやつを食べるらしい。
水槽から目を離すと、他のカップルがいちゃついているのを見てしまった。考えてみれば水族館ってデートスポットだっけ。
すれ違ったカップルが、わたしと篠原くんを見比べてヒソヒソ話している。もしわたしのせいで、篠原くんがブス専とかデブ専とか、そういう特殊な性癖の持ち主だと思われたらどうしよう。わたしは、篠原くんの名誉のために少し距離を開けた。わたしたちはただの美少年と大木です。




