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ep26 そしてみんなの後日談

「理央の事、ごめんなさい」


 公園に出ると、結子は深々と咲乃に頭を下げた。


 彩美は理央を落ち着かせるために、理央と一緒に帰って行った。改めて咲乃と二人きりになり、結子は逃げてしまいたい気持ちを殺して、咲乃と向き合うことを決心した。


「中本さんが謝ることないよ。巻き込まれていたのは、きみの方だから」


 咲乃がゆるく首を振る。そう、自分は巻き込まれていただけだった。おまじないに頼って、理央の都合の良い言葉に惑わされた自分にも非がある。

 結子は涙を堪えて視線を落とした。


「篠原くんは……初めから、私が篠原くんの事が好きだって知ってたの?」


 自分の手を握って、小さく呟く。


「だから敢て、私に優しくしていたの?」


 震える声を抑えて、何とか平静を保つ。咲乃は何も答えずに、静かに頷いた。


「……理央にね。篠原くんの『特別になれるおまじない』をしてみようって誘われたの。何もしないで落ち込んでいるよりはマシだって。それには、|篠原くんにとって特別な・・・・・・・・・・・・の髪の毛が必要だって言われたの」


 篠原くんにとって特別な人。山口さんの髪を入手するのは難しいけど、寝ている神谷くんなら、髪の毛を入手するのは簡単だと言われた。髪の毛を切るなら、今しかないと。


「きみはそれを、本気にした?」


 咲乃の問いに、結子は強くスカートを握りしめた。


「そんな事しても無駄だって分かってた。おまじないに縋っても、篠原くんの気持ちが私に向くことはないんだって、全部どうにもならないって分かってた」


 一筋の風が二人の間に抜けていく。どうしようもなく身体が震えるのは、寒さからなのか、悲しさからなのか。結子にはもう、分からなくなっていた。


「でも……諦められなかった。篠原くんが私に興味を持ってくれたのは、赤い糸のおまじないが切っ掛けだったから」


 ついに堪えていた涙が溢れた。涙が止めどなく目から流れて、結子の頬を濡らした。


「お願い、篠原くん。本当のことを言って。私の事、どう思ってた? 私に声を掛けてくれた時、本当に理央に近づく為だけだったの? 篠原くんがくれた言葉は全部嘘だったの?」


 聞きたくない。けれど、聞かなくてはずっと立ち上がれないままだ。

 嘘でもいいから好きだと言ってほしいという気持ちと、嘘はつかないでほしいという気持ちがせめぎ合う。どちらも望みすぎていて、苦しかった。


「ごめんね、中本さん」


 だからだろうか、彼から発せられた言葉に残酷なほどにホッとしたのは。


「初めから、中本さんに興味なんて無かった。田中さんを捕まえるために、必要だったから近づいたんだ」


 そう、微笑んで言われたとき、結子は泣き崩れた。いくら泣いても、二度と結子に優しい手が差し伸べられることは無かった。





 あれから数日が経った。


 理央はしばらく学校を欠席していたが、また学校へ来るようになった。咲乃と目が合うと、気まずげに目を逸らす。結子も咲乃を見る事は無くなり、咲乃もまた、結子に視線を向けることは無い。深い溝は二人に適切な距離を保って存在していた。結子が咲乃を追いかけることは、もう二度と無かった。


 神谷が入院している間、咲乃は重田達と過ごし、病院には週に2回ほどは見舞いに通うようにした。そうでないと、神谷が不貞腐れるからだ。


「誰も俺のことを見舞いに来ねぇ……。俺、見捨てられちゃったのかな?」


 神谷に涙目で言われて、咲乃は苦笑した。あんなに大騒ぎになったのに、みんな、神谷を心配していたのは最初だけだったようだ。


「いちいち来るのが面倒なだけでしょ。何だかんだ、みんな部活とか塾で忙しいし。ねっ、篠原くん!」


 変ったことと言えば、時々彩美もついて来るようになった事くらいだろうか。


「それはそうと、山口さん。神谷に伝えたいことがあるんじゃなかった?」


 咲乃が彩美に謝罪の切っ掛けを振ると、彩美は「えっ」と言葉を詰まらせた。顔を赤くして慌てている。


「こっ、こんな奴に言うことなんて無いもん!」


「山口さん?」


 彩美が逆ギレするのを、咲乃が窘める。神谷は呆けた顔で二人のやり取りを交互に見た。


「何だよ。山口が俺に伝えたい事って」


「っ……こ、この前は……」


 声を絞りだすように彩美が言葉を吐く。


「この前は?」


 神谷が彩美の言葉を復唱した。中々言葉が詰まって言い出せない彩美に、神谷は益々呆けた。


「何だよ、何だよ。早く言えよ。『この前は』?」


 咲乃はうんざりして溜息をこぼした。神谷の口元がわずかに上がっている。明らかに言いたい事が分かっていて、彩美の反応を面白がっているのだ。


「っ……この前は、首の骨まで折って死ねば良かったのよ、このバカっ!」


 彩美は大声で叫ぶと、クッションを神谷の顔に投げ捨てて帰って行った。同じ光景をもう3度は見ている。


「神谷、お前わざとやってるよね?」


 咲乃が呆れて言うと、神谷はにかっと笑った。


「だってあいつ、マジ面白いじゃん?」


 しばらくはこのネタで楽しむつもりらしい。神谷に気に入られると、皆碌な目に合わない。


 病室に寄ったら成海の家へ。このルーティンを繰り返して、咲乃は日常を取り戻していった。






 主人公(ヒロイン)の存在意義について深く考察していきたい所だけど、シンプルに落ち込むので控えさせていただく。明らかにわたし、邪魔だろうなんて気付いてはいけない。だって、冷静に考えてもわたしは邪魔だからだ。


 篠原くんに不満をぶちまけてスッキリしたわたしは、ヘッドホンを装着して、ようつべに上げられているハヤトくんの朗読動画を聞いて癒されていた。

 わたしにだって休息は必要なんだ。今までだって、ずっと勉強を頑張っていたんだもん。


 ベッドの上で枕に顔をうずめる。耳元で、ハヤトくんの甘い美声が囁く。


『ずっと会いたかった。俺のお嬢様』


 わたしも会いたかったよぉ、ハヤトくん。ハヤトくんの低音ボイスは内臓まで響く、素敵なお声だ。


「津田さん、こんにちは」


『俺以外の男と話すな、嫉妬する』


 ハヤトくん以外の男と話すわけないじゃない! わたしはハヤトくんに身も心もお小遣いも全て捧げているのに!


「津田さん、寝てる?」


『悪い。見惚れてたんだ。キミがあまりにもキレイだから』


 きゃぁああ。かっこいいよぉ! 足がバタバタしちゃうよぉ!!


「……起きてはいるんだね」


『ずっと、俺の隣にいて。きみの事がす――』


「津田さん、いい加減にして」


 ヘッドホンを取られてしまった。ハヤトくんの甘々な声が駄々洩れである。


『――もう誰にも離したくない……』


「プリンあるけど、食べる?」


「……いただきます……」


 またひとつ恥ずかしい趣味を篠原くんに知られてしまった。






「あんまぁああ!」


 一個300円の濃厚プリン、スーパーの三個入りプリンと濃さが全然違う!


「津田さんが喜んでくれて良かった」


 篠原くんは頬杖をついて笑っている。久しぶりに拝めた篠原くんのご尊顔、とっても天使だ!


「それで、忙しいのは終わったんですか?」


 何で忙しかったのかは聞いてないけれど、篠原くんにもいろいろあるのだろう。学校行ってると大変だなぁ。


「うん、もう大丈夫。これからは、また一緒に勉強できるよ」


 篠原くんがほっとした顔をしてるから本当みたい。最近、なんだかピリピリしていたもんね。もしかして、そのピリピリわたしにぶつけてた? ストレス溜まると、わたしの課題の量が増えるとか、まさかそんなんじゃないよね?


「でも、神谷が怪我をして入院しているんだ。たまに病院にも寄るから遅くなる日もあるけれど、その時はごめんね」


「そんな時くらい、自分の家にまっすぐ帰ったって良いんじゃないですか?」


 そんなにびっちり勉強の予定をいれなくても、わたしはいつでも暇だから、勉強の遅れは十分取り戻せると思うんだけどな。


 最後のひと掬いのプリンを口に入れ、幸せを噛みしめた。もう無くなっちゃった。今度、お母さんに同じ商品を買ってもらおう。


「……津田さんは、俺が来るの迷惑?」


 篠原くんが、悲しげに視線を落とした。


「ち、ちがいます、ちがいます! 篠原くんが来てくれるのは有難いですけど、篠原くん、無理してでも時間取ってくれるじゃないですか! 篠原くんが倒れたらそれこそ一大事なんで、無理せずに、休むときは休んでほしいんですよ!!」


 だってほら、篠原くんって儚げだから。ぽっきり折れそうだよ。美人薄命とも言うし、無理は良くないと思う!


「俺は、津田さんと居た方がずっと楽だけど」


「そ……、そう、ですか? そう言ってくれるのは嬉しいんですけどー……はい……」


 そんな直球に言われると、反応に困るな。


 篠原くんはぐったりと、ミニテーブルにうつ伏せになった。柔い髪の毛が机の上に広がる。


「本当に疲れた……」


 篠原くんは目を閉じて、深く溜息を吐いた。前髪に隠れて表情が見えない。篠原くんが、こんなに疲れているのは珍しい。


 長い睫毛の間から、黒い瞳が揺らめいた。


「今までずっと気を張っていたから……。でも、やっと終わった」


 篠原くんは再び目を閉じると、静かに呼吸した。今まで忘れていたものを取り戻すみたいな、ゆっくりとした呼吸だった。


「……そうですか。いろいろ大変だったんですね……?」


 篠原くんが何で大変だったのかなんて、わたしには分からないけど。まぁ、学校には色々あるもんな。


 飲み物を取りに行って部屋を戻ると、篠原くんは寝息を立てて眠っていた。

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