ep25 ダイアモンドリリー
「中本さん、田中さん。そんなものを持って病院に来るなんて、ちょっと物騒じゃない?」
結子と理央が振り返った。絶望的な表情で咲乃を見つめる結子と、鋭く睨む理央が、寝ている神谷のすぐ側に立っている。彩美が、理央の手を見て目を見開いた。
「えっ……何、これ? 田中さん、何でハサミなんて持ってるの!?」
理央はハサミを胸の前で握りしめた。隣にいた結子は、血の気が引いた顔で、咲乃と彩美を交互に見る。
「ど、どうして、篠原くんと山口さんが……」
「田中さんと中本さんが来るのを待っていたんだ」
咲乃は穏やかに言って、理央たちの方へ近づいた。
「感情的になっている中本さんを落ち着かせるために、今日中にでも神谷の元に来るだろうって。でも、俺たちが帰ったタイミングで神谷に近づくだろうから、教えてあげたんだよ」
咲乃の視線が、ダイアモンドリリーへと向けられる。
理央は、咲乃と彩美が病院から出る瞬間を狙っていた。病室に新しく、生き生きと咲いているダイアモンドリリーの花束を見て、咲乃が見舞いに置いていったのだと判断し、油断したのだ。
咲乃は寝ている神谷の髪をひと房掬い、不自然に切られていないかを確かめた。どこにも切られている様子はない。間に合ったようだ。
「髪でも切ろうとしたの? 髪の毛を使った御呪いもあるものね。それとも、掛けようとしていたのは呪いかな」
理央は、ぐっと息を呑みこんだ。
「神谷の髪の毛を切って送りつけようとしたの? 俺への警告のために。勝手に人の髪を切るのは傷害だよ。神谷に嫌われるのは、きみの本意ではないよね。だって田中さんは、神谷が好きなんだから」
理央の顔が青ざめ、ゆっくりと後退した。
「なんで……なんで、あたしが……神谷くんのことが好きだなんて……」
神谷が好きだということは、親友の結子にも明かして来なかった。咲乃がそれを口にすることで、理央の心の中にある大切な部分を踏み荒らされているような嫌悪感が、身体の中に駆け巡った。
「神谷は目立つから、結構人気があるんだよ。異性の友達も多いし、神谷が怪我をして入院したときも噂が回るのも早かった。当の本人に自覚がないのが残念だけどね」
「イヤ……」
理央はさらに後退した。全身が、がくがく震える。これ以上踏み込まれたくないと、身体が拒否しているようだった。
「古文の授業中、きみが神谷のことを見ていた時に、神谷に気があるんだと気付いたんだ」
「……イヤ……」
「それに、神谷と居る時に限ってあれだけ熱視線を送られていたら、『俺嫌われてるんだな』って嫌でも分かるよ」
「イヤッ!!」
理央は悲鳴を上げ、ダイアモンドリリーが咲いた花瓶を床にたたきつけた。ガラスが割れる鋭い音が、咲乃の言葉を止めた。床の上に水溜まりを作り、花束は軽く跳ねて花びらを散らす。
小さく砕けた透明なガラスが水面に混じり、虹色に反射した隙間から俯いた理央の姿を映した。
「あの手紙だってそうだ」
癇癪を起し荒く呼吸をしている理央を無視して、咲乃は静かに言葉を続けた。
「あの手紙は、俺を想って書いた手紙なんかじゃなかった。一言も俺が好きだなんて書いてなかったし、神谷に関わるなとだけ書かれていたから。
不可解な手紙を何度も送って来たり、カバンに刺繍針を仕込んだり、呪いの手紙まがいの黒い糸を使った手紙を送ったりして不安感や不快感を煽り、俺が神谷に距離をおくようにしたかったんでしょう?」
結子は驚愕した表情で、理央を見た。
「……手紙って? 刺繍針を仕込んだって何? 理央、篠原くんに何をしてたの!?」
泣きそうな顔をして、結子が理央を問い詰める。理央は結子に黙るように睨む、射抜かんばかに咲乃を睨みつけた。
「……あんたの言う通り、あの手紙も針も全部あんたへの警告だったわ。あんたが転校してから、神谷くんはいつもクラスの空気が悪くならないように気を使って、あんたを立てるような事ばっかりやってた。見ていられなかったの。なんで、あんたみたいな、人間を小馬鹿にしたような冷淡なクズがクラスの人気者で、クラスのことをよく見てる神谷くんがその足元にいるような扱いを受けなきゃいけないわけ? ふざけないでよ。今のクラスは、全部神谷くんが作ったんじゃない!」
ハサミを握りしめた理央の手は、強く握りすぎて真っ白になっていた。歯を食いしばり、唸るように言葉を吐き出す。
「結子に対してもそう、あんたにとって結子は私を捕まえるための、ただの道具だったんだ。あんたが好きだった結子の気持ちを考えもしないで。そんなあんたが、正義のヒーローヅラしてんじゃないわよ!」
咲乃が結子に目を向けると、結子は悲しみに満ちた目で咲乃を見返した。咲乃はすぐに視線を外した。
「そうだね。俺は、中本さんの好意を利用した」
結子が足元をふら付かせながら後退るのがわかる。咲乃は、結子の顔を見ずに続けた。
「直接、田中さんを問い詰めれば、簡単に言い逃れされてしまうと思った。だったら、田中さんと仲のいい中本さんを利用して、徐々に田中さんを追い詰めていった方が確実だった。中本さんの気持ちはすごく分かりやすかったから、近づくのは簡単だったし、わざと意識させるようにして俺が中本さんを振った時――、必ず田中さんに助けを求めるだろうと踏んでいた」
そして、事実その通りになった。
理央のプライドは、咲乃をこれ以上神谷に近づかせることを良しとしなかった。振られて傷ついていた結子を説得し、一緒に神谷の元へやって来たのだから。
理央は、咲乃に神谷の髪を送りつけ、「これ以上、私のお願いを聞かなければ、神谷を傷つける」と脅しをかけるつもりだった。
「否定しないんだ。私を誘い出して証拠を得るためだけに、この子の気持ちを散々弄んで利用してたんだ?」
理央の口から笑いが溢れる。
「――本当に最低ね」
「お互い様、でしょ?」
理央が吐き捨てる言葉を、咲乃は淡々と返した。
「田中さんだって、中本さんを利用してたんだよね? おまじないごっこに付き合わせて、こんな事までしているのに?」
「私は別に、結子を傷つけてなんかない!」
「では、中本さんの筆跡をまねたのはなぜ?」
咲乃は、かばんから理央が送った手紙と、結子からもらったメッセージカードを取り出した。
「中本さんがくれた手紙と、今まで田中さんが送ってきた手紙の筆跡を見比べれば、中本さんの文字をまねたものだとわかるのに、傷つけてないって嘘でしょう。本当は、中本さんの恋愛なんて、田中さんにはどうでもよかったんだよね。俺を嫌っているのに、親友の恋を応援できるはずがないもの」
今まで理央からもらった手紙を、咲乃は一斉にばらまいた。ひらひらと踊る様に落ちていく手紙の奥で、理央は私憤に戦慄いていた。
「おまじないに必要だと言えば素直に従うのを良い事に、神谷の髪を中本さんに切らせるつもりだったんだ?」
「ッタが――」
俯いた理央が震えた声で言葉を吐いた。
「アンタが、神谷くんを傷つけるからよ!」
理央は歯の奥から絞り出すように言った。
「アンタが来るまでは、神谷くんはもっと自由だった。誰とでも仲良くできて、彼が特定のグループにいることもなかった! みんな平等に接して、私にも話しかけてくれて――、それなのに、アンタが転校してから、神谷くんはアンタにばっかり構うようになった。それが嫌でたまらなかった。アンタを庇うせいで神谷くんが傷ついて、嗤われて、馬鹿みたいに振る舞って、アンタがどれだけ神谷くんを傷つけているか知りもしない。それが凄く許せない。アンタなんか神谷くんと一緒にいて良い人間じゃない!!!!」
理央は激しく息を切らして、全身を震わせて咲乃を睨みつけた。
窓から差し込む夕暮れの光が病室に長い影を作る。木々の葉が風を受けて揺れた。
「俺も、自分は神谷といて良い人間じゃないって思ってるよ」
咲乃は深く長い息を吐くように、静かに答えた。
「こいつには世話になっているし、守ってくれているんだとも分かってる。いつもこいつのせいで迷惑を掛けられているけど、俺だって神谷に迷惑を掛けているんだって」
咲乃の瞳の中は、静かで仄暗く清らかだった。その情動を写さない瞳に、理央は思わず魅入られた。
咲乃は音もなく理央へ近づく。冷たい空気が流れるように。気配すら感じなかった。
「だから、俺も神谷を守らなきゃ」
咲乃は理央に手を伸ばした。
「こんなこと、知られたくないんだ。さすがにこいつだって困るだろうから」
理央の手が緩んだのを見計らって、咲乃は鋏を取り上げた。理央は膝から崩れ落ちて、両手で顔を覆って泣いた。




