ep24 運命の糸を手繰り寄せた①
昇降口の前で待っていた彩美は、咲乃の姿を見つけると、彼に駆け寄った。
「篠原くん、大丈夫だった!?」
「うん。待たせてごめんね」
彩美は首を横に振った。
「私は平気。でも、さっき中本さんが……」
5分くらい前に、涙で目を赤くした結子が、彩美に目を向ける事も無く走り去って行った。
彩美が不安げに咲乃に伝えると、咲乃は特に気にしたふうでもなく、穏やかに頷いた。
「そう。じゃあ、神谷の所へ行こうか」
咲乃のあっさりとした様子に、彩美は驚いた。あんなに仲が良いように見えていたのは自分の勘違いだったのか。
病院に向かう途中、ふたりは花屋に寄った。選んだのは、ダイアモンドリリーという種類の花だった。ピンクや白、黄色などの色鮮やかな花束は、日の光をはじいて宝石のように輝いている。
「篠原くん、そのお花、好きなの?」
彩美は、美術の授業で咲乃が同じ種類の花を描いていたことを思い出した。宝石のように光り輝く花束を持った咲乃は、優しい顔をして花びらや葉に痛みが無いか念入りに確認している。
「見舞いに来たってのがわかるかなって」
咲乃が描いたデッサンの絵は、とても良く描かれていると美術の先生がみんなの前で紹介していたから、クラスメイトならだれでも目にしている。形が特徴的なダイアモンドリリーならば、花に疎い神谷でも覚えているだろう。
自分が来たことを伝えるためにダイアモンドリリーを選んだのだと彩美は納得して、咲乃の手の中で淑やかに輝くダイアモンドリリーの花束を見つめた。
病室では、呼吸器を付けた神谷が深く眠っている。咲乃は、病室の花瓶にダイアモンドリリーを飾った。
「神谷くん、良くなるかな」
彩美がぽつりと言ったのを聞き取って、咲乃は穏やかに頷いた。
「大丈夫だよ。神谷なら」
そう、きっと神谷なら。彼ならすぐに怪我を治して、またいつもみたいに調子良く騒いで、クラスを明るく照らしてくれる。
彩美も咲乃に頷いて、病室を後にした。
二人は病院を出ると、目の前の公園のベンチに座った。お互い何を言うでもなく、のどかな午後の風景を眺める。
彩美は近くで買った自販機の緑茶を飲みながら、内心ソワソワしていた。咲乃は何か考え事をしているようだ。何も話さない。
「神谷に、俺のことでLINEしていたのって、山口さんだよね?」
何か話題は無いかと思考を巡らせていた彩美に、不意に咲乃の方から話しかけられた。
彩美は言葉を詰まらせた。LINEのことを、神谷から聞いていたのだ。
「ご、ごめんなさい!」
彩美はベンチから立ち上がり、咲乃に深々と頭を下げた。
「私、許せなくて。なんでアイツが篠原くんの友達でいられるのか、全然わかんなくて。だ、だって、私も……篠原くんと仲良くなりたかったのに……っ!」
今では、あんなことしなければよかったと反省している。自分が咲乃と親しくなれないのは、けして神谷のせいなんかじゃない。勇気がなかった自分のせいなのに。
「あの日は、何を話していたの?」
彩美はおずおずと、咲乃に促されるまま隣に座った。
「……中本さんのことで、色々……」
「中本さんのこと?」
「最初は、八つ当たりだったの。でも、色々言っていたら悲しくなっちゃって、そのまま、神谷くんの前で泣いちゃって――」
いつもだったら、神谷に通話などかけたりしない。しかし、その日は、体育の時のことがあまりにもショックで、なかなか寝付けなくて、時間も考えずに神谷に電話をかけてしまった。何でもいいから吐き出したい気持ちだった。
「それから3時間も話を聞いてもらっていたの?」
「次の日が試合だなんて一言も言わなかったんだもん! ……ひとこと言ってくれたら私だって……」
夜中にかかって来るくらいだから、切迫した雰囲気もあったのだろう。泣いてしまった彩美を邪険に出来ず、結局神谷は、長々と彩美の愚痴に付き合ってしまったのだ。愚痴を聞いていたら3時間とは、随分長話に付き合わされたものだ。デリカシーはない癖に、変なところで面倒見のいいところがある。
「それで、あの日ひとりで謝りに行こうとしていたんだ?」
結子とバーガーショップの前で彩美と鉢会わせたとき、彩美は、紙袋を持って神谷への病院へ向かっていた。
咲乃が尋ねると彩美は小さく頷いた。
「神谷くんに、今までのことを謝ろうと思ってたんだ。でも、結局あの後そのまま家に帰っちゃって……」
項垂れる彩美は、咲乃から見ても、心から反省しているように見える。
「私、今度こそは神谷くんに謝らなきゃ。……篠原くん、協力してくれる?」
彩美は目を潤ませながら、上目遣いになって咲乃を見つめた。ここぞとばかりに、咲乃に擦り寄ろうとする彩美に、咲乃はにっこりと顔面に笑顔を貼り付けた。
「きっと神谷なら許してくれるよ。頑張って山口さん」
咲乃は、病院の方へ目を走らせた。
「そろそろ、病室に戻ろうか」
「え?」
微笑んで言う咲乃に、彩美はなぜ今出て出たばかりの病室に戻るのかわからず、目をパチクリさせた。
*
初めて彼を目にした時、読んでいた恋愛小説のヒーローが現実に現れたのだと思った。
日に当たるときらきら輝く茶色い髪色と、白く滑らかな肌。色づきの良い唇に、背の高い細身の体躯。印象的なのはその目だった。前髪の下に切れ長の目。全身から清涼な空気と清廉さを纏っているのに、瞳だけは暗澹とした鈍い光を宿している。
一目見て、何処かへ消えてしまいそうだと感じた。私はその不思議な空気を纏った彼に目を奪われて、周囲の雑音が聞こえなくなってしまった。
黒板の前に立ち、担任に自己紹介を促されると、彼は涼やかな優しい声で言った。
「――から来ました、篠原咲乃です。よろしくお願いします」
それだけが、はっきりと私の耳へ届いた。
小学生の頃から、私はおまじないが好きだった。図書室でおまじないの本を借りたり、インターネットで調べたりして、私は色んなおまじないを試した。人前に出ても緊張しないおまじないとか、永遠の友情を誓うおまじないとか。本当に叶ったものもあれば、叶ったのかどうかもわからないものもあったけど、それでも、叶うかもしれないというドキドキが好きで、夢中になっておまじないのことを調べたりしていた。
中学生になれば、全部気の持ちようだと考えるようになって、おまじないなんて信じなくなってしまったけど、それでも、篠原くんに恋をしてから、いろんな恋のおまじないを、友達と一緒に試すようになった。おまじないをしていると、辛い恋も気休めにはなるような気がするから。
赤い糸のおまじないも、試してみたものの一つだった。今まで、一言も篠原くんとしゃべれないまま過ぎていくんだと思っていた私の日常は、そのおまじないのおかげで、少しだけ変化があった。
「ねぇ、結子。このおまじない、試してみない?」
理央はそう言って、サイトに載っていたおまじないを私に見せた。そこには、『超強力、絶対に両想いになるおまじない』と書かれていた。
「何が必要なの?」
「ええっと……A4サイズの白い紙と、赤いペン、それから、自分の名前と住所と、好きな相手の名前と、その人の住所だって」
「篠原くんの……住所?」
そのおまじないは、A4サイズの紙を半分に折り、右側は好きな人の名前と住所を、左側に自分の名前と住所を書き、満月の夜にろうそくの火でその紙を燃やす、という儀式めいたものだった。
「このおまじない、結構、叶うみたい。コメントに、『好きな人に告白されました』とか、『願いが叶いました』とかたくさん書かれてるし、やってみようよ!」
「でも、篠原くんの家の住所なんて、私、知らないよ……?」
「そんなの、後を付けて行っちゃえばいいじゃん!」
「えっ!?」
私は、理央の大胆な発言に驚いた。後を付けるなんて、なんだかストーカーじみている。さすがの結子も気が引けた。
「で、でも、そんなことしたら、迷惑じゃない?」
「見つかったら、そりゃあね。でも、篠原くんを狙ってるライバルは沢山いるんだし、これくらいしないと結子の気持ち届かないと思わない?」
理央にはっきり言われて、胸の奥がズキンと痛んだ。思わず、右手で左手の小指を握りしめる。おまじないの力を借りないと、私は篠原くんと話もできない。振り向いてもらえない。
それでもその時は、勝手に後を付けることに抵抗感を覚えて、新しいおまじないを試すことは諦めた。
だけどその後、結局私は篠原くんの後をつけた。
焦っていたのだ。早く"両想いになれる”おまじないをしないと、山口さんに篠原くんを取られてしまうと思ったから。




