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ep22 きみは優しいひとだから ①

 神谷の病室は、3階の大部屋だった。窓際のベッドに神谷がいて、仕切りのカーテンを開け放し、スマホでゲームをしている。大部屋には神谷しか入院していないようで、他のベッドは空っぽだった。


「篠原、やっと来たのかよ」


 神谷は、咲乃たちに気づくと、イヤホンを外してニカっと笑った。ギプスが巻かれた右足は痛々しく見える。


「ほら、見舞いの品貰ってやるからさっさと出せ」


「元気そうでなによりだよ」


 当然のように催促する神谷に、咲乃は顔面に笑顔を貼り付けた。


「か、神谷くんこんにちは」


 結子は緊張したようにおずおずと頭を下げる。神谷は人懐っこく、にかっと笑った。


「おう、中本も来てくれてありがとな!」


 教室で、結子と神谷が二人で会話しているのを見たことがない。面と向かって話したのは初めてなのだ。恥ずかしそうに萎縮する結子に、神谷は構わず結子に話しかけた。


「言っとくけどな、こいつは止めといた方が良いぜ。表に出してないどす黒い物いっぱい抱えてるから」


「神谷」


 咲乃が窘めると、神谷はニシシと調子良く笑った。


「昨日は、クラスのみんなが来てくれたんでしょう? その時、たくさんもらわなかったの?」


「あぁ。なんか、やたらいろんな種類のジュース持ってきてた。菓子持って来いよな、全く!」


 不満そうに言う神谷に、咲乃は笑った。


「お前が急に入院するから、みんな、神谷のこと心配していたよ。俺たちもちゃんと持って来てあるから、そんなに怒らないで」


 そう言って咲乃が、手に下げたエコバッグを掲げる。不満げな神谷の顔が、一瞬にして変わった。


「いやー、気ぃ使わせちまって悪ぃなー!」


 全く悪いと思っていない顔で、神谷が礼を言った。

 咲乃は持っていたエコバッグから、500mlのペットボトルを三本、ベッドテーブルの上に置いた。


「……水……? 冗談、だろ……?」


 富士山の天然水が、神谷の前に並ぶ。フルーツのフレーバー水ですらない。ただの水だ。


「軟水にしておいたから飲みやすいよ。お菓子やジュースに比べたら身体にやさしいし、薬も飲めて実用的でしょう。沢山水分を取って早く元気になってね」


「……身体にやさしいって、俺が求めてる優しさはこれじゃないんだよな」


「一応、硬水も買ってあるから」


「飲みやすさの問題じゃねぇんだよ」


 にこっと笑った咲乃の顔を、神谷は恨めしそうに睨みつけた。わざとやっているのは明らかだった。


 咲乃は、近くにあったパイプ椅子をふたつ、ベッドの近くまで引き寄せると、片方を結子に座らせた。神谷に近い方の椅子に咲乃が座ると、改めて真剣な顔で神谷を見た。


「それで? 寝不足による事故だって聞いたけど」


 咲乃に真っすぐ見つめられると、神谷は、気恥ずかしそうにへへっと頭を掻いた。


「いやぁ、ゲームがすげー面白くて、止め時が分かんなくてさぁー」


「ふぅん」


 咲乃は疑わし気に神谷を見た後、素早くテーブルの上にある神谷のスマホを奪い取った。


「あっ、スマホ返せ!」


 神谷が慌てて手を伸ばすと、素早く神谷の顔を認証させてスマホのロックを解除した。咲乃は椅子から立ち上がり神谷の手の届かない位置に移動する。


 騒いでいる神谷を無視しつつ、LINEのトークリストから直近のトークを片っ端から開く。神谷を心配するメッセージが並ぶ中、あるトーク画面を開いて見せた。


「これ何?」


「なっ!」


 LINEトーク画面には、試合当日の夜中の1時頃に3時間ほどの通話履歴が残っていた。


 うろたえ始めた神谷に、結子は困った顔をして咲乃と神谷を交互に見た。一体ふたりが何でもめているのか、わかっていないのだ。


「ごめんね、中本さん。一緒に来てくれて悪いけど、席を外していてくれないかな?」


 咲乃がにこりと笑ってお願いすると、結子は不安そうな顔をしてうなずいた。


「待合室で待ってるね」


「うん。ありがとう」


 結子が病室から出て行くと、咲乃は改めて神谷に向き直った。


「随分色々言われているようだけど、神谷ってマゾヒスト?」


 画面をスクロールして、メッセージのやり取りをさかのぼる。神谷に対する罵詈雑言と、咲乃を擁護する文章が、一方的に毎日のように送られていた。


 可愛らしい子犬のアイコンに、“ayami”というアカウント名に、咲乃は覚えがあった。


「これ、山口さんだよね。最近やたらお前に突っかかるなとは思っていたけど」


 それにしてもこれは悪質すぎる。本人は咲乃のためを思ってやっているつもりなのだろうが、こんなこと、咲乃が望んでいるわけではない。


「神谷が嫌がらせを受けていて、それが原因でこんなことになっているんだとしたら、俺はそいつを許さない」


「ちょっ、ちょっと待て! これは嫌がらせなんかじゃねーんだって!」


 よほど咲乃が怖い顔をしていたようだ。神谷は慌てて声を上げた。


「こんなの、ちょっとした悪ふざけに決まってんだろ。山口だって、本気で悪気があったわけじゃねえよ!」


「じゃあ、試合当日(このひ)は、一体何を話してたの?」


 咲乃が問い詰めると、神谷は観念したように脱力して背中を枕に預けた。


「何つーか……、愚痴? みたいなのに付き合ってたんだよ」


「愚痴?」


 咲乃が同じ言葉を繰り返すと、神谷は額を掻いた。


「まぁ、大した話じゃねーけどさ、放っておくのも可哀そうじゃん。けっこう思い詰めてたみたいだったし」


 咲乃ははっと短く息を吐いて、椅子の上に腰を下ろした。

 神谷は意外に面倒見がいい。それにしても3時間も相手の話を聞いていたのか。


 咲乃は取り上げたスマホを神谷に返すと、ひったくるように神谷はスマホを奪い取った。


他人(ひと)のスマホ勝手見んじゃねーよ、このメンヘラ!」


「悪かったよ。他人(ひと)の画像ばらまいて宿題やってもらってるようなやつに、他人のスマホを見ちゃいけないなんて常識があったなんて知らなくてさ」


 咲乃は、パイプ椅子の背もたれに背中を預けるようにして座りなおした。


「で、山口さんと何の話をしていたのか、絶対に教えてはくれないんだよね?」


「お前もしつけぇな。何でそんなに気になんだよ」


「心配しているんだよ。神谷が寝不足で試合中怪我するなんて、ありえないでしょう?」


「心配ねぇ?」


 神谷は目を細めて、探るように咲乃を見た。


「今日のお前、絶対変だよな?」


「変?」


 咲乃が聞き返すと、神谷はうんざりしたように答えた。


「いくら手紙の件があるからって、過敏になりすぎてんじゃねーか?」


 咲乃は何も言わず、じっと神谷を睨んだ。神谷も、むすっとした顔で咲乃を睨み返した。


「どうせ、新しい手紙でも来たんだろ? 何書かれたのか知らねーけど、俺はお前のせいで傷つくほど柔じゃねぇから。勝手に責任感じて焦ってんじゃねーよ」


 神谷に不満をぶちまけられ、咲乃は一瞬面食らった後、理解した。

 確かに焦っていた。自分のせいで、神谷が傷ついたのだと。神谷が怪我をしたのは、手紙の件と何も関係がないとわかっていながら。


「悪かったよ、勝手なことをして」


「わかりゃあいい。次は、水じゃなく菓子をもってこいよな!」



 結子と咲乃が、自動ドアを抜けて病院を出ると、冷たい風がしなびた落ち葉を拾って、二人の足元を抜き去っていった。


「今日は付き合ってくれてありがとう、中本さん」


 咲乃に微笑まれて、結子は顔を伏せ手をもじもじさせた。


「ううん。私も神谷くんのこと心配だったし、私と理央だけで行っても、話すことが無くて気まずくなりそうだったから……」


 学校で神谷と話したことのなかった結子は、神谷が少し苦手だった。クラスのムードメーカーで周囲を明るくしてくれる反面、彼の言動の雑さが、結子には合わないと感じていたのだ。


「中本さん、この後、少し時間ある?」


「えっ」


 結子が驚いて足を止めると、咲乃は穏やかに笑った。


「少し話そう? このまま帰るのもつまらないしさ」


 近くのバーガーショップに入り、店内の一番奥の席に向かい合って座ると、結子は落ち着かない気持ちで、背筋をこわばらせた。緊張のあまり食欲が出ず、せっかく買ったハンバーガーも喉を通りそうもない。

 結子は、一緒に買ったコーラを飲んで口の中を潤した。食欲はわかないのに、喉は異常に乾いていた。


「篠原くんも、こう言うの食べるんだね」


 結子の想像の中で、咲乃はジャンクフードを取らないイメージがあった。考えてみれば、彼だって普通の中学生なのだからジャンクフードを食べることもあるだろう。しかし、咲乃をどこか遠くの人だと思い込んでいた結子にとっては、ジャンクフードを食べる咲乃というのは、身近に感じられて嬉しくもあった。


「たまにはね。でも、少し量が多いみたい。中本さんも一緒に食べよう?」


 咲乃が結子にポテトをお裾分けすると、結子はおずおず一本抜いて齧った。

 ポテトくらいならば小さいので、食欲がわかない結子でも負担にはならない。ポテトの塩とサクサク軽い食感に、シュワッと舌の上をはじくコーラを合わせれば、気づくと手が止まらなくなってしまう。物を食べていると安心して、少しだけ心に余裕ができた。


「……神谷くん、元気そうで良かったね」


 ポテトの端を小さく齧りながら、結子はつぶやいた。まさか、あの神谷が入院するなんて、全く誰も予想していなかった。それほど彼はパワフルで、病気や怪我とはかけ離れたイメージを持たれていたのだ。


 みんなに心配をかけておいて、実際にお見舞いに行くと、当の神谷本人は何事もなかったかのようにけろっとしている。そういう人騒がせなところが、彼らしいと思えた。


「あいつは、何があってもへこたれなさそうだからね」


 一番苦労させられているはずの咲乃が苦く笑えば、結子もおかしくなって口元に手を当ててくすくす笑った。

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