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ep19 太陽と月のお姫様

 翌日は生憎の雨だった。体育館を四つのコートに区切り、男女好きなようにチームを組んで、バドミントンをする。予定にない雨に、みんな、授業というよりレクリエーションとして気楽に楽しんでいた。


「篠原くん、一緒にやろう!」


 女子たちに声をかけられ、咲乃は困った顔をして微笑んだ。


「神谷や重田たちとやる約束なんだ。誘ってくれたのに、ごめんね」


「えー、いいじゃん。たまには一緒にやろーよ!」


 咲乃は笑顔を作って断るが、女子グループに懇願されてしまう。咲乃が返答に困っていると、男子たちは可哀想なものを見るような目をして、咲乃の背中をたたいた。


「行って来いよ。女子の機嫌取っておかないと、俺たちに被害が及ぶから」


「そうそう。頑張れ、篠原」


 仲間達から背中を押され(というより供物として捧げられ)、結局、咲乃は女子グループに入ることになった。


「俺も呼んだ? なぁなぁ俺も呼んだ?」


「呼んでねーから。ウザいし消えて」


 こんな時でも、神谷の精神は鋼だ。女子にうざ絡みした挙句、案の定辛辣にあしらわれていた。


 咲乃は体育館の隅で友達と体育座りをしている結子を見つけた。結子と目が合うと、またすぐに目をそらされる。


「中本さん達も、一緒にやらない?」


 結子に近づいて声をかけると、結子は隣に座る理央のジャージの裾を掴んだ。


「わ、私はいいよ。バドミントン下手だから……」


「良かったら、俺が教えるよ」


 結子に手を差し出すと、結子は白目を赤く染めて恥ずかしそうに顔を伏せた。


「篠原くんやさしー。中本さん達にも声掛けてあげるんだ!」


 遠くから女子がきゃっきゃと囃し立てた。女子の誰もが、隅で見ているだけの結子や理央が可哀そうだから誘っているのだと思っている。咲乃が結子に対して、特別な感情があるかもしれないとは微塵も考えていない。


「中本さんもやろうよ。篠原くんも一緒にやろうって言ってくれてるんだし!」


 はつらつとした女子たちの声に、結子は余計に怖気づいて身を縮めた。

 これ以上は、結子の印象がわるくなる。咲乃は、安心するよう結子に微笑んだ。


「嫌なら別に大丈夫だよ。余計なこと言ってごめんね」


 咲乃が結子に謝ると、女子たちの方へ戻って行った。

 女子たちが既に結子たちのことを忘れて、咲乃とチーム分けについて話し合っている。


 結子はホッとしながらも、少しだけ残念に感じていた。けして、女子たちに混ざって苦手なバドミントンをしたいわけじゃない。咲乃が誘ってくれたのに、断らざる終えなかったことが残念だったのだ。


 体育座りしていた足を、抱きしめるようにして引き寄せる。もっと自分が、あの女子たちみたいに綺麗で運動が得意だったらよかったのに。


 結子が考え事をしていると、急に結子の上から陰が落ちた。驚いて上を見上げると、山口彩美が、結子のことをまっすぐ睨みつけていた。


「篠原くんが誘ってくれてるんだから、来ればいいじゃん」


 彩美は冷たい口調で、結子を責めた。咲乃が気を遣って誘っているのに、萎縮するだけの結子の態度が気に食わなかったのだ。


「誘われて断るって酷いんじゃないの? せっかくみんな待ってあげたのに時間の無駄だし失礼だと思わないわけ?」


「ご……ごめんな……さい……」


 彩美に迫られ、顔を真っ青にした結子が、か細い声で謝った。


 その場にいたみんなが、結子と彩美のやり取りを見てざわついていた。女子達は皆、彩美に同情的な視線を向けている。結子を睨む目さえあった。

 剥き出しの敵意にあてられて、結子は怖くて泣きそうになった。


「中本さんは、悪くないんじゃないかな」


 突如、張り詰めた空気を裂くように、凛とした声が響いた。咲乃が、結子を庇うように間に入る。咲乃の出現に、彩美は動揺してたじろいだ。


「一緒にやるかどうかは中本さんの自由だし、俺は強制していいなんて思わない」


「でっ、でもっ……!」


 彩美が悲痛な声を上げると、咲乃は彩美の言葉を遮った。


「ごめん、山口さん。みんなと楽しくやれたら良かったんだけど、この空気じゃ無理そうだから俺は神谷たちの所に戻るね」


 咲乃がそう言うと、彩美は泣きそうな顔をして体育館の外へ出て行った。






 *



 体育の授業が終わり、生徒たちがぞろぞろと廊下を出て行く中、結子もその中に混ざって上履きに履き替えていた。頭の中は先程のことでいっぱいだ。高嶺の花とされている彼が、自分を気にかけてくれたことが信じられなかった。彼とのやりとりを妄想して楽しんでいたことは何度でもある。だが、妄想は妄想として、心の中にしまっておくだけ。現実で起こり得るなど思ってもいなかった。


 物思いに耽っていると、目の前のものにぶつかりそうになった。慌てて顔を上げる。そこには咲乃が立っていた。

 慌てて周囲を見回す。結子と咲乃以外、すでに誰もいない。理央でさえ、他の子たちと先に行ってしまったようだ。


「中本さん、さっきはごめんね」


 咲乃に謝られて、結子は息を詰めた。


「変に注目させてしまったこと。中本さんはそう言うの嫌そうだから」


「そ、そんな! 篠原くんのせいじゃないよ!」


 結子は勢いよく両手を振って否定した。二人きりになってしまったことへの気まずさと、手紙を書いたのを咲乃にばれてしまったことへの恥ずかしさが、結子を逃げ出したい気持ちにさせる。


 今考えてみたら、あの手紙は結子の中では黒歴史だ。接点もない人気者の男の子にあんな手紙を書いて、勝手に他人(ひと)の机の中にいれるなんて。


 咲乃は小さく息をつくと、悲しそうに目を伏せた。


「中本さんに迷惑をかけたのは事実だよ。……でも、これ以上は、もっと迷惑だよね?」


 長い睫毛から、弱ったような瞳がそっと覗く。その表情があまりにも儚くて、結子はつい目が離せなくなってしまった。


「中本さん、俺のこと苦手そうだし……」


「そっ、そんなことない! わっ、私、篠原くんと話したいよ!」


 悲し気に笑う咲乃に、思った以上に大きな声が出て、結子は自分の発言を今更自覚した。顔中に熱が集中して、全身が震える。今すぐどこかへ行ってしまいたいと思うほどに恥ずかしかった。


「良かった。俺、中本さんに嫌われているんだと思ってた」


「えっ……?」


 安心して笑う咲乃の顔を、結子は信じられない気持ちで見つめた。あんな手紙を書いて、むしろ引かれたと思っていたのに。


「中本さんに手紙をもらった時に、こちらの方こそお礼を言おうと思ったんだけど、中本さん逃げちゃって……。もしかしたら、触れてほしくなかったのかな、と思って……」


 結子は驚くあまり言葉を失った。

 誰が書いたのか分からない手紙なんて、もらっても嬉しくないことに気づいたのは、やってしまった後だった。

 あんな手紙にお礼なんていらない。結子の自己満足でやったことなのだから。


「そう言えば中本さん。もう指に赤い糸を巻いてないんだね」


「えっ……」


 結子は思わず、自分の左手の小指を隠すように、右手で包んだ。


「そ……その……」


 結子は、手をもじもじさせながら、蚊の鳴くような声で答えた。


「……必要が無くなった、から」


 あれが、恋のおまじないだということを咲乃が知るはずはない。その相手が、今目の前にいる人であることも。


 俯いている結子に、咲乃は優しく笑いかけた。


「よかったら、一緒に教室まで戻らない?」


 咲乃の誘いに、結子は戸惑いながらようやく小さく頷いた。






「まさかお前が、中本さんみたいな子がタイプだったなんてなー」


 昼食の時間、神谷はにやにや笑いながら軽く小突くようにして咲乃の足を蹴った。


「何の話?」


 咲乃が表情を変えずに嘯くと、ますます神谷は知った顔をして楽しそうに笑った。


「だってそうだろ? お前が女子に声かけるなんて珍しいじゃん。どう考えても気があるとしか思えねぇ」


「考えすぎ」


「どうだかな。中本みたいなお淑やか系、好きそうじゃん」


 久しぶりに面白いネタが手に入ったと思っているのだろう。楽しくて仕方がないという顔で、咲乃の顔を観察している。


「中本さんは普通にいい子だと思うよ。友達(・・)として親しくしているだけ」


「友達だぁ? お前の友達基準は高すぎ――ちょっとまて、お前のから揚げだけでかくね?」


 唐突に話題が変わったと思ったら、神谷は咲乃の皿の中を覗き込んだ。所詮、神谷に恋愛などというものへの興味は、唐揚げには敵わない。


「そうかな。同じだと思うけど」


「いいや、これ絶対、給食係の贔屓だろ。な、俺のと交換しようぜ」


 神谷の箸が伸びる。咲乃はすかさず、神谷の手首を掴んだ。


「だめ」


「いいだろ、一個ぐらい」


「だめ、ピーマン残してる」


「ピーマンなんかどうでもいいんだよ。俺は、育ち盛りなんだ」


「育ち盛りなら、好き嫌いしない」


「んだよ、ケチ!」


 どう見ても同じ大きさのものを、違うと言って駄々をこねたのは神谷の方だ。しばらくにらみ合った後、未練がましく咲乃の唐揚げをものほしそうに見つめる神谷に、仕方なく咲乃が折れた。


「ピーマン食べたら、全部あげる」


「おっけー、乗った」


 神谷は詰め込むようにして、口いっぱいに苦手なピーマンを頬張った。約束通りお皿の中をきれいに完食すると、咲乃は自分の唐揚げを全部神谷にあげた。


「やっぱり持つべきものは篠原だな!」


「お前に持たれても、こっちに何のメリットも無いけどね」


 咲乃が呆れて言い返す。突然、鋭い視線を感じて、咲乃は教室を見渡した。


「どしたー?」


 牛乳パックにさしたストローをくわえて、神谷が尋ねた。


「ん、何が?」


 咲乃は笑って誤魔化した。神谷は訝し気な顔をしたが、再びいつものように話し始めた。

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