ep15 怒れる獅子は、美少女の皮を被る
神谷と咲乃が廊下を歩いていると、クラスメイトの女子が咲乃に駆け寄った。
「篠原くん、職員室で増田先生が呼んでたよ」
「分かった。田中さん、伝えてくれてありがとう」
咲乃は女子に礼をいうと、神谷と別れて職員室へ向かった。呼び出された理由には心当たりがあった。
職員室では、増田先生が嬉しそうに咲乃の肩を叩いた。
「スクールカウンセラーの先生が、津田を見てくれるそうだぞ」
「本当ですか?」
去年度まで相談室の先生がいなかった英至中学校に、今年の4月から新しくスクールカウンセラーが配属されることになった。咲乃はスクールカウンセラーの存在を知ると、成海を見てもらえないかと、担任にお願いしていたのだ。
「あぁ、日高先生も是非にと仰っていたぞ。津田も来年には、進路のことも考えないといけないからな。これも、篠原のおかげだな」
「いえ、先生方の助けがあってこそです。ありがとうございました」
今まで不登校生徒を持て余していた担任が、ここまで協力する様になったのは、成海の努力の結果でもある。テストの結果が良かったおかげで、勉学に十分の意欲があると示すことが出来たのだ。
「スクールカウンセラーの先生がいらっしゃるのは、週に2回の13時から17時の間のみだ。その間であれば、津田のことを見られるとおっしゃっている。学習面では、各教科の先生が出した課題を提出してもらうことになるから、相談室登校が出来て課題をきちんと提出できれば、多少は内申が付けられるぞ」
「ありがとうございます。それでは、スクールカウンセラーの先生と一度お話しさせていただけませんか? 津田さんの近況を、先にお伝えしたいので」
「わかった。スクールカウンセラーの先生に、面談の予約を取っておこう」
「お願いします」
成海の学校復帰は、彼女がテストを受けた頃から考えていたことだった。学校生活に、成海は強い不安を感じている。復学の意思も弱い。そんな彼女を復学せられるかどうかは、咲乃にとっても大きな課題だった。
*
数学の時間、咲乃の前の席に座る神谷が、身体を捻って後ろを振り向いた。
「なぁ、篠原。消しゴム貸してくんない?」
「忘れたの?」
「失くしちゃってさぁ」
「昨日も、シャーペンを無くしてなかった?」
最近、神谷は失くし物が多い気がする。この前は、持って来たはずのタオルがないと大騒ぎしていた。
咲乃は、自分が持っていた消しゴムを半分に割って神谷に渡した。
「はい。返さなくていいから」
「サンキュー、助かる」
神谷は全く悪びれない様子で、調子よく礼を言った。
授業が終わると、神谷は心底うんざりしたように机にあごを乗せてため息をついた。
「次の授業古文かぁ。あの授業で最後まで起きてられる奴いんのかよ」
「わかる。坂本先生だもんな」
いつもは真面目な重田も共感してしまうほど、古文の授業はどの生徒にとっても鬼門だった。
坂本先生は、60歳のおじいちゃん先生で、ゆっくりとした喋り方に活舌の悪さが相まって、生徒は皆、襲い来る睡魔に抗いきれずに眠ってしまう。特に昼食後の一番眠い午後の時間に重なると、起きているのも困難なほど強力な睡魔が襲ってくるのだ。
「神谷くん、ちょっといい?」
「んぁ?」
神谷が既に眠そうに大あくびをしていると、山口彩美が、神谷の席の前に立っていた。彩美は怒った顔で神谷を睨みつけている。
「神谷くん、さっき篠原くんに消しゴム借りてたでしょ。あんた、これで何度目?」
「消しゴム借りたのは今日が初めてだな」
「消しゴムのことだけ言ってんじゃないの! 借り物ばっかりして、篠原くんに迷惑だとは思わないわけ? 自分の物くらいちゃんと管理しなよ!」
とぼけるように神谷が答えると、彩美が強く神谷の机を叩いた。
「はぁ? なんでお前にキレられなきゃなんねーんだよ」
今にも言い合いが始まりそうな空気だ。咲乃は穏やかに微笑みつつ、二人の間に割って入った。
「山口さん、俺は別に大丈夫だから」
「だって、篠原くんが大変そうなんだもん。神谷くん、全然反省しないし」
彩美は、不満気にぷっくり可愛らしく頬を膨らませて言った。
「キャラ変わりすぎだろ」
「あ゛ぁ゛!?」
神谷がぽつりと毒づくと、彩美がドスの利いた声で振り向いた。
咲乃は、まぁまぁと彩美をなだめた。
「本当に大丈夫だから。心配してくれてありがとう、山口さん」
「篠原くんがそう言うなら……。困ったことがあったら、いつでも言ってね?」
彩美は、可愛らしく上目づかいで咲乃を見ると、神谷を睨んでその場を立ち去った。嵐が過ぎ去って、神谷はうんざりしたように大きな溜息をついた。
「あーあ、やだやだ。関係ねぇのに出しゃばって来る奴」
手紙といい、山口彩美といい。神谷はイライラした様子で吐き捨てた。
古文の授業中、坂本先生のもにょもにょした説明に、こくりこくりと頭を揺らす生徒たちで増え始めていた頃、咲乃は例の手紙のことを考えていた。
もともと咲乃は、このような匿名の手紙を貰うこと自体は珍しい事ではなかった。それは前の学校でもそうだったし、英至中学に転校してからも同じだった。話しかけるにはハードルがある咲乃に、どうしても親しくなりたいと面識のない生徒からの手紙が靴箱に入っていることがたまにあったのだ。この前は、美術の時間にデッサンように借りた花に対するお礼の手紙が、机の中にいつの間にか入っていた。その手紙も差出人の記入はなく、手紙には小さく控え目に「お花を描いてくれてありがとう」とだけ書かれていた。
――あの手紙は、教室に花を飾っている人物からの手紙だったのだろうか。手紙をもらった時は、とくに気にしていなかったが……。
教室の片隅にあるガラスの花瓶に、つつましく活けられていた一輪の花。日常の喧噪の中に溶け込んで、誰にも見向きのされていなかったあの花は、一体、誰が生けたものだったのだろう。
考えごとに耽っていると、咲乃の目の前で、神谷の頭ががくっとさがった。後ろからでも、神谷が頬杖をついたまま居眠りをしているのが分かる。
咲乃は手を伸ばして神谷の肩を突いた。びくっと肩を揺らして、神谷の頭が上がる。その反応が面白くて笑いを噛み殺していると、どこからか視線を感じた。
咲乃が教室に目を走らせると、遠くの席に座る、ある女の子と目が合った。その子は咲乃と目が合うと、慌てた様子ですぐに視線を外し、一生懸命にノートを取っているふりを始める。
咲乃は、少女の視線にも気づかなかったふりをして授業に戻った。
*
咲乃が部屋で勉強していると、部屋のドアがノックされた。ドアを開くと、雅之が一枚の封筒を咲乃に差し出した。
「きみ宛に手紙だよ」
「ありがとうございます」
咲乃は、雅之から封筒を受け取った。「篠原君へ」と書かれた、花柄模様の可愛らしい封筒を裏返して差出人の名を探す。しかし、封筒のどこにも差出人の記載はなかった。
「ラブレターなんて懐かしいな。今はないものだと思っていたけど、こういうのってやっぱりドキドキするよね!」
「叔父さん」
「なんだい?」
咲乃が封筒から目を上げると、好奇心で瞳を輝かせた叔父がいた。一緒に封筒の中を見る気でいる。
「中を読むので、部屋から出て行ってもらえませんか?」
にこりと笑った咲乃の顔を、雅之はまじまじと見つめた。
「あっ、そ、そうだよね!? ごめんね、おじゃましちゃって!」
叔父が慌てて部屋を出て行くと、咲乃はドアを閉め、カッターナイフで封を開けた。封筒の中には、同じ柄の便箋が一枚、ふたつ折りにされて入っていた。
篠原君へ
手紙、読んでくれた?
読んでくれたはずだよね?
どうして?どうして神谷君と喋ってたの?
私、神谷君と居ちゃ嫌だって言ったよね。
たくさんお願いしたよね。
篠原君にとってそんなに神谷君って特別なの?
そんなに神谷君が大事なの?どうして神谷君なの?
どうして神谷君は篠原君に構うの?
今までのあなたはみんなに平等だったのに変わっちゃった・・・。
おねがい、神谷君と仲良くしないで。神谷君といないで。
私に気づいて。あなたを大切に思ってるのは私だけ。
本当のあなたを分かっているのは、私だけなの。
おねがい。おねがいします。
これ以上、神谷君に近づかないで。
咲乃は便箋を丁寧に折りたたんで封筒へ戻した。二通目の、差出人不明の手紙。筆跡はもちろん、一通目の手紙と同じものだ。手紙の差出人は、咲乃が手紙を読んだ後も変わらずに神谷に接していたことが気にくわなかったらしい。
最近の咲乃は、ほぼ毎日のように学校後は成海の家に行っていた。手紙の差出人がどうやって咲乃の家を知ったのか定かではないが、もし、学校帰りに後を付けられていたのだとしたら、成海の存在が知られていたかもしれない。差出人のヘイトが神谷のみに向かっているところを見ると、どうやら成海のことはまだ知られていないようだが、今後も同じように後をつけられないとも限らない。しばらくは、成海の家に行くことを控えた方がよさそうだ。
勉強の習慣を途切れさせたくはなかったんだけど……。
咲乃は溜息をつき、成海にしばらく家に行けない旨をLINEに送った。




