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ep12 いのち短し恋せよ乙女①

 その日の午後、体育の授業ではドッジボールが行われていた。校庭に描かれた4つのコートで、チームを入れ替えて試合する。出番まで時間のある生徒たちは、それぞれコート付近で応援しながら見学している。その中で、ひと際多くの女子たちが集まっているコートがあった。


「篠原くん、手を振ってー!」


 誰もがその美しさに目を止める話題の転校生、篠原咲乃の周辺は、今日も黄色い声援に包まれて注目の的になっていた。アイドル並みの声援に、すでにこの状況に慣れ切った男子達は、諦めた末の菩薩のような表情をしてその光景を眺めていた。


「篠原ばっかいい顔させられっかぁ! 今日こそ野郎の鼻をへし折ってやらぁ!」


 そんな状況でも、無駄に頑丈で折れない心を持ったひとりの少年がいる。闘志を燃やし果敢に挑まんとするその男子生徒は、親友兼ライバルを自称する男、神谷亮だった。

 神谷の意気込みに合わせて、日ごろから苦い思いをしてきた同チームの男子達が、猛々しく「うおぉおお!」と拳を突き上げた。彼らも自分の野望(モテたい)を胸に咲乃に挑まんとしている。馬鹿の周りに馬鹿が集まるのは世の常だ。


 試合開始のホイッスルが鳴った。ボールを先取したのは神谷のチームで、最も体つきの大きい生徒が全力で投球する。猛スピードで飛ぶボールは、まっすぐに咲乃の方へ向かった。当たれば身体が弾き飛ばされるであろう威力を持ったボールを前にして、咲乃は前に踏み出すと抱き込むようにボールを受け止めた。片足を踏み出しサイドスローで腕を振る。ボールは、地面ぎりぎりを水平に走ると、動き遅れた生徒の足に直撃した。


「篠原を狙うのは一番最後だ。追いかけるだけ時間のロスになる。周りに固まってる奴らを先に狙え。最後に篠原を叩き潰す!」


 神谷が仲間に指示を出しているのを聞いて、咲乃は神谷に、悠然と微笑んだ。


「消耗作戦だなんて、神谷にしては随分回りくどいやり方するんだね。自分たちの戦力不足を吠えているようにも聞こえるけど?」


「勝てりゃあいいんだよ。お前んとこは周りが雑魚だらけで、結局篠原のソロプレイ状態じゃねーか」


 神谷は挑発的にニヤリと笑った。


「いくら篠原ばっか飛びぬけてたって、団体競技じゃ意味ねぇんだよバーカ!」


 こんな時、神谷の厭らしい性格が発揮される。自分は外野側に回り、周囲に的確な指示とパス回しをするのだ。周りの人員配置を瞬時に確認し、より当てやすい人間とポジションを見極めていく。ドッジボールにありがちな、攻撃に躍起にならない神谷のプレイスタイルは彼の美点と言えるだろう。だからこそ、神谷が敵側に回ると面倒なのだ。普段阿保らしく能天気なくせして、こういう勝負事になると突然本気を出すのだから。


 しかし咲乃は、神谷などに勝利を譲る気は更々なかった。相手が神谷だから余計に負けるのが腹立たしかったのだ。神谷亮と篠原咲乃は、“底抜けの負けず嫌い”という点で共通している。とどのつまり、馬鹿の周りには馬鹿しかいないのだ。世の中はそうやって成り立っている。





「篠原くーん、がんばってー!」


 女子たちの応援の中に、当然のごとく山口彩美の姿もあった。神谷の戦法により一人また一人と仲間たちが外へ追い出されていく一方で、咲乃も一人ひとり確実に神谷側のチームを外に追い出しているのを見て、彩美は胸を高鳴らせながら応援した。咲乃が放ったボールが真っすぐ彩美の方へ飛んで行き、顔面に突き刺さるまで、彩美は咲乃の姿から目を離すことが出来なかった。飛んでくるボールなど眼中になかったのだ。


 地面に倒れる彩美に、周囲が騒然とする。人垣をかき分け、誰かが彩美の元へ駆けつけた時、彩美は意識を失った。






「う……うぅん……あれ……?」


 目を開くと、彩美は白いベッドに横たえられていた。ベッドの周りには白いカーテンで仕切られ、外から見られないようになっている。

 ここはどうやら保健室のようだ。目を覚ましたばかりで、窓から降り注ぐ眩しさに目をしばたたかせていると、不意に視界の隅で陰が動いた。


「山口さん、大丈夫?」


「しっ、篠原くん!?」


 人物の姿がはっきりしてくると、彩美の頭の中はパニックになった。

 心配そうに彩美の様子を伺う咲乃は、それはそれは美しいものだった。彼の白い肌は、保健室の白い壁に溶け込むように輝いていて、赤みを帯びた唇が鮮明に映え、より彼があでやかに見えた。


「ごめんね、山口さん。俺が投げたボールが当たってしまって。どこか痛い所はある?」


「う、ううん、どこも痛くないよ」


「本当? 外傷はないみたいだけど、一応病院へ行った方が良いかもしれない。頭を打ったようだから……」


「だ、大丈夫、大丈夫。あれは事故だったんだもん、篠原くんは全然悪くないよ!」


 思い詰めるような顔で心配する咲乃をフォローしながら、この時彩美の脳内は「保健室」「ベッド」「ふたりきり」というワードが渦巻いて頭の中を沸騰させていた。

 突然、彩美の手を、するりとした冷たい指で包み込むように握られた。咲乃に引き寄せられ、彩美のからだが傾ぐ。意図せず近づいた距離に咲乃の方からふわりと柔軟剤の甘い香りがして、彩美はますます落ち着かない気持ちになった。


「駄目だよ。脳を傷つけたかもしれない。俺も付いて行くから、一緒に病院へ行こう?」


 彩美の瞳をまっすぐにとらえた咲乃の瞳は、ゆらゆらと湖のような清らかさで揺れている。不思議な輝きに、思わず見とれた。このまま自分の心までが、その中に溶けていくような錯覚さえ覚える。


「それに山口さん、鼻血が出てる」





 放課後、咲乃の付き添いで、念のために病院で診察を受けた。医者からは、脳に問題はないと言われ、何事もなくそのまま帰ることになった。


「篠原くん、病院に付き添ってくれて本当にありがとう」


 そして飛んできてくれたボールもありがとう、と彩美は心の中で唱えた。


「ううん。ボールの件は、俺の不注意だから。本当にごめんね」


 悩まし気に目を伏せる咲乃の表情があまりにも色があって、その表情を見ているだけでもドキドキしてしまう。

 彩美はうっとりと、隣り合って歩く彼を見つめた。気遣いができ物静かな彼は、今まで見てきた同い年の男子たちとは違う。男子なんて、みんな猿以下だと思っていたのに、篠原咲乃は格段に群を抜いて大人びている。


 何か考え事をしているのか、咲乃は、憂鬱そうに夕空を見上げていた。その気怠く物憂げな表情は、儚い色香を伴い、そばにいる彩美の心をざわつかせる。わずかに唇から白い吐息が漏れ出し、思わず目線が行ってしまうそこに、彩美はもうどこを見たらいいのかわからなくなった。


「ここが、山口さんの家?」


「えっ、あ、うん」


 うっとりと咲乃を見つめている間に、家についてしまった。幸せな時間ほど流れるのが早い。浮ついていた思考は現実に引き戻され、温かかった胸の中が急激に冷えるようだった。


「今日はゆっくり休んでね。山口さん、また明日」


「待って、篠原くん! 渡したい物があるの!」


 慌てて咲乃を引き留め、急いで家の中に入った。昨日手作りしていたマフィンをタッパーに詰めると、急いで咲乃の元へ戻る。本当はきれいにラッピングしたものを渡したかったが、そんな暇はない。


 上がった息を整えつつ、彩美は咲乃に、マフィンを入れたタッパーを差し出した。


「これ、今日のお礼です! 受け取ってください!」


「でも、俺が悪いのに……」


「そんなことない! 病院まで付き添ってくれたの、本当にうれしかったから!」


 咲乃に何かをプレゼントするのは、初めてだった。受け取ってくれるか不安だったが、きちんと咲乃が受け取ったのを見て、彩美は内心ほっとした。


「ありがとう、山口さん。大切にいただくね」


 物憂げな表情から穏やかに微笑む彼を見て、彩美は人生最高の喜びを感じた。







「あのー……篠原くん……もしかして……怒ってます……?」


 ミニテーブルに突っ伏している篠原くんに、恐る恐る声をかけた。大層不貞腐れているのがよくわかる。


 あーもーめんどくさいなぁ。人の機嫌取りとか苦手なんだよ……。


 篠原くんからは事前に、『急用で遅れる』って連絡があったけどさ。空が暗くなっても来ないもんだから、今日の勉強会は休みなんだと思ったんだもん。いいじゃん、ちょっとくらいゲームで遊んでたって。


「別に篠原くんが来ないと思って、勉強をさぼってたわけじゃないんですよ? ちょっと休憩してただけ。篠原くんが来ないのを良いことに、めいっぱい好きなことを楽しもうなんて思ってたわけじゃないですってば」


 わたしはそっと手に持っていたゲーム機をベッドの下に押し込んだ。めいっぱい楽しもうとしていたことは全部なしにした。

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